昭和17年中国東北部旧満州で撮影された一枚の家族写真。
父はエリート医師。
中央に座る当時4歳の少年は後に芸能界で活躍する事になります。
8歳まで満州で暮らしていました。
かすかに覚えているのは往診に行く父の姿だといいます。
梅宮さんは現在76歳。
ほとんど記憶のない満州時代の事を知りたいと思うようになりました。
番組では梅宮さんに代わり家族の歴史をたどりました。
江戸時代の古文書に書かれた驚きのルーツ。
「梅宮屋」というふうに記されてます。
そして取材は梅宮家が渡った中国旧満州へ。
一家の足跡が次々と明らかになります。
満州の地で医師になった父。
こだわったのは往診。
そこには消す事のできない苦い記憶がありました。
ところがソ連軍の侵攻でそれまでの生活が一変します。
多くの医師たちが突然連行されていきました。
一か八かの逃亡を試みます。
そして引き揚げの際目の当たりにした光景。
梅宮さんはこの日自らのルーツと初めて向き合う事になります。
梅宮家の家系図です。
ルーツは福島県会津若松。
梅宮辰夫さんの4代前の高祖父清五郎から遡ります。
清五郎が生まれたのは江戸時代末期。
戸籍に記されていた住所は北会津郡若松七日町124番地。
七日町に暮らす…明治17年の地図に清五郎の名前がありました。
明治中頃の七日町です。
街道沿いに150もの商店や旅籠が建ち並んでいました。
このわらぶき屋根の家が梅宮家に当たると考えられます。
現在その場所はそば屋になっています。
当時の梅宮家はどんな商売をしていたのでしょうか。
こちらは煙草屋の株仲間を記した帳面になります。
江戸時代の「煙草屋株帳」。
城下で煙草屋の営業権を持つ人の名前が並んでいます。
(阿部)梅宮さんの名前が書かれております。
七日町に暮らす梅宮源右衛門が辰夫の6代前の先祖です。
これは幕末城下にあった商店の業種別の人気ランキングいわば番付表です。
96軒の煙草屋の中で梅宮屋はベスト5に入る人気店でした。
明治10年梅宮家に生まれたのが辰次郎。
辰夫の祖父です。
勉強も運動も得意だった辰次郎は陸軍士官学校に入学します。
へ〜っ陸士だったんですか。
その後仙台にあった第二師団に入隊。
明治37年には会津若松の商家の娘星ツキと結婚しています。
この年日露戦争が開戦します。
辰次郎は中隊長として奉天会戦で功績をあげました。
日露戦争に勝利した日本。
ポーツマス条約で中国関東州を租借し南満州鉄道の権益を獲得します。
明治44年辰次郎は長男に続き次男次郎に恵まれます。
後の辰夫の父です。
その後辰次郎は満州への移動を命じられます。
向かったのは旅順。
日本軍の軍司令部が置かれていた重要拠点です。
満州時代の戸籍を手がかりに中国旅順で梅宮家があった場所を捜しました。
これで言うと…この建物が…。
そうそうそう。
当時の地図と現在の航空写真を照らし合わせると赤く記した所が梅宮家だと思われます。
そこには100年以上前に建てられた家が残っていました。
失礼いたします。
旅順で生まれました。
澄子さんに見つけた建物の映像を見てもらいました。
軍人だった辰次郎は息子たちを厳しくしつけます。
かっこいいねおじいちゃん。
毎朝井戸水をかぶり体と精神力を鍛えるのが日課でした。
次男の次郎はきょうだいの中でも負けず嫌いで学校の成績も抜群でした。
昭和3年次郎は奉天にあった最難関の満州医科大学に進学を果たします。
満州医科大学は大正11年に南満州鉄道株式会社通称満鉄が設立した私立の大学です。
最新の医療設備を取りそろえ大学病院も併設していました。
現在は中国の難関医大の一つ中国医科大学になっています。
当時の校舎の大部分は今もそのまま使われています。
大学時代の同級生の家に終戦前に持ち帰ったアルバムが保管されていました。
そうなんです。
これは卒業アルバムですかね。
父今村利通さんは次郎の親友だったといいます。
これは小児科の授業。
子供の触診の方法を教えています。
この中に真剣に講義を聴く次郎の姿を見つける事ができました。
次郎は青春をおう歌します。
夏はテニス冬はアイスホッケーに熱中しました。
ところが次郎が大学在学中の昭和4年。
父の辰次郎が胃がんのため52歳で亡くなります。
辰次郎の告別式は旅順の関東軍司令部に隣接する将校クラブで行われました。
弔辞を読んだのが…辰次郎の後輩で同じ東北出身でした。
この2年後板垣が首謀した満州事変が勃発。
翌7年には旅順を含む中国東北部に満州国が建国されます。
梅宮家はこの後大きな歴史の渦に巻き込まれていくのです。
ハァ…。
そうですか…。
いやぁ…。
昭和10年大学を卒業した次郎は医師としての第一歩を踏み出します。
専門は…満州国が建国されると成功を夢みる多くの日本人がやって来ました。
子供も増え小児科医の必要性が高まります。
「将来満州の担い手となる子供たちのために働きたい」。
次郎は大学の先輩が旅順で開業した医院で研修を兼ね働き始めます。
