ウィザードリィ・ゲーム四章『インターハイ予選』
ついに始まったインターハイ予選。
当初の予定通り、順調に進むように見えたが、競技の一つで強敵が立ちふさがる。
化け物、千頭和ナギニ登場。
とにかくメーター振りきった強敵を描けて楽しかった。
あと、競技の名前は頑張って考えたけど、中でも『ドルイドリドル』と『ワイズマンズレポート』はお気に入り
それでは続きからどうぞ
第四章 インターハイ予選
月に一度の、検診の日がやってきた。
本来ならばリハビリも兼ねて月に何度か通う必要があるのだが、今月はウィザードリィ・ゲームの準備で忙しかったため、検査の日まで一度も顔を出さなかった。
肉体のメンテナンス自体は問題なく終わった。成長期が終わりさえすれば、シオンの検査は経過観察だけになる。それまでは、人工臓器などの検査は欠かせない。
ひと通り検査が終わった後、彼はいつも通りアヤネの見舞いに行く。
病室の前にたどり着くと、壁に背をかけて待つ飛燕の姿があった。
「ふむ、ようやく登場か」
どことなくホッとした空気を発しながら、彼はシオンに向き直る。
「悪いニュースを教えてやろう。お姫様は大層機嫌が悪い。せいぜいご機嫌取りをするんだな」
「……あまり聞きたくなかったな。それは」
まあ、予想はしていたことだ。
普段から、シオンの前では機嫌がいい時はないに等しいが、今日はそれがより一層ひどいだろうと予想していた。なにせ、この一ヶ月、一回も顔を出していない。そのことは、彼女の苛立ちを買うだろうとは予想していた。
だから、今日はミラを連れてきていない。本当に一人きりで、アヤネと向き合うつもりだ。
ため息を一つ付きながら、シオンは病室をノックする。
「アヤ。入るよ」
返事はない。十秒だけ待って、拒否の言葉がないのを確認する。
扉を開けると、雑多な様子の病室内が目に入った。
衣服が散乱し、ベッドのシーツが無造作に捨て置かれている。その上には、数字が書きなぐられた紙が撒き散らされており、とにかく雑然とした光景が広がっていた。
その中央で、ペタンと床に座り込んでいるアヤネの姿があった。衣服は着崩され、ほとんど布一枚と言った様子だ。そんな危うげな姿で、彼女は胡乱な目をシオンに向ける。
「あ、アヤ?」
これは予想外だった。
いつものようにベッドの上で本でも読んでいるものだと思ったら、何かの作業中のようだ。その雰囲気は、かつて魔法に耽溺していた頃の彼女を思いだす。
「……ああ。あんたか」
どす黒く濁った、敵意むき出しの目が向けられる。
今までの経験から、彼女の刺々しい態度には慣れっこだと思っていたが、今日のアヤネは一味違った。ゾクリと背筋が凍るような眼光に、思わず身を震わせる。
アヤネは、肩からずり落ちた病衣を着直しながら、淡々と言う。
「よくもまあ、私の前に顔を出すことが出来たね。なに? 今日は暇ができたの? そうでしょうね。忙しいシオンは、私みたいな落伍者の相手をする時間なんてないものね」
「…………」
これはまずい、とシオンは思う。
刺々しいだけならまだしも、饒舌なのはまずい。飛燕の言うとおり、かなり虫の居所が悪いらしい。なまじ言葉が通じる分、感情に逃げることが出来ないので危険だ。
「その。悪い、あんまり顔を見せなくて」
「ん? 何を言ってるの? 別に私は、シオンの顔なんて見たくないんだけど。それとも何かな。私を憐れみに来るのが日課にでもなってるの? ああ、そうだよね。誰だって、自分よりも下の人間を見たら安心するもんね」
「な、なあ。アヤ」
「バディとの関係はどう? シオン」
急に、彼女の声色が平坦なものに変わった。
眼光も、先程までの鋭さは鳴りを潜め、真っ暗な空洞がシオンを見つめている。
その変わりように、思わず金縛りにあったように動けなくなる。
「……知ってた、のか」
「ふん。まるで、知られたらまずいみたいな言い方じゃない」
「そんなつもりはない。今日は、その報告も兼ねてのつもりだった」
言い訳がましくなるのを感じながら、シオンは言った。
それに対して、アヤネはただ、黒瞳の視線を向ける。黒く昏い、仄暗い瞳が、シオンを飲み込むように見つめる。アヤネの表情は、まるでポッカリと穴が開いたように、無表情。
なぜだか、緊張してしまった。
目の前の、つんけんした態度でいながら、実際はもろく壊れやすい少女を前に、どう扱っていいのか戸惑いながら、シオンは慎重に言葉を発する。
「ウィザードリィ・ゲームに出ることにした。今の僕じゃ、まともな戦いができるとは思っていないけれども、それでも、手助けくらいはできると思ってる」
「……その、契約ファントムが、ゲームをやりたいって言ってるんだ」
「ああ」
頷く。
この四年間、ずっとくすぶっていた思いを振り払うように、強く、意志を込めて。
本当は、こんな宣言は必要ないのかもしれない。
けれども、かつてのバディに対しては、言っておきたかった。
「それで、そんなことを私に報告して、シオンはどうしたいのかな?」
「別に、どうもしない。ただ、アヤには知っていて欲しかったんだ。昔のようには行かないけれど、惰性じゃなくて、本気で取り組もうって決めたことを」
「……ふぅん」
シオンの宣言に、彼女は顔をそむける。
そして、傍らにおいてあった本とペンを手に取ると、読書を始めた。いや、途中でメモをとるかのように紙に何かを記しているので、学習しているのだろうか。そんな風に作業をしながら、彼女は一言。
「そう」
と、だけ、つぶやいた。
