NHK高校講座 日本史「立憲政治の開始」 2015.04.09


歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
館長の高橋です。
今回はテーマに入る前に前回のおさらいをしてみましょうか。
どんな事を学んだのか覚えてますか?オッペケペーの歌を歌いました。
(2人)ああ歌った〜。
自由民権運動の歌だったよね。
(2人)うん。
自由民権運動が盛んになったんだよね。
それから何だっけ…。
国会が出来る事になったんだよね。
あっそういえば国会のほかに大事なものがもう一つ出来るって言ってませんでしたっけ。
それって何なんですか?それはずばり…
(3人)あ〜憲法か。
はい。
それでは今回の重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…1889年大日本帝国憲法が発布されました。
日本の近代化を見据えながら作られた憲法。
それはどのようなものだったのでしょうか。
憲法に基づいて議会も開設されます。
立憲政治の運用は成功したのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…近代国家への大きな転換期を見ていきます。
立憲制って何だっけ?中学で習ったっけ?館長教えて下さい。
はい。
欧米で始まった政治制度なんですがそれまでのように例えば国王がですよ自分の都合で急に増税を決めたり気に入らない者を処罰したり。
そういう事はできなくなっていくんですね。
ああ憲法が大事だって事ですね?こみはる憲法って知ってるの?え〜っと聞いた事はあるけど説明するのは難しい。
館長憲法ってどういうものですか?いやその視点大事なんですよ。
日本の立憲政治は「憲法とは何か」「近代国家とはどんな国家なのか」これらを学ぶところから始まったんですよ。
(3人)う〜ん。
どんな事を学んだのか。
さあ憲法とは何なのか。
「三つの要」に沿って見ていこう。
その一。
18世紀の終わりごろの世界ではアメリカが合衆国憲法を制定しその後ヨーロッパでも次々に憲法が制定されていきました。
そして19世紀には…1882年政府の中枢にいた伊藤博文たちは…最大の目的は政府が近代化のモデルとしていたドイツでの調査でした。
しかしここで伊藤は立憲政治を行う事の難しさを目の当たりにします。
ドイツの近代化を成し遂げた中心人物ビスマルクが議会の反対にあい思うように政治を進める事ができないでいたのです。
混乱するドイツを後にした伊藤らはウィーンへ向かいます。
ウィーン大学の国家学者…近代国家の仕組みや制度に精通していました。
伊藤はシュタインの講義を1か月以上受け立憲政治について学びます。
シュタインの受講生の一人が書き写したノートです。
国家を人体のように表しています。
頭部が君主とすれば両肩が上院下院の議会。
胴体は政府のさまざまな機関。
人間の体のように国家もそれぞれの機関がそれぞれの役割を果たしてこそ健全な状態になるとされました。
ドイツで立憲政治の難しさを知りヨーロッパ各国で立憲制の仕組みを学んだ伊藤はこう記しています。
立憲政治を進めるためには憲法を作るだけでは駄目で国家としてのシステムを整える必要がある。
伊藤はまず制度作りに着手します。
1884年華族令を出し華族を5つに分け旧大名公家らに加えて…議会開設後彼らを議員として取り込むためです。
行政府として内閣を創設し自らが内閣総理大臣に就任。
議会開設に先立ち行政府の強化を図ったのです。
制度を整えながら憲法の作成も始まりました。
これはその資料や草案です。
諸外国憲法の翻訳や外国人法学者との問答集などがあります。
これらの資料を残した井上毅。
司法省の法律専門官僚として憲法草案作りに当たっていました。
1887年…ここにあった伊藤の別荘で伊藤や井上が中心となり憲法の最終草案が作成されました。
さあどうでしたか?立憲制の準備分かりましたか?
