「アリの一言」(「私の沖縄日記」改め)ブログを主宰するK・サトルさんの下記の天皇の「お言葉」批判は20年ほど前まではごくふつうの天皇の「お言葉」批判というべきものだったでしょう。それがいまはそうではない。天皇皇后のパラオ訪問の本質を突いている論として光って見えるのです。どのように光って見えるのか。ご自身の目で確かめるためにまずは「アリの一言」ブログ主宰者の論をお読みください(改行と強調箇所は引用者)。

天皇皇后のパラオ訪問ー「戦争責任・謝罪」なき「追悼」
(アリの一言(「私の沖縄日記」改め) 2015年04月09日) 

天皇と皇后のパラオ訪問(8~9日)(略)の論調は例外なく、「両陛下のお気持ちを私たちもよく考える必要がある」(古舘キャスター)など、「平和を願う慰霊の旅」として賛美・絶賛するものです。しかし、天皇・皇后のパラオ訪問は、はたしてそのように評価できるものでしょうか。
美化された映像・報道の裏で、重大な問題が不問に付されていると言わざるをえません。天皇は8日の晩さん会でのスピーチでこう述べました。「先の戦争においては貴国を含むこの地域において日米の熾烈な戦闘が行なわれ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧めるなど、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」日本軍はパラオ住民の「安全に配慮」したが「犠牲者」が出たのは「痛ましい」と、まるで他人事のようです。しかし、パラオ住民が犠牲になったのは、戦争に巻き込まれたからにほかなりません。その戦争の最高責任者は誰だったのか。言うまでもなく、現天皇の父である昭和天皇です。(略)

昭和天皇と
パラオの激戦」との間には、たんに戦争の最高責任者であったというだけではない特別な関係がありました。中川州男ペリリュー島守備隊長以下日本軍の「徹底抗戦」の背景に、天皇の異例の“後押し”があったのです。「中川守備隊長は毎日、ペリリュー本島のパラオ地区集団司令部へ戦況を無線で報告した。それが大本営へ転電された。大本営はつとめてそれらを公表し、そのつど新聞紙上を飾った。太平洋戦争としては珍しく同時進行の大本営発表がおこなわれたわけである。ついには天皇も、『今日のペリリューはどうか』と側近に尋ねるほど、高い関心をもって見守られた。戦闘中に守備隊に対する“御嘉尚(ごかしょう)”は11回におよんだという。1回や2回というケースは少なくないが、11回とは異例だった。御嘉尚とは、『よくやった満足だ』という天皇のおほめの言葉である。こういう場合は万難を排して部隊に伝達されたのである」(前掲『図説 玉砕の戦場』)結果、膨大な死者を出しました。昭和天皇はペリリュー島の「徹底抗戦」を11回もほめちぎり、それに新聞も一役買って、日本全体の「戦意高揚」を図ったのです。

天皇・皇后のパラオ訪問が、まるで他人事のようになった根源は、実は出発前に天皇が行った
スピーチ(羽田空港)に表れていました。天皇はこう述べました。「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ人となった人たちが深く偲ばれます」耳を疑う発言です。南島で戦死した兵士は、「祖国を守る」ために戦地へ行ったのか。そうではありません。日本帝国主義の侵略戦争のために、その戦線を守るために派兵され、玉砕したのです。侵略戦争を「祖国防衛戦争」であったかのようにいい、戦争責任を棚上げすることは許されません。裕仁天皇の長男であり、父から「天皇制」について折に触れて教育を受けた明仁天皇が、天皇の侵略戦争の責任、現地住民や沖縄、朝鮮人への差別に目をそむけ、多大の犠牲を生じさせたことに「謝罪」の言葉もないまま、慰霊碑に供花しても、それは真の追悼とはいえないのではないでしょうか。

「アリの一言」ブログ主宰者は「安全に配慮」という言葉、「犠牲者」という言葉、「痛ましい」という言葉の連関を読み逃していません。だから、「まるで他人事のようです」と天皇の言葉の無自覚ゆえの虚を明徴にすることができています。そのことを明徴化しえているゆえに「『謝罪』の言葉もないまま、慰霊碑に供花しても、それは真の追悼とはいえない」と天皇の「お言葉」を批判する視点を獲得することもできているのです。
 
対して、いわゆるリベラル・左派の天皇評価とはどういうものか。あるひとりのリベラル・左派のブログ主宰者の天皇評価は次のようなものです。まず「戦後70年にあたり戦没者を慰霊し平和を祈念」という天皇、皇后のパラオ訪問時の写真が飾られてその下に以下のような賛辞が添えられています。
 
いつも思うのですが、お二人の表情が年々美しくなっていく。明仁天皇と美智子皇后は黙々と平和のための活動をされていますが、ここまでお二人が頑張らないといけないのは、今の日本の元首が安倍首相だからじゃないでしょうか(天皇が元首と言うのは少数説。元首は国の象徴であると同時に、政治的権能がないといけないから)。(Everyone says I love you ! 2015年04月08日
 
「お二人の表情が年々美しくなっていく」というのはわからない感想ではありませんが、先の戦争におけるパラオ住民の惨禍について自らの国の戦争責任に無自覚なままに「まるで他人事のよう」に言う天皇のパラオの晩さん会における「お言葉」に対する批判の視線はつゆほどもありません。この人も戦争責任について天皇と同様無自覚というべきであり、これが私たちの国のいまの一個のリベラル・左派のふるまいのありようなのです。
 
ここから私たちはなにを反省するべきなのでしょうか? 「荒れ野の40年」と邦訳された1985年の有名な演説の中でワイツゼッカー元ドイツ大統領は次のように言っていました。その言葉を置いておくことにします。
 
