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投稿コメント一覧 (5コメント)

  • >>No. 5

    優しいコメントですね、すごく嬉しいです。ありがとうございます。
    でもそう簡単なことではないのです。。。

    私は神はいると信じている方の人です。
    神を信じるということは、神に従うということ。「信じているけど従わない」ということは有り得ないことで、従わないということはつまり信じていないということ。
    個人的にはそう思っていて、たぶんこれについては、キリスト教の人は
    「まー、そうやね」と思ってくれると思いす。で、私が苦しい理由なんですが


    聖書は同性愛には否定的なんです。


    じゃあ、やめちまおうぜ♪とか思うかもしれないけど、そう簡単なことじゃないんです。神は例えていうなら、私にとって酸素と一緒なんです。信仰心を捨てることは出来ません。


    誰かを愛してるというこの気持ちが悪いことだとは思えない。
    誰かの不幸せを願っているわけじゃない。


    だからこそ、聖書の否定的な言葉を見て言葉を失ってしまうんです。

  • >>No. 4

    ありがとうございます。うまく言葉に出来ないんです・・・、色々と苦しくて。
    セクシュアリティのこともそうなんですけど、「消えていなくなりたい」という気持ち、まずはこれをなんとかしたいなって思います。

    苦しくて、ヤケクソになって、些細なことにイラついて
    回りを傷つけたりしてしまいます。

    自分の怒りをコントロールできないんです、急に涙があふれてきたりもします。
    なんで同性を好きになるのかなぁ・・・ああぁぁあああ、くっそー!!
    あぁ・・・。゚(゚´Д`゚)゜。
    という感じです・
    はぁ・・・(苦笑 祈っていただけますか・・・・?

  • >>No. 2

    コメントありがとうございます。
    哲学の世界ですかー・・・。考えたことはありませんでした。というのも
    私は心の探求ではなく科学的な側面から心を「研究したい」と思っていたからです。


    たとえば臨死体験後の心理的な状態はどうなるのか?
    死の恐怖や、その恐怖からくる精神的な苦痛を克服する方法があるのか?
    またそういう経験をした後、どのような価値観を持つのか、物事への反応はどうなるのか?といった感じです。実際にそれを研究対象としている心理学者もいます。


    「人とは何か」ではなく「心とは何か」ということに焦点を当てた研究をしたいと思っています。人とは何かだと哲学的な面のほうが大きいかもしれません。たとえば「人とは社会的な生き物である」とか、「人としての幸せとは○○である」とか。哲学の事はよく分かりませんが・・・。


    それと違って心理学としては「人はなぜ社会的な生き物となるのか」「なぜ○○だと人間は幸せだという反応をするのか」という面があると思います、そういうことを研究したいです。


    すみません、うまく説明できないのですが・・・(汗


    しかし、心理学は哲学から発展したものですし、
    やはり哲学的な要素は強いですよね!心理学だけにこだわらず哲学という選択も考えて見ます!
    ありがとうございます。

  • >>No. 2

    私が信じるのはイエス・キリストです。霊ではありません。
    そして・・・・はい、悩んでいます。

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