スタジオパークからこんにちは 黒柳徹子 2015.04.10


生字幕放送でお伝えします黒柳⇒私、黒柳徹子でございます。
きょうはよろしくお願いしますいろんなお話ができればと思っております。
お呼びするんでしたね。
いろんなことが分からなくて。
清水ミチコさんとアナウンサーの伊藤さんどうぞお入りください。
清水⇒よろしくお願いします。
伊藤⇒違う番組が始まったのかなと思いました。
きょうまで私生きてきてよかったと思います。
黒柳さんに名前を紹介していただけるなんてね。
お上手ね、こちら。
フリーにでもならなければね。
いえいえ、なりません。
きょうのこの衣装もすてきですね。
すごい衣装です。
どうせだったらちょっと変わってるほうがいいかなって。
レディー・ガガさんかと思いました。
レディー・ガガにもお会いしましたよ。
あの方、頭の中からあめをくれたまねをしているの。
清水ミチコさんとは本当に。
仲がいいの。
長いですし。
この人のうちで一日のうちに3度ごはん食べたのよ。
よく食べるんです。
この間はごちそうにもなりました。
この方の着ているお洋服がすごくかわいくて、終わったらくれたの。
それで「徹子の部屋」できたの。
きょうは、黒柳さんはテレビの歴史はほぼ同時ですね。
テレビが始まった日からやっていましたから。
黒柳さんの、懐かしいNHKの秘蔵映像も。
あんまり生だったので残っているはずがないのよ。
その中の貴重な黒柳さんの。
わあ!うれしいですね。
見たことないんですよ、本当に。
もしかしたら、久しぶりに見るか見たことがないかもしれません。
黒柳さんへの質問、メッセージお寄せください。
では番組の冒頭の掛け声お願いします。
スタジオパークから…こんにちは!いろいろやることが多いわ。
すみません。
番組のタイトルコールまでお願いしまして。
どういたしまして。
ちょっといろんなことに慣れておりません。
女優の黒柳徹子さんです。
こんにちは。
よろしくお願い申し上げます。
スタジオパークは初出演。
今までずっとそりゃそうでしょ。
違う番組。
大人の事情で。
同じ時間帯で私が自分の番組をやっていましたんですけど今度私のほうが12時になったものですから。
申し訳ないんですけどいつも裏で裏と言ったら失礼ね。
同時刻のものですから。
ああと思っていたんだけど出していただけるというのでまあうれしいと思って急いでまいりました。
ありがとうございます。
ふだんとある意味全く逆ですね。
黒柳さんのお話をこちらから聞くという。
ゲスト側からですね。
私がしゃべってはいけないの、そちらがお聞きになったことに答えるというね。
黒柳さんにしゃべっていただかないといけないので。
私は、この中はどうなっているのかなと思っていたんですよ。
案外小さいのね。
座っていらっしゃる方が少なくて表から見ていらっしゃる方が多い。
どういう構造になっているのかずっと分からなかったのよ。
皆さんこんにちは。
聞こえます?それじゃあね。
番組はまだこれからなんですけど。
中も外もそんなに環境が変わらないですから大丈夫ですよ。
黒柳徹子さんお話にもありましたがテレビ放送が始まったと同時に黒柳さんのテレビ人生も始まってなんとNHKの専属女優第1号。
NHK専属テレビ女優第1号。
あら!こんな小学生の私。
かわいいったってないわ。
あんまり見たことないのこの写真。
初めて見たぐらいですよ。
真面目な顔して私があんまり子どものときの写真はあまり笑っていないんですよね。
3枚しかないんですけど戦争だったのでフィルムもない時代で。
そんな時代におしゃれですね。
うちの母は全部手縫いでね。
でもこの顔を私ね、見たときかわいいと思うわ自分で言うのもなんですけど。
この時代でも落ち着きがなかった時代なんですか?このときは次の学校に行ったときですからもう楽しく、幸せなそのわりに笑っていないのもおかしいですけど。
でも幸せな小林先生という校長先生に会って。
学校でどこかに行ったときでしょうね。
そしてNHKに入ったころの。
きれいなチャーミングな。
またおしゃれで。
