ヤフーが検索結果の「見せる」「見せない」を判断することへの違和感と懸念点
ヤフーは3月30日、同社の提供する検索サービスについて、検索結果の削除基準を公表しました。
ヤフーは、去年11月より、「検索結果とプライバシーに関する有識者会議」と題する会議を開催して「検索結果ページの表示とプライバシーとの関係」について検討を行っており、今般、その検討結果の報告に併せてこの基準を公表したといいます。
すなわち、「インターネット検索サービス」を提供しているヤフーが「自分たちの提供しているサービスが、プライバシーとの関係で何が問題か」を議論した会議の結果に基づいて、「プライバシーを理由に検索結果を表示しない場合の基準」を発表したといえます。
自分たちの会議に「有識者会議」と名付けるのもどうかと思いますが、それはさておき、この有識者会議の報告書では、
(1)今や、検索サービスは社会生活にとって不可欠の存在であること
(2)検索サービスを提供する企業に対し、自分の関係する検索結果を表示しないよう要求する権利はあるのか
(3)あるとしたら、人格権に基づく要求が考えられる
(4)ところで「忘れられる権利」とは何か
といった内容がまとめられています。
これらの報告を受けてヤフーは、あるキーワードでヤフー検索した結果、一般人の氏名、住所、電話番号、家族関係、また病歴やかなり昔の軽微な犯罪などの情報が表示される場合には、そのような情報を非表示にしたり、場合によってはリンク先も表示しない、という基準を採用しました。
●個人情報を非表示とすることができる?
話の全体像を把握しにくいという人のために、もう少し噛み砕きます。例えば、ヤフー検索で「山岸純」を検索すると、まず「山岸純−Wikipedia」というタイトルと「山岸 純(やまぎし じゅん、1930年9月14日 - 2000年12月17日)は、日本画家、日本 芸術院会員。 京都市生まれ。1953年京都市立美術大学日本画科卒。1955年同研究 科修了、徳岡神泉に師事」というコメント(スニペット)が出てきます。これは、ウィキペディアの故山岸純画伯のページです。
また、「弁護士法人アヴァンセリーガルグループ」というタイトルと「山岸純弁護士の執筆記事が掲載されました。 『故人の海外預金、払い戻しは困難? 100万円&3年かかる場合も 安く短期で実現する方法』 ※外部サイトへリンクします」といったコメントも検索結果として表示されています。
この時、もしも、どこかの誰かが、どこかのウェブページに、筆者の住所や家族関係、過去の犯罪歴などを記載していた場合、「山岸純」と検索するだけで、そのウェブページのスニペットも表示されてしまいますので、当然、その内容も知られてしまうわけです。
もし、インターネット検索サービスがなかったならば、筆者の個人的な情報が記載された「誰かが作成したどこかのウェブページ」を見るためには、インターネット・ブラウザのアドレスバーに、そのページのURLを正確に入力しなければなりませんので、URLを知らない人の目にさらされることはありません。
しかし、現実には検索サービスによって、個人的な情報が簡単に万人の目に触れてしまうのです。
そのため今回、ヤフーは、
(1)このような個人的な情報については、当人から要求があった場合、スニペットを表示しないこととします
(2)さらに、個人的な情報が記載された「誰かが作成したどこかのウェブページ」について、裁判所が「削除せよ」との判決を出しているなどの場合には、スニペットだけでなく、そのウェブページ自体を検索結果に表示しません
としたのです。
もちろん、ヤフーは個人的な情報が記載されているページについて、すべて非表示に応じるというわけではないようです。
まず、その情報が政治家や著名人のものである場合、一般人であっても前科や過去の逮捕歴、懲戒処分などの処分歴の場合は、非表示の要求には応じないという方針で考え、その情報が未成年者のものである場合、身体的なことやいじめ被害などの過去の被害に関する情報の場合は、非表示の要求に応じる方針のようです。
ここまでが今般のヤフーの発表内容です。しかし、筆者は、この発表に違和感を覚えずにはいられません。一見すると、「ヤフー検索で非表示とする場合について公明正大な基準を定めました」と聞こえ、個人的な情報をウェブ上でさらされてしまった被害者の救済につながることをアピールしているようです。
●基準を民間企業が独自に設定することに対する違和感
しかし、その本質は、検索結果を表示する・表示しないの判断、すなわち、「世界中のウェブページを見せる・見せない」の判断を民間企業であるヤフーが、同社独自の基準で行いますと言っているように思えます。
インターネットが、「情報媒体」として世界に広く開かれたツールであることは自明ですが、インターネット検索サービスを提供している民間企業が、あるウェブページについて「見せる・見せない」の判断をするのは、とても違和感を覚えます。
前記の発表によると、「検索結果に関する一連の作業は、一定のアルゴリズムに基づき自動的・機械的に行われている」とのことです。
要するに、例えば「弁護士」に関係するウェブページを探し出すことや、「弁護士」に関するウェブページをどう選別して、どの順番で検索結果を表示するかは、すべて自動的に行っていますとのことですので、そこに「ある特定の弁護士のウェブページを、検索結果の上位に表示する」といった恣意的な作業が働いていないのであれば、それ以上に特定のウェブページを「見せる・見せない」と判断する必要はないと思うからです。
もちろん、「児童ポルノを掲載しているウェブページなど、それ自体が犯罪を構成するウェブページの検索結果を表示することは、幇助(犯罪の手助け)となってしまうリスクがあるので表示しません」というなら、とてもわかりやすいです。
しかし、ヤフーが発表しているように、「(ウェブページによって)被害を受けた人の法的利益と、その情報を公表する理由を比較衡量してウェブページを表示するかしないか判断します」というものでは、人がやることである以上、傾向、恣意、バイアスがかかるであろうことは目に見えていますし、果たして、ヤフーが「ウェブページで情報を公表する人の利益」のみならず、さらには「ウェブページ上の情報を見たい人の利益」をどうやって代弁するのか、まだまだ議論がし尽くされていないような気もします。
ここで筆者は、「知る権利」を大上段に構えて議論するつもりはありません。知る権利は、あくまで「情報の入手について国に邪魔されない権利」「国に国の情報の提供を求める権利」といった意味と解釈されていますので、民間企業であるヤフーに対して知る権利を主張する前提を欠くからです。
そうではなく、インターネット検索サービスを提供する民間企業が定める基準でウェブページを見ることができないとなっては、情報がコントロールされてしまう恐れを感じてしまうからです。「インターネット検索サービスを使わなければいい」という意見もあり得ますが、あまり時勢を理解したものではないと考えるので、ここでは検討を除外します。
時間がかかる、大量処理ができない、臨機応変な対応ができない、という問題はありますが、やはりウェブページのコントロールについては、国民の権利義務関係を最終的に判断する裁判所などの司法機関が、特定の人の権利侵害の訴えに基づいて判断するべきではないでしょうか。
(文=山岸純/AVANCE LEGAL GROUPパートナー弁護士)