ウィザードリィ・ゲーム三章『初試合』をお送りします。
ミラとバディ契約を結んだシオンは、早速インハイに向けて調整を始める。
そんな中、トレーニング中の二人に因縁をつけてくる実技科の生徒がいて……?
キャラクターのステータス表示ってのはいつかやってみたくって、今回やれて嬉しかった。
というわけで、続きからどうぞ
第三章 初試合
それは神童の蜜月。
二人に与えられたのは、精密機器と書物にあふれた一室だった。
広々とした室内には、乱雑に機械類が置かれ、コードが無造作にまとめられている。その間を縫うようにして、読み散らされた書物が床を埋め尽くしていた。装置の熱を冷やすために室内は常に肌寒く、二人の少年と少女は毛布に包まっている。各々が、万年床の周りに適切な機器を配置し、寝転がった状態で好き勝手に作業をしている。
「熱力学わけわかんねー。エントロピーの増大って結局何なんだよ」
「理論自体は簡単でしょ。低い方から高い方、小さい方から大きい方に。その過程で、運動に使われた分は消費される。っていうか、こんな基礎で躓かないでよ。問題はこの先なんだから」
「言いたいことはなんとなくわかるんだけど、なんかふわってしてるんだよな。理論はわかっても、具体的な事象をイメージ出来ないっていうか」
「状況の定義が机上の空論だから想像出来ないのよ。今回の迷宮自体に当てはめて考えるの」
不可逆なはずの熱量の移動が遡行している氷の城塞。
興味本位に手を出した迷宮攻略。大西洋のとある島国にある活火山に、絶対零度の氷の城塞が現れたのは二年前だという。
異常現象と騒がれたものの、元が無人島ということもあって被害などもなかった。特に害がないということで、ここ最近は観光スポットとして名が売れ始めていたのだが、つい最近、中の活火山が活動し始めると同時に、その氷の城塞は海へと勢力を広げていったのだ。
薄暗い部屋の中、シオンとアヤネは好き勝手に言葉をかわしていく。
「――熱ってのは要するに分子の運動量だから、それを極限まで抑えれば温度は低く、極限まで運動量を高めれば温度は高くなる。その運動量は、利用すれば必ずどこかに逃げていく」
「――氷の城塞が広がっているってことは、周囲を冷却していっているんだよな? だったら、その過程で奪った熱はどこに行く?」
「――物理法則に反した霊子現象は、必ずどこかで嘘がつかれている。嘘を成立させるための魔法式。そのシステムを分解すれば、迷宮は解呪できる」
「――熱力学って、物理的な理論が大元ではあるけれど、合間に観念的な要素があるな」
「――だからシオンの知識が必要なの。嘘を探し出すために、哲学的な思考が必要になる」
当時九歳だった少年と少女は、年齢離れした思考と口調で、一晩中討議を続けた。
二人に与えられた研究室には、まさになんでもあった。魔法式を組み上げる演算機器も、現象について調べる書物も、実験をするための増幅器も。彼らにとって必要となるものはなんだって揃っていたし、もし足りなければすぐに手に入る環境だった。
自分たちが同年代の子供達と違うと気づいたのはいつの事だっただろうか。
気づけば彼らは知識に耽溺し、魔法の魅力に泥酔し、自身たちの可能性に拘泥していた。
なんて――おろかしく、微笑ましい日々。
二人が組めば最強だった。
出来ないことなんてなかったのだ。
課題を見つければそれを全力で取り組む。寝る間も惜しんで、高価な玩具で遊ぶかのように、二人は夢中で楽しんだ。
「私もそうだけどさ」
簡易食料であるゼリー飲料を口にして、アヤネはボサボサの髪を手ですきながら言う。
「シオンは一度夢中になったら、周りが見えなくなるよね」
「お前に言われたくないな。アヤだって、一度決めたら僕の言うこと聞かないじゃないか」
「結局、私達って馬鹿なんだよね」
子供が浮かべるには年季が入りすぎた表情を浮かべて、彼女は続ける。
「バカは立ち止まったりしちゃダメなのよ。少しでも足踏みしたら、何もできなくなる。だから、明確に失敗するまで、突っ走るしかないんだよ」
ブレーキのぶっ壊れた車で走っているような気分。
幼い身体に、成熟した精神。しかし、それでも彼らはたかだか九年しか生きておらず、いかに密度の濃い生活をしていたとしても、その芽はまだまだ青かった。
まるで、行き急ぐかのように、二人は魔法に没頭した。
なんて、幸せな時期。
なんて――蜜月だったことだろうか。
足掛け三年。九歳から十一歳までの間、二人はただひたすらに、人生を謳歌した。
※ ※
ウィザードリィ・ゲームで一番になる。
目的そのものはいいとして、では、何を持って一番とするのかを、考える必要がある。
ウィザードリィ・ゲームは基本的に、三つの種類に分類される。
制限時間内にポイントを奪い合う、ポイント戦。
一定のルールの元でタイムを争う、レース戦。
霊子体を維持出来る限り戦い合う、ブレイク戦。
基本的には、この三つの要素が重なりあうような競技が、十三種類存在する。
その中で、ミラがどの競技を希望しているかというと――
「全部。そのすべてで、一番になる」
鼻息荒く意気込むその姿は、童顔もあいまって非常に可愛らしいのだが、言っていることは頭が痛くなるような内容である。
やる気に満ちているのは何よりなのだが、あまりにも現実が見えていなかった。
シオンとミラがバディ契約を結んだ翌日。
契約を結んだからには、これからミラとは一緒に行動する必要がある。ファントムは霊体であるため、生身の人間に比べて面倒事は少ないのだが、それでも引っ越しは必要だった。
登録ファントムが居住する霊子施設からの退去手続きを取り、同時にシオンの住む下宿に、霊子生体の入居登録を行う。現代では、多くの居住区において霊体の入場制限がかけられているので、そのままでは入居不可なのだ。
一日かけてバタバタとミラの引っ越しを済ませ、一段落着いたところで、二人はようやく落ち着いて作戦会議をすることができていた。
内容は、ミラの希望である『ウィザードリィ・ゲームで一番になる』ことである。
何事も、目標は明確にしなければいけない。
しかし、あまりにも具体性に欠ける目標は、漫然と掲げていてはぼやけてしまう。
「あのな。全部ったって、それ世界大会で全タイトル奪取するって意味か?」
十三競技。世界大会に登録されたウィザードリィ・ゲームのうち、バディで参戦できる競技の数である。その全てのタイトルを取得するという、とんでもない発言の真意を尋ねたのだが、それに対してミラは、「うん」と、さも当然とでも言わんばかりに頷く。
たまらず、その小さな頭に向けて、魔力を込めたチョップを落とす。
魔力の操作をミスって、思いの外大きな衝撃が周囲に散る。
「ぎ、ぎう! 痛い! ぶった! シオンがぶった!」
「現実がわかってないお子ちゃまに、厳しさを教えてんだよ」
軽く頭痛を覚えながら、どう言うべきかと頭を悩ませる。
競技というからにはもちろん、それぞれの種目に合った戦略や鍛え方がある。どんな一流のアスリートでも、別競技においてその実力が通用するかというと、そんなことはない。
ボクシングの世界チャンピオンが、陸上競技で世界一位になるためには、陸上の身体を作らなければいけない。畑違いの競技に参戦しようとするのは、まったく別の練習が必要だ。
「まあ、中には七冠くらい達成してる化け物もいるみたいだけどな」
魔法士単独での最高記録は、全十三競技中、七競技において世界一に輝いたという。
それも、他の競技にしてもベスト4以内には入っているというのだから恐ろしい。まさに、オールラウンダーというわけだ。
ミラが目指す夢は、その地点よりも更に先ということになるが、それはあまりにも現実味がなさすぎた。
「現実的には、ポイント戦のフラッグ競技か迷宮攻略あたりなら勝算はあるから、それを第一目標としよう。その上で、調整として、まずは純粋な実力が必要になる」
「んー、というと、どういうこと?」
「ポイント戦も、最終的には肉弾戦の強さが必要になるってことだ。つまり……ブレイク戦に合わせた調整をして、損はない。ブレイク戦の戦闘競技……『マギクスアーツ』にも、はじめから参加する」
魔法武闘競技(マギクス・アーツ)
互いの霊子体が保てなくなるまで戦い、最後まで立っていた方の勝ちという、魔法競技において、最もシンプルにして最も白熱すると言われている花型競技である。