それ以上、彼女は言葉を口にする気はないようだった。その背中は、『勝手にすれば』と言っているように見える。いらだちは収まっていないようだが、その機嫌の悪さを、シオンにぶつけるつもりはないらしい。
彼女の背に向けて、「じゃあ」とだけ声をかけて、シオンは病室を出る。
病室の外では、いつも通り、飛燕がくつくつと笑い声をあげていた。
「何時の世も、女の嫉妬というのは恐ろしいものだ。アレくらいともなると可愛らしいが、触ればやけどしそうな危うさがある。最も、傍から見る分には良い肴であるが」
「……やっぱり、嫉妬か?」
「そうでなくて何だという」
何をわかりきったことを、と。飛燕は呆れた顔を向ける。
それに対して、弁明混じりにシオンは言う。
「アヤが、まだ僕のことをそう思ってくれているとは、思えなくてさ」
「それはいくらなんでも過小評価がすぎるな、少年。アレにとって君は、いつだって最優先だというのに。いい意味でも、悪い意味でもな」
夫婦げんかは犬も食わんよ、と。飛燕はぼやくように言う。
本当に、そんな生易しいもので済むのだろうか、とシオンは思う。自分とアヤネの複雑な感情は、どうしてもそう言った簡単な言葉で割り切れるとは思えなかった。
けれどいつか。
そんな簡単な言葉で、収められるような関係になれればと、思うことが出来た。
※ ※
インターハイ予選が始まっていた。
魔法競技のインターハイは、夏と冬の二回に分けて行われる。夏は主に、複数の選手が同時に試合を行うような多人数参加競技で、冬に行われるのは、一対一やタイムトライアルと言った完全個人競技である。
一年生の中で、ファントムとのバディ契約を持っている魔法士は、総勢二十七名だった。彼らにはインハイの予選に参加する資格が与えられるが、必ず三種目以上は出場しなければならないという縛りが合った。
夏に行われる競技は、以下の四種類だ。
バトルロイヤル形式の『メイガスサバイバー』
障害物レースである『ウィッチクラフトレース』
ダンジョン攻略の『ドルイドリドル』
謎解き競技である『ワイズマンレポート』
どれもが複数のプレイヤーが同時にゲームを行う集団ゲームである。
それぞれの競技において、二つから三つの種目が存在するが、本戦のスケジュールの関係上、一種目ずつしか参加できないので、それは選びどころである。
その中でも、ワイズマンレポートとドルイドリドルは、シオンにとって狙い目としている競技だった。
ダンジョン攻略競技『ドルイドリドル』
試合形式は多人数参加の競技で、用意された迷宮を、とにかく先に解決してしまった方の勝ちという、大雑把なルールだ。
迷宮というのは、霊子災害によって発生した人を取り込む現象のことを指すのだが、それを擬似的に作り出し、謎解きによって解呪するというのがこのゲームの本質だ。
迷宮の種類に応じて、『脱出型』と『解呪型』の二種目がある。
無論、現実に発生する迷宮に比べて難易度は低いので、見どころとしては、いかに他のプレイヤーよりも早く謎を解いてゴールに辿り着くかという駆け引きにある。妨害あり、戦闘ありというルールでありながら、単純なバトルではないため、玄人好みの競技と言われている。
シオンが参加を決めたのは、『脱出型』の方だった。
予選で用意された舞台は、ひと世代前の学校を模した建物だった。四階建ての三棟建ての校舎で、それぞれの教室に召喚されたバディたちは、校舎に用意された謎を解いて脱出をしなければいけない。
試合が開始して十分で、シオンはダンジョンに仕掛けられた魔法式の原典に当たりをつける。そこら中に仕掛けられているトラップやモンスターは、『十戒』に背くような要素をモチーフにしており、それを解き明かすごとに、十の災いがプレイヤーを襲ってくる。
他のプレイヤーがモンスターとの戦闘や、プレイヤー同士の抗争に奮戦している中、シオンとミラの二人は最速の動きで一つ一つのトラップを解呪していく。
今回は、一つのアクティブスキルを重点的に使用していた。
『光誘導・色彩誤認(レイコンダクション・ミラージュ・ル・ミロワール)』
光の誘導により、自身を限りなく透明に見せるアクティブスキルで、ミラいわく『鏡に写った透明人間(かがみよかがみ、すけすけにんげん)』という。
ちなみに、スキルの名前を決めるときに一悶着あった。
「だからお前のネーミングセンスは何なんだ」
「シオンにセンスのことは言われたくないんだよ」
むー、と二人してしばらく言い争っていたのだが、登録名はシオンの考えたほうで統一し、呼び方をそれぞれが勝手にするという方向性で決定した。
フィールドを駆けながら、襲ってくるトラップや、他のプレイヤーの妨害をミラが反射していく。真正面からの戦闘でない場合、ミラの持つ反射の能力はかなり有用な能力と言えた。全ての攻撃をいなし、流し、ごまかして、二人は敵同士を潰させ合いながら、最速でゴールに到達することが出来た。
他の参加者のほとんどが直接戦闘で潰し合っている中、ほぼ無傷で二人は試合を終了させた。
「やった! また勝ったよ!」
飛びついてきて感激を言葉にするミラに対して、シオンは試合を振り返りながらつぶやく。
「やっぱり、この方向性だな」
なるだけ直接戦闘は避け、策と搦め手が通用する場を作り出す。それさえできれば、サポート型であるミラの能力で十分に戦える。
表面上はクールにしながらも、確かな手応えを感じてグッと手のひらを握る。
これで、少なくとも今回のインターハイにおいて、『ドルイドリドル』に関しては出場権を獲得することが出来た。