過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも、目を閉ざすこととなります。
 
非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです。
 
そして、不遜ながら以下の私の言葉をつけ加えておきたいと思います。
 
たとえそれが無自覚的な行為であったとしても。

追記:
人を「腐す」という所為は精神衛生上心地よいものではありませんし、もうこれ以上は書くまいと思っていましたが、孫崎享氏の以下のツイートを見て改めて煮えたぎるものを感じましたので以下追記しておきます。池田香代子さんのリツイートも付加しておきます。

・内田樹Twitterリツイート(2015年4月10日)

・池田香代子Twitterリツイート(2015年4月08日)

孫崎享氏のツイートするWSJの記事にはパラオの海の彼方の戦没者の亡骸に深々と礼を尽くす天皇と皇后の写真がクローズアップされています。また、小川一氏(毎日新聞東京本社編集編成局長)のツイートする毎日新聞の社説記事には「両陛下パラオへ 終わりなき平和の祈り」という見出しと「戦後70年の節目にあたり、激戦地に倒れた多数の戦没者を慰霊し、平和を祈る旅である」「両陛下の戦没者慰霊と平和への深い思いには、長い歩みがある」というリード文が置かれています。

そのそれぞれのツイートをリツイートする内田樹氏と池田香代子さんにもおそらく同感の思いがあるのでしょう。だから、リツイートする。これがいまのリベラル、あるいは左派の代表的(=有名)とみなされている人たちの思想状況なのです。そこにはパラオにおける天皇の「お言葉」に対する批判の視点など微塵もありません。いまという時代の「右傾化」の様相をよく示している事例というべきでしょう。そうした「右傾化」は、いわれるような革新的な「大同団結」に結びつくようなものではなく、逆に戦争へのポイント・オブ・ノーリターン(帰還不能地点)の道をさらに突き進んでいくだけのことにしかならないだろうというのが私の判断であり、私の「いま」という歴史の見方です。
先日、私は、「ちきゅう座」というブログについて、「石(玉石混交の「石」)の投稿が多い」という批判を書きました。そしてその際、「それは編集者の目の問題が大きい」という批判もつけ加えましたが、その傾向はますます顕著になっているようです。

「最新記事」と銘打って掲載している記事である以上、同記事は筆者自らが手がけた(あるいは筆者の独自の見解を述べた)記事であるべきですが、メディアに掲載された記事の単なる転載だけであったり、誰かを批判する記事である場合にはその批判の対象の記事で展開されている「論」の反批判であるべきですが、「論」の内容批判ではない単にその対象記事を書いた「人」を中傷するだけというレベルの記事ともいえない記事が多い。このブログの編集者の目は実のところ「編集者の目」ではありません。編集者のなんたるかをまったく心得ていない人の目、単なるプロパガンダの人の目というほかないものです。

「最新記事」紹介サイトとして「ちきゅう座」というブログの失格宣言をしておきたいと思います。もちろん、以上の意見は、私の目によるものです。
 
さて、「ちきゅう座」というブログのプロパガンダの主は「反原発」というべきものですが、その主張は、「除染して、福島に住む」(安斎育郎氏ら)ことの否定。すなわち、「原発大惨事が産み出す人工放射性微粒子による低線量放射線内部被曝から子どもを守る」ためには「ここ(福島)で暮らし、子どもを育てる」ことはできないというものです。
 
そうした主張(主観的には「善意」の)がいかに福島に住み続けている人たちを傷つけているか。以下は、そのことについて「福島」に関わり続けている 絵本作家、社会学者、医師の3人のそれぞれの声であり、主張です。そして、その3人の声の紹介が私の上記の「ちきゅう座」ブログ失格宣言のもう少し具体的な本論ということにもなります。反論しようとするのではなく、耳を澄ませてお聴きいただければ幸いです。

ふくしま
主人公まやを福島の小学校の同級生たちが「おかえり」と迎える場面
「ふくしまからきた子 そつぎょう」(絵本作家・松本春野) 
 
おひとり目。
 
インタビュー「フクシマを描く善意が差別や偏見を助長したかも」 絵本作家の松本春野さん(毎日新聞 2015年04月07日)
 
福島で生活する人から学びたい
 
絵本作家、松本春野さん(31)の新作絵本「ふくしまからきた子 そつぎょう」(父の松本猛さんとの共著、岩崎書店)が話題を呼んでいる。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に母と避難することを選んだ主人公の少女「まや」が、自分が通っていた福島の小学校の卒業式に戻ってくるという物語だ。反原発運動に参加する松本さんは、福島での取材を通じて「(反原発運動は)もっと福島で生活を送る人の声から学ぶべきだ」と感じたという。絵本作家、いわさきちひろの孫として注目された松本さんが福島での取材で何を感じ、どう考えが変化したのか。思考の軌跡をロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】
 
「福島」と「広島」 象徴的に重ねたが……
 
−−「ふくしまからきた子 そつぎょう」は前作「ふくしまからきた子」の続編です。前作から「そつぎょう」までの3年間、松本さんの間でどのような意識の変化があったのでしょう。
 
松本さん 2011年の夏に、私は福島県飯舘村から避難した小学校に取材に行きました。原発事故後の混乱や避難の話を聞いたのが前作の取材でした。母子避難をした子供たちの話を聞く中で福島から広島に母子避難を選ぶ主人公の姿が決まってきた。
 