そうですね、このころこんなお洋服がはやっていたんですね。
NHK専属女優第1号。
NHKの番組しか出られない。
NHK放送劇団というNHKがテレビを始めるのにあたってテレビのための教育をしてそれでNHKの放送劇団に入って5期生なんですけどそれからテレビ女優の第1号となってテレビに出ることになったんですけどテレビがなかったんですよ皆さんのおうちに。
だから866台しかなかったの。
少ない。
だから5人ずつ見ても日本中で5000人ぐらいの方しか見ていらっしゃらないところでテレビが始まったんです。
だからね、ほとんどラジオに出ていましたね。
テレビも出ましたけどラジオが全盛でしたからだから有名になったというと変ですけど「ヤン坊ニン坊トン坊」で有名になったんですけど、それはラジオだったんです。
ラジオのほうがなんと言っても勢いが強かったのででもNHKのテレビカメラは昔大きかったので。
1953年です。
もう60年、61年、62年前になりますかね。
当時の黒柳さんのご出演の懐かしい秘蔵映像がいくつかございます。
まず最初にご覧いただこうと思うのは、1963年放送の「魔法のじゅうたん」という子ども番組。
当時ね、全部生放送だったんでビデオやなんかなかったんですよ。
だから私見たことないんですよ。
ほとんど自分のものを。
特別なことで撮ってお置きになったフィルムみたいなものでね。
ビデオがないですから見たことないですから、とても楽しみです。
「魔法のじゅうたん」とてもこれは画期的な番組で。
三役なさったということですね。
司会もして。
おもしろい人たちと話をしたりあごに顔を描いて不思議な博士が出てきたり。
意地悪な博士が出てくるんですよ。
でも本当はしゃべっているだけどあごに顔を描いて寝てしゃべっている。
お作りになった飯沢匡先生が考えたんですけど最後は魔法のじゅうたんになってその子の学校に飛びながら行く「魔法のじゅうたん」という番組です。
その中に私が2人出てきて海が好きというのと山が好きというのとね。
対照的な2人が出てきて当時としては珍しい真ん中に線が入ったりしないでNHKのあらゆる技術を使って2人で歌を歌ったりするのをしたんですけど。
3人同時に黒柳さんが同じ画面に3人出ている、NHKの当時の最新技術を生かしています。
3人目の人は、何m離れて計算して離れたところでやったんでけど同じようになってちょっと忘れましたけどね大変な技術でした。
皆さんこんばんは。
「魔法のじゅうたん」の時間です。
皆さんもアラビアンナイトに出てくる魔法のじゅうたんのお話ご存じでしょ?私が持っているこれがそれなんです。
これから私が魔法を使いますよ。
おまじないを言いましょうね。
アブラカダブラ!徹子さん100万円のダイヤモンド買ったんですって?うわあ、すごいじゃない。
ちょっと何言っているの100万円よ。
100万円なんてお金あなた徹子さんが持っているわけないじゃないのよ。
どこにそんなものあるの?ああ、これのこと言っているの?そうよそうよ、それのことよ。
音楽バラエティーショー「夢であいましょう」ではこの方と共演です。
僕の歌が世界中で歌われてるなんて本当にうそみたいです。
つねっても痛くないんです。
初めてこの番組で歌ったのが2年前のちょうど10月と11月の歌でした。
どうも本当に九ちゃんおめでとうございます。
いろんな国の方々が、九ちゃんの歌を聞いてらっしゃってとってもうれしいだろうと思うの。
本当におめでとうございます。
♪「上を向いて歩こう」♪「涙がこぼれないように」♪「泣きながら歩く」♪「ひとりぽっちの夜」そしてNHKが保管している黒柳さんの最も古い映像がこちら。
テレビ劇場「夜の仲間」でホステス役を演じています。
いちばん左です。
さすがに貫禄あるわね一万円札ともなれば。
おい、早くお勘定しろよ。
チャコちゃん眺めてばっかりいたって実にならないわよ。
本当だ。
でもさ、いつもこんなふうに2、3枚ちょっと懐にこうやっておきたいわね。
よせやい、冗談じゃない。
あっ、案外度胸ないのね。
はい、あげる。
キャー!お勘定してってよ間違えないで。
これはドラマですか?ドラマですね。