※ ※
バトルロイヤル競技である『メイガスサバイバー』には、二つの種目がある。
『ポイント争奪戦』
『サバイバル戦』
前者は、それぞれのプレイヤーが契約したファントムにポイントが付けられており、ファントムを倒すことでポイントを取得できる、というものだ。最終的にそのポイントの高さによって勝敗が決する。
後者はもっとわかりやすく、プレイヤーが霊子体を維持できなければ負けというルールだ。肝心なのは、ファントムがやられても敗北にはならないという点にある。
ポイント戦はファントムを倒す競技。
サバイバル戦は魔法士を倒す競技、となる。
ミラが直接戦闘に向かないということもあって、ポイント戦よりもサバイバル戦の方が戦略は広がると考えたシオンは、『メイガスサバイバー』のポイント戦は見送っていた。
ポイント戦の予選。
クラスメイトである草上ノキアは、こちらの方に参加していた。
「ノキアちゃん、大丈夫かな?」
予選を見学に来たハルノは、オロオロと落ち着かない様子で競技場を見下ろしている。
そんな彼女に、レオが不安を笑い飛ばすように言う。
「あいつ、実力だけは実技科でもおかしくないから、大丈夫だろ。心配なんていらねぇよ」
「うん、そうだけど……」
わずかに言いよどんで、ハルノが言った。
「ノキアちゃん、本気、出してくれるかな?」
「……あー、そっちの心配か」
三人の間に苦笑いが浮かぶ。
学校の授業などを見ていても、草上ノキアという少女の一番の問題は、そのむらっけにある。とにかく面倒くさがりで眠たがりの彼女は、まずもって真面目に授業を受けようとしないし、やることなすこと、全てが投げやりだ。
必ず三種目以上は予選に出場するという、学校側の決め事に従って参加こそしているが、嫌々参加している以上、真面目に取り組むとも思えない。
そんな心配をよそに、試合が開始される。
フィールドは、樹海と表現するしかない、緑に覆われた土地だった。
自身の何倍もの高さの木々に覆われた、薄暗いステージ。三キロ四方のフィールドで、都合二十人のプレイヤーと、そのファントムたちが、試合開始とともに動き出す。
その中でただ一人、草上ノキアだけは初期位置で仁王立ちして、動こうともしない。
「ちょ、あいつ何やってんだ」
思わずといった様子で、レオが画面を見ながら言った。口にこそ出さなかったが、シオンとハルノも同じ気持ちである。
そんな三人をよそに、フィールドでは戦況が刻一刻と変化する。木々の間を縫うようにしてぶつかり合うファントムたちの激しい戦闘と、それをサポートする魔法士たちの動き。互いの全力をぶつけあう戦いが、あちこちで繰り広げられる。
その渦中にいながら、ノキアは近くの大木に背を預けて、微動だにせずにいる。その全身からはやる気の無さがほとばしっており、一人だけ場違いにしか見えなかった。
やはりというべきか。
そんな彼女を絶好のカモと思ったのか、とあるファントムがノキアに向かって襲いかかる。
メイガスサバイバーのポイント戦において、魔法士はポイントの貯蓄の役割を持っている。自身のファントムが敵を倒した時、そのポイントはプレイヤーである魔法士に与えられる。
霊子体が維持できなくなることが敗北条件ではあるが、ポイント争奪の場合、プレイヤーかファントムのどちらかが残っていれば、参加資格は残る。ただし、魔法士が先に負けた場合、ポイントの加算ができなくなるため、ファントム自身の初期ポイントだけが成績になる。
故に、試合の立ち上がりで、プレイヤーを狙うのは戦略としてありではあった。
ファントムの持つ大槍がノキアに突き立てられようと迫る。
しかし――その大槍は、すんでのところで弾き上げられた。
「お嬢様、少しは身構えてください」
スーツ姿の麗人であるデイム・トゥルクは、そんな苦言を漏らしながら、手に持った刀剣を振るって襲い来るファントムを押し返す。
そんな彼女に、ノキアは片目をあけて言う。
「必要ないさ。私には君がいる」
「それは光栄ではありますが、いくらなんでも横着なのでは?」
「信頼と言いなよ。物は言いようさ」
ノキアは顎をしゃくりながら、悠然としてトゥルクに指示を出す。
「全力でやってもらって構わないよ。魔力の心配はしなくていい。私が許す。だから、思う存分、君の性能を見せてくれ」
「了解いたしました。お嬢様」
そう宣言した後、トゥルクの姿が掻き消えた。
移動による風圧で、周囲に砂埃が舞う。
目のも止まらぬ速度で動き出したトゥルクが、次に人の目に止まった時には、すでにファントムを一体仕留めていた。
「が、ぁ」
トゥルクの持つ槍に貫かれたファントムは、信じられないといった表情で彼女を見下ろしている。それに対して、トゥルクは無造作に槍を抜くと、すぐさま姿をかき消す。
彼女のステータスを事前に知っている人からすると、その速度はあまりにも馬鹿げていた。並のファントムですら、視認することも難しい、神速の動き。それによって、あっさりと二体のファントムが犠牲となった。
速度では敵わないと悟ったのだろう。とあるファントムは、全身を硬化させて音速に近い速度のトゥルクを迎え撃とうとする。如何に素早くとも、相応の膂力と武器の力がなければ、その身体を破壊するのは難しいはずだ。
「――『プロモーション』」
それに、トゥルクは一旦動くのをやめて構え直す。