前作は「ふくしまからきた子」と呼ばれた、まやが友人に受け入れられ、「まや」と呼ばれるまでの物語です。主人公はサッカーが好きな少女だけど、事故で傷つき、ボールを蹴ることに消極的になる。登場人物の男の子が2011年に活躍していたサッカー選手の名前を挙げながらリフティングをするシーンを冒頭に入れました。これは2011年の作品であることを強調するためです。物語全体のトーンも暗く、うつむいている子供の顔を表紙にしています。原発事故で、子供たちの心に与えた影響や不安を表現している作品といえるでしょう。
 
当時、私も混乱していました。初めて聞く、ベクレルやシーベルトといった単位に驚き、困惑し、そもそも「安全」なのか「危険」なのか。極端な情報が飛び交い、まったく判断ができない。その中で「子供」に向かって作品を描き続ける絵本作家として「福島の子供たち」を守る作品を作る。それが自分の使命だと思っていました。
 
今から思えば「ふくしまからきた子」というタイトル自体、「福島への差別を助長する」と思われても仕方ないですね。福島は広いし、放射性物質の汚染状況も違う。一律に語れないのに、私の意識の中で「『福島』に住んでいるのは危ない」「避難したくてもできない人ばかりなんだろう」「みんなが避難を選択したほうがいいのではないか」という思いがあった。それがタイトルや作品ににじんでいます。
 
避難を選択した方からは「よく描いてくれた」「自分たちのことを描いてくれた」と共感の声も寄せられました。一方で県内の人からは「つらくて表紙を開けない」「福島に残ることを否定されているようだ」という声も寄せられました。この声はずっと心に残っていました。
 
−−広島に避難するというのも象徴的です。
 
松本さん 「見えない放射能」「被ばく」というという事実から「広島」と「福島」を象徴的に重ねて描くという手法を採りました。当時はこれが最善だと思っていましたが、今では重ねられることで見えなくなる問題もたくさんあったと思います。
 
福島からの声を聞いて「もっと福島のことを知らないといけない」と思い、前作出版後に父と機会を見つけて、福島取材を続けました。
 
福島の人は「真実を知らないだろう」と思っていた
 
−−どのように取材を進めたのでしょうか?
 
松本さん 父が関わる「ちひろ美術館」のスタッフにたまたま福島出身の人がいて、そのお子さんの担任だった先生を訪ねることから取材を始めました。その先生は当時、伊達市立富成小学校の校長先生だったのです。その先生が伊達市や川俣町、飯舘村などいろんな学校の先生を紹介してくれた。そこから一人一人を訪ねて、子供たちの状況や学校の対策を聞いて回りました。
 
その他にも福島市渡利地区の「さくら保育園」、ツイッターでつながった福島市や二本松市のお母さん、美術館の職員や図書館の司書さん、反核・反原発運動に関わる人……。関係を作って、お話を伺いました。
 
これも今から思えば、前作を出版してからも私は取材でずいぶんと失礼なことを重ねたと思っています。「普通の生活を取り戻した」という話はメモを取らず、生活を取り戻すための努力に関心を示さなかった。「まだ、大変なことがあるのでは」としつこく聞いていました。「放射線に対する不安」が出てくると熱心にうなずき、「不安」に対処するために放射性物質を徹底的に測るという対策については共感を示さない。福島の人が悲しい顔をすることを期待していたんですね。そういう心の動きが顔に出ていたと思う。ひどい話です。
 
自分で認めるのはつらいのですが、心のどっかで福島の人を見くびっていたのでしょう。「たぶん、真実を知らないのではないか」「放射線に慣れてしまっただけでないか」と。
 
「福島に住む人は無知じゃない」 足りなかった想像力
 
−−「見たい福島の姿」だけを見ていた?
 
松本さん そうそう。でも、福島に関するデータがだんだん明らかになってきましたよね。
 
安斎育郎先生(立命館大名誉教授、放射線防護学。国の原発政策に批判的姿勢をとる)が除染や放射性物質の計測をアドバイスしてきたさくら保育園でも、国が出すデータを最初から信用せずに徹底的に再計測していた。そういう姿をみると、だんだん疑問も湧いてくるわけです。「あれ、なんか違うぞ」って。すごく詳しく計測の仕方を教えてくれるし、データについての解説も細かい。「国にだまされて、安全だと思い込まされているから福島に住んでいる」わけじゃないんですよね。
 
ある図書館の司書さんは涙を流しながら話してくれました。彼女の家庭にも小さなお子さんがいる。夫と一度は福島市内から避難を検討していた。でも、自分は図書館の鍵を最後に閉めるのが仕事だと。子供たちがいる中、自分から先に避難するわけにはいかない。放射線について勉強し「いまの線量なら避難はしない」と決断したそうです。
 
この決断を不勉強だと誰が責められるのか、と深く考えてしまいました。
 
福島に住むと決めた人は無知だから決めたわけじゃない。私たちが考えていたことよりたくさん勉強して、考えていた。当たり前ですよね。そんな当たり前のことすら私の想像力は及んでいなかったのです。
 
私が唯一、良かったのは「福島に何かを与えよう」というスタンスを取らなかったことです。特定の目的を持って福島に入らず、「福島の現実をみて学ぼう、福島から持って帰ろう」と。そこはぶれなかったですね。
 
「現場は複雑」 安易に考えていた
 
−−松本さんの考えが「ここで変わったな」という場所やエピソードはありますか?
 
