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両陛下 パラオで慰霊終え帰国の途に
4月9日 17時11分

両陛下 パラオで慰霊終え帰国の途に
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太平洋戦争の戦没者の慰霊などのため、パラオを訪れていた天皇皇后両陛下は予定された日程をすべて終え、帰国の途につかれました。
両陛下は9日夕方、パラオ国際空港で、レメンゲサウ大統領夫妻からお別れのあいさつを受けられました。続いて、パラオ側の関係者をねぎらうなどしたあと、チャーター機に乗り込み、午後4時45分ごろ、帰国の途につかれました。
両陛下は9日午前、太平洋戦争の激戦地ペリリュー島にある日本政府の慰霊碑を訪ねられました。そして、パラオでの戦闘で生き残った元日本兵や犠牲者の遺族らも見守るなか、日本から持参した白い菊の花を供えて戦没者の霊を慰められました。
両陛下はこのあと、元日本兵や遺族ら一人一人に「残念でしたね」とか「どうぞお元気でね」などとことばをかけられました。最後に天皇陛下が皇后さまと集まった人たちに向き直り「どうぞ皆さんお元気で。お大事にね」と再び声をかけられていました。
このあと、両陛下は日本軍とアメリカ軍が激しい戦闘を繰り広げた「オレンジビーチ」のそばにあるアメリカ軍の慰霊碑も訪ね、自分たちで整えた花輪が立てかけられると黙とうをささげられました。そして、ビーチの近くまで歩いて、多くの人が犠牲になった砂浜に向かって一礼されました。
両陛下はこのあと、休憩に立ち寄った施設のそばで住民の代表と懇談し、「戦争のときは大変でしたでしょうね」「お元気でいらしてください」などと話しかけられていました。両陛下を乗せたチャーター機は9日夜、羽田空港に戻る予定です。

元兵士「本当にありがたいこと」

当時、日本軍の守備隊の主力となった水戸歩兵第2連隊に所属し、現地の激戦で最後まで生き残った34人のうちの1人、茨城県茨城町に住む永井敬司さん(93)は両陛下の慰霊の様子を伝えるテレビのニュースを自宅で見守りました。
永井さんは「パラオへのご訪問は本当にありがたいことだと思う。ペリリュー島での戦闘ほど悲惨なものはなく、二度と戦争のない日本にしてほしい」と語りました。
そのうえで、今も日本側だけでおよそ2600人の遺骨が見つかっていないことから「今回のご訪問は一つの区切りだと思うので、遺骨収集も大いに力を入れてほしい」と話していました。

「熱心に聞いていただいた」

日本軍とアメリカ軍が激しい戦闘を繰り広げた「オレンジビーチ」と呼ばれる浜辺で両陛下の説明役を務めたパラオの旅行会社の支配人、菊池正雄さんは「オレンジビーチの由来やここで激しい戦闘があったことを説明し、大変熱心に聞いていただきました。皇后さまが『島の人たちがお墓をいつもきれいにしてくれているんですね。ありがたいですね』とおっしゃっていたのがとても印象的でした」と話していました。

大統領「パラオ人にとって宝物に」

パラオのレメンゲサウ大統領は、天皇皇后両陛下を見送った直後、NHKのインタビューに応じ、「天皇陛下は訪問している間、ずっと『パラオで戦死された方々への追悼の気持ちでいっぱいだ』とおっしゃっていました。
また、『これからも日本とパラオ両国の関係が固く強くなるよう願っています』と語られていました」と振り返りました。
そして、「今回、パラオ側も国を挙げて歓迎し、パラオ人にとって宝物となるようなすばらしい思い出になりました。
両国には戦争という暗い過去もありますが、過去を学びつつ、明るい未来に向けてこれから進んでいこうという意義深いご訪問だったと思います。
今後も両国の協力関係がますます深まることが私たちの願いです」と話しました。

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