十勝小麦キャンプレポート3『オーボンヴュータン河田勝彦シェフ講習会』
2014.09.02 Tuesday 20:44
その流れ出てくる源を知りたくて、河田勝彦シェフの仕事をこの目で見てみたいとずっと思っていた。
その河田さんが、昨年から小麦キャンプ(ベーカリーキャンプ)の講師に名を連ねている。
「講習会をするのなんて数年ぶりだよ」
お菓子は砂糖や生クリームや卵などたくさんの副材料を入れて作られる。
そこに「十勝産」小麦の風味は必要なのだろうか。
大いなる興味を持って見守った。
「粉が中心の考え方で、今日は焼き物が中心です。
菓子屋って、粉の特徴を表現するのはむずかしいです。
粉の香りを残すには、生菓子を作るわけにいかない。
焼菓子にするしかないですし。
どうやったら粉が力強く出るか」
なるべく粉の魅力を表現できるお菓子を。
この講習会でとりあげたアイテムは、その基準で選ばれた。
ボウルに材料を入れると、河田さんはごつごつした太い指を突っ込み、力強く混ぜはじめた。
手が汚れようとかまわず、素材に全身でぶつかり、声を聞き届けようとする姿に思えた。
「粉の合わせ方の見極めは、つやが出てきたことで判断するのがいちばんの基本だと思う。
混ぜれば、混ぜるほど、つやは出てきますが、そのときにはもうどんどん進んでしまっている。
最初につやが出たところでいいと思います」
「フォンダンを1週間に1回は自分のところで作ってます。
このうまさは代えられるものがない。
お砂糖と水しか入ってないんですよ。
それでも、自分のとこで練ったものは、市販のものとぜんぜんちがう。
フォンダンもいろんな味つけがあります。
コーヒー、チョコレート、水の代わりにジュースで練ったり。
それをコンフィズリーに使っています。
うまいものを作るためにどうするか。
僕らの仕事は、材料からいかに加工するか。
そうしないと、自分の店の特徴を出すところがなにもなくなっちゃう。
ここにきて、すばらしい畑を見たり、農家さんに出会ったりすると改めて思いますけど、僕ら菓子屋は、材料の力にはかなわないんです」
材料の力。
それはオーボンビュータンのお菓子を食べるとき、いつも思い知らされる。
ケーク・オ・シトロンもしかり。
しっとり湿って、ねっとりと広がる甘さ。
グラス・ア・ロが溶けるとともに、表面に塗られたアプリコットジャムも溶け、変化する香りのニュアンスが実に豊か。
やがて訪れるアプリコットの酸味と、しっとりした生地から訪れる甘さのバランス。
そこに小麦の香りも参加する。
素材の風味から生まれる愉楽とは、人間の企みを超えて感動的なものだ。
ビスキュイ・ド・シャンパーニュはシャンパーニュ地方で食べられる地方菓子。
「粉を表現しようと思って、これを選びました。
別名ビスキュイローズといって、ピンク色にします。
からからに焼いて、シャンパーニュにつけながら食べるお菓子なんです」
軽やかなかりかり感がすばらしかった。
メレンゲみたいな感覚で甘さが溶けだして、そこに表面に雪のように降り積もった粉糖の甘さも唱和して、素朴な香ばしさややさしさを感じさせるのだった。
ここにシャンパーニュの香りが加わればどれだけ甘美な体験になるかしれない。
ナヴェットはマルセイユの地方菓子。
ナヴェット(小舟)という名は、上に切り込みを入れた、ボート型の形からくる。
「グリーンアニスがいいアクセントになる。
僕の好きなオレンジの花のアロマです。
この香りを嗅ぐとフランスの香りを思い出すんです」
思ったよりもずっと硬いことに歯が驚き、思い切って噛み切る。
そこからアニスやオレンジの香りが強烈にあふれだす。
そしてじんわりと甘さが滲み、小麦の香ばしい香りも顔を出す。
河田シェフが「フランスの香り」と呼んだもの。
素材の発する香りがインスピレーションを生みだし、それをなんとか表現しようという情熱が河田さんを突き動かしているにちがいない。
このお菓子を食べて、そのように思った。
「次はサブレを仕込みます。
お菓子は粉がなきゃ成立しません。
今日のテーマである、粉の風味を表現したい。
粉のうまみをいちばん感じるのはサブレだと思います。
粉とバターが多いので小麦の風味を表現しやすいとかなと思って」
サブレ・ド・サヴォワは、さっくりとした食感。
すぐさま崩れさっていく。
するとつぶつぶとなった生地ははかなく溶けて、小麦の香り、卵の味わいが口の中ですばらしい広がりとなる。