先ほどまで手に持っていた槍はなくなり、代わりに大剣が握られていた。実用性があるとは思えない、無骨で巨大な、鉄の塊のような大剣だ。持ち上げるのでも一苦労するであろう巨大な剣を、トゥルクは軽々と持ち上げる。
そして――ただ、振り下ろした。
衝撃波巻き起こり、周囲を蹂躙する。
まるで隕石が落下したかのような衝撃が撒き散らされる。その膂力に、周囲の誰もが目を見開き、驚愕の表情を見せる。
全身を硬化させたファントムも、その一撃には耐えることが出来なかった。その傷口は、斬るというよりは叩き潰されると言った様子で、無残な姿を見せた後、霊子体を霧散させる。
トゥルクは大剣を手放す。新たにその手には、弓と矢が握られている。
「――『プロモーション』」
彼女は高い木の枝に飛び乗ると、弓を構える。
狙いを定めるのは数秒。ほとんど無造作に構え、そのまま二キロ先にいるファントムへと矢を射る。二度、三度と狙撃を受けたファントムは、たまらないと逃げ出す。
トゥルクが弓矢をおろした時、下で動きがある。
ノキアに迫る影があった。
魔法士の一人が、ノキアと直接戦闘を行おうと迫っていた。ポイント戦において、プレイヤーが他のプレイヤーを倒した場合、そのポイントは全て倒した側に移譲される。
トゥルクはすでに四体のファントムを倒しているので、そのポイントを狙うプレイヤーが居てもおかしくはない。
その魔法士は、そばに二体の狼を召喚する。影で作られた狼は、闇に紛れるようにしてノキアを喰らわんと襲いかかる。
それでもノキアは、つまらなそうに目を閉じて、微動だにしない。
獲った、と敵の魔法士は思ったことだろう。
――だが、甘い。
草上ノキアの契約したファントムは、彼女の家が用意した隠し球である。例えどんなに主にやる気がなかろうと、ファントム一人で事足りるように、調整されている。
自身の主が襲われるところを見たトゥルクは、冷静に自身の足場を確認する。木の上で、足場は小さいが安定した枝を確認した後、小さくつぶやく。
「――『キャスリング』」
次の瞬間、ノキアとトゥルクの姿が入れ替わった。
先ほどまでトゥルクが居た枝の上に、ノキアが現れ、そして――ノキアが居た位置に、トゥルクが姿を現す。
襲いかかる影の狼を、トゥルクは手に持った大槍で一掃した。
続けて、その槍を細い投げやりに変化させると、間髪入れずに投擲する。そこまでの動きには、全くと言っていいほど無駄がない。呼吸する間もないくらいの短い時間に反撃をくらい、相手の魔法士はあっさりとその身体に槍を受けた。
「では、お嬢様」
木の枝に腰掛けているノキアに向けて、トゥルクは何でもないように言う。
「あとしばし、お待ちください」
「うん、まどろんでるから頑張って」
ひらひらと手を振るノキアに、トゥルクは頭を下げてまた姿をかき消す。
五分後、勝負は圧倒的な結果で幕を下ろした。
「あー、疲れた疲れた」
大きく伸びをするノキアと、そばで粛々と従うトゥルクの二人が、控室から戻ってくる。
ハルノとレオが興奮したように彼女を出迎える。ミラも、ひたすら「すごい!」を繰り返しながらトゥルクの周りをグルグルと回っていて、トゥルクの冷静な顔を困らせていた。
褒められるのがくすぐったいのか、ノキアは仏頂面で言う。
「別に、私の実力じゃないさ。トゥルクが強いんだ」
「いえ。そんなことはありませんお嬢様。貴女の魔力供給があったからこそ、わたくしは全力をつくすことが出来ました」
高ランクのファントムになればなるほど、行動の魔力消費は大きくなる。無駄を少なくしたり、その消費を管理するのも契約した魔法士の役割だ。
ノキアは面倒くさがりだが、それゆえに極端な消耗を嫌う。その辺りの調整は、むしろ率先して行っているのだろう。
先ほどの試合を見ていて、シオンは一つの考えを口にする。
「チェス、か?」
「……ご明察」
苦笑を漏らして、ノキアは言う。
「あのステータスは本当だよ。ただ、ステータス変化のスキルなんて、珍しくもないだろう?」
スキル作成の際、瞬間的にステータスを底上げさせるようにアクティブスキルを作るのは一つの定石だ。しかし、トゥルクの場合は、全てのステータスが変化していた。
戦い方によって、ステータスを変化させる。
それが、デイム・トゥルクというミドルランクファントムの戦い方なのだ。
みなまで言うな、というノキアの視線に、シオンは了解して口を閉じる。ただ、強力なライバルを前に、より一層緊張感が増すのだった。
※ ※
『ウィッチクラフトレース』の試合は、次の日に行われた。こちらはレースと言うだけあって、純粋にゴールを目指す勝負となる。
ウィッチクラフトレースの競技種目は三つ。
『エアレース』・・・ホバーボードを使って空中を駆け抜ける空中競技。
『ウォーターレース』・・・水上をウォータースキーで駆け抜ける水上競技。
『スキーレース』・・・スキー板で雪山を駆け下りる、雪原競技。
その中でも、シオンはエアレースを選択した。
全員に魔力で動くホバーボード型の手綱の付いた乗り物が与えられ、それを利用して障害物のあるコースを駆け抜ける。
ドルイドリドルと違い、謎解きの要素が全くないので、純粋に反射能力と対応力が試される競技といえる。機体の操作には、操作技術のみならず魔力運用も要素として入っている。
また、フィールド上にはトラップや障害物が用意されており、容赦なくプレイヤーを叩き落とそうとしてくる。操縦者が地面に触れたら負けなので、それらをうまくファントムがさばかなければならない。
