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伝統的に伝えられてきた占星学における12宮星座の物語は、
人や存在についての生死観を表現しています。
一種の生死のサイクルのような概念は、は仏教やインドの宗教概念にも
見られる発想だと思いますが、
ヨーロッパの先住民なども持っていた概念でしょう。
これらはギリシア神話とは異なります。
人は生まれて死にますが、その出来事を天の星座に当てはめて、
全体として連続した一連のストーリーとして構成されています。
個々の星座の物語は独立して存在していません。
古代オリエントの星座物語は、若干ですが悲しくも切ないものです。
現存する占星学から星座に割り当てられた意味や物語を再構成することができますので、
その一連のストーリをここに書いておきます。何らかのお役に立てれば幸いです。
1,おひつじ座は一番最初の天地創造の物語と関連して語られます。
キリスト教においては羊飼いは特別な存在で、古代オリエントでも
羊は王を意味します。
生まれた存在が羊に結び付けられ、それらは最初、創造、先導者
と結びつけれれるのです。
羊飼いが先導者となるその意味は、この星座の意味であります。
2,牛を意味するおうし座は2番目に来る星座で、生まれた存在の
成長過程を豊穣を意味する牛に充て、
この世に生まれ、やがて成長してゆく存在が、農耕における牡牛のように
ゆっくりと確実に成長する過程を牛のイメージや物語で表現しています。
3,双子座は3番目の星で、一つのモノが二つに分化する物語を語っています。
生まれた存在がやがて男女の性差がはっきりとしてくるように、
ある種の二元論が分化によって現れる様子を、
一卵性双生児の双子として天の星に当てはめます。
4,かに座は4番目の星座です。太古、海は謎の多い世界でした。
そこに住む蟹(かに)は、姿形の異様さからも当時の内陸部に住む人々に対して
強い印象を与えたようです。
海という未知の世界に潜む奇妙な生き物というイメージが、かに座には存在します。
そしてこの未知の水面下に生きる生物の存在が、生まれた存在の無意識という概念の発生と
無意識を支配している生物として登場してきます。
5,しし座は5番目の星座で、トラやライオンのような動物を表現します。
ネコ科の猛獣は大陸に広く分布しており、人々のその認識から
その力強さと結び付けられ、生まれて成長した存在が、やがて大人となり
大きく力を行使する存在となったことをトラやライオンの星としてこの星座の意味に置いています。
6,おとめ座は6番目の星座です。この星座は強い力を行使するのとは対照的に、
その繊細さが強調されています。
前回の力の行使による問題解決が必ずしも成功しない、
そうした強引さの失敗と反面的な結果が、逆に力の行使ではなく力をどのように使うか、
という繊細さを求める様子に描かれ、それらを女性的な物語のおとめ座という星座に充てています。
7,てんびん座は7番目の星座です。力の誇示と、その力の使い方に繊細さを求めた存在は、
さらに公平性について、計りという身近な道具を星座に割り当て、その二元論的な物事に対する、
バランス感覚と公平性を天の星座に物語として意味づけをしました。
8,さそり座は8番目の星座です。さそりは砂漠地帯における危険な動物で、当時の古代の人々は
さそりに刺されたら死を覚悟したでしょう。その意味がこの天の星座に意味づけられています。
生まれた存在が死に直面し、あるいは死を迎える様子が、蠍という動物が持つ毒によって
突然の死を迎えるという出来事に表現されています。
9,いて座は9番目の星座です。前回の物語で死を迎えた存在は、その死がどうしても認識できません。
いて座が半身が人間で、半身が動物であり、非現実的なエンブレムとして星座に描かれているのは、
彼が死んでいるのに生きている時のように振舞っていることを意味します。
非現実的な図柄であるのは、この星座以降の意味が死後を意味するからでもあります。
彼は生前のように大きな力を振るうことを意識して矢を持ちますが、下半身は動物となっていて、
もはや生きている時の彼自身ではありません。この星座はそれらを表現しています。
10,やぎ座は10番目の星座です。存在が死を迎え、その事実がどうしても認識できない経験をしたあとで、
しかし彼は次第に理解してゆきます。
あの世に来てしまったことを理解しつつも、しかし彼は生前の物事に強く執着するのです。
死を理解しつつも、決して忘れることが出来ない、失いたくない物事について、彼は強く執着するのです。
それが動物のヤギのように素直さと頑固さを持つ動物と、半身がもう既に魚になってしまっている非現実的な
動物として表現され、あの世に旅立たなければならない様子を、この天の星座に描かれているのです。
11,みずがめ座は11番目の星座です。存在の死後、彼はあの世で生活しています。
現実のこの世の世界に永遠の泉を供給するという姿が、このみずがめ座です。
既に彼は存在しませんが、生まれた存在が、やがてあの世に旅立ったあとで、彼は現実世界に対して、
尽きることのない泉をこの世界に供給しつづけてくれています。
それが彼のこの世に対する仕事なのです。星座に水瓶を持った男性が描かれているのは、その様子を描いています。
12,うお座は12番目の星座です。生命の存在の死後、その存在は原初に再び戻ってゆきます。
この星座は天の12星座の一番最後の星座であり、終わりの星座です。
万物の生命は地球上の海から生まれました。その海にあらゆる存在は戻ってゆくという意味を、
この星座は描いています。
しかし、再び始まりに戻ったとしても、それはかつての始まりの時とは違っています。
うお座の星座に、二匹の魚が描かれ、それらが違う方向に進もうとしている絵を充てているのは、
彼がたとえ生命の原初に戻ったとしても、何らかの希望や方向性がかつてとは異なっていて、
若干矛盾をしているという事を表現しています。
かつて二人が時を共有し一緒に過ごしたとしても、原初に戻った時、再び一緒になる方向性を目指すか
というと、お互いの心のその希望する方向性が違ってしまっているのです。
うお座は二匹の魚が異なる方向に進むという図柄で心の内面の違いを表し、この星座の物語を終えています。
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