(一同)万歳。
勝ったぞ。
勝ったぞ。
(赤松)これは向島ちゃうやろ?
(岡)これ向島やで。
2014年。
それは歴史的な判決でした
(一同)万歳。
万歳。
国を相手に9年間闘った裁判で勝ち取った勝訴
でもその中には負けた人もいたことを知っていますか?
(岡)今日ねそういうことで認められなかった人ということで。
勝ち目のないことは分かっていました
ではなぜ負ける裁判をやったのかって?
意地悪な質問ですね
だって私がその担当弁護士なのだから
赤松さんと出会ったのは6年前のことです
今思うと動機は不純だったかも?
(岡)ご飯行く人手挙げて。
そのころの私はまだ大学を出たばかりの新米弁護士
初任給1,500万の東京の大手法律事務所に内定していました
でもその仕事を蹴って選んだのが国を相手にしたこの裁判
そして弁護士になって初めて持たされた担当が…
(岡)この辺にあるんやろ?
同じ広島出身の74歳のおじいちゃんでした
(赤松)うん。
ありがとう。
赤松さんの故郷は瀬戸内海に浮かぶ小さな島
尾道の沖にある百島というところです
人口わずか600人
病院も診療所もなかったこの島を追い出されるように飛び出して大阪で働き始めたのは二十歳のころ
そして治らない病気になります
そんな赤松さんを私は半ば無理やりこの裁判に引き入れたのです
(岡)だから…。
本当は裁判なんかやりたくなかった人でした
でも55人の原告を抱える集団訴訟に勝つためには一人でも多くの病人が必要だったのです
利用したのだと言われればそうなのかもしれません
(岡)また行くわ。
それなのになぜか泣けてくるんです
勝ち目のない裁判だと分かっていたのに
もう命が長くはないことも
それなのにおじいちゃんはなぜか私に優しかった
もしかしてあなたはだまされたふりをしてくれたのですか?
29歳のまだまだひよっこの弁護士に
私の家族にあった70年前のあのことも今となってみれば聞いてほしかった
判決は出ました
でもどうしても返さなくてはならない答えが私にはあるのです
「出会ったときのことをよく覚えています」
「あんたは裁判に参加してくれとずいぶんしつこかった」
「おじいちゃんの遺言」
それは今は亡き赤松四郎さんの言葉でつづられた裁判を巡る物語でした
そして今回の語り手は私。
弁護士の岡千尋
私は私なりにこの物語をつづってみたいのです
(岡)こんにちは。
お邪魔します。
2012年のある一日からそれは始まります
(岡)しんどい?
この日訪れたのは泉南市にある赤松さんのおうち
(岡)これつけるよ。
これ。
(赤松)うん。
つけて。
赤松さんは74歳の病気のおじいちゃんです
病気の名前は石綿肺
(岡)4とかやったやろ。
酸素ボンベをしないと息が苦しくなるのに私が来るときには必ずベッドから起きて待っていてくれる人でした
(岡)かわいくなった?
(岡)えっ?ショック。
(赤松)そう?
(岡)うん。
そう。
私の前ではいつも強がっていたけど…
しんどい人生を送った人でした
尾道の百島で四男に生まれきょうだいの多かった赤松さんは二十歳で追い出されるように大阪に出ます
最初は西成で日雇い労働
やっと見つけた長期の仕事が泉南の石綿工場でした
そのころの日本は建設ブームで断熱材に使われる石綿が飛ぶように売れていました
赤松さんは工場で毎日真っ白になりながら働きます
それでようやく生活が安定したのだといいます
ところが工場で吸い込んだ粉じんが原因で肺病になるのです
医者からは治らない病気だといわれました
石綿肺と認定されたのは68歳のとき
そして人生の最後の最後に国を訴える集団訴訟に加わることになったのです
(赤松)ご飯?
(タエ)全然あかん。
暮らしているのは月2万円の府営アパート
子供はいません
お昼ご飯は点滴みたいな栄養食
一日のほとんどが寝たきりの生活でした
(岡)どうよ?