松本さん 福島県中通りのある小学校でプールを再開した話ですね。当時の校長先生から伺った話です。除染が終わって線量が下がった時点で、プールに入れるかの判断を迫られた。この小学校は山あいの学校で、当時線量が高かった。そこの学校は授業として近くの林にワラビ採りに行くんですよ。自然環境を生かした中で教育活動をするのが特徴なんですね。これは原発事故後、できなくなった。山の木々が放射性物質で汚染され、線量が高いからです。学校が大事にしてきたものが奪われ、その上プールにまで子供を入れないのか。
 
線量が低い近くの小学校は(児童の)人数がとても多く、保護者がまとまらなかったからプール再開を見送っていた。でも、その小学校は幸いにして少人数の学校でした。保護者と教職員が話し合いを重ね、専門家による勉強会も開いた。徹底した除染を行った上に、数値の計測を重ねて、みんなで納得した上でプールを再開する決断をしたのです。つらい事故だったのは間違いない。でも、除染を重ね、プールが再開できるところまでこぎつけた。とても喜ばしいことだったでしょう。
 
しかし、これがニュースになり、報道されたとき、状況を知らない外の人たちから批判的な電話があったといいます。「福島の水を使うなんてとんでもない」「子供を守っていない」という趣旨だと思います。当時は私も「大丈夫かな」と思っていたので、こうした意見を批判できませんが。
 
でも、さくら保育園の先生方も強調していましたが、「鉛の箱で子供は育たない」のです。閉じ込めているだけでは子供たちの精神は参ってしまう。これも現実です。きっと福島のいろんな保育園や学校であった一歩一歩の前進が理解されない。
 
子供が遊べる環境があることが最善です。それを取り戻すため学校と保護者が協力してきた学校がある。一方で、みんなの納得や合意を積み上げるには時間がかかります。学校ごとに違う課題があり、考えながら決断している。どの学校の判断が正しいかという話ではなく、現場はとても複雑であり、慎重な判断をしているということを強調したいです。批判にありがちな「福島を安全だとアピールしたいから」といった単純な話ではない。過度に単純化してきたことについては私も同じです。想像力を使って、先生方や保護者の気持ちを考えると当時、安易に考えていた自分を責めたくなります。
 
−−「そんな場所なら避難をすればいい」という声も聞きますね。
 
松本さん 正直、私もそう思っていた時期はありました。私は東京で生まれ育っていますし、転勤も身近なものでした。「家」や「土地」に縛られない考え方の家庭で育ちました。
 
でも、取材で訪れた福島県伊達市の霊山地区に古くからある家の方を訪ねたとき、家にずらっとご先祖の写真を並べてあるのを見て、感じるものがありました。土地や家の持つ意味はそれぞれに違う。避難すればいいってものじゃない。線量や計測を重ねて、その土地に暮らすことを選択した人がいるという事実は、私が単純に考えていたより重いものなのです。
 
県内の先生たち、職員、メディア関係者もみんな「当事者」なんですよね。職場を離れたら、親であり、生活者です。子供や親……といった自分以外の誰かを考えるのは当たり前なんですよね。だから東京で暮らす私が疑ってかかることなんて、みんなとっくに疑っている。だから自分で数字と向き合い、決めてきた。決断の積み重ねが今なんです。
 
子供のはじける笑顔を描くことは難しい
 
−−取材を通じ「事実」を知って考えが変わった。そこで描かれた「そつぎょう」にはさまざまな意味が込められている、すごく象徴的な言葉です。
 
松本さん 一つは文字通り、まや、そして同級生が小学校を「そつぎょう」していく。それも笑顔で卒業する。この話を描くときに私の中で、一つだけ決めていたことがありました。前作はうつむいた顔が中心だったけど、取材に行った小学校で子供たちは日常を取り戻そうと努力を重ねる親や先生たちの背中を見て、とてもいい笑顔を浮かべていたのです。その笑顔を描こう、と。
 
言い方は悪いけど、子供のうつむいた顔を描くのって実は楽なんです。社会問題を扱った作品に限っていえば「かわいそう」だと思われる絵の方が受け入れられることが多い気がします。
 
逆にはじける笑顔はとても難しい。技術的にも難しいし、このテーマなら「原発事故を軽く考えている。何もわかっていない絵本作家」という批判は避けられない。でも前作を描き、いろんな福島の子供を取材した以上、作家として責任があります。そこからは逃げられない。
 
母子避難を選んだまや、家族にとって原発事故はやっぱり悲しい思い出です。だから、事故を思い出す場面はモノトーンになります。原発が爆発したニュースを見守るまやの母親はおばあちゃんの背中をさすっています。家族がつながっていたまやの一家にとって、避難は苦渋の選択だったのです。
 
「おかえり」に込めた思い
 
−−主人公まやを福島の小学校の同級生たちは「おかえり」と迎えます。その場面は印象深いページです。
 
松本さん まやだって避難した小学校に受け入れられるか不安だったと思います。「あの時期に逃げたと思われないか」と。一方で避難先では「ふくしまからきた子」と呼ばれ、自分の名前で呼ばれないつらさを味わった彼女にとって、この小学校は「まや」と呼んでもらえる大事な場所です。
 
子供たちにとっても、久しぶりに見るまやの姿はうれしかったのでしょう。みんな、走って駆け寄り、抱きしめながら「おかえり」といって迎え入れた。避難も一つの選択であり、帰ることも一つの選択です。いろんな価値観があり、人それぞれの選択がある。どんな選択も肯定する。そうした思いを込めました。だから、まやの帰宅は一時的なのか、もう広島から戻って中学校は同じところに通うのか。そこは想像にお任せしています。ぜひ、お読みいただいた上で、思い描いてほしいなと。
 