全然覚えてもいないんですけど。
よくこれだけこんな、瞬間が残っていたなと思ってびっくりしました。
ドラマも全部生でしたから。
ドラマも当時生放送だったんですね。
もちろん、生しかないですからビデオというものがないんですから。
でもずいぶんベテランっぽいというかね不思議ですね、まだ若いのに。
1950年代だから。
入って6年ぐらいたっていらっしゃいますねNHKに入られて。
ドラマで生放送って結構いろいろハプニングとか。
ハプニングがいっぱいあったんじゃないですか?そりゃもういっぱいありますよ。
何回も言っていることなんですけど、私がいちばん気に入っている大変だったということはですねまず最初スタジオで生放送でしょ、白黒ですよね。
スタジオの隅に終わりというフリップがいっぱい落ちているんですよ。
一緒に出ていて、すごかったのは刑事さんが御用!と言って犯人を捕まえて刑事さんは刑事さんの家庭の生活。
犯人は留置場の生活があるというドラマの初めでリハーサルのときからずっとあったんですけど本番になったら鍵がなくなっちゃったの。
みんなで鍵を探したんですけどさっきまであったんですけどと言って時間がないから刑事さんがうちに帰るのに下にはいずって刑事さんのうちについていくんですよ。
ただいまとうちに入るときに日本のうちだから上がるじゃないですか、玄関を。
犯人も犬みたいに上がっていくんです。
ごはんのとき大勢のところに座って犯人は机の下にもぐっているの。
片手しか使えないからごはんとか食べられないのお茶ばかり飲んでね。
子役の子たちはびっくりしちゃってリハーサルのときには犯人はいなかったわけだから一生懸命見ているわけ。
次のシーンは犯人が留置場の中でごろごろして夜寝られないというシーンです。
刑事も一緒に行かないといけないから一緒にごろごろやっているから何がなんだか全然分からないの。
次の取り調べの日になったら向かい合わせにならなきゃいけないのにつながっちゃっているから具合が悪くてね。
そのときは出しますかねとなって出しましょうというと終わり、というのをカメラのところに出しちゃうの。
カメラの前に出しちゃうんですね。
そうするとしばらくお待ちくださいと出てそれでNHKの放送は終わるんです。
どきどきですね。
何回もやりましたこれ以上はできませんから。
森繁久彌さんが刑事をやっていて左卜全さんはご存じ?あの方が亡くなってお棺に入ってるところのそばで森繁さんがこの殺人はどうのこうの、と言うんです。
何回もやっているうちに左さん自分のところが終わったと思って出て上のほうに行っちゃったのよ。
そのうちカメラさんがお棺を移したら誰もいないのよ。
犯人がなくなるという推理じゃないから、どんなに森繁さんが上手に言おうとしてもいやこれは、と言って左さんを探すんだけど本人がいないの。
それも最後、終わりと出ましたよ。
しょっちゅうでした。
生放送のテレビ放送が始まったころから、こういうふうないろんなエピソードが。
せりふを忘れる俳優さんがいっぱいいるでしょう。
忘れちゃうというか覚えていない電信柱があったりすると刑事さんはみんなそこでせりふを書くんですよ。
電信柱に。
本番前に誰かがそれを回したんですよ。
見えないところに行っちゃった。
本番が始まって自分のがないから、みんなでぐるぐる、刑事さんが何も始まらないからそういうのが毎日でしたよ。
森繁さんがね、やっぱりすごいいいお着物を着てちょっと時代物みたいですごいお部屋に入っていくとびょうぶがあって全部森繁さんはせりふを書いたんですよ。
今思うとそういうびょうぶって高いのかどうか知らないけど金びょうぶみたいなものに全部字を書いていいものかどうか。
森繁さんが書いたんですよ。
本番前にそれがいらないということになってどうかしちゃったらしいの私は見ていてどうするんだろうと思ったの森繁さんはそこに入っていらっしゃったらびょうぶ!さすが。
そうしたらお弟子さんが分かって向こうのほうから走って見つけてきたの、びょうぶを。
森繁さんそうしたら黙ってるしかないの覚えていないんだから。
ずるずると部屋の中にびょうぶが入ってくるの。