バディでの出場の場合、ファントムを使役する魔法士が力尽きるまで戦いは続く。人外であるファントムたちの派手な戦いと、魔法士の知略を尽くした魔法行使によるサポートが見どころとなるため、どの競技よりも注目されやすい。
「あ、それだ。わたしが初めて見た試合。すっごいんだよ。バディのコンビネーションで、次々に新しい技が披露されてって、ほんと見てて楽しかった!」
「そうだろうな。他の競技と違って、マギクスアーツの大会は定期的に行われてるくらいだ。一番わかり易いし、実力もはっきりする」
もっとも、実力差がはっきり出るので、こちらの戦力不足も浮きぼりになるのだが。
現状確認も込めて、シオンは尋ねる。
「一応聞くけど、お前のステータスは、これで間違いないんだな?」
「うん。そうだよ」
あっけらかんとミラは答える。
ファントムは発生して自我を持った際、その土地の自治体により市民権を与えられ、登録ファントムとなる。その時に、全体的なスペックを計測される。
契約することで、シオンはミラのステータスを確認できるようになった。
学生証代わりの小型端末は、魔法行使の簡易デバイスとしても使える。端末を立ち上げ、ミラのステータスを読み込む。
魔法士・久能紫苑
ファントム・七塚ミラ
原始『合わせ鏡』
因子『鏡』 因子数・一。ローランク。
霊具『七面鏡』
ステータス 筋力値E 耐久値D 敏捷値C 精神力B 魔法力C 顕在性D 神秘性C
原始とは、そのファントムが何から生まれたのかを指す。ミラの場合は、合わせ鏡の逸話が成長した結果、形をなしている。
因子は、その原始から何を抽出したのか。
霊具とは、ファントムが自前で持っている武器のことだ。主となる因子が体現されていることが多く、その武器には、パッシブスキルという固有の効果が付随されている。
筋力値と耐久値は肉体の強さ、敏捷値はそのまんまスピード。精神力と魔法力はファントムとしての存在する力の強さで、顕在性と神秘性はファントムの持つ因子の強さである。
ステータスが軒並み平均値かそれ以下なので、はっきり言ってまともに戦って勝てる能力値ではない。抜きん出たものと言えば『精神力』くらいなもので、それにしたところで、ようやく話になるというレベルだ。昨日の模擬戦において、このステータスでよくあれだけ戦えたものだと言いたいくらいだ。
「シオンの言うとおり、わたしは生まれたばっかりだから、神秘性もそんなにないんだ」
「単一因子だってのは聞いてたけど、本当だったんだな。『カール・セプトの鏡回廊』を知ってる身からすると、もうちょっと能力の幅があると思っていたんだが」
もっとも、まだ発生して間もないだけで、今後成長がないというわけではない。
問題は、シオンの方にある。
「お前はまだいい。僕の場合は、本当に頭打ちだからな」
苦笑を漏らして、シオンはミラに言う。
「昨日も言ったが、ほんとに全盛期の僕を期待しても仕方ないぞ?」
「事故にあったって話は知ってるけど、そんなにひどかったの?」
「ああ。ひどかったさ」
言葉で説明するよりも、見てもらったほうが早い。
シオンは、上着を脱ぎ、シャツのボタンを外し始めた。
「え、ちょ、シオン? 何やってんの! ひゃ、きゃー」
おもむろに服を脱ぎだしたシオンを見て、ミラは大げさなまでに騒ぎ始める。わーきゃー言って顔を染めている割に、顔を覆った手は、目の部分だけバッチリ開かれているあたり、どうしようもない娘である。
しかし、それもシオンの素肌が見えた途端、「ん?」と怪訝そうな表情にかわった。
「シオン、それって?」
「古傷、っていうには、ちと人工的すぎるよな」
右肩から右腹部にかけて、彼の皮膚は素肌よりも色素が薄く、無機質な印象を受ける。
シオンは右腕を軽く動かして見せながら言う。
「色が薄いところは、人工皮膚だ。その下は、全部じゃないけど機械化してたり、培養細胞で補ってる。右腕は半分義手だし、右半身のほとんどが人工物で継ぎ合わせたようなものだ。臓器にしても、右肺と胃と腎臓が、人工臓器だな」
これが、四年前の事故の代償である。
魔法士にとって、自分の体というのは天然のハードディスクのようなものである。そのバランスが人工物によって崩れた今、彼の肉体は生体魔力を生み出す力が激減している上に、魔力の流路が断絶しているので、魔法を扱いづらくなっている。
ポンコツ以下の、ガラクタ同然と言っても過言ではないとシオンは思っている。
「バディを組むからには正直に話しておくけど、今の僕は、全盛期の三割の力しかない。魔力総量も、魔法の行使能力も、はっきり言って三流以下だ」
普通の魔法士が五秒かけてやることを、今のシオンは二十秒以上かかる。実戦においてこの時間差は致命的にも程がある。
魔法士として死んだも同然。
それがわかっているからこそ、学校では、研究だけに没頭しようと思っていたのだ。普遍的な技術としての魔法を開発するために、これまでの知識を活かそうと考えていた。今でもその気持ちは変わらないが、加えてバディとして、やれるだけのことはやるつもりだ。
「実践レベルで使える魔法は限られるけれど、まったく使えないわけじゃないから、サポートとしては十分役立てると思う。あとは、ファントムとしてのお前をどれだけ活用できるかが、僕の腕の見せどころだ」
ファントムは普通の人間よりも、身体能力、魔法力ともに高性能なので、メインがファントムで、魔法士はサポートに回るのが基本だ。
そういった意味では、適切な役割分担といえる。
「まず目先の目標として、八月にインハイがあるけど、その前に学内予選が来月から始まる」
今日調べてきた内容を反復しながら、シオンは言う。
「魔法士単独だと参加資格が二年以上になるけど、バディ戦に限っては一年でも参加できるそうだから、まずはそれに参加しようと思う。とりあえず全競技に出てみて、その上で、お前にできることを再確認……って、どうした?」
ふと顔を上げると、ミラがあっけにとられた表情でこちらを見ていた。
ぽかんと、だらしなくあけられた口は、どこか間抜けで愛嬌がある。
「驚いた」
目を丸くして、信じられないとでも言うように、ミラは言う。
「シオンがすごく真剣に考えてくれてる。すごい。夢じゃないの?」
「……何を失礼なこと言ってんだ」
「あいたっ」
チョップ。
思わず手が出た。当然ながら加減もきかず、また魔力の余りが周囲に散る。
そこそこの衝撃が襲ったにも関わらず、叩かれたミラの方は、どこか嬉しそうだった。頭を抑えながらも、ミラの表情はこらえきれない笑みであふれていた。
積極的になっているシオンを見て、喜びを隠し切れないらしい。
そんな彼女の無垢な様子を直視できず、シオンは目線を逸らしながら言う。
「やれるだけのことはやるって、言ったからな」
照れ隠しに出るのは、ぶっきらぼうな言葉。
「言ったからには、本気でやるさ。そうじゃなきゃ、腐って終わるだけだ」
そっぽを向いたままで出るのは、素直になれない言葉だ。
気分が高揚していたことに気付かされて、気恥ずかしさを覚えていた。自分でも意識していない部分で、現状に興奮しているところがあったのだろう。
嬉しかったのだ。
今一度、目標を持つことが出来たことに、喜びを覚えていた。
思えば、アヤネの時もそうだった。
はじめは乗り気ではなかったが、いつの間にか相方以上にやる気を出していた。目的を与えられて、それに向かって行動することが、何よりも楽しかったのだ。
事故以来、久しく忘れていた感情を思い出した。
だから――それは大切にするべきだろう。
「話を戻すぞ」
軽く咳払いをして、話を元に戻す。
「僕の方でも、試合に使えそうな魔法を考えておくけれど、戦いの上ではお前の力は不可欠だ。だからこそ、これからミラの能力の調整をする」
言いながら、彼は部屋に置いてあるパソコンを出してくる。魔法式を組むための大型デバイスで、デジタル上で魔法の解析をすることができる。
現代において、人工魔法(オーバークラフト)は、魔法式の組み方に主に二つの方法がある。理詰めで式を組み、それを実行することで魔法を行使するコーディング型と、漠然としたイメージから逆算して式を構成していくコンパイル型。