「おかえり」は大事なんですよ。さきほどお話しした司書さんのところにも、避難から一時的に戻ってきた子供を持つ親から相談があるそうです。「子供が『(避難した)自分が図書館に行っていいかわからない』って悩んでいる」と。司書さんは「みんな一度は悩んだことだから気にせずおいで」って答えたと話してくれました。子供たちの気持ちは私たちが考えている以上にずっと繊細なんですよね。子供たちにとって「おかえり」がどんなに大事な言葉か。わかってもらえると思います。
 
−−モデルの一つになった富成小学校の卒業式にも実際に出席しましたね。
 
松本さん お世話になった先生は別の小学校に異動してしまいましたが、その先生が実際に卒業式で語った言葉を絵本の中に使いました。実際に描くときにモデルになった子供たちが笑って卒業していく。保護者でも先生でも、職員でもないけど印象深いです。11人の卒業生、一人一人に絵本を手渡せて本当に良かった。みんなのおかげで描けた、ありがとうって思いました。
 
「そつぎょう」では学年ごとの思い出を見開きのページごとにまとめているのですが、ハイキングの川遊びなんかは実際に子供たちの声を聞いて、様子を想像して描いたものです。子供たちの声は絵本にかなり反映されています。
 
「善意」のつもりが差別や偏見を助長と痛感
 
−−「そつぎょう」という言葉は、「偏見」を持って接していた松本さんの姿勢にもかかっている。
 
松本さん そうです。私の4年間は原発事故に怒り、悲しみ、そこから学ぶ4年間だったといえるでしょう。イメージの「フクシマ」から現実の「福島」の姿を描くための4年でもあった。4年前の事故直後からイメージする「フクシマ」と「福島」は違います。
 
私の前作は「フクシマ」を反核の象徴として描くという意味合いを持たせてしまった。それはそれで一定の意味を持っていました。
 
しかし、もっと大事な日常の「福島」の姿を描かず、避難という選択を「フクシマ」を描くために利用してしまったかもしれない。あまりに旧来的な描き方をしてしまった。
 
こうした描き方は長年、福島県内で反核運動や反原発運動に取り組んできた人たちからも批判されました。善意のつもりが、差別や偏見を助長する役割を果たした側面もあるのでは、と痛感します。
 
先にお話しした福島からの反応がすべてでしょう。もう、そういうことはやめにしたい。
 
福島に住むことに「罪悪感」を抱かせるような運動でいいの?
 
−−「そつぎょう」を描き終えた後、参加した反原発運動の集会で行ったスピーチもすごく反響がありました。課題は個別にあるにもかかわらず、ひとくくりに「福島」を語ってしまう。そんな語り方への疑問であり、「おかえり」の場面に象徴されるように分断を乗り越えたいという松本さんの意志を感じます。
 
松本さん 主催団体から頼まれてから、かなり悩んだんですよね。言うべきことを整理するために、原稿を書いて持っていこうと思っても、直前まで書けなかった。覚悟を決めて、これだけは言おうと思ったことを書き連ねました。
 
私は当初から反原発デモにも参加していますし、政治的な立場で言えば「脱原発」。事故が1回起きたら取り返しがつかないし、分断も深まるし、面倒な問題をいっぱい起こす。他のエネルギーに替わってほしいと思っています。
 
でも、反原発運動の中に「福島は住めない」「福島県産食品は危険だ」といった差別的な表現があったのは事実です。それは今でも残っています私はそこには絶対、賛同できない
 
「私たちは、もっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないのでしょうか」と呼びかけました。複雑な問題を理解することは時間がかかります。でも、同じように原発に反対する気持ちを持ちながら、福島の方に「県外の反原発運動の発信を見ていると心が折れる」と言わせてしまう。福島の内と外で分断を深めているのは誰なのか。もっと私たちは問わないといけないと思います。
 
反原発のために広大な福島を住めない土地にする必要はありません。浜通り、中通り、会津の地方ごと、自治体ごと、地区ごと、個人ごとに問題は違います。福島に住むことに罪悪感を抱かせるような運動でいいのか。そこをもっと問わないといけない。
 
差別や偏見を助長するような運動からも「そつぎょう」が必要なのです。
 
「個別の声」に耳を傾けよう
 
−−反原発運動に限らず、福島をどう語るかは常に見直しが必要です。
 
松本さん 生まれたときには亡くなっていましたが、私がいわさきちひろから学んだことがあります。それは「北風と太陽」があるなら、ちひろがそうであったように私も「太陽」の立場を取りたいということです。批判は大事ですが、強く、激しい言葉だけで人はつながれない。語り方は常に考えないといけません。
 
運動に関わる人は少数派(マイノリティー)の存在は尊重されないといけないと考える人が多い。私も基本的にそうした考えに賛同しています。だから「福島に残って生活している人の声も避難した人の声も多様だ。でも、全国にまだ十分に届いていない。『福島の声』は日本全体から見れば『少数派の声』なのだから、まずは耳を傾けよう」と呼びかけていきたいです。
 
多様なはずのものを一つにまとめていくようなやり方ではなく、個別に耳を傾ける。そして、福島に実際に行く。私も、継続的に福島に関わっていきたいと思います。
 
おふたり目。
 
「福島へのありがた迷惑12箇条」~私たちは福島に何が出来るか?~――俗流フクシマ論批判(開沼博 cakes(ケイクス) 2015年02月28日)
 
更新されるたびに賛否両論、大きな反響を巻き起こした「俗流フクシマ論」。前回で連載に一区切りがつきましたが、今回はその「番外編」です。私たちは福島にいかに関わればよいのか? いかに関わることが出来るのか? 社会学者の開沼博さんは、私たちが掛けてはならない迷惑と、私たちが出来る三つのことを、具体的にあげています。(略)
 
なぜ話が噛み合わないのか?
 