「このゲームで重要なのは、ファントムはホバーボードの上にいなくてもいいってことだ。フィールドによっては水上だったりマグマの上だったりするから、単純に立つってことは出来ないけれど、ファントムはかなり自由が効く」
ミラのステータスでは、敏捷値が低いので、あまり機動力は期待できないと思っていたのだが、開発したアクティブスキルでカバーすることにした。
レースが開始して、参加者たちが一斉にスタートする。
ファントムに引かせて加速する者、ファントムの能力でショートカットする者と、様々なプレイヤーがいる中で、シオンのスタートは少しだけ遅れた。
レース用のマシンであるホバーボードは、操縦者の魔力で動く。魔法士の魔力出力量と操作力がものを言うマシンであり、魔力の扱いに難があるシオンにとっては通常運転がギリギリと言った感じである。
スピードはさほど出ないが、あとは純粋な操作技術でカバーするしかない。
眼前では、炎の雨が降り注いでいた。第一障害で、すでに二割近いプレイヤーが脱落している。シオンもその中を、ホバーボードを操りながら縫うようにして走って行く。
しかし、ついにはよけきれずに、炎の弾に激突しそうになる。
「ミラ!」
「任せて!」
シオンの周囲に浮遊していた鏡から、ミラが飛び出す。
彼女が手をかざすと、そこに鏡が展開される。円形の鏡に炎の弾丸がぶつかり、そのまま鏡の中に消えていく。
炎の弾は、反対に設置されていた鏡の鏡面から飛び出した。
空中を自由落下するミラは、真下に展開した鏡の中に消えていく。そして、また別の鏡から姿を表すと、降り注ぐ炎の弾丸を鏡に写し、別の鏡へと移動させる。
『鏡面具象・鏡映移動(ミラークリエイト・パッセ・ル・ミロワール)』
ミラいわく、『鏡世界へようこそ(かがみよかがみ、つれてって)』
ミラが通常作り出す七枚の鏡に対して、鏡と鏡の間に移動能力をつけるアクティブスキルである。浮遊している鏡は自由に動かすことができるので、原理上はミラが認識できる範囲でどこまででも、鏡を介して瞬間移動できることになる。
ドルイドリドルの時にも、トラップや攻撃をいなすために利用していた技だが、このウィッチクラフトエアレースにおいては一番活躍していた。
鏡を介して縦横無尽に空中を移動するミラは、シオンの前を先行して、襲ってくるトラップを受け流していく。受け流した攻撃は、他のプレイヤーの妨害も同時に行っている。シオンの背後で次々に悲鳴が上がっているのが聞こえてくる。
このままではまずいと思ったのだろう。後ろから、武道家風のファントムがシオンめがけて突撃してくる。
「シオン、危ない!」
ミサイルのように飛んでくる蹴りに対して、ミラが鏡から飛び出し、『因子写し(ジーンレプリカ)』した蹴りで対応する。
ファントム同士の全力のぶつかり合いは、激しい衝撃波を生む。近くを走行していたプレイヤーたちは、その反動を受けて大きくバランスを崩す。
「ミラ、大丈夫か?」
「うん。平気だよ」
一旦ホバーボードに降り立ったミラは、落ち着きながら周囲の状況を見渡す。
火山ステージを超え、舞台は水上に移る。下から襲ってくる水の柱や、肉食魚類の猛攻を避けながら、先を進む。
ここまでは、まったく問題なく進んでいた。
レース競技に特化したプレイヤーは少ないためか、試合は均衡を保っていると言ってよかった。大きなトラップで道を塞がれれば、旋回しながらファントムに対応してもらい、トラップが激しい地点では大きく迂回したりと、無駄は多いが確実な方法を取っていく。
プレイヤー同士の戦いも、あくまで小競り合い程度で、全力のぶつかり合いは殆どなかった。だからこそ、ミラの搦め手はっきりと優位性を見せている。
このまま順調に進めば、予選突破も狙えるとシオンは考えていた。四ブロックに分かれた予選で、上位五人までが本戦に進める。先行しているプレイヤーは九人程度だったので、あと数人抜けばいい。
ステージは最後の樹海ステージに移る。鬱蒼と生い茂った木々の根が襲ってくるのと、野生動物の猛攻を避けながら飛行する。
ここで、シオンは嫌な予感を覚える。
「……なんだ」
ぞわりと、背筋が凍るような殺気。
スピードを落として、シオンは慎重に進む。襲ってくる木々も、野鳥や野犬のたぐいも、障害であることは確かだが、全く脅威とはいえなかった。それ以上の威圧感が、進行方向に確かにあるのを感じていた。
次第に見えてきたのは、地面に落ちて消えかけているプレイヤーたちの姿だった。
全部で六人。
彼らは全員、リタイアということで霊子体が解けかけているところだった。霊子体が消滅した後には、リタイアの証である赤色のフラッグが立てられる。
先頭集団が、一気に消滅している。
仮にも、先頭付近を走っていたのである。生半可なトラップでやられるような実力ではないはずだ。それなのにどうして。
何よりも大きな疑問が、消え行く霊子体のそばに、ファントムの姿が見えないことである。
そして、嫌な予感は、形となってシオン達の前に立ちふさがる。
「悪いな。ここから先は行き止まりだぜ」
道の真ん中に、仁王立ちする一つの影があった。
燃えるような赤い髪と、周囲を圧倒する強大な存在感が特徴の女性だった。顔面に入った大きな傷は、おそらく火傷の痕だろう。獲物を射抜くような鋭い眼光と、対照的なまでに快活な笑み。笑いだけで周囲を吹き飛ばしてしまいそうなくらいに、彼女の存在感は大きい。
その姿には見覚えがあった。
明星タイガと契約しているファントム。
名前を、千頭和ナギニ。
因子九つの、ハイランクファントム――ッ!!