おかしいでしょう?そうすると、それを見ていやあ、と言いだしてそういうのを見ておっしゃるのがお上手なのよ。
坂の上から坂田三吉という森繁さんが有名な話をしながら下りていらっしゃるの。
そのころはみんな覚えちゃうんですよ。
そういうのやっているのは森繁さんだけだったの三木のり平さんもそうですけどね森繁さんが坂から降りてくるものだから下にやっていたら見えないと言ったの持つ人が前で坂になって台の上に乗っかってグラグラしながら森繁さんは上のほうで歩いているんだけど持ってる人はみんなグラグラしながらずっと坂の通りに立っていましたよ。
そのときにあのせりふを聞いて泣きましたというような投書が来たんですよ。
そのとき私は森繁さんという人はすごい。
見てやろうが何しようが泣かすことができるんだと思ってね。
そんなことが毎日でしたよ。
今、聞いたらコントみたいな話ですけど。
あなた鼻水出てるけど大丈夫?おもしろすぎて鼻水が。
私も鼻が出た。
黒柳さんにティッシュを出していただきました。
鼻が垂れていたような気がするごめんなさい。
「夢であいましょう」もオンデマンドで見られます。
「夢であいましょう上を向いて歩こう特集」も見られます。
NHKはビデオもないですからすえもりさんという演出の方が自分にようにみんなに反省してもらおうと思ってたまたま映像で残っていたのがさっきのですね。
渥美清さんとのコントも少し残ってますけどね。
私はほとんどコントをやっていましたからね、そのころ。
日本初のコメディエンヌですよね。
初の、というかいろんな方いらっしゃいましたよ。
テレビではね。
もちろん女優としてもあれですけど黒柳さんというとパンダ。
お好きでパンダ愛がすごいというご存じなんですけど。
日本にパンダが来る前から私は子どものときから研究していましたから。
自分が研究しているものに日が当たるって思わないじゃないですか。
おじがお土産にパンダのぬいぐるみを買ってきてくれてそれはそういう模様だと思っていたの、そうしたら中国に本当にそういうのがいると聞いて。
ここ寒い。
すみません、少しスタジオの温度を上げてください。
たぶん、花粉症じゃないですか。
私、花粉症じゃないの。
温度が違うとね、鼻が出るの。
ごめんなさい。
くしゃみ
自分のときからパンダを研究してそれはそういう模様だろうと思っていたの、そうしたら中国に生きたのがいると聞いて。
私は小学生低学年ぐらいから研究したんですよ。
当時百科事典にも載っていないんですよジャイアントパンダはレッサーパンダは載っていましたけど。
レッサーパンダっていわゆる立った!と尻尾で立った風太君とかああいうのはね輝ける猫といってとても有名だったんですよヨーロッパで。
でもジャイアントパンダは向こうのほうにまだ行っていなかったからジャイアントパンダはいわゆる白と黒のパンダですね。
夢ではなかったんですけどフランスの宣教師が中国に150年前にいらしてパンダの皮を見てびっくりして皮を持っている人が歩いていたの本当よ。
これが生きているのかと言ったんです。
そうしたら猟師が撃ってしまって死んじゃったんですけど買っていただけますかというのでその宣教師はフランスで船が何かで送ったんですよ。
そこで剥製にして最初に剥製としてパンダというものがびっくりしたと思ったのはフランスだったんですよ。
生きたパンダを持って帰ったのはアメリカなんです。
アメリカで大騒ぎになったときにおじがたまたま私に買ってきてくれたのを、私がずっと研究していましたからですからよけいなことなんですけど、日本と中国が田中総理っていらっしゃって、あのときねパンダをいただけるかもしれないと思ったんですよ。
というのはその前にニクソン大統領が私がニューヨークにいるときに勉強しに行っていたんですよ。
ニクソンさんが日本の上を通り越してなんと中国と仲よくしてパンダをお土産に持って帰ったというのを読んで、私はすぐにワシントンに見に行ったんです。
入り口のところに中国とアメリカの友好のしるしと箱があってこれに入ってきたんだなと思ってね。
そうこうして1年ぐらいしてから日本に帰ってきたんです。