サブレ・ノルマンは、同じくかりかりとしていても、崩れ方はちがっていて、粉々になっていくところに快楽がある。
2つのサブレはともに小麦のあたたかみが活きていたけれど、ひとつひとつ食感はちがい、そこにも繊細な表現があるのだった。
レシピや材料はもちろん、工程ひとつひとつに徹底した思考の跡があるのが言葉の端々から感じられた。
生地を焼くという当たり前のことにも。
「彼ら(フランス人)が長い歴史の中で築きあげてきたもの。
僕が考えて疑問に思ったこと。
合ってることもまちがってることもある。
いかにしっかり乾かすか。
焼くというよりも、乾かすということが、彼らの狙っている方向性じゃないかな。
たとえば、マカロンもそうです。
外はかりかり、中はねちっと。
これがフランス人のいちばん好きな食感です」
最後に飛んだ質問に河田さんは答える。
「自分で材料に向かい合う。
目の前に材料があり直接触っているわけですから。
素材の特徴を表現することが大事。
たとえば、(十勝で出会った)しんむら牧場のクロテッドクリームが大好きで。
ああいう素材をもらうのがいちばんうれしいです。
素材を表現するのが僕らの仕事ですから」
徹頭徹尾、素材。
自然の凄さは、人間ひとりのイマジネーションなど簡単に超えてしまう。
お菓子を作って、作って、作り尽くしたあと、河田さんはそのように考えているのではないだろうか。
「まだ自分のやりたいことが残っている。
そのあいだはまだ生きようと思ってます。
職人は意欲がなくなったら終わりです」
いま、目の前に素材がある。
その魅力を表現し、命を吹き込まずにいられない。
河田さんは生涯厨房に立ちつづける覚悟かもしれない。
野外に、農家や牧場による、思い思いの出店が立ち並ぶ。
3日間の小麦キャンプで私たちを歓迎してくれた十勝の人びとへ感謝を表わすように、河田シェフはとっておきのスペシャリテ「ガトー・ピレネー」を焼いた。
たき火の上に、肉の丸焼きでも焼くように、手回しで軸を回転させる機構。
軸に生地をかけまわして炭の上におき、火の上でそれが乾き、焼き色がつき、香ばしい香りが漂うようになると、また火からおろして生地をかける。
繰り返すこと約15回。
炎天下、炉端で、吹き出す汗をぬぐいながら、時間をかけ、つづけていくと、ガトーピレネーがゆっくり太っていく。
河田シェフも、手伝う人たちも、見ている人も、火のまわりにいる人たちは、祝祭的な雰囲気につられみんな笑顔だった。
お菓子の原点。
昔、晴れの日には、こんなふうに野外で、人びとの真ん中で焼かれたのだろう。
歯に、唇に伝わってくる、ぷりっと押し返すような食感。
そして飲み込んで、甘みが引きはじめたのちに、いよいよ小麦の草のような風味が口の中でふくらんでくる。
ガトーピレネーを焼き終えた河田さんに、十勝小麦の評価を尋ねた。
「フランスに行ったばかりの頃。
行く店、行く店で同じような粉を当たり前のように使っていました。
まだ駆け出しで、粉に対する特別な意識もありませんでした。
日本に帰ってきて、久しぶりに日本の粉を使ってみると、フランスでの当たり前が、当たり前じゃないわけです。
日本の粉はなんて力がなくて、細かいんだろう。
お菓子が成立しなかった。
サブレしかり、ジェノワーズしかり。
フランスでやってきたのとぜんぜんちがう。
薄力粉、強力粉いろいろあり、メーカーによってもちがいますけど、自分の求めるものをなんとか集めて使ってきました。
3年前からは、中力で灰分0.55%のものを使いだして、それからは昔フランスで作っていたお菓子に近づきました。
去年からは北海道のいろんな粉をいただくようになり、中力的な粉を出してもらいましたが、十勝の粉は力がある。
3年前から使っているその粉よりさらにおいしいです」
「十勝の粉は力がある」。
それは物理的なグルテンの力に加え、風味のインパクトという意味でもあるだろう。
フランスから帰国以来、抱いてきた小麦粉に対する不満を解消するほどのクオリティを十勝小麦は持っていたと。
お菓子にとって小麦の風味は必要なのか。
もう一度訊ねると、河田シェフはこう断言した。
「絶対に必要なものです」
十勝にとって、日本の小麦にとって、巨匠の言葉はとてつもない援軍だ。
もしそうなら、勃興する十勝小麦によって、日本におけるフランス菓子はルネッサンスを迎えるだろう。(池田浩明)
『パンの漫画』
『サッカロマイセスセレビシエ』(東京の200軒を巡る冒険の単行本』