「そら、耐えて、みな!」
彼女はぐんと飛び上がると、シオンの少し前を先行していたプレイヤーに向かう。彼女が跳躍しただけで、地面にはクレーターが出来、周囲の木々はなぎ倒される。
そのケタ違いの膂力に、先行していたプレイヤーのファントムは、あっさりと敗北して消滅した。その衝撃に、プレイヤーも吹き飛ばされて落車し、瞬く間にリタイアとなった。
彼女の何気ない蹴りだけで、五体はバラバラになり、息の根は止められる。
もはや、周囲の障害物など、障害でも何でもなかった。
目の前のハイランクファントムこそが、何よりも大きな脅威であり、何者よりも恐ろしい恐怖の具現である。
あがったのは悲鳴だった。
シオンを含め、そばを走行していた三人のプレイヤーたちは、なりふり構わずに加速して、前に進もうとする。一刻も早く、彼女の前を立ち去らねばならない。アレは、まともに向かい合っていい存在ではない。例え霊子体であっても、アレに攻撃を受ければ、生身も無事ではないという予感があった。
そんな、有象無象の悪あがきを見ながら、ナギニはつぶやく。
「はぁ。だから、さ」
にやり、と。彼女は表情を凶悪に歪める。
「通さねぇって、言ってんだろうが、よぉ!」
彼女が腕を振るうと、それだけで巨大な竜巻が巻き起こる。
竜巻は四つに分かれて暴風が吹き荒れる。巨大なハリケーンは、周囲を巻き込みながらプレイヤーを薙ぎ払わんと暴虐の限りを尽くす。
逃げの一手のプレイヤーたちは、背後から迫る暴力に対してあまりにも無力だ。
「ミラ!」
慌ててシオンはミラを呼び戻す。
ミラの『鏡映移動』ではこの竜巻を避けきれない。周囲全てを叩き伏せていく暴風は、どこに逃げても巻き込まれるだろう。
ならば、竜巻そのものをどうにかしなければならない。
ミラが使ったのは、カブトとの戦いで使った『合わせ鏡・無限回廊(プリズムミラー・フラクタル)』だった。合わせ鏡に写した存在を、鏡の中に閉じ込めるアクティブスキルで、『カール・セプトの鏡回廊』の能力の名残でもある。
一枚、二枚程度の鏡では、その猛威を押さえ込めない。弾き飛ばされそうになりながら、ミラは必死で鏡を重ねあわせて行く。
「く、うぅぅ!」
鏡を七枚全て使って、ようやく竜巻を押さえ込んだ。
すぐさま、ミラは閉じ込めた暴風を、全力で開放する。
「いっけぇ!」
自分たちに向かっていた脅威を、そのまま相手に返す。さすがにこれだけの竜巻を前に、ナギニも無事ではすまないだろうという、祈るような思いで。
だが、侮る事なかれ。
規格外の化け物を前に、自身の常識で事を測る行為自体が、大きな過ちである。
「はん!」
それもまた、一振りだった。
大木を刈り取り、地面をえぐり、全てを巻き上げる風の暴力は、ナギニの腕の一振りだけでその猛威を四散させた。
竜巻が弾け、風圧が周囲を襲う。周りにある障害は、全てがなぎ倒された。
その衝撃に、シオン達も巻き込まれる。純粋な風圧が横殴りにたたきつけられ、二人は木々にたたきつけられる。
「が、は」
まずい、と点滅する意識の中、シオンは必死でその場にしがみつく。
樹の枝に捕まることが出来たのは僥倖だった。
少しでもぶつかる位置がずれていたら、そのまま落下して地面に足をつけていた。まだ空中にいるため、失格にはなっていない。
ホバーボードはどこかと探したら、シオンの真下に落ちていた。半壊しているが、かすかに浮いていることから、まだ完全に壊れたわけではなさそうだ。
すぐに回収して、レースに戻らなければならない。
「ミラ、ボードを!」
地面に落下しているミラに対して、シオンは呼びかける。
ミラはダメージを耐えるように、緩慢な動きで立ち上がった。流れ弾や余波で食らったダメージには、彼女のパッシブは発動しない。ただの風圧で食らったダメージにしては大きい代償を、彼女は懸命に耐えながら立ち上がる。
他の三人のプレイヤーと契約しているファントムたちも、大小の傷を負いながらも立ち上がっていた。一人はすぐに魔法士の元に戻り、他の二人は、自身の主人を守るようにナギニに向かう。実力差は明らかだが、それでも止まれなかった。
たとえ僅かな希望だとしても、少しの時間だけでも足止めができれば、プレイヤーがゴールできる可能性が生まれる。
ミラはシオンをホバーボードの元にまで移動させた後、後ろのナギニに目を向ける。
「ミラ、ダメだ。ここは引くぞ」
返事を待たずに、シオンは発進する。
自分に出来る限界まで、ホバーボードに魔力を注ぎ込む。体中が発熱し、流路が焦げ付くようなイメージを抱く。
魔力の放出とは、流しやすい流路を作るイメージだ。
半身が人工の肉体であるシオンは、それでも残っている魔力出力路にありったけの魔力を注ぎ込む。足りないのならば肉体を損壊させてでも、血液や電気信号に乗せて魔力を放出する。とにかく、今持っている全ての魔力をマシンに流し込む。
操作など考えもしない、暴走に似た加速。
無駄にあふれた魔力がキラキラと粒子となって散っていく。それでも構わず、命を注ぎこむように魔力を流す。もはや、レースそのものは関係なかった。あのハイランクファントムから逃げる、ただその一点で、シオンは魔力を燃やしていく。
だが、所詮雑兵の悪あがきなど、怪物の前では児戯に等しい。
「なかなか速いな、お前」
ぎょっと隣を見る。
すぐ真横を、ナギニが飛行していた。
彼女の背には、雄々しい羽が広がっている。その羽根は、一枚一枚が炎で出来ており、ちりちりと火花を散らしながら飛行している。
彼女は炎の羽をはためかせながら、シオン達の前方に回りこむ。
