僕は何の宗教にも入信していませんが、宗教にはとても興味がありまして、20代後半の頃は様々な宗教の本を読み漁り、勿論日本の宗教を初め、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、そしてオウム真理教などの新興宗教の本も読み漁りました。

そこで、宗教のテーマに必ずついて回るのは大きく2つだけです。『いかにして悟る』か、そして『南無阿弥陀仏、インシャ・アラー』などに代表される神様に運命を任せる態度です。

『南無阿弥陀仏やインシャ・アラー』は宗教そのものと言っていいでしょう

ただ、『悟り』という概念ですが、宗教によってあまりにも違うのです。『厳しい修行の末に悟りを獲得する』という所謂東南アジア的な宗教、、しかし日本ではその傾向はヨワく『神様は必ず助けてくれる、、神様の思し召すままにという、南無阿弥陀仏』が主流です。

ちなみに世界的には後者が優勢です。世界中の悟りを開いていると言われている方々に聞くと、『悟り?なんですか、それは。そんなものありはしない。悟りは宇宙全体、つまりあなた方一人一人がすでに開いているもので、それに気付いているか、そうではないか』という違いです。

つまり、その辺の野良猫も悟っているし、居酒屋でネクタイ巻いて踊っているオッサンも生まれたばかりの赤ちゃんも電車の目の前で居眠りしている悟りの境地にすでに達しているというのです。

ただ気付いているかどうか、ただその違いです。悟るために特別な修行など必要はないと皆口々におっしゃるのです

つまり僕もあなたも犬も猫も誰一人、いや植物や鉱物も含めて、全て悟っているというわけです。

だから、あなたも悟っているわけです、、悟ってるから、どうだって話ですが、自分が悟っていると思えば、気持ちが神聖で穏やかになりますよね、、少なくとも僕はそうです