2015年1月5日05時16分
震災の年の夏。沖縄県南城市出身のダンプ運転手、金城盛勇さん(56)は、石巻市でがれきを運ぶ仕事をしていた。
宿舎はなく、道の駅にとめた車の中で寝泊まりをする。給油をしていると、10トンダンプの沖縄ナンバーを見たお年寄りが近づいてきて、「ありがとうね」と深々お辞儀をした。
「あのときは、泣きそうになったねぇ」
50歳で本土に出稼ぎに出た。沖縄でダンプが忙しいのはサトウキビを運ぶ冬場だけ。自宅のローンも残っていた。震災の時は、静岡県で第2東名高速道路の工事についていた。「がれきを運ぶダンプが足りない」と知人から電話が来て、初めて東北にやってきた。
ダンプの世界は複雑だ。金城さんのような個人事業主をブローカーが集め、建設業者につなぐことが多い。間に何人か入ると、その分だけ手数料が引かれる。金城さんが沖縄で受け取っていたのは1日あたり3万2千円。そこから燃料代や車検代が消えた。それが被災地では3万8千円、4万円とはね上がり、しかも仕事が途切れない。
石巻でのがれき運びの後、亘理町にアパートを借り、いまはJR常磐線の復旧工事で土砂を運ぶ。雪道にもやっと慣れた。「お金を稼ぎに来ているんだけど、お手伝いしている気持ちは少しはある」と金城さん。
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静岡市出身の村上一智さん(63)が、ダンプに乗せてくれた。宮城に来たのは2012年暮れ。山元町で集団移転先の造成工事現場を取材させてもらった。
山を切り崩した土取り場で土砂5立方メートルを積み込み、11キロ離れた造成地との間を1日9往復する。ひっきりなしにすれ違うダンプを数えたら、2割ほどが県外だった。青森、とちぎ、大宮、習志野……。必ず手を挙げあいさつを交わすのが、ダンプ屋のしきたりという。
積み込む場所を「プラス」、降ろす場所は「マイナス」と呼び、その往復を繰り返す。仕事は思いのほか単調だ。車載無線には出稼ぎの同郷者が集い、静岡の話で盛り上がる。
「俺っちはみな、ひとりオオカミ。しょってるものはそれぞれだ。うちは嫁さんが『500万ためて帰ってらっしゃい』って。無理だべよお」と笑った。
防潮堤、道路、住宅地。最初に復興現場へ入り、土台を築くのがダンプだ。何もなかった場所にやがてコンクリートが積み上がり、とんとんと家が建つ。「前の現場近くを通ると、ああここまで来たんだな、ってね」
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出稼ぎダンプの主戦場は福島県に移りつつある。村上さんの新しい現場は、相馬市の防潮堤工事。宮城よりだいぶ遅れていることに驚いた。
沖縄の金城さんは12月、住民の避難指示が続く区域で、除染した土を運ぶ仕事に誘われた。1日3万8千円だが、燃料代は会社持ちと聞き、心が動く。「放射能は心配だけど、私の年齢ならいいでしょう」
もうひと稼ぎと年末、ダンプを買い替えた。ダンプ不足は続いており、7年前、200万円で手に入れた平成8年型の中古が、220万円で売れた。こんど買う平成13年型は、倍以上の値がついていた。
(石橋英昭)
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