「福島を応援したい」「福島の農業の今後が心配だ」「福島をどうしたらいいんですか」
 
こういう問いを福島の外に暮らす人から何度も投げかけられてきました。
 
ごく一部にではありますが、こういう問いを過剰に威勢よく投げかけてくる人もいます。
 
どう「過剰」なのかというと、その人は「問いがある」んじゃなくて、「主張したいことがある」ようにしか思えないことがある。
なんでそれに気づかされるかと言うと、会話が噛み合わないからです。
 
それらの問いに対して、私は本連載で書いてきたようなことを答える。
「農業はこういう現状です。今後はこういうことをする必要があります」「あまり知られていないけど、こういう情報がありますよ」
 
ただ、いくら論理的に説明しても、話が全く噛み合わず、「私の知り合いの福島の人から聞いたんだけど」とか、「ネットで知ったんだけど、実は……」みたいな針小棒大・牽強付会な無駄話、あるいはただのデマ話を続ける。
 
要は、「福島の子どもたちを今からでも移住させて救うべきだ」とか、「政府は福島での農業を禁止すべきだ」とか、「マスメディアは情報隠蔽をやめるべきだ」とかいう自らの主張を肯定してもらいたい、その場で主張を貫き通し承認欲求を得たいだけなわけです。
 
残念ながら、私はその方のカウンセラーでも飲み友達でも傾聴ボランティアでもセルフヘルプグループのメンバーでもありませんので、自己肯定・承認欲求のためのコミュニケーションについてはある程度以上の対応はいたしかねます。
研究者・支援者としては事実を示し、知識をつけてもらうための言葉と理解のためのツールをつくることしかできません。
 
ただ、そういう極端な方の例を抜きにして、やはりまだまだ、福島の問題を理解するためのツールが足りないと、自らの力不足を感じてきました。
それは、ただ、大量の情報を集めてやたら難解な本を作ることではなく、可能な限り明確に、文脈を共有していない人にもわかりやすく、それでいて網羅的な本(『はじめての福島学』)をつくることでした。
 
「善意」はややこしい
 
「福島を応援したい」「福島の農業の今後が心配だ」「福島をどうしたらいいんですか」
 
こういう問いに対して、一つ、明確に簡明に網羅的に出せる答えがあります。
それは、「迷惑をかけない」ということです。
 
迷惑は知らぬ間にかけているものです。迷惑をかけようと思って迷惑をかけている人もいるでしょうが、そうではなく、むしろよかれと思って、悪気なくやっていることも多い。だからこそ、こじれる。
「善意」でやっていることを「迷惑をかけているのでは」と指摘されると、「私は迷惑をかけていない」と反発することになる。
 
この「善意」はややこしい。「福島にどう関わるか」。復興業界では「支援」という言葉が使われますので、「福島をどう支援するか」と言い換えてもいいです。
必ず、この「善意」が絡んでくるから、そう簡単に拒否したり批判できなかったりもする。
 
その結果、一方では、自らの「善意」を信じて疑わないけれど、実際はただの迷惑になっている「滑った善意」を持つ人の「善意の暴走」が起こり、問題が温存される。多大な迷惑を被る人が出てくる。
 
他方では、本当に良識ある人が「的を射た善意」も持つのに、気を使いすぎる結果、タブー化された「言葉の空白地帯」が生まれて、そこについて皆が語るのをやめ、正しい認識をだれも持つことができなくなる。迷惑が放置される。
 
この「善意のジレンマ」とでも呼ぶべき、「滑った善意」と「的を射た善意」という逆方向に向かう二つの矢印がすれ違う。結果、悪貨が良貨を駆逐するように、「滑った善意」だらけになって「迷惑」が放置され、状況が膠着する。
 
この状況を抜け出す際に意識すべきことは一つだけです。「迷惑をかけない」ということです。
 
これが「福島へのありがた迷惑12箇条」だ!
 
では、具体的には何が迷惑か。
多くの迷惑は「ありがた迷惑」です。何かを攻撃したり、傷つけるつもりなど毛頭ない。むしろ弱者への配慮、自由や公正さの確保をしたいという「善意」があるがゆえに起こる迷惑です。
典型的な「ありがた迷惑」から、事例を交えて、見ていきましょう。
 
1)勝手に「福島は危険だ」ということにする
 
福島の農家の方から聞く事例です。
「知人が、『福島の野菜は危険だと聞きました。ぜひ食べてください』などと、他県の野菜を送ってきて嫌な思いをした」
 
本連載でも見てきたとおり、一次産業従事者の方は多大な努力をして3・11後の状況に対応してきました。実際にその状況もデータで示されてきました。
むしろ、放射線以外も含めてこれだけ安全性に配慮して農家をやっているところは他にないと、わざわざ福島の有機農法やっている農家から作物を買う人もいる。
 
もちろん「危険」なところもあるが、そうではないところもある。その実態を知らずに勝手に「危険だと慮ることこそ正義」とでも言うべき態度をとる人は、まだまだいます。迷惑です。
 
2)勝手に「福島の人は怯え苦しんでる」ことにする
 
幼稚園の先生から聞いた事例です。
「『外で遊べないかわいそうな子どもたちに元気になってほしいと思います』と、毎年絵本や積み木を送ってくる人がいる」
 
県内の幼稚園・保育園でよくある話なんですが、2011年4月から普通に再開して、園庭の草木を切って、砂の入れ替えもして、親御さんとも丁寧にコミュニケーションをとって、外遊びができるようにして、既に何年も経っている。
そこに対して、これまでの多大な労力を知ろうともせず、何よりも勝手に「怯え苦しんでいる」ということにして、その認識を押し付けてくる。
 