主に前者が学校で学ぶ魔法の作り方だが、後者のように感性で式を組むことも、魔法士にとっては重要なスキルと言われている。
オーバークラフトの重要な点は、これまで奇跡だと言われていた数々の魔法現象を、科学とは別の視点で、あくまで『理論』として表現できることにある。
つまりは――霊体であるファントムであっても、解析可能であるということだ。
「霊子生体は四年前にいじったことがあるから、だいたいわかってる。ファントムが使える能力は、因子一つにつき受動的な能力(パッシブスキル)が一つと、全体の能力を合算した能動的な能力(アクティブスキル)が四つ設定できるはずだ。すでにお前自身が作り上げているものもあるだろうけれど、それを全部検証し直す」
「け、検証、って?」
「検証は検証だ。あら捜しして、パフォーマンスの向上を検討して、実際に改善する。文字通り、お前を丸裸にしてやる」
にやり、と笑いながら、シオンは意地悪く言った。
「今夜は寝かさないぞ」
その夜、とある学生向けマンションの一室で、少女の悲鳴があがったという。
※ ※
魔法の作成に必要なものはなんだろうか。
知識。才能。経験。人によって、必要と思う要素は違うだろうが、その中でも、誰もが口をそろえて言う事がある。
感性(センス)が必要だと。
例えどんなに知識を持とうと、どんなに才能に満ち溢れようと、どれだけの経験を積もうと、最終的には、センスがなければ新しい魔法は作れない。逆に言えば、自分では使えないような複雑な術式であっても、その感性さえあれば、作成が可能である。
言ってしまえば、創作と同じだ。
お手本となるものはたくさんあるが、最終的には一からオリジナルを作成するということは、産みの苦しみを味わうことになる。
それはとても苦しいが――同時に、どうしようもないほどに、楽しいのだ。
「……眠い」
寝落ちする生活がすでに四日は続いていた。
眠ろうとしても、一日中フル活動させた頭は、少しでもアイデアの芽が出れば気になって眠れなくなる。思い浮かんだアイデアをその場で試し、小規模な魔法行使とその調整に明け暮れ、疲れ果てて朝日が登る寸前に気を失う。そんな生活が続いていた。
「シオンは根を詰めすぎだよ。わたしもいい加減疲れた……」
霊体であるミラも、ぐったりとした様子で彼のそばに付いている。霊体であっても意識はあるため、精神的な疲れは感じるのだ。
そんな彼女に、ハルノが笑顔を向けながら、霊子化された紙包みを差し出す。
「ミラちゃん、お疲れ様。甘いものでもどう?」
「あ、クレープだ! 食べる食べる!! ありがとうハルちゃん」
ぱぁっと顔を輝かせたミラは、かぶりつくように差し出されたクレープを手にとった。その様子を、ハルノがにこにこして見ている。ハルノの人徳故か、ミラは彼女にかなり懐いている。
カフェテリアでの昼食時。
ここの所、自身の作業に没頭しっぱなしで、授業中だろうがお構いなしに個人的な作業をしているシオンを見かねて、レオやハルノが無理やり昼食に連れ出していた。
「しっかし、シオンってほんとすごかったんだな」
そんな風にレオが感想をこぼした。
「今朝の実技で、勝手にオリジナル術式なんてのを試してたのには驚いたけれど、何より授業そっちのけで自分のことしてるくせに、教師に当てられても迷いなく答えてたところがすげぇよ。草上の言う神童ってのは、ほんとだったんだな」
それに対して、ノキアが呆れたように返す。
「そもそも、なぜ君が知らないんだ。君は確か、彼と同じ中学だったんじゃないのか?」
「そうなんだけどよ。こいつ、中学んときは魔法のことなんてこれっぽっちも喋らなかったからなぁ。まさかあの『シオン・コンセプト』だなんて思わなかったんだよ」
「それでも、噂ぐらいは立ちそうなもんだけどね」
「……『久我』の名前で情報操作したからな。目立つの嫌だったし」
会話に口を挟むようにして、眠そうな顔をしたシオンが言った。
「草上のところほどじゃないけど、うちの親戚もある程度の権力持ってるから、それ使った。というか、その親戚のせいで僕達は神童だともてはやされたんだ。その責任くらいは取ってもらわないと」
魔法学会の方で名前は知れ渡っていたものの、マスメディアに対しては年齢の関係から顔写真等の露出は控えていたため、比較的平和に日常に戻ることが出来たのだ。
今では、『シオン・コンセプト』と『アヤネ・フィジィ』の名前で登録された論文や称号だけが、ひっそりと残っている状態である。
「俺としては、草上がシオンのことに詳しい事の方がびっくりだけどな。やっぱあれか、名家のお嬢様なだけに、そういうつながりがあったりしたのか?」
「いいや。シオンくんのことは一方的に知ってただけだよ。ま、それくらい二人の神童の話は、魔法業界では話題だったってことさ」
ノキアが少しだけ遠い目をして言う。彼女にしては珍しく、どこか含みのある口調である。
いつまでも自分が話題の中心になるのが嫌だったシオンは、話をそこで終わらせようと、傍らでハルノと談笑しているミラに声をかける。
「ミラ。今日の夕方、実技室を借りることができたから、少し練習していくぞ」
「ほんと! やった!」
疲れを見せていたミラが、目をキラキラさせて飛び上がらんばかりに喜んだ。
「もう、ずっと狭いところで調整ばっかりやってたから、ストレスたまってたんだ。やっとめいいっぱい発散できるんだね!」
「そういえば、ミラちゃんって今、久能くんと一緒に住んでるんだよね?」
ふと疑問に思ったのか、ハルノが尋ねる。
それに対して、あっさりとミラは頷く。
「うん。そうだよ」
「そ、それって、その。二人とも、不都合とか、ないのかな?」
「不都合?」
「……えっと、ほら。つまり、同棲、ってことでしょ?」
「? 何言ってるの、ハルちゃん」
きょとんとした顔で、ミラはまじめに聞き返す。
ハルノはと言うと、自分で言いながら恥ずかしくなったのか、顔を赤くして「あうあう」と言葉にならない言葉を漏らしている。
「お、それは俺も気になるぞ」
そこに、面白そうな話題だからかレオが話に乗ってくる。
「そこんとこ、どうなんだよシオン。ファントムとはいえ、こんな美少女と生活してるんだ。最近寝不足なのって、もしかして毎晩寝る間も惜しんで励んでるんじゃねぇのか?」
ニヤニヤとした表情は、完全に事態を楽しんでいる。
面倒くさいと思いながらも、シオンは答える。
「寝る間は惜しんでるが、余計なことはしてないぞ」
「寝る間は惜しんでいると! そりゃ気になるなぁ。こんなことをおっしゃっておりますが、ミラちゃんどうなの? 毎日、シオンとは変なことしてるんじゃないの?」
質問の矛先が変えられる。
汚れを知らない無垢な様子のミラは、その言葉に少しだけ「んー、変なこと?」と考えた後、ぼやくように言った。
「全身くまなく見られたり」
「ん?」
「あと、大事なところをいじられたり?」
「お?」
「はじめての経験ばっかりで、毎晩ドキドキしてるかな」
「おお!?」
興奮を隠しきれず、徐々に喜色満面になっていくレオは、身を乗り出すようにしてミラににじり寄る。そして、ちらりとシオンの方を見ると、笑顔でサムズ・アップした。
「グッジョブ!」
「勘違いしてんじゃねぇよ馬鹿」
チョップ。
間違えて、普段ミラに対してやるように、魔力を込めてしまった。
そこそこの威力がレオの脳天に落とされた。「ぐぇ」と、カエルの潰れるような声を出して、レオは机に突っ伏する。
見ると、レオだけではなく、ノキアとハルノも興味津々といった様子で、それぞれこちらを見ている。ハルノは顔を赤くして、ノキアはニタニタといやらしい笑みを浮かべて。各々が、シオンとミラに興味を示していた。
「……わかってると思うが、能力の調整してたんだからな?」
「ああ、もちろんだとも、シオンくん」
大層大仰に、ノキアは普段見せないような笑顔でのたまった。
「魔法士としての君が、ふらちな真似なんてするはずがないからね。君が調整にかこつけて、可愛らしい女の子の秘所を次々と暴いていく姿なんて、これっぽっちも想像したりなんてしないさ。君は真面目だからねぇ。まして、いやらしいことなんてとてもとても」
「い、いやらしい!?」
ノキアの言葉にハルノが過剰に反応する。
「おいやめろ。ほんとにそんな感じになるだろ」