(3人)う〜ん…。
憲法が何なのかっていうのはまだあまりよく分かんなかったです。
う〜ん。
なかなか難しいですよね。
それではいつものように先生に教えてもらいましょう。
(3人)は〜い。
せ〜の。
(3人)小風先生よろしくお願いしま〜す!こんにちは。
(生徒たち)こんにちは!我が女学館の特別講師小風先生です。
(一同)よろしくお願いします。
憲法という事でしたね。
で憲法っていうのは国あるいは皇帝あるいは権力を持ってる人その人たちと国民との間の約束事なんです。
国民ももちろんそれを守らなければいけないけれども絶対的な力を持った人でもやっぱりその憲法を守らなきゃいけないって事になってるという…。
そうです。
でどちらが大事かと言うと実は…じゃあ何でわざわざ苦労してまで憲法を作ろうとしたんですか?だって憲法がなかったら好きなように政治できたんですよね。
好きなように政治ができる国は近代国家ではないからですね。
(3人)へえ〜。
(小風)立憲制の基本あるいは立憲国家の基本というのがまあ大本が憲法である。
だからもちろん憲法だけでは法体系になりませんからその憲法に基づいて民法刑法商法といったようないろいろな基本的な法律が出来上がっていく。
その事によって近代的な法体系というのが出来る訳ですね。
その事によって国民の権利が守られるあるいは権力が制限される。
そういう国であれば近代国家として認める事ができる。
あ〜なるほど〜。
憲法とは一体何なのか。
日本が憲法を急いで作ろうとしたその意味よく分かりましたね。
(3人)分かりました。
はい。
小風先生どうもありがとうございました。
(3人)ありがとうございました。
さあいよいよ憲法が出来上がります。
どんな憲法だったんでしょうか。
ここで「三つの要」その二。
1889年2月11日。
天皇が制定し国民に与える欽定憲法という形で日本で初めての近代憲法が発布されました。
これが…その内容を見てみましょう。
第一章は天皇についての規定です。
天皇は国家元首でもあり統治権を持っていました。
その権限には国務大臣の補佐だけでできる緊急勅令のほか議会の召集・解散条約の締結陸海軍の統帥などがありました。
しかし天皇の権限は…憲法に定められた内容だけに限られていたのです。
天皇の統治の下立法行政司法の三権分立がとられました。
天皇の立法権は帝国議会の同意が必要とされました。
帝国議会は貴族院と選挙で選ばれた衆議院の二院制で立法と予算の承認を行いました。
国民の義務と権利も明記。
納税・徴兵などの義務があり信教・言論・結社・居住・移転などの自由が保障されました。
政府と対立していた民権派もその進んだ内容を知り……とおおむね賛同しました。
こうして…東京中が祝賀ムードに沸きました。
やっと国の仕組みが出来たんですね。
この大日本帝国憲法外国からは非常に高い評価を得たんですよ。
またここで明記された国民の権利については当時の世界でも一歩進んだ内容だったんですよ。
(3人)へえ〜。
大日本帝国憲法は今の日本国憲法と比べますと民主的ではないといわれる場合もあります。
しかし当時としては先進国にひけをとらない内容だったっていう事がこうした外国の評価からも分かると思います。
じゃあすばらしい憲法が出来たから外国も認めてくれたんですね?いやいやいや。
当時の日本がこの新しい憲法を本当に運用できるのか。
世界中が今度はその事に注目したんです。
(3人)ええ〜。
ここで「三つの要」その三。
大日本帝国憲法制定と同時に衆議院議員選挙法も公布され第一回衆議院議員総選挙が行われました。
有権者は直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子のみ。
総人口の1.1パーセントにすぎませんでした。
しかし…先進国並みの水準でした。
結果は…政府系の吏党を上回り過半数の議席を獲得しました。
そして1890年11月第1回帝国議会がいよいよ開会。
世界中がその動向に注目しました。
軍備拡張を強調する山県有朋内閣と減税して国民の負担を減らそうとする民党が予算案を巡って激しく対立。
議会は混乱しました。
会期は延長されそこで政府側は一部予算を削減。
これに対し民党の中の一部が歩み寄り予算案に賛成票を投じます。
そして…最初の議会を解散する事なく乗り切る事ができたのです。