残された時間はあとわずか
そっとしておきたいと思ったこともあります
でも私はそう簡単に赤松さんを諦めるわけにはいかなかったのです
(岡)お疲れさまです。
(タエ)ありがとうございます。
(岡)しんどそうでしょ?しんどそう。
(スタッフ)赤松さんどんな感じでした?
(赤松)いけるんか?
赤松さんが参加する裁判は55人の原告を抱える大きな裁判です
弁護士の数はおよそ30人
私はそのチームの一員として働いていました
(村松)赤松さんがやっぱ一番しんどいな。
(村松)赤松。
寺西な。
26歳でこの事務所に入り初めて持たされた担当が赤松さんでした
それからは本当にあっという間の3年間
出身は広島県広島市。
父は大工です
18歳で親元を離れ京都大学を卒業
最初に目指したのはビジネスロイヤー
初任給1,500万の東京の大手法律事務所に内定していました
しかし選んだのは大阪の小さな法律事務所
若さ故の正義感だったのかもしれません
それだけにこの裁判に一生懸命でした
初めての集団訴訟。
初めての担当
赤松さんを半ば無理やり裁判に引き入れたのも若さ故だったのでしょう
でも…
(岡)赤松さんって。
尾道のおじいちゃん担当って言ったじゃん。
何かずっと死にそうなんじゃけど。
まだ元気ではないけど…。
気が付けば私はもうすぐ30になる独身女性
(邦子)ちーちゃんがよければ。
(岡)よう言うわ。
母の期待は分かるけど…
じゃあ子供のいない赤松さんはこれからどうすればいいの?
今となって思えばこのころの私はまだあの夫婦を仕事上だけの付き合いだと割り切っていたのです
石綿裁判の地裁判決の日がやって来ました
そこに赤松さんの姿はありません
あれから病状が進みもう外に出ることすらできなかったのです
この裁判に勝ったら赤松さんには2,000万円の賠償金が入ることになっています
そのお金は夫婦にとって老後の大事なお金になるはずでした
そしてその結果は…
(一同)万歳。
万歳。
万歳。
原告側の勝訴
(女性)勝った!皆さん勝ちました!
勝利に沸く声が裁判所の中まで聞こえてきました
しかし…
(女性)勝ちましたよ!
もしかすると私は取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれません
(スタッフ)えっ?赤松さん駄目だったんですか?
工場で働き始めた時期が赤松さんは他の人よりも遅かったのです
認められたのは昭和46年より前に働いていた人たちだけでした
(岡)もしもし。
こんにちは。
岡です。
連絡遅くなってごめんね。
じゃあね。
冷たい言葉を予想していました
ところが電話の向こうのその声がなぜかあったかい
その言葉が始まりでした
それからのおじいちゃんとの日々は私にとって忘れられないものとなったのです
判決から3日後
(柚岡)私はこの判決を勝訴勝訴と呼べる気はとても。
(柚岡)気にはとてもなれない。
報告集会に参加した妻のタエさん
そんなタエさんに私は掛ける言葉がありません
本当は慰めたかった。
でも私には仕事がありました
たとえ裁判に負けても赤松さんをこのまま手放すわけにはいかなかったのです
まああんまり気落ちせずにね。
(赤松)はい。
解決までまだちょっとかかるけど。
まだ引き続き一緒に頑張っていきましょうと。
(赤松)はい。
(岡)そういうお話。
今日は。
(赤松)はい。
ありがとう。
分かる?
(赤松)分かる。
(岡)そっか。
(赤松)まあな…。
私は必死でした
総理大臣への手紙
それで事態が変わることはないのかもしれません
そのとき私の心を見透かしたかのようにタエさんがいきなり語り始めたのです
(岡)お母さん。
今日ずっとうつむいとったらしいじゃん。
(タエ)私と。
他の人は落ちた人は知らんけども自分のだけ赤松って聞こえたから。
(岡)そうやね。
(タエ)ほんで…。
(岡)何で?何が悲しいわけ?
(タエ)そうそう。
(タエ)そうかな?
(岡)あのな…。
何でそんなこと言うの?何で私を責めないの?