もうこの馬鹿みたいな会話早く終わってくれないかな、と投げやりに言う。
「ミラも、わかってて誤解するような言い方するんじゃねぇよ」
「んー。わたしとしては、やらしーことも、おーるおっけーなんだけどな」
「そういうセリフはもっと成長してから言え、ちんちくりん」
「ち、ちんちくりんって、シオンひどい!」
わーきゃー騒ぎ出すミラを片手で抑えながら、寝不足で痛む頭を抱える。
ミラはたまにそう言った発言をするが、言い方が子供の戯言にしか聞こえないので、どこまで本気なのだろう。
確かに、相手は霊体であるとはいえ、ミラは年頃の異性である。年齢的には幼いものの、女性を感じさせる程度の成長はしているので、同居ともなればそういった勘ぐりがあってもおかしくはないだろう。
だが、かつてアヤネと長期間の同居生活を送っていたシオンとしては、異性との共同生活など今更という気分である。
当時は幼かったとはいえ、非常にませていた二人は、互いに依存しあうことの意味をしっかりと理解していた。甘酸っぱさなどなく、ただ退廃的に、お互いの目的のために過ごした日々は、色恋の気恥ずかしさとはあまりに縁遠かった。
「ま、誰かと一緒に過ごすのは久しぶりだから、賑やかでいいけど」
そんな風に、今の生活を悪く無いとは思うのだった。
ちなみに、バディとしてのあり方として、そう言った一線を越えた関係を築いている者達もいないことはない。異性ペアの場合、一緒に行動する時間が長ければ長いほど、情も移りやすい。しかし、あくまで目的のために共闘するだけのペアもまた、少なくない。
結局のところは、スタンスの違いでしかない。人間と霊体として接するのか、人間性同士でつながりあうのかは、そのバディによって変わるだろう。
ふと、シオンは目の前に視線を移す。
そこには、ノキアのそばで控えているトゥルクの姿がある。
考えてみれば、この二人の関係は非常にオーソドックスな魔法士とファントムの関係だろう。主従関係としてしっかりとした結びつきがある。もちろん同性ペアだからこその関係かもしれないが、どんなに親しくなっても立場が崩れないというのは安定しているといえる。
聞く所によると、トゥルクは草上家が用意したミドルランクファントムなのだという。ノキアの護衛役も兼ねているらしいので、実力は相当のものだろう。
そんな彼女は、先程から穏やかな表情で一歩引いて話を聞いていた。しかし、ずっと黙っていた彼女が、唐突に口を開いた。
「久能様。一つ提案があるのですが、よろしいですか?」
「提案って、何ですか。トゥルクさん」
「お二人が、夕方に実技室でトレーニングをするということでしたので、よかったらわたくしとお嬢様もご一緒させていただけないかと思いまして」
意外な提案だった。
ちなみにノキアは関与していないらしく、飲んでいたコーヒーで激しくむせている。
「げほっ、トゥルク!? 君はいきなり何を言っているんだい?」
「お嬢様。これはいい機会だと思います。ご学友の役に立てるだけでなく、我々もトレーニングが出来るのです。インターハイの予選も迫っておりますし、少しは調整しておかないと」
「だから! 私は別にインハイなんて興味ないって言ってるだろう? 私は平和に暮らしたいんだってば!」
「とはいえ、一年生でバディ契約を結んだ者は、一部の競技には強制参加登録ですよ。どちらにしろ参加しなければいけないのですから、出来る努力はしましょう」
わがままを言うノキアを説き伏せるトゥルクという、いつもの構図が繰り広げられる。
「僕の方はいいですよ。むしろ、付き合ってくださるんでしたら助かります」
「ありがとうございます、久能様」
「だーかーら! 私はとっとと家に帰って寝るんだってば!」
最後までノキアはわめき続けたものの、その意見が聞き入れられることはなかった。
※ ※
テクノ学園には大小合わせて十二のトレーニング施設があり、そのうち高等部の生徒が使うことができるのは五つに限られている。
単純な肉体トレーニングのための器械から、魔法の調整のための処理装置、霊子庭園の展開のための補助装置と、およそ魔法士が実技を行うために必要な全てのものが揃っている。
バスケットコート四面程度の広い敷地を、個別に利用することができるように細かく区切られている。その内の一つを借り受けたシオンは、霊子庭園の展開の準備をする。
そばにはワクワクした顔のミラと、いつものメンバーが揃っている。協力を申し出たトゥルクも、表面上は穏やかに微笑んでいるが、どこかそわそわしている様子を見せていた。ちなみに、ノキアは無理やり連れて来られてふてくされている。
「よし、それじゃあ、最初は軽くミラの調子を確認したいから、庭園内に入ってくれ。トゥルクさんも、よかったら組手のまね事だけでもお願いします」
空間を区切るように青いベールが展開される。その中は、擬似的な霊子界となっており、広さや質量も変わってくる。実技室の一区画はそれほど広くないので、霊子庭園で空間を創りだして、思う存分暴れられるだけの広さを確保する。
ちょうど、ミニチュアのような簡易フィールドが作成される。その中では、全ての縮尺が十分の一ほどになる。
そのフィールドへと、二人のファントムが入場する。
セーラー服を揺らしながら入るミラと、スーツ姿でゆったりと歩くトゥルクの姿は、大人と子供であまりにもアンバランスだった。
「そういえば、草上」
「なんだい、神童」
「……いい加減、機嫌直せよ。ちょっと聞きたいんだけど、トゥルクさんって、どんなファントムなんだ? 核心にまで触れなくていいから、だいたいのところを聞きたいんだけど」
さすがにファントムの正体などは、戦略などにつながるので教えられないだろうが、ステータスや因子くらいならば、ウィザードリィ・ゲームでも事前に公開されたりする。
トゥルクについて事前に聞いた内容で言うと、六つの因子を持つミドルランクファントムということだけは知っていた。
「それなら、こんなところだよ」
口にするのが面倒くさいのか、ノキアは個人端末を操作すると、データをシオンの端末に対して送ってきた。
デイム・トゥルク(■■■)
原始『■■■』
因子『騎士』『傭兵』『騎兵』『ミトラ』『天衣無縫』『虚偽』
因子六つ。ミドルランク
霊具『■■■■■■■』
ステータス 筋力値C 耐久値C 敏捷値C 精神力C 魔法力C 顕在性C 神秘性C
「なんだ、このステータス……」
パッと見たところでは、判断に困るステータスだった。
黒塗りで見えない部分は、シオンのアクセス権限では閲覧不可な項目ということだろう。公開されているステータスだけ見る限り、六つの因子という強力な因子数である割には、ぱっとしないステータスである。
というよりも、意図的に揃えられているかのようなステータスには、作為的なものを感じる。
「そういう反応にもなるだろうね」
肩をすくめながら、ノキアは言った。
「まあ、因子六つともなると、なかなか自然発生とは行かないらしくて、いろいろ調整しているらしい。原始はそれほどでもないんだけれど、因子を六つ重ねるまでに、地道に六代合成したって話だから、その執念もわかるだろう?」
「因子の内容から見るに、戦争関係か?」
影武者や偽王と言った逸話が幾つか思い浮かぶが、どうも要領を得ない。
まあ、トゥルクの正体については、今はそれほど重要ではない。
とりあえず、このステータスが本当ならば、彼女が本気を出さない限りはミラともちょうどいいトレーニングが出来そうだった。
縮尺された霊子庭園の中、ミラとトゥルクがこちらの指示を待っている。
「じゃあ、ミラのパッシブを試すから、トゥルクさんは軽く攻撃をしてください」
モニターで拡大した様子を見ながら、シオンは指示を出す。
霊子庭園の中で、さっそくミラが七枚の鏡を出す。
円形の鏡は、縁に七つの宝石が埋め込まれており、神器のような装飾が施されている。ミラの霊具である『七面鏡』であり、それが彼女の持つ武器である。彼女の能力は、その多くを七枚の鏡を介して行う。
トゥルクの方も手を構えて、そこに一振りの剣を握る。それが彼女の霊具なのだろう。刀身が美しい半透明の剣は、華美な装飾が施されていて、切るというよりは叩きつけると言った用途を想像させる。
シオンの支持通り、トゥルクはその剣でミラに斬りかかる。
