食堂がオープンしてから、およそ30分で終了しました。
無料朝食の提供は、今月いっぱいまでです。
(黒柳)今日のお客様は13年ぶりにおいでくださいました。
前の時も随分お若かったんですけどもますますお若いけど色んなくせのある難しい役を得意となさる俳優さんでいらっしゃいますが。
2人の息子さんのお父様でもいらっしゃいます。
私びっくりしたんですけど…あとで伺うんですけどフランスの舞台にも出ていらしたりなんかなさったっていうんで大変だったろうなと思って。
とても楽しみにしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
渡部篤郎さんです。
渡部篤郎さん。
はい。
とても今日は久しぶりにお目にかかるの楽しみにしてまいりました。
なんかこの間六本木のレストランで?私はお見受け…。
見たって?私のこと。
声かけて…。
いやいや。
なんかね大勢の方といらしてて。
大勢でもないですよ。
あの時はねうーんと…なでしこの…。
澤さん。
澤さんとそれから清水ミチコさんと3人だった…。
ちょうど次男の誕生日をやってまして。
あっそうだったの?横のお部屋で。
ああ…どこかでそういえばバースデーの声聞こえてたような気がする。
でもそうですかそうですか。
お元気で何よりでした。
初めて出ていただいた時は19年前でした。
ちょうど伊丹十三さんの『静かな生活』あれに出ていらした時だった。
そうですね。
あれであなたはあれですよね日本アカデミー賞の新人賞とそれから優秀主演男優賞もお取りになって。
はいいただきましたね。
これは大江健三郎さんの息子さんの光さんをやった…。
モデルにして…。
「イーヨー」って呼ばれてた時の…。
ちょっとその時のお話を…。
19年前のご出演ですよ。
ちょっと見ていただきます。
「終わってひと月…ふた月ぐらいかな?」「やっぱり…抜けなかったっていうのかな?」「僕はね変わってないと思うんですよ。
きっちり分けてやってるつもりでいるんですけれどもね」「やっぱり入ってたんでしょうね」「あなたのお子さんがあの映画の中に瞬間お出になってらっしゃるのね」「赤ちゃんの役だったんですけど。
これ…」「いいですよ。
見せてくださる?」「この…なんですけど」「そうなんです」「光さんがその子を抱き上げるところがあるんですよね」「ワンシーンだったんですけれども」「伊丹さんが特にこれをお好きだったんでしょ?きっと」「記念にこれにサインしてくれて」「面白いのね伊丹さんって。
下に描いて…」「あの方画家でもあるんだけど下に色んなこと描いてあって。
それに…」「こういうなんか図がありまして裏にね…」「裏に全部図解…」「ちゃんとその説明がありましてね」「あの方もご自分の2人の息子を育てるのに随分“子育て十三”って言われた時期があったんで」「まあでも僕は自由に育てようかなと思ってますんでこれに近いんじゃないですか?」「なるほどね。
近い」「この泣き顔を見ると随分健康そうな…」「もう丸々ね」「すごいですよやんちゃで」「やんちゃ?本当もう見るからに健康優良児」「後にもしこのあなたの子供が俳優になれば初…」「1作目ですか?」「1作目は…」ああいう話をしていらしたんですよあなた。
ねえ…。
びっくりしますね。
私も…。
あの子今いくつになったって?二十歳になりました。
うわー!本当?もう二十歳になった?ええ。
なんか今は小説家になりたいと言って…。
ああ可愛い。
あの右側なんかそうなんですけどね。
右側の子がそうなの?そうです。
一番右側?そうですはい。
随分背高くない?高いですよ。
僕よりか高いですからね。
そうなの?すごい。
あとこれ洞窟に入ったのでヘルメットをかぶってるのでちょっと高く見えると思うんですけど。
それで小説家を目指して?そうみたいですね。
ええ。
舞台脚本家にもなるべく?それはなんか…お話をいただいて何でもねチャレンジするっていうことで…。