その医院の建物が残っていました。
最近まで住宅として使われもうすぐ取り壊されるといいます。
働き始めて間もなく次郎に運命の出会いが訪れます。
ある日先輩から一人の女性を紹介されます。
先輩の妻の妹で当時女子高生だった…次郎の娘マリさん。
その時の様子を聞いています。
ちなみに齊子の姉の孫が俳優の高橋克典さんです。
昭和12年2人は旅順のヤマトホテルで結婚式を挙げます。
ここは当時川島芳子や与謝野晶子などが利用した高級ホテルでした。
去年まで軍のホテルとして営業していましたが現在は閉じられています。
結婚から2か月後。
次郎は旅順での研修を終えハルビンに向かいます。
満州一の規模を誇る満鉄病院に勤務する事になったのです。
現在の…その翌年生まれたのが長男辰夫。
梅宮辰夫さんです。
小児科医としてますます仕事に励む次郎。
このころ医学雑誌に初めて論文を発表しています。
それが東京大学の医学図書館で見つかりました。
こちらに「梅宮次郎」という名前があります。
「腸出血を伴へる乳兒腸『チフス』」という論文。
ある深刻な症例を紹介しています。
高熱を出した幼い姉妹が病院に担ぎ込まれます。
5歳の…1歳の…次郎は不衛生な環境が原因で起こる伝染病腸チフスだと診断します。
妹マス子は何とか一命を取り留めます。
しかし姉の浪子は既に手遅れで治療のかいなく亡くなりました。
次郎は強い衝撃を受けます。
「如何に該菌の毒力が劇烈なりしかを推察し得るなり」。
この腸チフスにかかった姉妹の家族が現在岩手で暮らしている事が分かりました。
こんにちは。
2人の姉美枝さん83歳です。
ここに千葉マス子さんって…。
実は助かった当時1歳の妹のマス子さんには後遺症が残り次郎が論文を発表したあと亡くなっていた事が分かりました。
梅宮辰夫さんのお父さん。
あ〜…。
幼い姉妹を十分に治療する事ができなかった。
これをきっかけに次郎は子供がかかるチフスや赤痢など伝染病の研究に没頭します。
次々と論文を発表し医学誌に掲載されました。
次郎は往診にも力を入れます。
あの幼い姉妹のように手遅れになる患者を少しでも減らしたかったのです。
太平洋戦争が開戦した昭和16年。
次郎はハルビンから450キロ離れた開原の満鉄病院に転勤します。
現在そこは開原市中央病院になっていました。
当時の開原医院を知る人を見つけました。
ああ「先生おはようございます」。
当時開原医院には6人の日本人医師がいたといいます。
開原医院で次郎は副院長兼小児科医として働き始めます。
次郎のもとで看護師をしていた人が見つかりました。
開原医院で4年間一緒に働きました。
ある雪の夜急患の知らせを受けた次郎。
急ぎ足でその家に向かいます。
7歳の女の子が高熱を出しひどい下痢に襲われていました。
次郎は所見から伝染病の疫痢と診断。
手早く注射を打つなどして女の子を助けます。
その助かった女の子が…当時の事を覚えています。
と言って電話をして…仕事に明け暮れる次郎でしたが家庭ではよき父親でもありました。
もう辰夫ちゃんの話がね。
ところが…ソ連軍が日ソ中立条約を破棄し満州へ侵攻します。
開原の町にもソ連兵がやって来ました。
「この先どうなってしまうのか」。
次郎たち家族は息を潜め成り行きを見守るしかありませんでした。
ちょっとオーバーですねすみません。
終戦から間もなく。
開原の町にはソ連軍だけでなく中国共産党八路軍もやって来ました。
日本人の多くは逃げるに逃げられず不安な日々を送っていました。
次郎の病院は診療を続けていました。
このころ郊外の公園には武装解除した日本兵があふれていました。
そんな時高熱と胸の痛みに苦しむ一人の兵士が運び込まれてきます。
22歳。
次郎は結核の疑いがあると診断し入院させます。
当時多くの日本兵がシベリアへ連行されていました。
ある日ソ連兵が病院にやって来て柳澤を連れていこうとします。
次郎は柳澤が結核で感染するおそれがあると訴えます。
その結果柳澤はシベリア行きを免れたのです。
しかし今度は中国八路軍の兵士が病院にやって来ました。
日本人の医師を見つけ連行するためでした。
中国共産党軍いわゆる八路軍は介石率いる国民党軍との内戦に備え医師を集めていました。
次郎は従うしかありませんでした。
その場に居合わせた入院中の柳澤は次郎に言います。
「先生は命の恩人です。
ご家族は私が守ります」。
すると次郎がこう頼んだのです。
「私は必ず逃げ出して奉天に向かう。
そこまで家族を連れてきてくれないか」。
昭和20年12月八路軍に連行された次郎は郊外の開原城駅へ連れていかれます。
そこから八路軍の部隊がいる西豊という町に向かう事になっていました。
列車に乗せられた次郎は隙をうかがっていました。
そして列車から飛び降り逃げ出したのです。
当時看護師の倉橋さんも別の場所で八路軍に連行されていました。
途中で次郎の消息を耳にします。
次郎は100キロ先の奉天へひそかに向かいました。
