可能性 異知
奈良崎で御座います。
いや・・・
奈良崎だったもので御座います。
私の推論が正しければ
今の私は奈良崎から切り離された存在・・・
お嬢様方の知っている奈良崎から
2時間ほど前に切り離された
奈良崎の別の可能性
この暗い部屋から出ることは叶わず
ディスプレイだけが光っている
僅かに光るディスプレイだけが
周りの状況を知る手掛かりである
机、その上にディスプレイがあるが
ケーブルが繋がっている様子もない
部屋の温度は暑くも寒くもないが
空気が流れていく気配もない・・・
窒息の可能性も感じないがそれが逆に腑に落ちない
いや・・・
腑に落ちなくもない
私は現実から切り離された存在である
現実の常識からも切り離されている可能性すらある
時計は・・・
見当たらない時間の概念すらあるかも疑問だ
切り離された2時間前すらも
それが本当に2時間前だったのか
自覚以上の確証もない
時折
・・・ゴンッ
・・・ゴンッ
と部屋の何処からともなく
低い音が聞こえる
それが壁や床を叩く音にも
自分の心臓の音にも聞こえてくる
この狭くも広くもない部屋に響く音が
私の平常心を弄び
口の中が異様に乾く
血の味にも似た味以外の感覚だけが
五感を支配している
現状の把握はこれ以上できそうにない
この密室では人間の精神を・・・
いや
私の精神を維持できなくなるのは明白だ
この部屋に長く居てはいけない・・・
その直感だけが鋭く意識をえぐる
・・・・
・・・・
焦る自意識を嘲るようにディスプレイに文字が躍る
画面に自動筆記のように文字が浮かび上がっていた
いや・・・自動筆記にしては辿たどしく
言葉を紡ぐようなそんな速さで綴られている
私の心の声が・・・
この部屋で私は声を発してはいない
頭の中で思う言葉が文字となる
私のこの部屋での心の文字がまるでログのように
赤裸々に書き出されていた
おかしい
そんなはずはない
だれだ?
そんな・・・
冷静さを保たなければ
こんなことをする意味は?
・・・
心を静めろ
・・・
・・・
夢なのか?
そうだ
夢だ
これは夢なんだ
早く覚めろ
目を強く閉じろ
意志の力で夢から出るんだ
起きろ
起きろ
起きろ
・・・・
これは夢だ
夢なんだ
いいえ
夢だ
いいえ
文字が増えている?
いいえ?
「いいえ」だと?
そんな言葉思ってない
・・・ブヅッ
画面が暗くなる
不愉快なフォントは消え失せ
涼しげなスクリーンセイバーが映る
眩暈がした
誰かが私を惑わせるのか
体温の下がるのを肌で感じる
冷や汗が止まらない
「奈良崎さん」
「ご飯どうします?」
気がつくと画面には映像が映っていた
会話をしてるようだ
画面には隈川と漆野が写っていた
間違いない
これは私の視点で写っている
私の知らない映像だ
記憶を辿ってもこのシーンは見覚えも記憶もない
「米よりも麺がいいな・・・」
漆野「ラーメンとかどうですか?」
隈川「自分は何でもいいです」
「行ったことのない店がいい」
漆野「それなら・・・あの新しい店はどうですか?」
そんな会話が聞こえる
これは・・・きっと
私とは別の可能性の奈良崎の視点だろうか?
懐かしさと自分の置かれている状況の差異に
心が掻き毟られる
「隈川・・・うるsh・・・」
思わず唇が動く
・・・ガタッ
後ろで音がした
足音か
落下音か
自分のすぐ後ろに何かの気配がした
「奈良崎さん・・・帰りますよ?」
声は私を呼ぶ
低く穏やかな声で私を呼ぶ
「奈良崎さん・・・」
振り向かずにはいられなかった
孤独と不安に耐えられなくなった私に
背を向け続ける選択肢は無かった
「奈良崎さん・・・」
隈川が目の前で私を呼ぶ
だが私は確証がある
これは隈川ではない
この可能性に隈川はいない
「ならさきさん・・・」
私の名を呼び手を差し出すそれは
隈川ではない
証拠もない
かといって私の知る隈川との違いもない
しかし直感は叫んでいた
これは隈川ではないと
「ならさきさん・・・」
近づくこともせず私を呼ぶ
これは夢だ
夢でないなら幻だ
まやかしだ
強く舌先を噛む
視界が歪んだ
目の前には
私によく似た何かが立っている
ディスプレイには私の心の文字が浮かんでいた
舌先から血の味がする
急激に意識が戻り始める
白昼夢?