僕は一切あれやりなさいこれやりなさいと言ったことないですので。
自分で考えて?はい。
考えてやってるみたいで。
それでインターナショナルスクールにもお入りになって。
色んな国の言葉できたほうがいいですよね。
突然でもね辞めたんですよ。
辞めたというかその…。
インターナショナルスクールを?はい。
あの…文芸学校みたいなところを中学を卒業する時に自分で勝手に受けてたかして…。
事後報告ですよだから。
そこを受かったのでこちらに変えさせてくれないかっていうので子供から言われまして。
あなたどうしたの?いやもう僕はもう何もそんな…言うあれもないですから。
とにかく思うようにやってごらんなさいっていうことだけで。
好きに…あれですけどね。
じゃあ好きにやってるようだ…。
はいええ。
もう一人の男の子は?16歳高校1年生ですね今。
高校1年生。
はいええ。
彼はインターナショナルスクールにまだ通ってまして。
なんかまあ元気にやってますね。
その子は何かこれをやりたいあれがやりたいっていうことはない?今はねまだね…。
ちょっと長男と違って…長男は何でも相談してくるんですけど次男はねそこまで相談してこないんですよねなんかね。
でなんか英語とかももう普通に喋れるのでなんかロサンゼルスのほうに行って自分の入りたい学校があったりとかなかったりとかで…。
なんかそんな話は少ししてくれますけどね。
ふーんそうか。
でもまあ俳優になろうとかそういうふうには2人とも思ってない?思ってないんじゃないですかね。
大変そうに思うんだねきっとね。
どうなんでしょうかね?うーん。
でもなんか運転免許を取りに行ったら日本語が駄目なんで先生についたっていうのはどっちの子なの?次男ですね。
次男?日本語の授業って受けたことないので今までに。
なんか駄目らしいんですよね。
うん。
なのでアメリカ人の先生が来る…やってるやつに受けに行かなきゃいけないみたいなんですね次男のほうが。
あっそうなの?免許?免許証を…。
そういうふうになってるの?へえー。
じゃあその子は英語で取ったの?今通ってる最中かな?最中?フフッ不思議だな。
でお父さんとは日本語で話してるの?日本語ですもちろん。
あっそう。
でもあの『静かな生活』のロケ風景見せていただいたじゃない?あの時。
あれで賞をお取りになったの本当よかったですよね。
そうですね。
なんかでも今思うとそういう重さとかは一切感じてなかったんじゃないですかね。
うーん…。
当時はわかってなかったですね何にもね。
それでほら大江健三郎さんのお家でしかもその息子さんが…光君って天才的な音楽家には今なってますけど。
やっぱりちょっと演じるのには難しいっていう人をあなたやってたわけだから…。
そりゃそうでしょうね。
色んなこと考えたと思いますよね。
そうですね。
でもまだ若くて…俳優で生きていこうとかっていうすごいそこまでの強い信念もなかったですし。
あっそう?あの頃。
ええ。
あっそう?あんなに向いてらしたように思ったのに…。
なんか忙しくてずっと。
で一つ一つこなしていくっていう作業だけで…。
忙しかったこともあったんでしょうねきっとね。
なにかまあ…知的障害者の方の役をやらさせていただいたんですけどなんか割と…それに賛成しない親御さんの方もいらしたりして割とちょっと風当たりが冷たいところもあったんですね。
そういう施設とかに見に行った時にね。
でもそういう時になんかねちょっと…少し弱まってたりもしましたねその当時は。
あっそう?やっぱりそうでしょうね。
ちょっとコマーシャルを挟んであの時にね光さんがね…。
まあ伊丹十三さん亡くなっちゃって残念ですけどあの時監督やっていらして。
それで大江健三郎さんのお家の出来事を…映画になってたんだけど。
その時に息子さんの光さんがあなたのことをイーヨーだって。
自分のことをやってる人だっていうのが彼がわかって…。
びっくりしましたねそれはね。