無事にたどりつくと知り合いの家に身を隠し家族の到着を待つ事にします。
昭和21年3月次郎と別れて3か月後梅宮家は兵士の柳澤に連れられ奉天に向かいます。
当時梅宮家には乳飲み子を含め5人の子供がいました。
柳澤は次郎の妻齊子を支え乳飲み子を抱えながら長男辰夫の手を引きます。
引き揚げ者でごった返す列車は途中何度も止まり2日かけてようやく奉天に到着しました。
そして3か月ぶりに次郎と家族は再会を果たしたのです。
その2か月後日本への引き揚げが始まります。
引き揚げ船が出る直前荷物は没収。
医療器具や薬も失いました。
引き揚げ船…船内にはチフスなどの伝染病がはやり多くの人が倒れます。
伝染病が専門の次郎でしたが薬はなくなすすべがありませんでした。
「私たちの満州での日々は何だったのか」。
次郎は無念でなりませんでした。
2週間かけて博多港に到着。
その半年後次郎は水戸の病院に働き口を見つけます。
病院勤務のかたわら自宅でも診療所を開き患者を診ました。
そして引き揚げから10年後親戚が近くで暮らす品川戸越銀座に梅宮医院を開業する事にします。
次郎はここでも往診に力を入れました。
近所に暮らす…次郎に何度も往診してもらいました。
その一方次郎には心配の種がありました。
それは長男の辰夫の事。
医者になる事を願っていましたが医学部に不合格。
法学部へ進学します。
すると間もなくその端正な顔だちで俳優にスカウトされます。
無論父の次郎は猛反対。
その後辰夫はすぐに主役に抜てきされ映画スターの階段を駆け上がっていきます。
昭和47年にはアメリカ人のクラウディアと結婚。
娘のアンナが誕生します。
ところがその2年後辰夫は体に異変を感じます。
睾丸に痛みが生じたのです。
数日後父次郎は辰夫を診察した医師に呼び出されます。
「辰夫くんはがんです。
肺に転移をしていて余命は半年です」。
衝撃的な言葉でした。
辰夫には告知できませんでした。
そのころの事です。
「息子を何とか助けたい」。
次郎は知り合いを頼って専門医を探し出します。
すると抗がん剤による化学療法で奇跡的に回復したのです。
私はそんな悪い人間なんですか。
その後も辰夫は映画やテレビで幅広く活躍します。
なるべく早く。
「医者になってもらいたかったけれどしかたない」。
次郎はそう言って笑っていたそうです。
改めてっていうか…だけど今見た…もう…申し訳ない…。
満州で次郎さんの病院に担ぎ込まれた元兵士の…梅宮家と共に無事帰国する事ができました。
その後サクソフォンをつくる会社を設立。
今や世界的なメーカーに成長しその製品は一流ミュージシャンに愛用されています。
「これも梅宮先生のおかげ」。
柳澤さんは自分の娘に梅宮家の長女マリさんの名前をもらいまり子と名付けました。
そして16年前76歳で亡くなる直前までよく話していた事があります。
それは映画やテレビで活躍する辰夫さんの事でした。
満州の病院で次郎さんのもとで看護師をしていた倉橋さん。
日本に帰国してしばらくしたある日街で映画の看板を見て驚きました。
昭和56年忙しく働いていた次郎さんは病に倒れます。
胃がんでした。
入院しても患者の事ばかり気にかけていました。
そして70歳で息を引き取ります。
満州で医師になって47年。
最期まで患者の事を思いその生涯を全うしました。
そんな次郎さんの姿を地元戸越銀座の人たちは今も覚えています。
そして次郎さんが始めた梅宮医院。
現在は同じ場所で孫の雅之さんが歯科医院を開業しています。
雅之さんにとって祖父が医師としての目標です。
梅宮辰夫さんの「ファミリーヒストリー」。
激動の時代に翻弄されながらも強く生き抜いた家族の歳月がありました。
ああもっともっとおやじと交わっておけばよかったなぁ…。
2015/04/10(金) 14:05〜14:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「梅宮辰夫〜満州にかけた夢 貫いた医師の覚悟〜」[字][再]
梅宮さんは満州生まれ。父は満州医科大出身のエリート医師。しかし、終戦で全てを失う。見つかった当時の患者や看護師たちが、その激動の日々を証言する。梅宮さんは号泣。
詳細情報
番組内容
梅宮さんは旧満州ハルビン生まれ。父は満州医科大出身のエリート医師だった。小児科医で、特に往診を大切にする医師として知られた。実はそこには、消すことができない記憶が。今回見つかった父の論文でそれが明らかになった。そして梅宮家は、ソ連の満州侵攻で全てを失う。当時の患者や看護師が見つかり、その激動の日々が明らかになる。梅宮さんにとって初めて知る事実ばかり。涙が止まらない梅宮さんは「父を初めて知った」と。
出演者
【ゲスト】梅宮辰夫,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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