それをミラは、両手を交差させて受ける。
ズシン、と衝撃が周囲に走った。
震動とともに、ミラの背後にある七つの鏡に、衝撃が伝導する。続けて、鏡の縁に埋め込まれた宝石にヒビが入る。
「!?」
トゥルクが驚きを見せる。
おそらく手加減はしていたのだろうが、それでも剣による一撃は軽いものではなかった。重量によって叩き切るような衝撃は、そのほとんどが逃されていた。
それだけではなく、攻撃を加えた方であるトゥルクが、衝撃にのけぞっていた。大きな怪我はないようだが、ダメージを受けた様子がある。
「いったい、これは?」
「ミラのパッシブですよ」
トゥルクの疑問に対して答える。
ファントムには、因子一つに対して、対応するパッシブスキルが存在する。それはファントムが特別意識せずとも、条件を満たせば発動する受動的なスキルだ。これがあるため、一般的に因子数の多いファントムが有利と言われている。
ミラのそれは、攻撃によるダメージの分散と反射だった。
自身の肉体に食らったダメージの七割を七分の一にして、全て七つの鏡に移す。そして、全体の三割のダメージを相手に跳ね返すという強力なものだった。
「『鏡に写った私は貴方(いたいのいたいのとんでいけ)』って言うんだよ」
むん、とない胸を張って、ミラが答える。
そのネーミングセンスはともかくとして、実際に最初聞いた時は恐ろしく強力なパッシブだと思ったものだ。
「弱点としては、一度に受けることのできるダメージ量に限界があるのと、間接攻撃には発動できないってことだな。あと、鏡本体を攻撃されても発動しない。それがバレていたからこそ、模擬戦では真っ先に鏡を狙われていたみたいだが」
もっとも、ミラ本体に対して生半可な攻撃が出来ないというのは変わらないので、手の内がバレていても利用価値は高い。
おおよそ筋力値と魔法力において、Bレベル程度のダメージまでならば、このスキルで対応できることがわかっているので、かなり有効なスキルだった。
「へぇ。ミラちゃんって、ちゃんとすごい所あったんだな」
「がんばって、ミラちゃん!」
レオとハルノの声援に、ミニチュアサイズのミラがニコニコと手を振って答える。
それを微笑ましく思いながら、シオンは指示を出す。
「それじゃあ、次はアクティブスキルの方をひと通り試して、その後は僕も入るから、実践形式の練習をしよう」
アクティブスキルとは、ファントムの持つ因子を利用して魔法効果を発動させることである。
パッシブスキルが元々備わっているものであるのに対して、アクティブスキルは自由に魔法式を組むことができる。スキル数としてはファントムの処理能力的に四つが限度で、これの作り方こそが魔法士側の腕の見せどころといえる。
「ちなみに、元々ミラが自分で作ってたスキルが三つあったんだが」
応援してくれているレオたちに聞かせるように、シオンが言う。
「へえ。三つもあったのか。あれか、こないだのレーザーみたいなやつとか」
「そうそう」
簡単なまとめを見せながら、説明する。
『反射収束光線銃(まぶしいあつめてあついあつい)』
光を収束させてレーザーのようにして相手を焼く。
『鏡像模倣(かがみよかがみ、かんぜんさいげん)』
目の前の相手の姿を完全に真似る。
『合わせ鏡の入れ替わり(あなたはわたしでわたしはあなた)』
鏡に写った存在と自身のステータスを同調させる。
ネーミングセンスはともかくとして、意外と強力なのが、二つ目のコピー能力だ。
魔法式の構成を解析したところ、どうやら表面上だけでなく、本質的なものまでコピーできるのが可能だった。相手の技術や経験すらも、一時的に模倣する事ができるのだという。
おそらくは、『カール・セプトの鏡回廊』の機能の一端が具現化しているのだろう。あの迷宮は、取り込んだ力をそのまま運用して、更に成長するという恐ろしい機能を持っていた。
因子一つとは思えないほど、彼女の能力は多岐にわたっている。『鏡』という要素が持つ全てが内包されていると入っても過言ではないだろう。
ちなみに、三つ目は効果だけ見るとすごいのだが、実は使い勝手が非常に悪かった。
それについて、レオが不思議そうに疑問を発する。
「ん? 何が悪かったんだよ。これなら、どれだけ傷を負っても相手にその傷を負わせたり、自分が回復したりできるじゃんか」
「傷を負わせる方は、確かに有用だな。だけど、その逆の回復が難しいんだよ」
簡単にいえば、キャパシティの違いである。
単純に、自分の最大キャパシティを、相手の残存体力が超える場合、そのオーバーした分の負荷が別途襲ってくるのだ。
「わかりやすく言うと、ミラの体力を僕に写した場合、僕の身体は弾け飛ぶ。ファントムの最大キャパシティと、人間のキャパシティじゃ、明らかに人間のほうが小さいしな」
「はぁん。なるほどな。それじゃあ、逆にお前の体力をミラちゃんに写した場合はどうだ? それなら、キャパオーバーはしないだろう」
「そうなんだけど、その代わりにミラのステータスががくっと下がる。いくら低いって言っても、人間よりは十分強力だ。それを自分から下げるのはあまり褒められたことじゃないな」
そんなわけで、非常に扱いづらいスキルなのだった。
それならば敵に傷を負わせる方はどうかと思ったが、ミラの神秘性が低いため、たいていのファントムは自前のプロテクトで弾いてしまう。無抵抗で受けない限り使えないスキルだ。
ただ、なんとか改良して使えないかと思って、データだけはしっかりと解析している。今のところは、それ以外のスキルを重点的に開発しているところだった。
特に、ミラには直接的な攻撃手段が少ない。
そもそもが、直接戦闘をするようなタイプではないのだ。『カール・セプトの鏡回廊』にしたところで、積極的に害を与えるような霊子災害ではなかった。あくまで受け身で、搦め手のようにして被害者を食らっていく災害だった。
サポート系や間接攻撃こそが本領なのだろう。それを考えると、やはり出場競技としては、直接戦闘よりもポイント戦のような戦略による比率が大きいものの方がいい。
そう思いながら、シオンは霊子庭園内のミラに指示を出し始めた。
※ ※
その人影が近づいてきたのは、シオンたちが練習を始めて一時間くらい立った頃だった。自身も霊子庭園に入って実践形式で練習をしていたシオンは、巨大な天井と人影を見上げる。
実技A科の生徒が四人。
襟のラインからするに、同じ一年生のようだ。
彼らは無遠慮に近づいてくると、外で見ていたレオたちと何やら口論を始めた。
何やら不穏な空気を感じたシオンは、霊子庭園の外に出て実体になる。
「どうしたんだ?」
感情的になっているレオに抑えるよう促しながら、シオンは四人の前に出る。
そこに、ノキアがそっと耳打ちをする。
「彼ら、技術科の君たちがトレーニングルームを使っているのが気に食わないらしい」
その一言で事情を察する。
とはいえ、こちら側に後ろ暗い点はない。あくまで冷静に、シオンは四人に向き直る。
「悪いけれど、もう少し待ってくれ。使用時間はちゃんと守るから」
「はっ。Dクラス風情が、何言ってんだよ」
あくまで高圧的に、四人のうちの一人が前に出て言う。
「お前らみたいな能なしがいくら鍛えても変わらねぇだろ。二時間も時間取りやがって。後が支えてんだから、さっさと終わらせろよ」
「正式に許可を取って使ってる。そちらに文句を言われる筋合いはない」
「こっちは大有りだ。お前らのせいで練習時間が短くて困ってんだよ。お前らと違って、こっちはウィザードリィ・ゲームに出るんだから」
「なら、事前に予約をしておくべきだな。今の時期は予選前で、どの実技室も混んでるのはわかるはずだ。それに、僕達もウィザードリィ・ゲームに向けての調整だから、条件は同じだ。そのことで特別扱いは出来ない」
「はぁ? お前らが?」
実技科の生徒はそう驚いた後、小馬鹿にしたようにケラケラと笑い出した。
「おいおい。技術科なんかがウィザードリィ・ゲームに出るって? 何の冗談だよそれ」
「笑えない冗談だな! お前ら、自分の成績わかって言ってるのか?」
「運良くファントムと契約出来たからって、自分の実力が上がるわけでもないのにな」
口々に、好き勝手なことを四人はまくし立てる。