そうしたら田中首相がいらっしゃるということが分かったのでこれはいただけるかもしれないと思ったんだけど、アメリカは前にパンダを飼ったことがあるんですね、いかにパンダが貴重かよくご存じなんだけど日本は知らないといけないから大きい熊の猫と書いて、言うんですよ中国語で。
私は総理大臣関係の人は当時知らなかったので田中総理の事務所に電話してももし向こうがパンダをあげますと言ったらそれはうれしゅうございますと言ってほしいと思ったの。
田中さんに知り合いがいなかったのでね大平さんが外務大臣で大平さんも知らなかったんですよ。
これから友好にいらっしゃるところに電話してそんなお話するのもなんだと思って電話をしなかった。
案の定向こうで、あげますとおっしゃったんですよ。
周恩来かどんな方かおっしゃったの残念なんですけどね、大平さんはご存じないでしょう。
誰も知らないからねパンダなんか。
熊と猫の間に生まれたものですかな、とかおっしゃったらしくて電話したほうがよかったなと思ってね。
うれしい、ありがとうございますと言ってほしかったんですけどそれでも日本に来るということが分かってそれでも皆さんご存じなくて私が研究してるのはずいぶんご存じで。
ロンドンでずっと前に見ていた女の子のパンダを見たときにロシアからアンアンという男の子がお見合いに来ていたんです。
それでアンアンは私の本の題名になったんですよ。
どうでもいいんですけどね。
私がテレビで言ったら結婚しに来ていたと話をしていたんです。
私はうれしい話をしたら新聞にそんな変な動物の結婚のことを心配するよりも自分の結婚のことを考えたらどうだと書いてあったんですよ。
私すごく憤慨したのよ。
なんと本当にパンダが来たときその新聞が出している週刊誌にちょっとパンダの話をしてほしいと。
誰もパンダの話をできる人がいなかったんですパンダが来るときに。
あなた変なこと言ったでしょ私のことを。
それを悪かったと謝ればやってあげますよと言ったんです。
そうしたら謝るというから團伊玖磨さんという方と対談したんですけどパンダが日本に着いたときに羽田につくとき夢に自分がみていた初めは丸いものか大きいものか長いものかも分からなかったので1枚の写真で今みたいに写真が売っていないしぬいぐるみも私が持ってるだけしかなかったですからどんなものか分からないからロンドンまで一応見に行ったんですよ。
想像してたよりずっとかわいかったんですよ。
アンアンが結婚に来たときにああいうのが日本に来るんだなと思って。
想像より大きいと思いましたか?想像より丸いと思いました。
日本に来るとき、黒柳さんはわざわざ出迎えたそうですね。
羽田に着くから何時間かかって何kmで来ると計算をして上野動物園の裏に芝居の稽古をしてたんだけどどうしても用事があるので失礼しますと向き合って待ってたんです。
まさかむき出しでくると思いませんでしたけどコンテナというものに入ってくると思わなかった何も見えないの。
でもこの中に入っているんだなとすごくうれしかったです。
当時、まさにパンダの追っかけをしていた黒柳さんが待ち受けている映像がNHKのニュースでも流れているんですよ。
本当?上野動物園でパンダを待ち受けている黒柳さんのニュース映像がございました。
1972年です。
そうそう左がカンカンです。
かわいい!ランランとカンカンの違いが分かりますか?夜だったんですね。
黒柳さんです。
通用門に。
1人で裏にね。
昔から風格がありますね。
いかにもテレビ局で番組をやっていて抜け出してきたという雰囲気です。
守衛さんと話をしていたの守衛さんが撮ってくれた写真もくれたの。
時間潰しでお話ししているのがあったんですよ。
でもこんなにニュースになってたと知らなかった。
みんながあそこでがやがやいるのは裏ではないんですよ。
パンダが来てからよ。
あのときは私しかいなかったからだってそんな夜の遅い時間にねパンダがあそこに来るなんて。
ただ子どもが2人ぐらいパジャマを着てきたの。