こうなった責任は自分たちじゃなく弁護士にあるはずでしょ?
だってそもそも裁判をやろうと言いだしたのは私なんだから
(赤松)いい?
(岡)ありがとう。
いいよ。
見える。
そしてその数日後赤松さんは突然倒れたのです
担当である私にも連絡がありませんでした
ようやく捜し当てたのは倒れてから丸一日後
点滴を打ちに行った病院でいきなり意識を失ったのだといいます
運びこまれたのは集中治療室
(岡)ずっと寝てる?
(柚岡)いや。
反応してる。
(タエ)目開いたらまた…。
(タエ)目開けて。
(柚岡)しんどいな。
こんなに腕が細いことも
(タエ)弁護士さんが来てくれたで。
(タエ)お願い。
起きて。
(タエ)目開けてよ。
弁護士がこんなに無力なことも私は知らなかった
広島は近いようで遠い故郷です
帰省したのは半年ぶりのことでした
実家の父と向かった場所があります
どうしても捜さなくてはならない島がありました
(郁雄)あの一角だな。
あれかもな?
(岡)フフフ。
絶対分からんし。
(岡)赤松さんの生まれ故郷やって。
(郁雄)誰の?
(岡)赤松さん。
これがあれで。
(郁雄)あれじゃろ。
赤松さんの生まれた島百島はとても小さな島
二十歳のころ追い出されるように飛び出した島です
それからもう50年の歳月
働いて働いてやっと人並みになれたと思ったら治らない病気になって
そしてもう死がすぐそこに迫っています
それがおじいちゃんの74年の人生
そう。
自分ちのおじいちゃん
私の実家は広島市内にあります
大好きだったおばあちゃんは8歳のときに亡くなりました
病気になって早く…。
17歳で被爆したおばあちゃん
62歳で亡くなるまでそのつらい体験をおばあちゃんは私に一言も話そうとしませんでした
本当はちゃんと聞きたかった
ビジネスロイヤーになってお金をいっぱい稼ぐこともできました
でももっと大事なものがあると思うんです
私と同じ広島で生まれ育った74歳のおじいちゃん
そう。
赤松さん
広島から帰った私は再びあのおうちを訪ねたのです
一時は絶望といわれました
でも赤松さんは奇跡的に意識を取り戻したのです
(タエ)あっ。
行ってきたん?
何でこの人は目を覚ましたのだろうと思いました
それは…
(赤松)これはどこやろ?
(岡)そうか?
今となってみれば私ともう一度話すためだったと思いたい
そして裁判はその後も続いていきました
今後悔するのはあのとき…
もっとしゃべっておけばよかった
総理大臣宛ての手紙を残して赤松さんは逝ってしまいました
(岡)赤松さん…。
すごい…。
6年間の中で原告の方々もたくさん亡くなってしまいました。
アスベスト被害はとても深刻です。
私は大阪から東京に向かっていました
あれから2年。
赤松さんの裁判はついに最高裁までもつれこんでいたのです
(岡)結論はですね…。
(岡)「えっ?何でこんなに人がいないの?」みたいな。
2年前に赤松さんが一度負けた裁判です
認められなかったのは55人の原告のうち5人だけ
そのために東京まで来ました
9年かかったこの裁判に今日決着がつくのです
(男性)大阪から原告が今到着しました。
(男性)拍手でお迎えください。
赤松さんが亡くなったとき妻のタエさんはもう裁判はやりたくないと言いました
でも私はこの裁判をやるしかないのです
(タエ)そんなん言わんといて。
2年前の判決をひっくり返せるかどうかは分かりません
それでもタエさんはわざわざ東京まで来てくれました
でも赤松さんはもうこの世にはいないのです
(一同)頑張れ!頑張れ!頑張れ!ファイト!
