映画界のドンと呼ばれた東映の名誉会長、岡田茂(おかだ・しげる)氏が9日午前5時55分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。
映画評論家・品田雄吉さん(81)が岡田茂氏について話した。
東映の名誉会長、岡田氏の功績は、昭和の娯楽を作り上げたことだった。47年に東映の前身、東横映画に入社以降、岡田氏の目はいつも大衆に向いていた。品田さんは「大衆が喜ぶ映画を作るということが、岡田さんの基本コンセプト。後発の映画会社だった東映で、東宝、松竹という大きな会社を追いかけつつ、まねをしないで大衆路線を築いた。反発や苦労もあったと思いますが、めげないで優秀な監督や俳優を集めた」と語った。
経営者としても一流だった。本業の映画では時代劇から、任侠(にんきょう)路線、実録路線へと大胆に切り替えた。社長就任2年後には、1年4億円の赤字を出していたプロ野球の東映フライヤーズを売却、ボウリング場も整理し合理化をはかった。品田さんは「東映を盤石の体制にし、一流の会社にした功績は大きい」。
普段の岡田氏はざっくばらんな人だったようだ。品田さんは、東京帝大(現東大)経済学部を卒業したという経歴から、インテリなエリートを想像していたが「威張らないし、親分肌で周囲に気を使う、くだけた人でした。東京国際映画祭の企画の一環で集まった時、岡田さんの昔話がおもしろくておもしろくて。みんな聞き入りました」と思い出を語った。品田さんは、広島にいたころの岡田さんを知る人に話を聞いたことがある。背が高くて、美男子で、柔道が強い、女学生の憧れの的。映画の主人公のようだったという。