それに対して怒りを覚えないわけではなかったが、大事にしたくないためシオンは黙ってそれを聞いていた。頭の中では、いかに穏便に済ませようかを考え始める。
しかし、背後の友人は我慢できなかったようだ。
「……お前ら、少し黙れ」
「あ?」
低く、威圧するような声が響く。
まずい、と思ったが、その時には、レオがシオンの前に出ていた。
先ほどまでの感情的な様子とは違い、今の彼はどこか落ち着いていた。理性で感情を抑えながら、それでも全身から怒りを立ち上らせているといった感じだ。
意外な様子に虚を突かれ、シオンは止めるタイミングを見失ってしまった。
レオは、声を荒げるのを必死で抑えながら、淡々と言う。
「俺は確かに実力がないから技術科だ。だが、こいつは違う。だから馬鹿にするな。訂正しろ」
「は! 訂正しろだってよ。Dクラスのくせに、何言ってんだ」
「技術科を馬鹿にすることしか出来ないのか、Aクラスってのは? 随分と安いプライドなんだな。何かを侮辱しないと自分を誇れないだなんて」
「なんだと?」
「訂正しろ」
ずい、と。
一歩踏み込みながら、畳み掛ける。
「少なくともシオンとミラちゃんは本気だ。本気で取り組んでいる。その本気を馬鹿にするな。茶化すな。侮辱するな。そんな資格はお前らにはない。だから、訂正しろ」
再度繰り返す。
「不適切な侮辱を、訂正、しろ」
普段お調子者として知られている葉隠レオは、今、真剣に怒りをぶつけていた。
気圧されたのか、四人は思わずといった様子で一歩後ずさりしていた。
しかし、彼らとしてもプライドが邪魔するのか、そのまま引き下がれそうにはなかった。プレッシャーを感じたことに苛立った様子で、一人が威嚇するように言う。
「本気だぁ?」
前に出たのは短髪のガタイのいい少年だった。彼は怒りに目を燃やしながら言う。
「技術科の本気がどの程度のもんだよ。そんなに言うんなら、見せてみろよ」
くい、と。彼はシオンの方を見て言う。
「勝負しろよ。競技は、『マギクスアーツ』のバディ戦。それでお前らが勝ったら、土下座でもなんでもしてやるよ」
彼の言葉とともに、すぐそばで着流しの浪人風の男が実体化する。
おそらくファントムだろう。やる気のなさそうな流し目を向けているが、真剣のような鋭さを全身から放っている。
「待て、なんでそうな――」
それに対して、レオがなおも何か言い連ねようとしたが、シオンが静止をかける。
「ごめん、レオ。もういい」
シオンはミラに一瞬だけ目配せして、そして相手となるバディに向き直った。
「いいよ。やろう」
そうして、二人にとっての初試合が決まった。
※ ※
「わりぃ。こんなことになってしまって」
練習試合の準備をする間、レオはずっと申し訳無さそうに頭を下げていた。
「謝らないでくれ。どのみち、あいつらは引かなかっただろうから」
それと、と。
シオンは目線を逸らしながら、小さな声で言う。
「怒ってくれて嬉しかった」
聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの声。それが聞こえたのか、レオは目を伏せながら「別に、大したことじゃない」とぼやいた。
シオンは手持ちのデバイスを確認する。ロッド型の魔法デバイス。魔法使いの杖を簡略化したもので、警棒くらいの長さである。そこに、スロットが複数あり、魔法式のデータを組み込むことで、簡易的に魔法を扱える代物だ。
事前に用意していた魔法式を幾つか組み入れながら、ミラの様子を確認する。
「ミラ。調子はどうだ?」
「バッチリ! 頑張るよぉ!」
グッと親指を立ててくる様子は、今はどこか頼りになった。練習試合ということもあるが、初陣の緊張があまりないのは助かる。
シオンにとっては、実戦は事故以来なので不安は多い。だが、この一週間、今の自分にできることをずっと考えてきた。一流の魔法士としての大成はまず望めないが、それでも魔法の使い手としてできることはまだ残されている。
準備をしながら、対戦相手のデータを見る。
魔法士・天城聖夜
ファントム・榊原カブト
原始『■■■■』
因子『刀剣』『切断』『鋼鉄』『試斬』
因子四つ。ミドルランク
霊具『■■■』
ステータス 筋力値B 耐久値B 敏捷性C 精神力C 魔法力E 顕在性B 神秘性D
「名前が榊原……カブト。因子は刀に関するもの。見た目からして浪人風」
事前データから相手の情報を探っていく。原始が予測できればそれだけで対策はかなり立てられる。そもそも、因子の時点で直接攻撃タイプであるのは確実だ。
シオンは対戦相手……セイヤに向けて、準備が終わったことを伝える。
「いつでもいい。はじめよう」
「ああ、こっちもいいぜ」
相手にもシオンたちのデータは伝わっている。
と言っても、ミラの場合は探りようのないステータスなので、さほど痛くない。低い能力値が伝わった分、こちらを甘く見てくれれば御の字だ。
霊子庭園を展開し、それぞれ四人が中に入る。
霊子体は、本体と寸分たがわない性能となる。違いがあるとすると、霊子庭園内で負った傷については、その殆どが実体にフィードバックされない。痛覚ダメージによる擬似的な負傷が実体に現れることもあるが、多くの場合は無傷で帰れる。
フィールドは、広々とした闘技場を用意した。場合によっては障害物だらけの屋内戦や、樹海、海上といったステージをプログラムできるが、今回はそこまで凝ったステージは必要ない。
おそらく、長期決戦にはなるまい。
天城セイヤと、そのファントムであるカブトが前に立つ。着物を着流した男は、腰に刺してある刀に手をかけながら、ぼやくように言った。
「面倒だなぁ。こんなところで手の内を見せるのは、あまり良くないと思うんだがなぁ」
「黙れカブト。いいから俺のいうことを聞け」
「はいはい。わかってますよ、ご主人さん」
いかにもやる気がありません、といった風体のカブトだったが、しかしその物腰には隙が全く見当たらない。たとえ今、不意打ちを仕掛けたとしても、彼ならばたやすく対応するだろう。そういった自然体の凄みが彼にはあった。
刀の持ち方、刀の種類、それらをシオンは観察する。ファントムの容姿はあまり重要ではない。問題は、彼の所有する物品と、そのしぐさである。
「ミラ。予定通りだ」
「わかったよ」
短く、二人は頷き合う。
そして――タイマーで仕掛けてあったベルが鳴り響く。
試合開始となった。
「まあ、なんだ」
ゆらりと、姿勢を変えるような自然さで、カブトが体を揺らす。
「斬り捨て御免、とでも言っておこうか」
次の瞬間。
着物を揺らしながら、カブトはミラの目の前に出現した。
刀はすでに鞘から抜かれている。閃光のような煌きとともに、白刃が音速を越えた速度で、鏡の神霊を頭から両断せんと振り下ろされる。
瞬きも出来ぬほどの間。
刀剣の神霊は、必殺の一撃をもって開幕とし、刹那の間において幕を下ろそうとした。
「うん」
その回避不可能な速度の一撃を。
「シオンの――言うとおりだよ!!」
七塚ミラは、満面の笑みをたたえて、七つの鏡を自身の周りに展開した。
少女を囲った鏡は、まっすぐに世界を映す。
映り込む世界。
七重に重ねあうように映り込む事象。
それを織り合わせるようにして、ミラは鏡で自身を囲う。
そして――現実は鏡影によって欺かれる。
ミラを叩き切るはずだった刀身は、まるで屈折したかのように曲がりくねり、ミラの身体にわずかとも触れることがなかった。
「む?」
確かに斬った。
刃を放った瞬間こそ、カブトはそう確信したのだが、現実には空振った刀身を構え直しただけだった。刀身が曲がった用に見えたのだが、実際にはそんなことはない。
不可思議な現象を考察する時間はない。失敗したのであれば、息つくまもなく二撃目を繰り出す必要がある。
続けて振り上げた刃は、シオンに向けたものだった。元々が、ファントムを斬った後に魔法士を切るという、連続した動作である。ファントムを斬り損ねたものの、防御に時間を取られた今ならば、隙があるという考えだろう。
――甘い。
そう、シオンは心の中でつぶやいた。
不意打ちに対する防御ならともかく、元から予測していたのならば、次の動作も容易い。
頭上に振り上げ、そして振り下ろそうと迫る刃。
そしてそれを、真横からたたき払う白刃の姿があった。
「な、に?」
今度こそ、カブトの表情は驚愕に染まった。