何してるの?と聞くから私はパンダを待っているのと言ったら私も待っていよう、と言ったから子どもにパンダが来たらどうしたいの?と聞いたら一緒に踊りたいの、って言うからそれは無理だと思うわよと言って。
でもあそこで待っていたの。
いい時代ですね。
右がランラン左がカンカン見てすぐに分かるんですか。
どっちが好きなんですか?私はカンカンです。
違いが分からないですよね。
ちょっと写真がね四つんばいのと立っているので違うんだけどランランは目が細くて下がりすぎているんです。
カンカンは目が離れていて子どもっぽいのかわいいの。
私は一緒に写した写真があるんですけど、それはカンカンがすごくかわいいです。
性格も違うんですか?これはカンカンです。
でんぐり返しでしょう。
動物園の方がおっしゃるにはこういう動物はいないんですって。
何しているかというと向こうに投げて自分がでんぐり返ししてお尻が裏返ってきたときにタイヤが戻って来たらうれしいという遊びなの。
そんなことを考える動物はいないわけ。
これは成功しているんだ。
1日でもこうやって遊んで次々に遊びを考える。
さっきのは向こうに投げて自分がでんぐり返ししてお尻とタイヤがぶつかって自分がでんぐり返ししてよかったと思いたいわけ。
これはサトウキビを食べているの。
かわいい。
かわいいですね。
カンカンは黒柳さんにとっては特別なんですね。
ほんまさんってずっと世話している方がおっしゃったんですけどね。
起こさないと起きないという野生動物っていないんですって。
動物というのはぱっと目覚めて身構えるんです。
だけどカンカンは起こさないと起きないんだって。
カンカンおい起きろ、と言わないと起きないって。
あんな動物いないっておっしゃってました。
のんきなんですね。
性格はね。
人間を信頼しているんですね。
すごく地震があって四川省のほうでパンダ舎とか全部壊れちゃってばらばらになっちゃったんですよ、パンダが人間のうちも壊れてパンダがばらばらになったら困るので臥龍地区のほうでパンダを回収したんです大きい穴に落っこちてしまったのでモップみたいなものを持って中に入って上に上げなければいけないので人が上げたんですよ。
どんな動物も穴の中に入って持ち上げられたらもがくでしょう。
でもパンダはちょっと汚れていましたけど泥だらけになりながら…。
ご自由にという感じですね。
運んでくださいと。
なんてかわいい性格だろうと思いました。
全然疑わないのね。
ひどい目に遭うとか、思わないらしいの、それがパンダのかわいいところね。
そこまで小さいころは知らなかったんですね。
縁もゆかりもなくて私は勉強して知ったことです。
私は広州に行ってきたの三つ子のパンダが生まれたの双子はずいぶん前に生まれているんですけどなかなかお母さんが育てないんです。
変わっているのよ。
あんな大きい150kgか130kgあるお母さんが100gしかない人間に換算して見れば大体人間だと角砂糖を生むぐらいのことなの比率でいうと、いっぱい1匹しか2匹しか生まないで畳分の子しか育てないのでだからねすごい声で鳴くのパンダの赤ちゃん、清水さんものまね。
パンダの鳴きまね
ああ!と言うんです。
なぜかと言うとお母さんに、かまれちゃうから。
お母さん100gしかないからお母さんはちょっと見て丈夫なほうしか育てないの。
すぐ動物園が小さいほうを育ててこういう木に入れて拾うのお母さんの母乳とかえるの、しょっちゅうかえるのお母さんのを飲んでいない子には牛乳というのもなんですけれども牛乳をやってたお母さんのおっぱいとかえるんです3匹だから大変で交代だからお母さんというのはすぐにおっぱいをあげるので実験してみたんですって。
気をつけていろいろなにおいがしないように、デリケートにやっていたけど、平気で我慢しているから万が一誰にでも飲ますかもしれないって言って大きめなものも渡したら大きめなものも渡していたからあまり気にしていないのね。
それで見に行ったら3匹は同じぐらいに、お姉ちゃんがちょっと大きかったですけどお姉ちゃんと弟といたんですけどかわいらしい6か月くらいのがすごく元気に育っていました。
世界で初めてです。