その後政府と民党は対立しつつも合意を図るようになり議会制が定着していきました。
民権派も政府側も議会ができた事を大切にし立憲政治を運用したいという点では目的が一致していたという事もあったようですね。
確かに議会の開設はみんなが望んでいた事でしたよね。
しかしですよ第2回以降はこうはいきませんでしたよ。
第6回帝国議会辺りまでは激しい対立のために解散もありました。
ですが結局のところ政府は予算を通すためには議会を無視できなくなり民党も対立するばかりでは自分たちの政策を実現できないという事を学びまして徐々に…こうしてどうにか立憲政治がスタートしました。
この実績を作った事が国際政治において新たな展開を生む訳ですがさあそれはまた次回。
(3人)ウフフフ。
さあここで我が校の特別講師小風先生に更に趣のある深いお話をお聞きしましょう。
先生改めてよろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
深い話になるかどうかは分かりませんが面白い話にしてみたいと思いますが。
憲法発布のもう一つの側面という点についてちょっと考えてみたいと思いますがそのヒントとなる絵がありますのでちょっとご覧下さい。
(生徒たち)きれい!何かすごい。
おお〜きれいですねこれ。
錦絵。
(小風)憲法発布を祝った錦絵はたくさん出てるんですが私はこの絵がですね一番憲法発布が当時の日本人にとってどういう意味を持ってたのかという事を知るには非常にいい絵だと思ってますので。
さあこの絵の中から何か楽しいもの見つけて下さい。
あっ演奏してますよ。
演奏してますね。
すごい。
ここに象がいますね。
象がいますね。
(込山)傘。
すごい現代みたいな傘ですね。
洋傘ですね。
(小風)洋傘ですね。
そしてなぜか侍がいますね。
(小風)いますね。
何でですか?武将が。
どういう意味なんだろう。
(小風)私はそれがこの絵の一つの重要なところであると思ってます。
憲法が発布されたのは2月の11日でした。
2月の12日に天皇は上野に行幸します。
江戸の市民たちにとってみれば上野という場所が20年前に戦いがあって江戸が滅んだ戦争が起こった場所ですね。
そこに憲法が発布された翌日に天皇が行く。
江戸市民にとってみれば上野の戦いの死者たちあるいは江戸の人たちに対する魂をこう慰めに行くと。
天皇と江戸の和解。
幕末からこの明治22年までの間にいろんな対立が起きました。
幕府と政府との対立もそうですし西南戦争のような形での士族反政府。
それから自由民権運動いうような形で対立を続けてきている。
しかしその対立は何のための対立だったかと言うと…それが明治22年の憲法が出来る事によってその目的は達成された訳です。
で達成されたという事は今までの対立をそこで帳消しにして…ここに込められているというふうに読めるのではないかと思って…。
深いですね。
深いよね。
すごいね。
(一同)ありがとうございました。
でもこういうの作り上げた演出家っていうのはやっぱりいたんでしょうね。
いたと思いますね。
やっぱり秋元先生いたんだよ。
この時代にも。
いたのよ。
2015/04/09(木) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「立憲政治の開始」[字]

日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)

詳細情報
番組内容
国会開設を公約した政府は伊藤博文をヨーロッパに派遣して近代国家の憲法や諸制度を調査させた。そして1889年に大日本帝国憲法を発布する。翌年、憲法に則って衆議院議員総選挙が行われ、第1回帝国議会が開催された。伊藤たちが作った憲法はどんな内容だったのか? そしてそれはどんな評価を受けたのか? 憲法がこの時の日本にとってどんな意味を持っていたのかも考えながら、立憲政治の開始について考えていく。
出演者
【講師】お茶の水女子大学大学院教授…小風秀雅,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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