弔辞 2015

お母さんとの思い出は子供の頃から沢山あります。

相馬野馬追いを見に行ったこと、つくば科学万博に連れて行ってくれたこと、蔵王の自然を見にいったこと、ハワイアンセンターに遊びに行ったことなど、どれも家族みんなで行った楽しい思い出で、今でもはっきりと憶えています。

いつも家族のために料理を作ってくれて、栄養のバランスが取れたご飯で、おかげで元気で健やかに育ちました。東京で一人暮らしを始めてからこんなに太ってしまって、お母さんの料理がとても健康に配慮したものであったことを改めて感じました。家族みんなで鍋を食べたりしたことも懐かしく思い出します。一緒に牛乳寒天を沢山作ったのもとても美味しかったです。

習い事で小さい頃に絵画教室にも通わせてもらいました。絵画教室に通ったことで、相馬の産業文化祭で金賞が取れたのも嬉しかったです。ボーイスカウトの一個下のカブスカウトにも通わせてもらいました。習い事で身についた創造力は、東京で小さな会社を興して社長になった今でも、私を支える原動力になっています。

私が学校でいじめられた時にも、いじめっこの家まで一緒に連れて行ってくれて、私のことをかばって守ることに必死だったお母さんの姿も憶えています。

お母さんの子どもで本当に良かったと思います。お母さんの子で幸せだったよ。

家族の絆を強く感じたのは、東京に出てからますます強くなりました。私が大学を中退した時も、その後に東京でアルバイトを転々とした時も、お母さんから送られてきた沢山の食べ物が私を守ってくれました。

私が困ったときは「いつでも相馬に帰ってきて良いんだよ」と言ってくれたこともありがとう。東京から帰省した私を相馬駅に車で送ったくれた時も、お母さんが涙を流していたことに黙って気づいていました。

東京で頑張って一花咲かせて、いつか故郷に錦を飾りたいと思っています。でも、こんなに早く亡くなってしまって、錦を飾る姿を見せることができなかったことが、とても心残りです。でもお母さんが応援してくれた姿をきちんと思い出して、東京で身を立て名をあげ更に励もうと思います。

東日本大震災の時も家族の絆を感じました。実家に何度もつながらない電話をかけていました。お母さん達が無事なのか本当に心配でした。連絡が取れた時は心から安心しました。避難生活になってしまった妹夫婦と姪をしばらく実家で預かってくれて本当にありがとう。

私が東京生活で大変なときも心の支えになってくれました。私が東京でうまくいかなかったり失敗ばかりだった時は、しばらく申し訳なくて相馬に帰れませんでした。やっと帰った時「良い知らせがなくて帰りづらかった」と言ったら、「ここはお前の家だから、いつ帰ってきてもいいんだぞ」と激励してくれて本当にありがとう。絶対に成功して帰ってくるね。そして病室でお母さんから聞いた遺言でもある、健康に気をつけて、兄妹みんなで仲良く、お父さんを支えます。

お母さんへの想いはつきませんが、最後に家族代表として心より感謝を捧げたいと想います。 お母さん、今まで本当にありがとうございました。 もう会えないのは、とても悲しいですが、ゆっくりお休みください。

母の心よりの冥福をお祈りし、弔辞とさせて頂きます。ありがとうございました。