やっている側は、悪気はないのはわかります。ただ、「福島の子どもたちのことを思い続けている自分」みたいなのがあるのかもしれません。
たしかに、怯え苦しんでいる人もいるだろうし、そうではない人もいる。にもかかわらず、全部まとめて怯え苦しんでいるとする。
 
3・11直後にしたり顔して、「福島は若い人なんかみんないないんですよ。残っているのは仕事をやめられない人とか親の介護がある人だけで、逃げられる人はみんな逃げているんです」とか、偉そうに言う人がいました。
本連載の人口のところで見たとおり、怯え苦しんで「みんな逃げている」なんてことはありません。ステレオタイプな誤解を押し付けられるのは迷惑です。
 
3)勝手にチェルノブイリやら広島、長崎、水俣や沖縄やらに重ね合わせて、「同じ未来が待っている」的な適当な予言してドヤ顔
 
4)怪しいソースから聞きかじった浅知恵で、「チェルノブイリではこうだった」「こういう食べ物はだめだ」と忠告・説教してくる
 
これは、社会心理学でいう理論、「利用可能ヒューリスティック」として説明できます。利用可能ヒューリスティックとは、「ある事例を思い浮かべやすい時に、別な対象にも同じことが起こりやすいと自動的に判断するバイアス」のことです。
 
例えば、大きな飛行機事故があった後だと、人々に「人が自動車事故で死亡する確率と飛行機事故で死亡する確率と、どっちが高い」という質問を投げかけると、「飛行機事故」と答える人が増えます。
 
ですが、冷静に考えれば、自動車事故は毎日どの街でも起こり、一定確率で死者が出ている。一方、自動車よりは利用者が限られるにせよ、人が亡くなるような飛行機事故は日常的に起こるものではないことに気づくはずです。
「何か特徴あることが目の前にあった時に思考停止して、ある側面を過大評価してしまう思考の癖」が利用可能ヒューリスティックです。
 
もちろん、ある事象とある事象を比較して、共通するところと違うところとを明確にして、教訓を導き出すことはとても重要です。それは分析の基本、学問的な営みそのものです。
しかし、それは思考を豊かにするためにやるべきことであって、思考停止のためのものではありません。
 
ここで、もう一つ重要な視点があって、安易に福島と何かを重ね合わせることが相手にとっても無礼なことになり得るということです。
 
例えば、チェルノブイリでは、ソ連崩壊と経済危機、医療の不足などが相まって被害が深まった。それと、経済が比較的安定し、医療水準も高い日本とを勝手に重ね合わせて「彼らはかわいそうだ。そして私たち日本も」などと憐憫の情を向ける。
 
沖縄の地元に根ざした議論をする方々にとっては、彼らの歴史は「ヤマト(本土)に銃剣とブルドーザーで蹂躙された」ものであり、それを全くレベルの違う原発の歴史に重ねて「一緒だよな」などと安易に言う。
先方にもそういうのに「そうだよ、仲間だよ」と言ってくれるいい人もいるでしょうが、何も言わずに白い目で見る人が大勢いるのはたしかです。そういう話に福島の問題を巻き込むと、余計面倒になります。迷惑です。
 
5)多少福島行ったことあるとか知り合いがいるとか程度の聞きかじりで、「福島はこうなんです」と演説始める
 
これは、福島県外での福島をテーマにした講演会とか映画のトークショーとかでよくあります。2011年当初に比べて最近は減ってきましたが、福島の人間が大勢いる前で、「福島の子どもたちは外に出て遊ぶこともできず町はひっそりしている」とかドヤ顔で言う。
 
聞かされている側は、「朝、家の前を通学する小学生の集団がうるさくてキレそうになったんですけど」みたいなこと思っているわけですけど、黙っています。迷惑な人と絡みたくないからです。
 
6)勝手に福島を犠牲者として憐憫の情を向けて、悦に入る
 
7)「福島に住み続けざるを得ない」とか「なぜ福島に住み続けるのか」とか言っちゃう
 
これも、演説始める人にありがちなんですが、「都会の電気のために犠牲になった福島」とか、「我々の世代がしっかりしてこなかったから子どもたちが犠牲に」とか、「福島に住まざるを得ない犠牲者」とか。じゃあ、その反省の上で何をやったのか、と聞いてみると、何もやっていない。
そういう解釈の仕方はあるのかもしれないけど、この「憐憫の情を向ける」っていうのはとても無礼なことです。
 
以下、8から12までは概要のみ。
 
8)シンポジウムの質疑などで身の上話や「オレの思想・教養」大披露を始める
 
9)「福島の人は立ち上がるべきだ」とウエメセ意識高い系説教
 
10)外から乗り込んできて福島を脱原発運動の象徴、神聖な場所にしようとする
 
11)外から乗り込んでくることもなく福島を被曝回避運動の象徴、神聖な場所にしようとする
 
12)原発、放射線で「こっちの味方か? 敵か?」と踏み絵質問して、隙を見せればドヤ顔で説教
 
お三人目。
 
これからの福島の伝え方(南相馬市立総合病院・神経内科 小鷹昌明 2015年04月02日)
 
ネット配信されている開沼博氏のコラム(俗流フクシマ論批判)を読んだ。22回にわたる連載は既に終了していたのだが、最後は『番外編』として、「福島へのありがた迷惑12箇条:私たちは福島に何が出来るか?」という内容で締め括られていた。あえて挑発的な言葉で綴られたこの論考は、今後の福島の伝え方を考えるうえでとても示唆に富むものであった(少なくとも、私にとっては)。
 