なんか…帽子?あなたがかぶってた帽子。
素敵な帽子だと…。
そうそう。
「あれ素敵な帽子」ってねイーヨーが。
この帽子ね…。
これのことだったのかしら?ちょっとその話で泣いてらっしゃるとこあるんですよ。
その時私びっくりしたの。
ああこの方は本当に感受性のある方だなと思ったんですけど。
ちょっとVTR見てみます。
「ああいうふうにイーヨーが言ってくれた時はやっぱりうれしかったですか?」「うーん…」「うーん…すいません」「まああの…ちょうどオーチャードホールでやってる時に伊丹さんも舞台に上がってお話をしてくだすって」「このことをねやっぱり言って…。
渡部君がその時ね涙してとてもいい俳優だったんだっていう話が出たんだけど」「その時にあの帽子も結構凝ったしねって…」「あれこれ凝った帽子だったしっていう…」「なんか一番こう…話をしたかった人に…」「まさか僕のことを…」「僕に興味を示してくれるとは思ってなかったしそれまで」「なんていうのかな?」「うーん…」「個人的にね一人の男として色んな悩みもあるわけですよねその役に対してね」「なんか彼の…光さんのなんかあの言葉で癒やされたっていうか…」いい話でしたね。
いい話でしょ本当。
あなたの帽子見てね「いい帽子」って言って。
自分をあなたがやってくれてるっていうかあなたがイーヨーだっていうことがわかってたっていうことがうれしかったんだって…。
そうですね。
…ということねありましたよね。
なんかまあもう本当…当時どれだけ心細かったかっていうのがもう覚えてないんですけれども。
本当に果たして私はこの役をやっていいのだろうかぐらいまで思ってたんじゃないですかね?伊丹監督からも「いやふざけてやってるわけじゃない」と。
「これは映画なんです」と。
「それ君も一生懸命やってることだから堂々としてなさい」みたいなことを言われてて。
でもやっぱり最後にね光さんに…何だろう…。
まあ喜んでくれていたんですね。
うん光さんがね。
自分のことだっていうことでね。
自分のことをあなたがやってくれてることがわかりあの人はイーヨーだって…。
癒やされましたね本当に。
本当ね。
だから本当にやってよかったっていう気持ちはあったと思いますあの時ね。
さて話変わるんですけどあなたお子さんと時々旅行行くんだって?色んなとこ。
そうですね。
もう暇があったら…どっちかっていったら付き合ってもらってる感じですかね。
もう大きくなっちゃったからね子供が。
でも去年もハワイ島に行ったりとかして。
へえー。
スポーツみたいなことやるの?やりますねあの…。
これは…カヌーですねこれは。
どこ?これ。
これはね西表ですね。
へえー。
西表島に行ってやりましたね。
上の子二十歳っていって下の子いくつだっけ?これはねもう3〜4年前なので…下の子16ですけどこれはもっとちっちゃかったですね。
もう少し小さい時。
これは北京ですね。
天壇公園ですね。
へえー。
これは紫禁城のところですね。
あっそう。
やたら世界遺産に興味がある2人で。
面白いね。
ええ。
どこかに行きたいって言ったら必ず世界遺産をまず言ってくるんですよね。
どうしてなんだろう?わかりません。
なんか知らないけど「世界遺産行きたい」「世界遺産行きたい」って…。
でもまあねそういう子供たちと一緒に旅するのもいいし。
子供たちには子供たちなりの何かあなたとはまた違う記憶があるだろうしね。
そうですよね。
でもあなたは少年の頃は映画少年で随分映画を見たんですって?そうですね。
割とその…今みたいな時代じゃないですからね。
ほとんど映画館でしたね。
映画館行って。
ええええ。
そういうDVDとかもなかったですからね。
行ってましたね。
年間100本ぐらいは見たとかっていうようなお話してらしたと思いますけども。
なんか近所にパン屋さんがあってそのパン屋さんのおじさんが食券…食券じゃないや。
映画館の…?半券みたいなのを。