剣戟の音とともに、風圧が周囲を圧倒する。
彼の振り上げる刀を防いだのは、同じように日本刀を手にしたミラだった。
「あ、ははっ!」
歓喜に打ち震えるように、ミラは笑みを浮かべて刀を振るう。
刀の使い方など知らないのだろう。彼女はただがむしゃらに、鉄の棒を叩きつけるようにして、その刀を振るってきた。あまりに無造作なその動きに、慌ててカブトは防御姿勢を取る。
重厚な剣戟が鳴り響き、二つの鋼鉄が弾かれあった。
二撃を防がれて、一呼吸。
「な、カブト!?」
ようやく事態を把握したのだろう。セイヤが慌てたように、自身の手に持っているデバイスへと魔力を通し始める。全くもって遅いが、しかし気持ちはわかる。
ファントム同士のぶつかり合いは、それだけで圧倒されるだけの迫力があった。
カブトとミラは、刀剣を重ねあう。
素人同然としか見えないミラの動きだったが、その剣閃は不思議とカブトの刀を的確に弾いていた。刀を構えなおそうとするカブトに対して、ミラは喰らいつくように刀を振るっていく。連続で不意を打たれたため、カブトは自然と防戦に回らざるを得なくなっていた。圧倒的な筋力値の差は、ミラの絶え間ない猛襲のおかげで戦況を均衡させている。
剣戟が鳴り響き、轟音がいななきをあげる。ファントム同士の桁違いな膂力によるぶつかり合いは、衝撃となって周囲に風圧をまき散らす。
「喰らえ!」
そこに、セイヤの援護魔法が発射される。
小鳥をかたどった氷の礫。それらは正確に、ミラとシオンだけを貫くために襲いかかる。
それを、シオンは冷静に見つめていた。
「――『インクルード』」
デバイスに魔力を通しながら、シオンは起動の呪文を唱える。
相変わらず、体内の魔力の巡りは悪い。満足に制御出来ない魔力は、目的を果たすための手順をうまく踏めない。複数の処理を混線させてしまい、魔法式はやがてエラーを起こすだろう。
それこそが今の彼の当たり前であり――そして、彼の狙いである。
飛来する氷の礫が、途中で霧散する。
キラキラと煌く氷の結晶。まるで暴走を起こしたかのように、無惨に砕け散った氷の小鳥たちを、セイヤが驚きでマヌケな面で見る。
術式崩し。
相手の術式にジャミングをかけ、強制的に魔力を流してクラックする失敗魔法である。
「『メインメソッド起動。接続、ファースト。サード』」
ロッドを振るう。
魔法が起動するまでにかかる時間は最短でも二十秒ほど。今の身体では、通常の魔法を組み立てるだけでも丁寧な手順が必要だ。その間、集中は片時も途切れさせられない。
自身の魔力の制御にしっかりと気を割きつつ、戦況も見逃しはしない。
ミラの猛攻も、そろそろ限界だ。一時的にコピーした刀剣と剣技も、やはり本物の前ではすぐにぼろが出る。もってあと十数秒といったところだろう。
セイヤはと言うと、シオンのやったことの種を理解したのだろう。所詮は、魔法式の組み方の甘さを突くような初歩的な技術である。今度はクラッキングされないよう、何重にもプロテクトをかけた強固な魔法を組んでいく。
故に――時間がかかる。
シオンが魔法を起動し始めて、十五秒目。
ミラの振るう刀が、大きく空振りをした。
「な、に?」
予想外の空振りに、カブトが怪訝な顔をする。ぶつかり合うはずだったカブトの刀は、勢い余ってミラの身体へと振りぬかれる。
一閃。
ミラの身体を、白刃の刃が深々と斬り裂く。
「あはっ」
瞬間、ミラは笑い声をあげる。
七枚の鏡に衝撃が走る。その衝撃は、埋め込まれた宝石にヒビを入れた。
仮に――もしも、カブトの刃が万全の状態で振るわれたのであれば、ミラの持つパッシブの容量を超え、ミラ本体を傷つけられただろう。
しかし、ミラのがむしゃらな攻撃をさばくことで精一杯だったカブトにとって、その一撃は万全とは程遠い、手なりの一撃だった。
故に――七割の衝撃は全て鏡にいなされ、残る三割のダメージがカブトを襲う。
彼の胸元は裂け、わずかに血しぶきが飛んだ。
「ぐ、ぅう」
目を剥いて、のけぞる自身の身体を見下ろすカブト。
そして――二十秒。
「ミラ、チェンジ!」
その一言と共に、ミラは右に身体をずらした。
同時に、シオンはカブトの前へと一歩踏み込む。
誰もが予想しなかった。
魔法士が単体でファントムに向かうなどという愚行を、誰も想像にすら上げなかった。
だからこそ、その隙は決定的なものとなる。
シオンの手に握られているロッドが鈍く光る。
――同時に、セイヤが組み立てていた魔法がちょうど完成する。
氷の鏃が、無数に雨のように降り注ぐ。
「させない!」
それを、カブトの前から退いたミラが、鏡を展開して食い止める。
七重に重なりあう合わせ鏡は、無数の氷を閉じ込める。
これで――シオンとカブトの一騎打ちだ。
ミラから返された三割のダメージを負ったカブトは、のけぞった状態から刀を振る。
「舐めるなよ――少年!」
例えどんなに不安定な姿勢であろうと、彼の持つ因子は『刀剣』。刀の扱いにおいて、そうそう自分の右を譲るつもりはないだろう。
ならばこそ――必ずや、この身を惨殺せんと、行動を起こすはずだと、シオンは考える。
刹那の間。
一呼吸の間に行われた攻防。
刀剣の神霊は、原始を最大限に発揮するため、頭を叩き割ろうと刀を振り下ろし――
――凋落した魔法士は、ただその刀にロッドがぶつかるように、頭上を防御した。
鋼鉄と機器がぶつかり合い、火花が散る。
そしてその瞬間、カブトは自身の敗北を察した。
「あぁ。ご主人よ」
愛刀は無惨に刃毀れし、カブトは自身の内側を深く傷つけられたことを察した。
「すまぬが、こやつの方が何枚も上手だったようだぞ」
ニヤリと笑いながら、彼は前に向かって倒れ、膝をつく。
彼の身体には、大きな傷はない。しかし、彼の内側は今、グチャグチャに引っ掻き回されていた。彼を構成する因子が傷を負い、活動に制限をかけられる。
名をつけるなら、因子崩し。
魔法の術式崩しの応用にして、対ファントム戦における最大の切り札。
膝をつくカブトを見下ろしながら、シオンは口腔内にたまった血反吐を吐く。
「が、は」
吐出された血は、キラキラと霊子の塵となって散っていく。
ファントムの一撃をもろに受けたシオンは、半身を血みどろにしながら、折れたロッドを杖のようにして立っていた。
仮にもファントムの攻撃を受けきれるとは思っていなかったものの、防御の上から思い切り斬り落とされた。もしここが霊子庭園でなければ、即死級の大怪我である。しかし、それでも今彼は、意識を保っている。
故に、まだ負けてはいない。
この勝負は、霊子体を保てなくなった方の負けなのだ。たとえどんなに大きな怪我を負おうと、例え半死半生の目に合おうと、最後まで霊子体を維持できれば勝ちになる。
シオンは見る。
フリーになったミラが、鏡でとらえた氷の礫を開放していた。
それらは全て天城セイヤの方へと向かう。幾百の礫は生半な防御では防ぎきれないだろう。必死で魔法を行使し防御しているが、自身の作った魔法の力によって、彼は全身を串刺しにされ、霊子体を崩壊させた。
あっけなく、しかし確かな勝利。
ボロボロの霊子体を保ったままのシオンは、思わずグッと、小さくガッツポーズをしていた。
※ ※
「勝った……」
呆然と、ミラがつぶやく。
しかし、やがて実感が湧いてきたのか、彼女は飛び上がらんばかりに喜び始める。
「勝ったよ! 勝ったんだよシオン! すごい、本当に勝ったんだよ!!」
霊子庭園を解除し、生身に戻った瞬間、ミラが喜びを全身で表現しながら抱きついてきた。
「ほんとシオンの言う通りだったよ! やっぱりシオンはすごいよ!」
「分かった、分かったから落ち着け。疲れてるんだから」
霊子体で負った傷はかなり深く、疲労感としてフィードバックされていた。傷は引き継がないとはいえ、全く何の影響もないとは言えない。特に大怪我を負っていただけに、今でも肩口を斬られた感触を思い出してしまう。
しかし、勝者を放っておく観客などいない。
レオたちもまた、興奮したように口々に賛辞を浴びせてくる。
「おいシオン、今の試合なんだよ! ってか何しやがったんだよ一体!」
「術式崩しまでは見えたんだけど、ファントムを下した技がわからない。オリジナルかい?」
「ファントムに勝っちゃった……すごいよ久能くん!」
