ニュース「両陛下パラオご訪問 ペリリュー島で慰霊」 2015.04.09


国会中継の途中ですが、この時間は天皇皇后両陛下のパラオ訪問についてお伝えします。
戦後70年に当たり、太平洋戦争の舞台となったパラオを訪れている天皇皇后両陛下は、先ほど、激戦地のペリリュー島に到着されました。
このあと、慰霊碑に花を供えて、戦没者の霊を慰められます。
きのう夕方、パラオに到着した両陛下は、空港での歓迎行事や、レメンゲサウ大統領夫妻との会見に臨まれました。
夜には歓迎の晩さん会に出席されました。
両陛下は、一晩宿泊した海上保安庁の巡視船をヘリコプターでたって、午前10時前、ペリリュー島に到着されました。
このあと、島の最南端にある、日本政府が建てた西太平洋戦没者の碑を訪ねられます。
両陛下は、パラオでの戦闘に参加した元日本兵や、犠牲者の遺族らも見守る中、日本から持参した白い菊の花束を慰霊碑の前に供えて、戦没者の霊を慰められます。
両陛下が、戦没者の霊を慰められるペリリュー島は、太平洋戦争で日本とアメリカの激しい戦闘の舞台となりました。
ペリリュー島は、パラオ本島の南、およそ50キロにあります。
戦時中は日本が統治していました。
この島の飛行場が、戦略上、重要な意味を持ちました。
終戦の前の年、アメリカ軍が侵攻。
持久戦を命じられた日本軍は、洞窟やトンネルに籠もりながら戦いました。
2か月余り続いた激戦の末、およそ1万人の日本軍はほぼ全滅。
アメリカ軍の死者も千数百人に上る壮絶な戦いでした。
アメリカ軍は、10キロほどさらに南のアンガウル島にも上陸していました。
この島を守っていた日本軍およそ1200人もほぼ全滅しました。
今は平和を取り戻したペリリュー島。
しかし、一歩、島の奥に入ると。
横倒しになった戦車。
朽ち果てた高角砲。
激戦の爪痕が、至る所に残っています。
亡くなった日本兵のうち、およそ2600人の遺骨も残されたままです。
今回の両陛下の訪問に合わせて、ペリリュー島を初めて訪れた遺族もいます。
傳田忠子さんです。
この島での戦いで、父親を亡くしました。
ペリリュー島などで亡くなった戦没者を慰霊するため、日本政府が島の南端に建てたのが西太平洋戦没者の碑です。
まもなく天皇皇后両陛下を迎えます。
それでは、けさのペリリュー島の様子です。
現地はきょう、晴れ時々曇り。
情報によりますと、現在はすでに30度近い暑さになっているということです。
この時期は雨季に入る前で、比較的、天候が安定しているそうですが、湿度が90%近くあり、大変蒸し暑いということです。
日本との時差はありません。
こちらが西太平洋戦没者の碑です。
ペリリュー島の南端にあります。
慰霊碑に向かって左側が北、遠く離れた日本の方角に向けられています。
パラオの島々や、周辺の海などで亡くなった戦没者を慰霊するため、日本政府が昭和60年に建てました。
南西の方角には、アンガウル島が見えます。
ここでも激戦が行われた末、多くの日本兵、そしてアメリカ軍兵士が亡くなりました。
慰霊碑には、先の大戦において、西太平洋の諸島および海域で戦没した人々をしのび、平和への思いを込めて、この碑を建立すると記されています。
新しい情報が入ってきました。
天皇皇后両陛下を乗せたバスが、慰霊碑に到着しました。
バスが止まりました。
皇后さまの姿が見えます。
けさ、ペリリュー島に到着された天皇皇后両陛下、今、バスから降りられました。
これから慰霊碑に向かって進まれます。
現地の方、関係者が、両陛下を迎えます。
厚生労働省の村木事務次官が出迎えます。
天皇皇后両陛下です。
パラオのレメンゲサウ大統領夫妻、そしてミクロネシアとマーシャル諸島の大統領夫妻とあいさつを交わされています。
天皇陛下は、熱帯のパラオの正装にならい、アイランドフォーマルと呼ばれる、開襟シャツの姿です。
強い日ざしが照りつけています。
ペリリュー島の現在の様子です。
天皇皇后両陛下が、慰霊碑の前に到着されました。
慰霊碑に進まれます。
今、村木次官から説明を受けられています。
これから西太平洋戦没者の碑に進まれます。
