時間だけは無限にある
時間だけは無限にある
フィリピンでは時間だけは無限にある。東洋一貧しい国と言われるが、時間効率は日本の数百分の一以下であろう。気短の日本人には耐え難い。しかし近くに何もない豊かな島があるそうだが、一度訪ねてみたいものだ。時間の概念が変わってくるかも知れない。
買物、銀行、乗物、役所、など日常生活に欠かせない事柄に時間のかかること。日本の3倍以上、まあ5倍は覚悟しておいたほうが身体のためである。血圧が上がる。
何故時間がかかるか。一つは計算能力、掛け算の九九が言えるのはいいとこ半分。小学校で習うらしいが実生活では使えない。日本人の受験英語に似ている。これとて文法は叩き込まれているから耳が慣れてくると聞き取れるようになってくる。どうして計算できないか。必要がなかったから。え、っとお思いでしょうが自分の肉体以外に所有物がない自分の労働力しか売るものがない民族に計算は要らないでしょう。
もう一つは、雇用形態。半年で総入れ替え、昇給なし、保険なし、通勤手当手無し、の低賃金。知識、技能が身につく訳がない。バブル前の日本はいい大学に行っていい会社に入っていい嫁さんもらってであった。
今は円高不況、産業空洞化、技術立国日本の将来や如何、日銀はドルを買い占めろ。でも米ドルはやばいんじゃない。そうなんだなあ。ここでは大学出ても仕事がない、勉強してなんになる。
どうしてそうなるの。それはね、ここが植民地だから。植民地で必要なのは土地と労働力。それもただ同然が望ましい。土地は脅し取るとして労働力は単純がよろしい。ではココナッツ、バナナ、パインアップルなどのモノプランテーションに致しましょうか。それだよ、君。労務管理できる人材がいません。つくればいい。
はあ?チンチンあるだろう、それを使って子供を生ませるのだ。なるほど、半分スペインの血が入った人間を管理者に養成する、いい考えですね。しかし抱く気がしないな。諸君これは国策を具現する重要な任務と心得よ。アイアイサー。うむ、いっそう奮励すべし。
こうして生を受けた子供たちは父のため、母の同胞を支配し搾取することを求められるのある。サンクタマリア。平和ボケした日本人はスペイン植民地の民族が辿った悲惨な歴史を想起すべし。
話を戻そう。フィリピンにはめぼしい産業とくに製造業がない。故に職がない。現金収入がない。たくさん雇用を必要とする製造業を増やしたらいいじゃない。と思うだろ、簡単じゃないんだなあこれが。大きな資本と経営能力がないとできない。なるほど。日立、パナソニック、本田、日産、トヨタ、久光、味の素などが現地法人をつくって雇用を創出している。日本は貢献しているんだ。しかし尊敬されない感謝されない。
どうして。政府がアホやから、この度の大戦では日本は多大な損害をこの国に与えましたと繰り返している。繰り返すのは心から謝っていないのではと疑われる。日本はきちんと謝ったではないか、賠償したではないか、援助もしているではないか、もっと毅然としろ。まあまあ。欧米の植民地政策に比べれば泥水を跳ねかけたようなものだ。
フィリピン時間の話じゃなかった。そうそう、あれは愚民化政策の結果だ。日本並みの教育をすればいい線行く素養はある。効率を上げてゆくと時は金なりとなろう。人間の幸福とは別の話であるが、何をしても遅いのは困る。本当に困る。
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