冷静さが私を支配するより先に
目の前のそれが呼ぶ
目は赤々と汚く光り
肌は爛れ
口は大きく裂けている
どう見ても自分とは似ていないはずなのに
似ている・・・と意識が訴える
強烈な腐敗臭とともに
「なら・・さ・き・・サん・・・」
手を差し出し私を呼ぶ
恐怖と砕けそうな意識で動けない
「なラ・・サき・さ・・・ん・・」
声で威嚇もできそうにない
静かに時間だけが流れる・・・
眼前の異形の者の声が止まる
赤々とした目が大きく瞬きする
「・・・ぁ・・ッ」
声を振り絞り冷静さを取り戻そうとする
それに気がつき首をかしげたそれは
大きく息を吸い
「目が覚めてたか・・・」
口を開く
「勘のいい馬鹿は嫌いだよ」
その声は紛れもなく
私の声だった
赤く爛れた大きな手が私の腕を掴む
私に抵抗する冷静さは残っていなかった
両腕を掴まれ
口が大きく開く
異様に大きな歯が
私の首筋にズブズブと音を立て沈んでいく
「・・・・・・・・・・・・・・」
声が出ない
痛みもない
安堵に満ちた甘い意識が脳を満たしていく
体中の意識と体液が首筋から吸い上げられていく
自分の体が干からびるような感覚と逆に
牙を立てほくそ笑むそれが生気を帯びていく
大きく口を開け牙を離すそれが
饒舌に語りだす
「どうしてこんな事に?って思ったな?」
「自分が何をしたんだ・・・って思った」
「そう思った・・・だろう?」
言葉も出ない
手のひらから水がこぼれる程度の意識しかない
「答えなんてあってない」
「お前がお前だからさ」
そう言って笑う声は
そう言って笑う顔は
紛れもなく
自分だった
「これで最後・・・」
先程から比べて小さくなった口が
それでも大きく開く
「・・・これでまた奈良崎に近づく」
その言葉と同時に私の干からびた首筋に
荒く歯をたてる
ズッ
首筋から小さく音を立てると
私の意識はそこで途切れた
目が覚めると
暗い部屋にいた
ディスプレイには
心の文字が浮かぶ
部屋には
朽ちた大きな窓と割れた大きな鏡が増えていた
割れ残った鏡には
まずは一つ
赤い文字がディスプレイの光に照らされている
奥に映るはずの自分の姿は
首筋に大きな古傷のある
自分のようで自分でない
言いようのない違和感のある自分が映っていた
限りなく自分であるが
自分であると言い切れない
まるで見えない何かを奪われた自分の姿
あるべき物が奪われていた
このまま自分を失いながら
奈良崎から遠くなり・・・
別の何かになり
朽ちる
いや・・・
消える?
言いようのない恐怖が体を支配する
悪寒と眩暈が交互に顔を出す
強烈な吐き気の中
新鮮な空気を求め朽ちた窓を叩く
朽ちた窓は音を立て外に崩れた
外には見知らぬ景色が広がっていた
景色と言っていいかも疑うような外の世界
いや・・・
知っていたがその記憶を奪われたのか?
それとも本当に知らなかったのか?
そのまま私は窓の外に落ちる
落ちて命を落とす心配も不安も無かった
どこかに通じている
そんな思いだけが体を動かした
落下の中意識を失い
気が付くと
知らない電車の中にいた
誰も乗っていない
窓の外に景色もない
地下鉄・・・?
自分の意識の混乱よりも
自分が奈良崎から遠ざかる前に
取り戻す
そう
奈良崎であることを取り戻し
そして
お屋敷の奈良崎の意識に統合される
それだけが目的である
それが今出来ること
お屋敷の奈良崎に気がつかれ
拒絶されるほどの距離が出来る前に
お屋敷の奈良崎に知られる前に戻る
それができなければ
この恐怖だけの世界の舌の上でころがされる飴玉
それだけの存在になり果てる
どうせ勘のいい馬鹿だ
その言葉を思い出し
目の前の景色を整理する
願わくばこの意識とログがどこかに届く事を・・・
私はまだ一つ奪われただけだ
それとも
もっとたくさん奪われていた?
その記憶も奪われた?
考える必要もない
出来ることは限られている
そのことを考える必要もない