パンダの話でいつまでもパンダがずっと出てきちゃいますけれども舞台女優としての黒柳さんのお話もうかがわなければと思うんですが女優と紹介しましたが舞台女優としてずっと。
豚と聞こえた。
豚って聞こえたからね。
パンダの次は豚かと思っちゃった。
違いますよ。
舞台女優です。
私の発音がよくなかったですね。
女優として紹介させていただいたんですが、テレビでは女優として出ていらっしゃらない。
ドラマはずっと出ていたんですよNHKでもね「徹子の部屋」の番組ですけれどもそのほかはドラマに出ていたんですけど、ある日ドラマをやっていてちょっとほろ酔い加減の芸者さんやっていたら、小道具さんがそばに来て本当は飲んでいるんでしょ?と言うの、私はお酒飲まないし飲んでいませんとっくりに入れてくれたのは水じゃないっていって、あの人は飲んでやっているんだよと聞いてなるほど本当にうまくやるとみんな私のことをそう思ってしまうんだなと思って殺人鬼をやってあの人本当に悪い人なのに人にものを聞いてると思われると思って「徹子の部屋」が始まって半年ぐらいはドラマに出るのやめてクイズの司会とか「ベスト10」などがあったんですけどドラマ舞台だけにしようと決めました。
言うな!えっ?何も言うな!何で?いいから何も言うな!だってチャーリーは…。
大丈夫だ。
火薬でやけどをしただけだ。
ピストルのことは絶対に言うなよ。
もしもし先生失礼いたしました。
チャーリーを呼んで参ります。
(ドアを閉める音)まあチャーリーすっかり元気になったみたいでどうも恐れ入ります。
お電話して申し訳ございません。
はいはいはいはい…はいはい…ありがとうございます。
10秒に1回は笑いが出るというような。
これは700回。
700回。
笑って消えてしまうわけじゃない。
もったいないなと思って自分でカウンターでデパートで買ってきて、数えたの。
ドアの後ろにいる女の子に渡してちょっと笑ったんじゃだめよどっと笑ったものを数えてと頼んだの最後の3日間で700回。
1公演についてね、700回笑った。
大阪で750回とか。
50回、大阪は多かったの。
相当皆さん笑ってくださるの。
おなかがよじれるぐらい笑いました。
なんかあなた見てくださったんですって?珍しいわね。
そんなことはないでしょういつもいっぱいですよ。
おなかがよじれるぐらい舞台ではコメディーを。
私は喜劇が好きですからね喜劇のほうが向いていると思うんですよどっちかというとね。
清水さんもよくご存じだと思うけど世の中悲しいことなんか多いじゃない。
私が喜劇をやっている間皆さんいろいろなことを忘れて笑っておうちに帰っていただければいいかなと。
ことしも先ほどご覧になった「ルーマーズ」4回目ですね。
六本木の新しい劇場の壁にみんなの笑いをなんていうの、教え込んだほうがいいと思って。
壁にね。
慣れていないといけないから。
かとうかず子さんとですけど。
パーティーがあってね男の人は全部タキシードを着て女の人はミニを着てしゃれた芝居ですニール・サイモンというアメリカ人の喜劇の人が書いたのね。
「ルーマーズ」というのは、うわさ、ということですけどきたら市長代理のうちで大変な事件が起こるから会わせないようにしようと思って次から次とうわさが何人ものをお客さんが来るたびにうそをついてそのうちにグチャグチャになっちゃうという結末はちゃんとしてどんでん返しがおもしろい。
コメディーをずっと舞台でやっていらっしゃる黒柳さん、最後に突然なんですけれども。
もう終わるんですか。
あと5分ぐらいなんです。
誰のせいか分かるでしょ。
ほかにもいっぱいあったんですが突然ですがデータ放送で黒柳さん、頭から何か出してくださいという要望があれば皆さん、リモコンの決定ボタンを押して頭から何か出してほしいという方は押していただきたいと思います。
投票していただきたいと思います。
黒柳さん、頭から出されることがあるそうですね。
本当はこの頭ではないたまねぎのときに、心が清らかな人にだけあめを出しているんです。
普通の人には出さないんです。
視聴者の皆さんにデータ放送で。
きょうせっかくですからパンダを持ってきました。
出てきちゃった。