おじいちゃん。
最後の判決が出るよ
おじいちゃんと私の最後の判決はその日の午後3時に出ることになっていました
歴史的な判決です
その第一報は中にいる弁護士から私の携帯電話にメールで送られてくるのです
その中にはもちろん赤松さんの結果も含まれています
ここで負けたらもう後はありません
判決が出ました
できれば誰かに託したい。
でも…
それはきっと神様が私に与えた仕事
その判決を叫ぶのはきっと…
おじいちゃんをこの裁判に引き入れた私がやらなければならないことだったのです
原告勝訴の判決が出ました。
命よりも産業を優先した一陣高裁判決を最高裁が否定しました。
天国にいるおじいちゃん。
私の声が聞こえますか?
原告勝訴の判決が出ました
でも本当に答えたかったあなたには私はやっぱり答えることができなかった
(岡)ただ…。
原告…。
赤松さんはまたも負けたのです
最高裁の判決は原告側の勝訴
でも赤松さんはやっぱり負けました
判決を終え記者会見場にやって来た妻のタエさん
そんなタエさんに私はなかなか声を掛けることができません
そのとき…
(村松)岡ち。
(岡)はい。
はい。
背中を押してくれたのは弁護団の副団長でした
みんな赤松さんのことを心配してくれていたのです
(岡)あのう。
えっとさ…。
みんなと一緒でね。
赤松さんにとってそれはわざわざ負けるために闘った裁判でした
判決の後弁護士仲間は赤松さんのために泣いてくれたのです
(村松)そこなんよ。
そこなんよ。
俺もそれは思う。
天国にいるおじいちゃんはこう言ってるのかもしれません
「あんたがついとるからがっかりなんかせえへん」
妻のタエさんは浅草にいました
(タエ)みんなのおかげさんで。
(女性)よかったね。
同じ裁判を闘った仲間たちと一緒に初めての東京観光
(柚岡)お父さんと来れんかった分しっかり楽しみなさい。
(タエ)ありがとう。
ありがたいわホンマに。
ことし1月
(塩崎)厚生労働大臣の塩崎恭久でございます。
厚生労働大臣が謝罪に来てこの裁判は終わりました
(塩崎)ホントに申し訳ございませんでした。
でも私は思うんです。
判決は答えじゃないって
「ここら辺やな」
(タエ)それはよう言うてはったからな。
言うてはったけどね。
赤松のおじいちゃんとの3年間
いろんな場面が今も蘇ります
(岡)あっ。
ヤバい。
電池がない。
何?
(岡)よかったよかった。
人生時にはいいこともあるもんです
あなたに出会えた
2015/04/11(土) 03:51〜04:51
関西テレビ1
判決は“答え”じゃない[字]【泉南アスベスト訴訟の最高裁判決、原告勝訴。しかし…】
最高裁判決で原告が勝訴したにもかかわらず国からの賠償が認められなかった老人と、共に闘い続けた女性弁護士。老人との3年間の月日を女性弁護士の心情で綴る。
詳細情報
番組内容
歴史的な判決だった。
泉南アスベスト訴訟の最高裁判決、原告勝訴。しかし…
その中には、国からの賠償が認められなかった人がいる。
戦後から高度経済成長時代にかけて多くの若者たちが、職を求めて地方から上京する中、赤松四郎さんは建設業の仕事に就いた。
赤松さんは、建設ラッシュの中、断熱材として大量に使用された石綿が原因の肺病に苦しみ続け、最高裁の判決を見届けることなく74歳で亡くなった。
番組内容2
京都大学を卒業した若手のエリート、岡千尋弁護士は初任給1500万円の「ビジネスロイヤー」への就職を目前に方向転換、本当にやりたいことは、ビジネスではないことに気づいた。
そんな彼女が、泉南アスベスト訴訟の裁判を担当し、赤松さんと妻が暮らすアパートに通い続けるようになって6年。
2人の交流は、原告と弁護士との関係を超えたものとなってゆく。
番組内容3
今回、亡くなった赤松さんの妻に寄り添いながら最高裁判決まで闘い続けた岡弁護士の心情を栗山千明が語る。
出演者
【語り】
栗山千明
國村隼(一部)
スタッフ
【チーフプロデューサー】
味谷和哉(フジテレビ)
【プロデューサー】
森憲一(フジテレビ)
【構成・演出】
原田泰二
【制作著作】
フジテレビ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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