そして日本から持参した白い菊の花束を供えることになっています。
ペリリュー島の慰霊碑には、現地の関係者、そして多くの報道陣などが、すでに集まっています。
今、厚生労働省の村木次官から説明を聞かれています。
戦後70年にあたり、太平洋戦争の舞台となったパラオを訪れている天皇皇后両陛下は、先ほど、激戦地のペリリュー島に到着されました。
まもなく慰霊碑に花を供えて、戦没者の霊を慰められます。
両陛下が慰霊碑に進まれます。
日本から持参した白い菊の花束を受け取られました。
天皇皇后両陛下が、慰霊碑の右側へと進まれました。
ペリリュー島に近いアンガウル島について説明を受けられています。
この時間は社会部の佐々木デスクとお伝えしていきます。
佐々木さん、このアンガウル島でも激しい戦闘が行われたんですよね。
アンガウル島は、ペリリュー島の南西およそ10キロにあります。
小さな島なんですけれども、肉眼で見えまして、ここでは日本軍の守備隊、およそ1200人がほぼ全滅しています。
またアメリカ軍も、260人の戦死者を出しています。
ペリリュー島と同じく、激しい戦闘が行われた地域です。
このアンガウル島について今、説明を受けられています。
この場所から、アンガウル島をはっきりと望むことができます。
天皇皇后両陛下がアンガウル島にも、深く頭を下げられました。
天皇皇后両陛下がペリリュー島の西南端に位置する慰霊碑に一礼をされ、そのあと、アンガウル島に向かっても、一礼されました。
今は、地元州政府の関係者などと、これからあいさつを交わされます。
社会部の佐々木デスクとお伝えしています。
佐々木さん、慰霊を終えられた両陛下が今、地元の関係者の皆さんとまず、ことばを交わされていますが、どういった方々なんでしょうか。
ペリリュー州の知事など、地元の方々が並んでいます。
ペリリュー州の知事なんですけれども、おととい、この天皇陛下に会う機会について、両陛下がペリリュー島を訪れるのは、貴重な機会なので、これを機に、友好関係を続けていきたいと話していました。
また先月には、ペリリュー島にたくさんの日本兵の遺骨が残っているんですけれども、新たに始まった、遺骨収集のための調査にも立ち会いました。
今も残っている、日本人の遺骨を日本に戻せるよう、協力していきたいという考えを示していました。
戦時中、ペリリュー島では激しい戦闘が行われたんですが、島の人たちは強制疎開されたということですね。
そうですね。
島の方々は強制疎開されて、戦闘に巻き込まれることはなかったんですけれども、一方で、疎開先で空襲に遭ったり、あるいは食料が届かなくて、ひもじい思いをしたという方もいまして、そういう意味では、戦闘の爪痕はペリリューの方も受けられています。
このペリリュー島をはじめ、パラオと日本の関係ということについては、戦後もずっと続いてきたわけですね。
そうですね。
パラオに関しては、いわゆる親日国といわれています。
一番大きいのは、第1次世界大戦後に30年にわたって、日本が統治をしたんですけれども、第1次世界大戦を経てですね、その間にやはり、多くの日本人が移り住んで、日系人の方が多いんです。
今、パラオ人の国民の4人に1人は日系人といわれていて、それほど日本に対して近い関係を持っているということです。
今回の両陛下の訪問を、現地の皆さんはどのように受け止めているんでしょうか。
そうですね、両陛下に対しては、きのう、晩さん会もありましたし、沿道には非常に多くのパラオの方々が出られて、熱烈な歓迎を両陛下は受けられていました。
やはり親日的ということもありまして、両陛下が来られる機会というのに、ぜひお会いしたいという方々が多かったように思います。
地元関係者の皆さんと、にこやかにことばを交わされている、天皇皇后両陛下です。
このペリリュー島関係者の隣には、日本軍の元兵士、そして遺族の皆さんがいらっしゃいます。
今、天皇陛下がことばをかけられています。
佐々木さん、今回の訪問に合わせて、多くの方が、日本から、この現地を訪れたということですけれども、今、両陛下とことばを交わしている皆さんは、どういった方々ですか?