大きく広げられた彼女の腕は、神話に語られる竜のそれだった。彼女の全身もどことなく竜人を思わせる姿を形取る。鋭いキバと爪を見せながら、彼女は言う。
「『原点回帰・永劫竜(ナーガラージャ・ニティヤー)』」
彼女のするどいツメの一振りで、全てが切り裂かれた。
攻撃の瞬間、ミラはシオンをかばうために間に割って入る。
「あ、がぁ!」
防御のために伸ばしたミラの右腕が、無惨にはじけ飛んでいた。
パッシブスキルが発動した様子もない。その爪の一撃は、パッシブスキルのランクを軽々と超えていたのだ。
シオンも無事とはいえなかった。ホバーボードは真っ二つに叩き折られ、同時にシオンの身体は深々と傷つけられる。生命維持が困難なほどに、彼の身体は完膚なきまでに殺されていた。
地面に落下する。
もはや霊子体として死を迎える寸前であるというのに、シオンは頭の片隅で、「ああ、負けたのだな」とのんきに考えていた。
もう数秒もすれば、彼の霊子体は塵と消え、リタイアの証であるフラッグが立つことだろう。全く手も足も出なかった。これがハイランクファントムの力かと、ぼうっと実感する。
その時だった。
「ま、だ、だよ」
ゆらりと、視界の片隅で小さな影が動くのを見た。
右腕を失い、身体もズタズタに引き裂かれ、服はボロボロで全身血だらけの少女の姿。可愛らしい童顔は幽鬼のように青白く険しい。
七塚ミラは、執念のみで立ち上がり、千頭和ナギニの前に立つ。
「あん?」
ナギニは驚いたように、ミラの姿を見る。
「おお、すげぇな。まだ立つ元気があるのか。お前」
「せめて、いち、げき……」
ミラは七枚の鏡を展開する。
鏡はすでにボロボロで、彼女のダメージが深刻であることを証明している。ふらつく小さな身体は、それでも地を踏みしめ、目の前の脅威に立ち向かおうと一歩を踏み出す。
ミラは、『因子写し』で、ナギニの因子を写しとる。
まず羽を写しとり、続けて爪を写しとる。最大で七つまで、彼女は敵の因子は写しとることができるが、その度に彼女自身の『鏡』の因子は弱くなる。それでも、今やれることといえば、これくらいしかない。
「い、く、よぉ!」
羽を使って一気に加速しながら、爪をナギニへと突き立てる。決死の思いを込めたそのスピードは、普段の倍近い速度で、視認するのが難しいほどだった。
この一撃さえ届けば、例えこの身が砕け散ってもいい。そんな捨て身の覚悟が、彼女の敏捷を無理やり引き上げる。
その狂刃の如き爪は、鏡の神霊の想いを実らせる。
だが――
「……、え」
掻き消えそうなほど、小さな動揺がミラの口から溢れる。
確かに届いた。
ミラの一撃は、確かに竜の神霊の身体に届いたのだ。
「なかなかのファイトだ」
それなのに――その鋭い爪は、彼女の身体を一ミリたりとも貫きはしなかった。
「けど、残念だったな。アタシは、元々頑丈なんだ」
ミラの『因子写し』が解除される。
その無防備な身体に、ナギニは手刀を突き立てる。
先ほどのような、凶悪な爪を使った攻撃ではない。ただの手刀は、深々とミラの胸元に突き立てられる。例えミラがダメージで弱っていたとはいえ、スキルを使わない、ただの暴力ですらも、ミラのパッシブスキルを発動させるまでに行かなかったのだ。
ミラの身体が消えていく。
その姿を見ながら、シオンは頭上を一つの影が通りすぎるのを見ていた。
明星タイガ。
ハイランクファントムを従えるウィザードは、悠々と後続から先頭へと追いつき、そして誰もいない先頭を、ゴールに向けてひた走っていた。
※ ※
試合が終了して、暫くの間呆然と中空を見上げていた。
控室として用意された教室では、他にも多くの選手が過ごしていた。全員が『ウィッチクラフトレース』のCブロック予選に参加していた者達で、例外なく気の抜けた表情で試合終了を待っている。
劇的、と言うしかない終わり方だった。
試合を中継するモニターには、明星タイガがゴールする様子が映っていた。それを見て、ようやく今の自分達が、現実にいるのだと認識できる。
霊子体の際に負った傷は、生身に戻る過程で修復されている。
しかし、消費した魔力や、傷を負った感覚などは生々しく残っている。
傷こそ残っていないが、攻撃を食らった箇所に麻痺が残っている。絶大なダメージを受けた証明だ。精神が傷のことを覚えていて、擬似的なダメージを感じている。
シオンに関しては、自身の限界を超えて無理やり魔力を絞り出そうとしたため、全身の血管や筋肉が炎症を起こしていた。そのフィードバックもあり、とにかく全身が重く、ズキズキと痛む。その擬似的な負傷に顔をしかめながら、彼は思う。
何も出来なかった。
策や技術でどうにかなることではなかった。ましてや、根性などというものが通用する相手でもない。とにかく規格外の化け物を前に、為す術もなくやられただけだった。
あれが、現在の一年生首席の実力であり、そしてファントムの中でも最高位の存在である。
いくらなんでも、ものが違いすぎる。
ファントムだけの力では決してない。あれほど強大な因子を持つファントムを使役するのだから、魔法士の負担も半端なものではないだろう。少なくとも同世代の未熟者だったら、一発で死んでしまうくらいには、魔力消費は激しいはずだ。
負けても仕方がなかったと思ってしまうくらいに、実力の差は大きすぎた。
ミラは気絶しているのか、完全に霊体化して姿を見せない。魔力のパスはつながっているので、近くにいることだけはわかる。
やがて試合が終了し、選手たちが控室から出て行く。
試合結果は案の定、明星タイガの一人勝ちだった。その他の四人は、おこぼれに預かっただけと言った様子である。
シオンが控室に残ったままでいると、声をかけられた。