半額券ですかね。
半額券。
それもロードショーのものじゃないんですよ。
リバイバルのもので2本立てとかやってるやつで。
…をいただくんですけどね。
でもそれでもねいいですよね。
お金出さなくて見られたらね。
私なんかもうちょっと若い時は8本立てっていうのがあってね。
恵比寿の映画館で。
エビス本庄っていうところでね。
すごいですよ。
1日8本立てっていうのは朝10時頃行くんですよ。
お弁当を2つ持っていって夜の10時までずっと見てるの。
気持ち悪くなる途中でちょっとね。
そうですよね。
16時間…2時間だとしても。
そうすると一回廊下に出てねちょっと深呼吸してまた戻るっていうね。
でもそれだけ見て…8本立て見てもね話がごちゃごちゃになりませんでしたね。
あれはあれあれはあれって…。
フランスの名画ばっかりだったんですけどね。
最初に見た映画何だか覚えてらっしゃる?一人で行ったのは『がんばれ!ベアーズ』じゃないですかねたぶん。
そしたら何野球やろうなんて思っちゃう?野球やりましたねはい。
また『ロッキー』を見に行ってボクシング始めましたからね。
あなたそういうの影響されやすいの?フフフッ。
『がんばれ!ベアーズ』見たら野球だなって言って『ロッキー』見たらじゃあ今度は拳闘だボクシングだなっていうそういうふうな。
でもそうですよね。
私たちものすごくやっぱり確かに映画を見て…。
オードリー・ヘプバーンなんて見てオードリー・ヘプバーンとはもう似ても似つかないのにオードリー・ヘプバーンが切れば自分も切る。
ぺたんこの靴履けば自分もぺたんこの靴履くってね。
本当に影響されてましたよねああいうのってね。
今でも変わんないですよ私は。
やっぱりそう?割と影響されますね何でも。
見ると?見ると。
それにしても私びっくりしたんですよ。
今度お会いする前にちょっと調べて。
フランスいらして。
はいええ。
フランスの舞台に出ていらしたっていうんでね。
はい。
約1年間ですね。
『ヒロシマ・モナムール』?そうですね。
あれ日本では『二十四時間の情事』でしたっけね?アラン・レネ監督の岡田英次さんがやった。
そう。
岡田英次さん。
はいええ。
あれを舞台で?舞台でやりました。
あの日本人の男の人をやった?そうです。
ああこれですね。
これはアヴィニョンのこれは演劇祭の時に出た時ですね。
これは修道院の跡地でその演出家は元々ここでやりたいって言ってその修道院の跡地に建てられるセットを造ったんですね。
だからこれを全部移動させて色んな劇場でやったんですけどね。
本当?これを移動させたの?はい。
すごいわね。
でも全部フランス語なんですって?そうです。
フフフッ。
どのぐらい勉強したの?いやー…。
想像つかないけど。
2か月…1か月ぐらいですかね?演出家が日本に来ましてこういう話があるんだけど興味ないか?って言われて。
でも…何をやっていいのかわからないですしすごく時間もアバウトでこんなこと考えてるんだぐらいだったんですよその時のお話は。
それから1年後ですね。
1年後にまた電話がかかってきて…。
もう忘れた頃。
ええ。
ちょうどもう来月ぐらいから稽古をやりたいんだけど来れないか?って言われたんですね。
急じゃないですか。
ちょうど僕その時日本にいたくなくて。
あっそう。
他のもの入ってなかったの?テレビやなんか。
そうですね。
へえー。
まあ行ってしまえば何とかなるだろうと思って。
あと今だからあれなんですけど…。
かっこいいじゃないですかなんかフランス語で。
まあそりゃフランスのね芝居なんか出ちゃって。
行ってフランスでやってるんだっていうことがかっこいいなと思って。
それで引き受けたもんなんですけど。
まあいいじゃない。
かっこいいから。
行ったはいいですけどね。
もう本当に言葉もわかんないですし冬で…お稽古はねパリ…。