やはり両陛下が来られるということで、そのために合わせて、ペリリュー島に渡られた方もいます。
特にご高齢の方が多くて、元兵士の方で、土田喜代一さん、元海軍の兵士の方なんですけれども、ペリリュー島で最後まで戦って、生き残った34人の1人です。
この方、これまでペリリュー島に13回訪れていたんですが、95歳という高齢で、もうなかなか来ることはできないだろうと思っていたんですが、今回、両陛下が来られるということで、14回目の訪問を果たされています。
この土田さん、ペリリュー島に入った際には、きょうのことについて、亡くなった戦友たちは、両陛下にお会いするのを最大の喜びと感じて、楽しみにしていると思いますと話していました。
またご遺族の方もたくさん来られています。
初めて来られる方もいますし、20年ぶりにこちらに来られたという人もいます。
そういったことからも、今回の両陛下のパラオの訪問が実現したことは、どういった意味を持つというふうにいうことができますか。
両陛下なんですけれども、日本を出発する前に、今回の訪問について、天皇陛下がこうおっしゃっています。
太平洋に浮かぶ美しい島々で、悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思いますと述べられています。
戦後70年の節目にあたって、過去の戦争を決して忘れてはいけないという強いメッセージを伝えられたんです。
今回、遺族の方ですとか、あるいは生還した元兵士の方を取材しますと、やはりこのペリリュー島の激しい戦いというのが、日本の人たちにあまり知られていないという思いを強く持たれていました。
ですから、今回、天皇皇后両陛下の訪問を機に、この激戦地、ペリリューのことが知られることになるんではないかと期待する人が多かったんです。
天皇陛下の元側近の方も、結果として両陛下訪問が、結果として、今までペリリュー島を聞いたこともなかった人が、そこで起きたことを知ることになる。
それが非常に大きな意味のあることだと思うと話していました。
そういった意味では、元兵士の方、遺族の方にとっても、このペリリューで何が起きたのか、パラオで何が起きたのかということを、この機会に知ってほしいという気持ちが、強くあるということですね。
そうですね。
ペリリュー島というのは、ダイビングスポットとして有名で、多くの若い人が観光に来るんですけれども、天皇皇后両陛下がこちらを訪問するということが決まってからは、ペリリュー島のあちこちに残っている戦車ですとか、あるいは日本軍の洞窟陣地の跡を訪れる人も増えているということです。
現在も、天皇皇后両陛下は、今回の訪問に合わせて島を訪れた元兵士の方や遺族の方にことばをかけられています。
佐々木さん、天皇皇后両陛下、こうして丁寧に地元の人や関係者の人、遺族の方などに声をかけられている様子が印象的ですね。
そうですね、やはり両陛下のご公務のなさりようとしては、一人一人丁寧にお話をされるという場面が目立つんですけれども、例えば去年、沖縄に訪問された際は、学童疎開船、対馬丸の生存者ですとか、遺族の方と懇談されました。
このときも、予定の時間を大幅に超えて、一人一人と長い時間、話されていました。
それだけ両陛下の慰霊に対する強い気持ちというのを、うかがい知ることができるわけなんですけれども。
そうですね、両陛下、特に天皇陛下にとりましては、今回のパラオ訪問、長年の悲願ともいえまして、強い思いを持たれています。
両陛下は、一貫して先の大戦と向き合ってきまして、戦没者の慰霊などに当たられてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には、長崎、広島の被爆地、それから沖縄を訪れて、戦争の犠牲者を慰霊されていますし、戦後60年の際には、サイパンを訪れています。
ただこのころ、実は、この南太平洋のパラオなどを訪問することも検討されていまして、そのときは、ただまあ、交通事情などの受け入れ態勢が整わないということで、訪問が実現しなかった経緯があります。
それだけに今回、訪問が実現できたことは、長年の悲願がかなったといえると思います。
10年、あるいはそれ以上の時間、ずっと訪問したいと考えられていた両陛下ですけれども、そこまで強く慰霊を望まれた理由については、どういったことが考えられますか。
そうですね、元側近によりますと、やはり一番大きいのは、太平洋戦争で310万人を超えるといわれる日本人の戦没者のうち、相当数の方が、海外で亡くなっていたということです。
ですから、海外で慰霊をしたいというふうに考えられたのではないかということです。
さらにこの南太平洋は、太平洋戦争の激戦地でありまして、なおパラオには日本政府が建てた慰霊碑があります。
こうしたこともありますし、あと日系人が多いということも、理由の一つになっているということです。
