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両陛下 パラオで戦没者を慰霊

4月10日18時41分

亀山拓也記者

天皇皇后両陛下は、戦後70年にあたり、今月8日から2日間の日程で太平洋戦争の舞台となったパラオを公式訪問し、戦没者の霊を慰められました。 天皇陛下は、長年、パラオでの慰霊を望んでいて、今回の訪問には強い思いを持たれていました。
同行取材した社会部の亀山拓也記者が解説します。

親日国パラオで歓迎

今回、両陛下が訪問されたパラオは、太平洋の赤道に近いさんご礁が美しい島国です。

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サイパンと同じく、第一次世界大戦で占領した日本が終戦の頃までおよそ30年にわたって統治し続けました。日系人が人口のおよそ4分の1を占め、
親日的な国としても知られていて、毎年、多くの日本人が観光に訪れています。

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両陛下は、パラオに到着すると、まず、空港で、大統領夫妻の出迎えや現地の学校に通う両国の小学生たちの温かい歓迎を受けられました。

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そして、両陛下の車列がパラオ最大の町コロールに入ると、たくさんの人たちが両国の小旗を振ったり、横断幕を掲げたりして、両陛下を盛大に歓迎しました。

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両陛下の車は、沿道の人たちに近づくように歩道のすぐそばを走り、両陛下は窓を開けて笑顔で手を振って、歓迎に応えられていました。

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歓迎の晩さん会では、パラオの伝統的な踊りが披露され、カニやタロイモなどパラオの食材を生かした料理でもてなしを受けられました。晩さん会は終始和やかな雰囲気で、予定された時間を30分超えて行われました。

追悼の1日

訪問2日目の9日は追悼の1日になりました。

パラオは、終戦の前年にアメリカ軍の侵攻を受けて、日本軍だけでおよそ1万6000人が犠牲になりました。

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中でもパラオ本島の南、およそ50キロに位置するペリリュー島では、日米の精鋭部隊どうしの激しい戦闘が繰り広げられ、日本軍は、2か月余り耐え抜いた末にほぼ全滅しました。

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両陛下は、ペリリュー島の最南端にある日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」を訪ねられました。
パラオでの戦闘に参加した元日本兵や犠牲者の遺族らが見守るなか、両陛下は、慰霊碑の前にゆっくりと進まれました。
そして、日本から持参した白い菊の花を一束ずつ供え、深く一礼して戦没者の霊を慰められました。

さらに、ペリリュー島と同じく多くの犠牲者が出たアンガウル島の方角に向かって、静かに頭を下げられました。
両陛下は、この間、たびたび慰霊碑の後ろに広がる海をじっと見つめられていました。
1つ1つの所作をゆっくりと、心を込めるようにされていたのが印象的でした。

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このあと、両陛下は、アメリカ軍の慰霊碑も訪れて、花輪を供え、黙とうをささげられました。
この慰霊碑は、アメリカ軍の主力部隊が、日本軍との間で激しい戦闘を繰り広げたオレンジビーチのそばにあります。

両陛下は、オレンジビーチのすぐ前まで進み、ペリリュー島の戦跡に詳しい現地の日本人から説明を受けると、大勢の人が犠牲になった砂浜に向かって一礼されました。

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出発前の羽田空港で、天皇陛下は、今回の訪問について、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べられました。
戦後70年の節目にあたって、過去の戦争を忘れてはならないという強いメッセージでした。

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ペリリュー島で最後まで戦って生き残った34人のうちの1人、福岡県の土田喜代一さん(95)は、「両陛下がペリリュー島に非常に関心を持たれているという、その気持ちが、いちばんうれしかったです。ペリリュー島のことは、これまで世の中に知られてこなかったと思いますが、両陛下の慰霊をきっかけに戦いの島であったと世の中に知られ、非常にうれしいです」と話していました。

かなわなかった慰霊

この日、慰霊碑には、パラオをはじめ、ミクロネシア、マーシャル諸島の3か国の大統領夫妻も訪れ、両陛下に合わせて戦没者を悼みました。
この3か国は、いずれも太平洋戦争で多くの人が犠牲になった太平洋諸島の島々です。

天皇陛下は、長年、これらの国々での慰霊を希望されてきました。
天皇陛下は、戦後50年を迎えた平成7年に、被爆地の長崎と広島、それに沖縄を訪ね、戦争の犠牲者を慰霊されました。
その後、ほどなくして、パラオなど南太平洋の島々で戦没者の慰霊ができないかと側近に話されるようになりました。
10年前の戦後60年の際には、サイパン訪問の前に3か国への訪問が検討されましたが、交通手段を中心とする受け入れ体制が整っていなかったために見送られ、サイパンを訪問されることになりました。

訪問実現のいきさつ

しかし、天皇陛下は、戦後70年を前に、再びパラオでの戦没者の慰霊を望まれます。
天皇陛下は、おととしの暮れ頃には、戦没者の慰霊のためパラオへの訪問がかなわないかという気持ちを、宮内庁のごく一部の幹部に示されていたということです。
天皇陛下の意向を受けて、戦後60年の際に訪問が見送られた国々も水面下での検討の対象となり、唯一、日本との間で定期的な航空便が運航されているパラオが、現実的な訪問先として浮かび上がりました。
そして、海上保安庁の巡視船を派遣して、巡視船に搭載されたヘリコプターをペリリュー島との移動に使うことで、慰霊の旅が可能になりました。

厳しい日程で負担軽減に努力

一方で、今回の旅は、日本から3000キロ余り離れた熱帯の島国パラオを片道4時間半かけて1泊2日で往復するというものでした。
さらに、慰霊に加えて国際親善という側面もあり、両陛下は、限られた時間の中で多くの行事に臨む厳しい日程をこなすことになりました。

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また、巡視船での宿泊という異例の対応も加わりました。宮内庁は、両陛下の負担を少しでも軽くするよう、最大限の努力を求められました。

戦没者への思い

今回の訪問で、天皇陛下はパラオでの慰霊という10年越しの願いをかなえられました。
両陛下に10年余りにわたって仕え、サイパンにも同行した渡辺允前侍従長は、戦後60年の際にパラオ訪問を見送ったときのことを振り返ったあと、
「その後また(パラオ訪問を)おっしゃったということで、やはり強いお気持ちがおありで、今回の訪問につながってきたのだろうと思う」と述べました。

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そのうえで、「310万人を超えると言われる日本人の戦没者うち相当数の人が海外で亡くなっており、やはり海外で慰霊をしたいと考えられたのだと思う。南太平洋の島々は、それぞれが激戦地で、日本政府も慰霊碑を建てている。そういうところで慰霊をしたいというのがいちばんのお気持ちだったと思う」と話しました。
そして、「究極的には、世界の平和を祈られている。戦争の犠牲者の慰霊も日本人だけではなくて、あらゆる国のすべての人ということだろう。両陛下の戦没者の追悼は、終わりがない、本当にご生涯を通じてのことなんだろうと思う」と語りました。

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国内での慰霊にとどまらず、海外の戦没者にも思いを寄せ続けられてきた天皇陛下。
晩さん会のスピーチで、天皇陛下は「ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」と述べられました。
今回の両陛下のパラオ訪問は、一貫して戦争と向き合い、平和を願われてきたお二人を象徴する旅となりました。


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