英語かなんかだとどこかでわかるっていうことがあるかもしれないんだけどフランス語は本当にわかることが何もないっていう感じでしょ?そうなんですよ。
ちょっとセリフの部分だけ日本で練習していったんですけれどもまず通用しないって言われたんですよね。
もう駄目って?お前の言ってるフランス語はフランス人にはわからないからって言われて。
だから毎朝10時から2時間そういう先生に来ていただいて。
冬って仰った?今。
冬で寒い時?ええ。
冬のパリとかって…。
そりゃ寒いですよすごく。
寒々した…。
ちょっとね…。
ちっちゃなアパートに僕住んでましたのでなんかお湯が出なかったりとか。
あっそういうところはね。
セントラルじゃないので1日量って決まってるじゃないですか。
誰か使っちゃったらもう出ないっていう…。
台本見たってわかんない時あるよね。
フランス語の並んでるのね。
そう…。
でもその先生の方がすごく一生懸命やっていただいて本当にあの…フランスの方でも聞き取れる…。
ぐらいにはなった?ええええ。
すごいですね。
舞台っていうのは映画と違ってやっぱりかなり強調するところは強調しないと見てる人がわからないって言われる…。
英語の場合もそうですけどね。
それで約1年ぐらい行ってましたね。
しばらくちょっとあなた見ないなと思ってたけどそこ行ってたのね。
実際やってみて…向こうの女優さんと?すごくいい経験になりましたね。
そういう演劇…。
僕は元々演劇こっちで日本でやってないので。
なんかそういう…フランスのコメディ・フランセーズとかそういうところのすごい優秀な人たちがね国立のところに入って…。
コンセルヴァトワールとか。
そのメンバーたちとやるんですけどやっぱり…なんだろうやっぱり…何でもできますよね。
すごく訓練されてるなと思いましたね。
柔軟でね。
なんかその時お母様も?来ましたね。
それで僕は一度…ちょっと嫌になっちゃって…行ったはいいんですけど。
そりゃあね。
ええ。
ちょっと色んなトラブルもあって一度帰りたいって言って帰ってきたんですよ1日。
本当に1泊3日で帰ってきたんですよ。
たまたままた戻る時に母もパリは行ったことなかったのでじゃあ一緒に行こうかって言って行きましてね。
でもなんか…ちょっと病弱なんでちょっと調子悪いって言って病院行ったらそのまま入院ですよね。
お母様?パリで?パリの病院に。
あら。
大変でしたねそれは。
大変ですよ。
そういうのだってみんなフランス語なわけじゃない考えてみりゃ。
そうですよね。
3日間ぐらいでも入院して。
でも3日間でよかった?全然ええ。
全然大丈夫でしたけどね。
あっそう。
そういう時は通訳とかっていうのはつけないの?基本はいないですね。
あっそう。
お芝居する時に少しいたぐらいかな。
あっそう。
いやーよく行ったなと思いますよ自分でも。
私だってびっくりしちゃう。
それで何語だってびっくりしちゃうけどフランス語っていうのはびっくりしちゃう。
それでほらフランス語って大体難しい…。
あのガーってさ発音が難しい。
「ボンジュール」ってさ…。
私も5年ぐらいやりましたけどやっぱり途中で諦めましたけどね。
文法も難しいとこもってきてね。
住んでれば少しはいいかもしれませんけどね。
でもとにかくフランス語でそうやって66公演全部でやったんですって?そうです。
すごい。
それだけ舞台やれたんだったらすごくいい経験ですよねそりゃあね。
それはおめでとうございました。
ありがとうございます。
ところでテレビ朝日のドラマ。
とても怖い題名なんですけど。
『天使と悪魔』ですね。
『天使と悪魔』ええ。
明日からです。
明日の夜11時15分からなんですけど。
これなんか不思議な日本にあんまり今までない…。
そうですね。
司法取引を導入した…。
未解決事件をそれで解決していくというドラマなんですけど。
あなたは何の役なの?僕は弁護士です。
あっ弁護士?ええ。
ブルジョア弁護士です。
ブルジョア?ブルジョアは別にあれなんですけど…。