かわいい、パンダの人形。
かわいい、大好き。
くたびれていてかわいい。
こんなのないでしょ。
これドイツのすごくいいやつです。
手や足が全部動くの。
好きな人は違うな、あめじゃなくてパンダが出てきたおめでたいですね。
もう時間ですか。
出してほしいというリクエストをもらって、出そうと思いましたがもう先に出てきてしまいました。
視聴者の皆さん今の見てすごいと思った方、押してください。
もう出てしまいましたよ。
すばらしいと思った方決定ボタンをどんどん押していただいて最後に結果も発表したいと思います。
投票していただきたいと思います。
時間があと4分ぐらいですか。
ずいぶん長い時間だという話だったんですけどね、本当は。
本当はもっと。
いろいろな企画があって。
パンダの話をしたのがいけなかったのかしら。
責めているわけじゃないんですけどね。
せっかく出させていただいたのにね、もう終わるなんてね。
生放送なので。
そりゃそうですね。
終わり、という文字を出さなければいけません。
大変。
質問とメッセージお答えいただきたいと思います。
静岡県の方からです。
30代の女性の方です。
私は時々、徹子さんがチャーミングな魔法使いのように見えます。
徹子さん、もし魔法が1つ使えるとしたらどんな魔法を選びますか?そうですね、世界中の子どもが飢えなくてもいいように全部の子どもたちのところにサンタクロースが行くように食べ物を全部渡してほしいと思います。
ユニセフの親善大使もなさっていますね。
滋賀県の方からです。
徹子さんはいつもおしゃれですね。
特に髪形には注目しています。
あめ玉、たまねぎかわいくて斬新です。
もし新しい髪形をするとしたらどんな感じにしたいですか。
そうですね。
ボブのときもありますね。
テレビに出ていないときはいろいろな頭をしているんですけどでもやってもよければ金髪なんかしてみようかしら。
攻めますね。
今度やってみようかな、1回もやったことがないので。
そうですか。
そんなのもやりたいと思います。
ちなみにきょうの髪形のテーマはあるんですか?ないです。
ものにテーマなんて、頭につきませんよ。
たまねぎは、たまたま久米宏さんがたまねぎおばさんと言ったからねでもはっきり言うと「おひさま」という番組があったでしょ。
最後、ドラマにちょっとワンシーン出たんです。
この頭で出たのでこの頭をするときはおひさま、というんです。
メッセージです、兵庫県の方です。
「魔法のじゅうたん」からずっと見ています。
魔法の国から来たのではないかと小さいころ思っていました。
これからもずっとテレビに出てくださいねということです。
本当に私、魔法の国から来たんです。
信じる。
信じてね。
熊本県の方です。
徹子さんすてきかわいい。
私も鼻水が出ました。
日本中で出ていますよ。
いつまでもお元気でご活躍ください。
ありがとうございます。
きょうね、寒いんじゃないの?ちょっといつもより寒いですね。
三重県の方です。
子どものころ「窓ぎわのトットちゃん」を母が毎夜、読んで聞かせてくれました。
校舎や、大好きな校長先生を思い浮かべながら眠りにつきました。
今2人の娘にきかせています。
ありがとうございます。
徹子さん大好きです。
この時間に徹子さんをNHKで見られてうれしいですということです。
集計結果です。
ああ18万です。
2015/04/10(金) 13:05〜13:51
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 黒柳徹子[字][双]

ついにスタパに登場! テレビ人生の伝説公開  ゲスト:黒柳徹子 司会:伊藤雄彦アナ、清水ミチコ

詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】黒柳徹子,【司会】清水ミチコ,伊藤雄彦

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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