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【社説】

天皇パラオ訪問 悲しい歴史の思い深く

 天皇、皇后両陛下は太平洋戦争の激戦地パラオへの慰霊の旅を終え帰国された。訪問に際してのお言葉「悲しい歴史があったことを決して忘れてはならないと思う」との深い思いを引き継ぎたい。

 戦後六十年のサイパンに続いて七十年の節目でのパラオ訪問。自ら希望されたといわれる激戦地への慰霊の旅の強い思いは、八十一歳と八十歳になられる両陛下には過密過酷にもみえる一泊二日の日程と旅程にも刻まれている。

 日本から三千キロ南のパラオの国際空港までは民間チャーター機、宿泊は大型巡視船「あきつしま」の船長室を改造した船中。日本軍の守備隊一万人がほぼ全滅、米軍の約千六百人が戦死し、戦後に「西太平洋戦没者の碑」が建てられたペリリュー島への移動は、巡視船備え付けの大型ヘリコプターでパラオ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の三大統領が同行した。

 両陛下は日本から持参した白菊の花束を慰霊碑に供えられたが、陛下が祈られたのは日本人のためばかりではない。夕食会で「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」と述べている。また、日本軍はパラオの人々を安全な場所に避難、疎開させる措置をとったとされるが「空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましい」と憂えた。

 天皇陛下は皇太子時代の一九七五年に初めて沖縄を訪問、ひめゆりの塔では過激派の火炎瓶を受けたが、その際「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉であがなえるものではない」との談話を出されている。その言葉通り、両陛下の犠牲者への祈りは戦後五十、六十、七十年と歳々深まり、二人の姿ににじんでいる。

 昨年七月の集団的自衛権行使容認の閣議決定や与党間合意の安全保障法制の整備。戦争をできない国からできる国へ、戦争をしない国から戦争をする国へと進みかねない日本。両陛下が節目の会見で言及されるのは歴史を学ぶ大切さと平和の尊さだ。

 「歴史が忘れられていくのではないか」(即位二十年)「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のありかたを考えていくことが、今、極めて大切」(ことし新年の感想)。そして、今回の忘れてはならない悲しい歴史。かつて「この子どもらに戦あらすな」とうたった皇后陛下。そのためにも戦後七十年、一人ひとりが思いを深めたい。

 

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