【お宝写真館】プロレスはまず受け身が基本とされる。あえて相手の技を受けきった上で攻撃せよ、という鉄則があるからだ。しかし一撃必殺の技となれば話は別。写真は新日本プロレスの第1回MS・Gシリーズ優勝戦(1978年5月30日、大阪府立体育会館)で、アントニオ猪木が“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの230キロボディープレスをかわした瞬間。まさに「間一髪」という言葉がふさわしい。
必殺技をめぐる攻防は日本のプロレス史を彩ってきた。ルー・テーズのバックドロップを河津掛けで防ぐ力道山、フリッツ・フォン・エリックのアイアンクローをリストロックでこらえるジャイアント馬場、天龍源一郎のパワーボムをリバーススープレックスで返すジャンボ鶴田…いずれも手に汗握る攻防として語り継がれる。
そんな歴代の名レスラーの中でも、猪木は独特の発想とひらめきによるディフェンスの天才でもあった。この試合ではボディープレスをかわした後、場外でカナディアンバックブリーカーに担がれると、鉄柱を蹴ってクルリ反転。そのままリバーススープレックスで場外マットに叩き付け、大巨人が坂口征二ともみ合っているスキに生還。リングアウト勝ちでリーグ戦を制した。当時の本紙1面は「九死に一生、猪木“頭脳の勝利”」の大見出しで猪木の勝利を報じている。
相手に上体を預けたまま、鉄柱やトップロープを蹴ってクルリと形勢を逆転する動きは、卓越した身体能力とセンスを持っていた猪木独特のものだった。当時は酷評されたモハメド・アリとの異種格闘技戦(76年6月26日、日本武道館)におけるアリキックも、格闘技全盛期を経た現在では評価が一変している。
アンドレ戦で見せた一瞬のひらめきは約2年後、もはや伝説となった「0・1秒の差」でスタン・ハンセンに逆ラリアートを決めた一戦(80年9月25日、広島県立体育館)へと昇華することになる。(敬称略)
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