天皇皇后両陛下は、先ほど、この激戦地のペリリュー島で、慰霊碑に花を供えて、戦没者の霊を慰められました。
現在は日本から訪れている元兵士の方、遺族の方と、時間をかけてことばを交わされています。
佐々木さん、今回ですね、1泊2日という日程ですけれども、きのうは晩さん会など、歓迎行事が行われました。
このあとどのような日程になっていますか。
このあと、両陛下は、アメリカ軍の慰霊碑を訪ねられます。
こちら、アメリカ軍もペリリュー島だけで千数百人が亡くなっていまして、多大な犠牲があります。
そうした人たちを慰霊するための慰霊碑というのがペリリュー島にはありまして、こちらに向かわれる予定です。
さらにそのあと、日系人も多い地元の人たちと懇談の機会を持たれることになっています。
今回の慰霊というのは、太平洋戦争で亡くなった、こういったパラオの周辺も含めた、すべての戦没者に対する慰霊という意味合いがありますね。
そうですね。
天皇陛下も、きのうの晩さん会のスピーチで、そのようなことをおっしゃってまして、やはりすべての人を慰霊したいと、亡くなったすべての人を慰霊したいということを言っています。
天皇陛下の側近も、両陛下のこの戦没者の慰霊というのは、究極的には、世界の平和ということを祈られているんだと言っています。
戦争の犠牲者の慰霊も日本人だけではなくて、あらゆる国のすべての人のことを指すんだということです。
天皇皇后両陛下は、現在も太平洋戦争の日本軍の元兵士や遺族の皆さんとことばを交わされています。
一人一人の前に立ち、頭を下げられたうえで、かがんでことばを交わされています。
お伝えしていますように、戦後70年にあたり、太平洋戦争の舞台となったパラオを訪れている天皇皇后両陛下は、先ほど、ここ、激戦地のペリリュー島で、慰霊碑に白い菊の花束を供えて、戦没者の霊を慰められました。
現在も、元兵士や遺族の皆さんとのことばを交わす時間が続いています。
この慰霊碑の前には、天皇皇后両陛下をはじめ、地元パラオの大統領夫妻や、ミクロネシア、マーシャル諸島の大統領夫妻も参列しています。
再び、集まった関係者の皆さんに対して、一礼されます。
両陛下が慰霊碑の前を後にされます。
このあと両陛下は、アメリカ軍の慰霊碑にも足を運び、日系人も多い島の住民と交流する機会を持ったうえで、今夜、帰国されることになります。
改めて佐々木さん、今回の天皇皇后両陛下のパラオ訪問の意味について、教えてください。
そうですね、やはり印象的だったのは、先ほど、深く慰霊碑に一礼されたということですけれども、過去の戦争を決して忘れてはいけないという、強いメッセージを感じました。
天皇陛下、今回の訪問については、太平洋に浮かぶ美しい島々で、悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思いますと述べられています。
このペリリュー島、若いダイバーの方とかも来られる所なんですけれども、やはり両陛下の訪問によって、ペリリュー島で戦いがあった、激しい戦闘があったことを知る人が増えているということです。
やはりそういう、戦後70年目の節目にあって、戦争、過去の戦争を、多くの日本の人が知ることになったということは、大きな意味があると思います。
今、バスの扉が閉められました。
慰霊を終えられた天皇皇后両陛下がこの場所を後にしようとしているところです。
集まった人たちに、車の中で、立って、手を振られています。
天皇皇后両陛下を乗せたバスが今、慰霊碑の前から出発しました。
最後まで、両陛下は手を振られていました。
今、両陛下が慰霊を終えられて、現地を後にしました。
お伝えしていますように、戦後70年にあたり、太平洋戦争の舞台となったパラオを訪れている天皇皇后両陛下は、先ほど、激戦地のペリリュー島で、慰霊碑に花を供えて、戦没者の霊を慰められました。
両陛下は、日本政府が昭和60年にペリリュー島の最南端に建てた西太平洋戦没者の碑を訪ねられました。
両陛下は、パラオでの戦闘で生き残った元日本兵や、犠牲者の遺族らが見守る中、厚生労働省の村木厚子事務次官の先導で、ゆっくりと慰霊碑に進まれました。
そして、両陛下は慰霊碑の供花台に、日本から持参した白い菊の花を、一束ずつ供えられました。
深く一礼して、戦没者の霊を慰められると、3か国の大統領も、それに合わせて拝礼しました。
両陛下は続いて、慰霊碑の脇に進み、ペリリュー島と同様に多くの犠牲者が出た、およそ10キロ先のアンガウル島に向かって、静かに頭を下げられました。
両陛下はこのあと、アメリカ軍の慰霊碑も訪れて、戦没者を悼まれることになっています。
お伝えしていますように、戦後70年にあたって太平洋戦争の舞台となったパラオを訪れている天皇皇后両陛下。
先ほど、ここ、激戦地のペリリュー島で、慰霊碑に白い菊の花束を供えて、戦没者の霊を慰められました。

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