「あー、いや。ファントムは倒したわけじゃないから。活動に制限を負わせただけだ」
あまりにも褒め称えられて、気恥ずかしくなってきたシオンは、淡々と説明する。
「魔法式の崩壊の仕組みは知ってるよな? 複数の魔法が同時に展開されり、余計な手順を踏むことで処理が混線して、エラーになるって。ファントムにやったのは、その応用。活動するために必要な因子に、ジャミングをかけたんだ」
因子崩し。
むろん、簡単な技ではない。活動因子を誤作動させるための的確な挿入と、直接影響をあたえるために、相手の因子を露出させる必要がある。
「今回の場合は、明らかにあいつの刀が、『刀剣』の因子に直結していた。それと、ことさら上段からの打ち落としにこだわっている様子から、その斬り方にも意味があると思った」
上段からの打ち落とし。
それは、おそらく彼の原始が関係するのだろう。
彼の持つ因子の四つ目『試斬』とは、刀の強度を試す行為のことを指す。ただ、純粋に強度を試すというよりは、客に向けてのパフォーマンスの意味合いが強い。その際に、最も難易度の高いものとして、『兜割り』というものがある。
最後に、カブトは最大限に自身の因子を活動させて、シオンを斬り落とそうとした。
だからこそ、シオンの因子崩しは成功した。
試合が始まる前に、シオンはミラに、三つの作戦を伝えていた。
一つ、先制攻撃で来る上段からの刀を避けること。
二つ、刀剣の因子をすぐに写しとり、とにかく相手に反撃させないように追撃すること。
三つ、あえて攻撃を受けてパッシブを使い、すぐにシオンと立ち位置を換えること。
今回利用したミラのアクティブスキルは、『因子写し(ジーンレプリカ)』――ミラいわく、『鏡像再現(かんぜんさいげん)』。相手の因子を一つ劣化コピーし、その技術やパッシブスキルを一時的に修得するというものである。
無論、劣化コピーなので真正面からぶつかってもまず敵わない。だからシオンは言ったのだ。
とにかく刀を持ったら、鉄の棒でも振り回すように戦え、と。
『刀で相手を斬ろうと思うな。とにかく叩くつもりでやれ』
『わかったけど、どうして? 剣技もコピーできるから、剣術を使った方がいいと思うけど』
『剣技での勝負では、本物に対して数秒も持たない。けれど、単純な膂力に任せた攻撃なら、仮にもファントム同士だ。最低でも数十秒は持つし、相手を混乱させられる』
あとは、混乱した状態のファントムに対して、シオンが因子崩しを行い、その間にミラが魔法士を仕留めればいい。
見事に、そのとおりに事が運んだといったわけだった。
説明を終えたところで、再度ミラが歓喜の声を上げた。
「嬉しいよ! 初勝利だよぉ! ねえシオン、ありがとう!」
感極まっているのか、ミラは泣きながら抱きついて、シオンを離さない。
「おい、そんなひっつくなって。なんで泣いてるんだよ、お前」
「だって、嬉しいんだよ」
涙を拭いながら、ミラは頬を高調させて言う。
「わたしでも戦えるんだって。ちゃんと、勝てるんだってわかったんだよ。夢のままじゃない、本当に目指せるんだってわかっただけでも、すごく嬉しいよ」
今まで、彼女は何度負けてきただろう。
一人で力の差に打ちのめされ、無力に打ちひしがれ、それでもただ、漠然とした強迫観念に突き動かされて挑戦し続けた。
七塚ミラは、今日はじめて勝利を経験したのだ。
嬉しくないはずが、ないだろう。
「……馬鹿だな、お前」
呆れながら、シオンは涙を拭うミラの頭に手を乗せる。
「勝利なんて、これから嫌って言うほど経験しなきゃいけないんだぞ」
「うん!」
元気いっぱいに頷くミラに、シオンは気だるさの中で満たされたものを感じた。
勝利したシオンたちと対照的に、敗北したセイヤたちは元気がなかった。無理もないだろう。息巻いて難癖つけてきた上に、格下と思っていた相手に負けたのだ。立つ瀬もないはずだ。
もしここで、別の生徒がもう一戦、と言ってきたら、素直に敗北を認めるしかない。怪我はないとはいえ、連戦は精神の消耗が激しすぎるため、先ほどのような神経を使った戦いは出来ないだろう。そんな展開になってくれるなよと思いながら、シオンは精一杯虚勢を張る。
そんな時だった。
「一体何ごとだ、これは」
一人の少年が、天城たちの元に近づいてきて声をかけていた。
細い割に体幹のしっかりとした、背の高い少年だった。左目を隠すほどに長い髪の毛は、天然なのか透き通るように白く、一見すると銀色にすら見える。同じタイプの制服を着ていることから、かろうじて同級生らしいことは分かった。
彼は堂々とした立ち振舞で、その場に姿を表した。
「ふん。トレーニングに付き合ってくれと言われたから来てみたんだが、よくわからないな。どうやらゲームが行われた後のようだが……何だ、天城、負けたのか」
氷のような目で、彼は同級生を見下ろす。それに対して、天城は怯えたように「いや、その」と動揺を隠せないでいる。
それを見て興味を失ったように、彼はため息をつく。そして、シオンの方に近づいてきた。
「今日の実技室は予約でいっぱいだと聞いていたから、どうするのかと思っていたが、だいたい事情は察した。済まないな。うちのクラスメイトが迷惑をかけたようだ」
「……僕達が悪いとは思わないのか?」
「思わんな」
はっきりと、彼はそう口にした。
「技術クラスが、実技クラスに進んで喧嘩を売るとは思えない。逆はあるだろうが」
ちらりと、彼は背後のクラスメイトたちを見て言う。
「俺はA科の明星だ。お前は?」
「……技術科の久能」
「そうか。覚えておこう」
そう言うと、彼はあっさりとシオンたちに背を向ける。
「おい。帰るぞ」
「だけどよ、明星。トレーニングは」
「馬鹿かお前。人の練習を邪魔した挙句、負けておいてどの面下げてここにいるつもりだ。多少でもプライドがあるんなら、この場はとっとと引け」
「でも、明星ならあんな奴ら……」
「お前らは、自分たちの喧嘩を他人に任せるのか?」呆れたように明星は言う。「あほらしい。俺の尻拭いをさせるな」
ブツブツと彼らは言い合いながら、尻尾を巻いて逃げるように退散していった。
後に残されたシオンたちは、ただ黙ってその姿を見送ることしか出来なかった。
「へぇ。実技科にも、あんなやつがいるんだなぁ。な、シオン。……って、どうした?」
何気なくレオが語りかけてきたのだが、それに対して、シオンはすぐに反応を返せなかった。
脂汗が額ににじむ。
背筋が凍るような緊張感に、生きた心地がしなかった。
明星、という名前には聞き覚えがある。今学年の首席の生徒、明星タイガ。全科目において優秀な成績を収めている、ウィザードの称号を飾りではなく実力でもぎ取った生徒である。
確かに、前評判通りの実力なのは、接してみて分かった。あれほど、自身の生体魔力を完全に制御している魔法士は、プロでもなかなかいないだろう。かつてのシオンだって、完全制御はできていなかった。そういった意味で、天才という呼び名は適切なのだろう。
しかし、それだけが緊張の原因ではなかった。
「草上。お前は、わかったか?」
「うん。まあね……。私ですらこれなんだから、君はかなり、きつかったんじゃないかい?」
全身がびっしょりになるくらいに、汗が吹き出ていた。肝が冷える、というのはこういう感覚かと、現実逃避気味に思った。
明星タイガが従えていたファントム。
背の高いタイガよりも、更に一回り背の高い女性だった。顔面に大きな傷跡がある、磊落な雰囲気をまとった赤髪の女性。実体こそ見せなかったものの、彼女はずっと半透過した霊体で、不敵な笑みでシオンとミラを見ていた。
その威圧感。
聞いたことがあった。明星タイガの契約したファントムは、ハイランクファントムであると。
その因子数、九つ。
化け物じみたその圧力を、肌で実感することになった。
「シオン……」
ミラも感じたのだろう。強張った声で、それでもなお、意志のこもった言葉を口にする。
「あれが、わたしたちが超えなきゃいけない、壁なんだよね」
「…………」
ああ、と頷いたつもりだった。
声はかすれて音にならない。喉がカラカラに乾いている。未だに生きた心地がしないほどに、あのファントムは規格外だった。
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