ちょっと見せていただきますね。
あっあるの?うれしいな。
(蒔田ヒカリ)絶対に証拠をつかんで無念を晴らします。
(茶島龍之介)弁護士の茶島と申します。
警察と弁護士が未解決事件を追う
迷宮入りした2つの事件
男女の関係だったようです。
(吉川美加子)主人は生きています。
禁断の交渉が始まる
司法取引です。
(神楽坂遼一)この国ではまだ認められていないからね。
あなたがやったんですか?ほう。
面白そうですねなんかね。
随分丁寧に。
刑事ドラマはねいくつかやらさせていただいてあれなんですけど。
すごいしっかり台本が書かれてますね。
なんかそうみたいに思いますね。
見て差し上げてくださいね。
そうするとこの方ももうちょっとテレビドラマに出る気になるかもしれない。
何を言ってるんですか。
やってますよ。
フフフッ。
でもあれなんでしょ?これから大体仕事をやるにあたって仕事…定年っていうのはないしとかさ色々考えるんだって?若い時はねなんかいくつになったら…。
別に具体的な数字じゃなかったんですけど辞めてなんかゆっくりしたいなと思いましたけどね。
フフフ…。
それがわかんないの私。
よく若い人がね辞めてゆっくりしたいって言うんだけどゆっくりして何するんだろうなと思うんだけど。
でも思ったの?思いましたね。
遊ぶのが私好きなんでなんかゆっくりハワイでもいたいなって思いましたけどね。
まあ…またちょっと変わってきましたねそれはね。
ちょっともうちょっと仕事してもいいんじゃないって?もうどんどん難しくなってきてますからね。
その年齢もねやっぱりこう上に行くとそれなりのポジションとか…。
そりゃそうですよね。
そうそうそう。
立場もありますからね。
まだまだそこはちゃんとやっていかなきゃなと。
でももうねあれですよ。
長生きして色んな役をどんどんやれるようになってもう他に誰もあなたのような年齢の人がいない時どんな役でも全部あなたが…。
じゃあお互い…。
ありがとうございます。
本当にありがとうございました。
ありがとうございます。
渡部篤郎さんでした。
このあとも引き続き『ワイド!スクランブル』皆様どうぞご覧ください。
2015/04/09(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 渡部篤郎[字]
〜思わず涙が…実力派俳優の素顔〜渡部篤郎さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
俳優・渡部篤郎さんが13年ぶり『徹子の部屋』に登場。ドラマ以外ではあまりテレビに出ることのない渡部さんが素顔を語る!
◇番組内容
約20年前、初めてのトーク番組出演が『徹子の部屋』だった渡部さん。当時は、映画『静かな生活』で日本アカデミー賞新人賞・優秀主演男優賞を受賞、その映画に10カ月だった長男が出演した事を嬉しそうに話し、思わず涙をこぼすなど繊細な一面をみせた。それから月日は経ち、映画に出演していた長男も20歳に、その後誕生した次男は16歳に。一緒に世界遺産を旅したり、子ども達との時間を楽しむ様子を語る。
◇おしらせ
★4/10(金)24時24分からは、新番組『金曜ナイトドラマ 天使と悪魔−未解決事件匿名交渉課−』
迷宮入りした未解決事件の真相に「司法取引」という禁断の交渉で迫っていく!“警察官×弁護士”の異色バディが人間の裏の顔を掘り下げた時に見る衝撃の真実とは…
【出演】剛力彩芽、渡部篤郎、長谷川朝晴、内藤理沙、中村静香、荒川良々、宇崎竜童
◇おしらせ2
☆『天使と悪魔−未解決事件匿名交渉課−』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tenshitoakuma/
☆『徹子の部屋』番組HP
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