「シオン・コンセプト」
ハッと顔を上げると、そこには明星タイガの姿があった。
振り返ったシオンを見て、彼は得心行ったように頷いた。
「やはり、そうか。この間、姿を見た時からずっと引っかかりを覚えていた」
彼は、片目でシオンを見下ろしながら、淡々と言う。
「見間違えかもしれないと思ったが、ファーストネームを見て確信した。君は、シオン・コンセプトで間違いないな?」
「……それがどうかしたか」
「いや。残念だと思っただけだ」
彼は顔をそらし、嘆息するようにつぶやく。
その声色は、心底残念がっているのが痛いほど伝わってくる。
「君のことは、昔から知っていた……事故にあったとは聞いたが、そんなに酷かったのか?」
「想像に任せるよ」
同じことを聞かれる度に、シオンはそう答えていた。
「ただ、さっきの試合で実力はわかっただろう? あれが、今の僕の全力だ」
落ちぶれた、と言うのがふさわしいだろう。
過去を知るものならば、誰が見ても今のシオンに失望するだろう。かつての自分なら、そのあまりの不甲斐なさに、思わず自殺してしまうかもしれない。
そんなことを考えていると、タイガが静かにシオンを見下ろしていた。
彼は淡々と、思いを言葉として向けてくる。
「俺達の世代で、君は伝説だった」
「それは」
「魔法技術に触れ始めた時には、すでに届かないほどの高みに上り詰めた同年代がいる。それを知った時の俺達の気持ちが、君にはわかるか?」
「…………」
「自分のやっていることは、彼らの焼きまわしにすぎない。それどころか、模倣することすら難しい。そんな絶対的な才能を見せつけられて、挫折した者を何人も知っている。それでも食らい付こうとあがいているが、一向に追いつける気がしない」
「そんなことはないだろう」
タイガの言葉に、シオンは否定を入れる。
「今は、お前の方が確実に上だ。当時の僕と比べても、お前は才気溢れていると思う。それに比べて、僕には所詮、過去の栄光しか残っていない」
「ああ。そうだな」
だからこそ、と。
タイガは苦々しそうに顔を歪めながら、吐き捨てるように言う。
「君には、いつまでも伝説でいて欲しかった」
身を翻して、彼はこちらに顔を見せずに去っていった。
あとには、シオンだけが残される。
呆然と、シオンはタイガが去っていった方向を見つめ続ける。動こうにも、身体が動けなかった。何故かと理由を考えると、やはりショックを受けたからだろう。不意打ちで向けられた言葉は、何物よりも深くシオンの胸を貫いた。
憧れが砕ける瞬間。
ああ、それは確かに、死にたくなる。
ジンジンと疼く古傷が、虚しく身体を刺激し続ける。すでに生身ではないはずの肉体が、幻肢痛を訴えてくる。まるで、かつての自分が責めてきているようだ。
人がいなくなるまで、シオンは控室で待機していた。身体にはまだ麻痺が残っている。思うようにならない自分の体を噛み締めながら、彼は静かに相方が目をさますのを待つ。
やがて、ミラが目を覚ました。
「ミラ。大丈夫か?」
気絶から立ち直ったのか、ミラは実体を持ってシオンの前に現れた。その表情は見るからに沈んでいる。唇を強くかんで、目を伏せた彼女は、黙ってシオンの前に立っていた。
「後遺症は……ないみたいだな。あれだけの攻撃を受けたんだ。ちょっとくらい、現実に影響が残っていてもおかしくない」
生身に戻る人間ならともかく、ファントムは元から霊子体だ。あとを引くようなダメージを負えば、修復に時間が掛かる。幸い、ミラの見た目に悪いところがあるようには見えなかった。
ただ、彼女は黙って立っている。
その全身から、悔しさがただよっていた。
「……。まあ、なんだ」
どう声をかけたものかと迷う。
シオンは腫れ物にさわるような気持ちで、言葉を選びながら声をかけた。
「アレはいくらなんでも相手が悪かった。あそこまで行くと、並の霊子災害を軽く凌駕している。戦う以前の問題だったんだ。だから、今日のは仕方がない」
「……仕方、ない?」
「そうだ。だから、負けたからってそんなに落ち込まないでも――」
「それ。本気で、言ってるの?」
その言葉には、強い意志がこもっていた。
ハッと、シオンはミラの顔を見る。
ずっと伏せていた顔を、彼女はあげていた。まっすぐに、彼女の目はシオンを見ている。
「シオンは、負けても仕方ないって、本当に言ってるの?」
その瞳は真っ赤で、涙で濡れている。唇は強く噛み過ぎたのか、紫に変色して痛々しい。両の拳を強く握られ、こらえきれない感情が身体を小刻みに震わせていた。
必死で耐えていたのだろう。目尻に溜まっていた雫は、とうとうこぼれ出す。
「相手が強いから、負けても仕方ないの? 敵うはずがないからって、負けてもいいって、本当に言ってるの? そんなのおかしいよ。わたしは、そんなこと思えない」
「ミラ……」
「わたしは……悔しいよ」
嗚咽混じりにそう言って、ミラは霊体化して目の前から姿を隠す。魔力の波長から、近くにいることだけはわかるのだが、完全に見えなくなってしまった。
「おい、ミラ!」
慌てて立ち上がり声をかけるが、返答はない。ミラは黙りこんで、姿を見せようとしない。
すとん、と。シオンは力なく腰をおろした。虚脱感と喪失感に喰らわれそうだった。
頭ではちゃんとわかっていたはずなのに、それでもどこか、他人事のような気持ちで居た。冷静でいるつもりで、その実、本気などではなかった。
――わたしは、悔しいよ。
胸をえぐる、本気の言葉。
その瞬間、シオンははっきりと敗北を意識したのだった。
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