開沼氏と私とは、以前に対談経験があり、その内容は『1984フクシマに生まれて』(講談社文庫)という文庫本にまとめられた。震災に関して、お互いの考えを述べ合うことで共感を得ることができたのだが、その後、彼と関わることはなかった。私は私の考えで南相馬市にこもり、医療を中心とした支援活動を行っていた。「アカデミックより先にやることがあるだろう」と考えていたからである。だから、学会や研究会などのディスカッションの場に出向くことは、ほとんどなかった。
 
彼のコラムは、「論理とデータとを用いることによって議論ベースの再設定を目指し、同時に、現代日本の地方が抱える窮状や産業、教育、医療福祉の病巣を浮かび上がらせる」ということを信条としていた。いま、改めて読み返してみると、彼は、随分と県外の、特に放射線論者たちからの攻撃に遭っていたようだ。それは、このコラムの「なぜ話が噛み合わないのか?」という副タイトルにも現れていた。
 
「福島を応援したい」、「福島の農業の今後が心配だ」、「福島をどうしたらいいのか?」という県外の人からの問いに対して、「一部にではあるが」と断りを入れてはいるものの、「その中には“問いがある”のではなく、“主張したいことがある”ようにしか思えない」と述べていた。どういうことかというと、「福島の子供たちを今からでも移住させて救うべきだ」とか、「政府は福島での農業を禁止すべきだ」とか、「マスメディアは情報隠蔽をやめるべきだ」とか言うような人の中には、「自らの主張を肯定してもらいたい」、あるいは、「主張を貫き通すことで、承認欲求を得たいだけ」というものもいると訴えている。
 
また、「“善意”はややこしい」ということも強調しており、県外の人は被災地に対して「迷惑をかけない」ということが何より大切だと断じている。被災地への迷惑の多くは、何かを攻撃したり傷つけたりするつもりのない、むしろ弱者への配慮や、自由と公正さを確保したいという「善意」があるがゆえに起こる「ありがた迷惑」なのだと。
 
具体例として、勝手に福島は危険だということにして、人々は怯え苦しんでいると煽る。チェルノブイリや広島、長崎、水俣や沖縄などに重ね合わせて、同じ未来が待っている的な適当な予言をする。「福島の人は立ち上がるべきだ」というような、上から目線で説教をする。外から乗り込んできて、福島を脱原発運動の聖地にしようとする。
 
ただの迷惑になっている「滑った善意」を持つ人の「善意の暴走」が起こっているその一方で、(もっと大切なこととして)「的を射た善意」を有する本当の良識人が、被災地を気遣う余りに言葉を詰まらせ、タブー化された「言葉の空白地帯」を生んでいると。皆が語るのをやめてしまった結果、正しい認識を持つことができなくなっていると。
 
迷惑をかけないためには、「理解すること」、それもひとりよがりな理解ではなく、「解ろうとすること」、「知ろうとすること」が重要だと説いている。
 
と、ここまでが、開沼氏のコラムから発信された心の叫びとも捉えられる見解である。
 
 
開沼さんが、福島を伝える度にこのような大きな苦悩を抱えていたとは、正直驚きであった。なぜなら、私が行ってきた講演活動の聴衆は、皆、理解のある方で、そうした反感を買うことなど一切なかったからである。もちろん、私の方が圧倒的に機会の少ないということもあるし、専門分野が異なるという理由もあるであろうが、福島県民の悩みが、“風化されない風評被害”という県外からの「ありがた迷惑」の対応だとしたら、こんなもったいないことはない。
 
もちろん私がこんな脳天気なことを言っていられるのは、「小鷹のやっていることは、打っても響かないような言論活動だからだ」と言われればその通りかもしれないし、「たまたまこれまで、人間関係で悩むような人生を歩んでこなかった幸せ者だからだ」と言われれば、さらに返す言葉はない。力のある人の言説には、それなりのリスクがあり、悩みも付いて回るのだろう。あえて対立するものとの柔和を目指したいのならば、批判されても仕方のない部分もある。そう言われると身も蓋もないのだが、毒にも薬にもならないようなことを語っている私の言説は、単に発信力がないだけでなく、つまらないきれい事だからである。
 
誰かが言ったことなのだが、情報を伝える場合に、「平均からの格差拡大のベクトルを持った情報」は重宝がられ(“お金を取れ”だったかな)、「平均像を伝える、情報の格差をならすようなベクトルの情報」には価値がない(同じく“お金を貰えない”)」ということがあるようである。私の言説も、つまりそういうことなのか。
 
被災地の淡々とした安全を伝える内容は見向きもされず、他者を煽るようなセンセーショナルな話題にばかりに反応が寄せられ、それが福島全体の真実のように独り歩きをする。開沼さんの指摘は、一部の側面を捉えた真実なのだろうが、その一方においては、本当に協力的な人たちもたくさんいる。要は、捉え方なのだ。
 
つまり何が言いたいかというと、「一部の攻撃的、あるいは善意に基づく迷惑を唱える人たちとの柔和を図ろうとする余りに、本当の良識人が離れていったのでは何にもならない」ということであり、もっと言うなら、その「ありがた迷惑」を奮う人たちは、二重の意味で被災地に負担を強いているということである。厳しいようだけれど。
 
最後に開沼さんは、「福島のために何かしたい」という人がいたとしたら、それに対しては、「“買う・行く・働く”」ということが妥当だと指摘している。確かに、そういう行動を取ってくれる人がいたとしたら助かる。加えるとしたら、「学ぶ・伝える・住む」もあるが、それは難しい注文かもしれない。
 
県外の多くの人たちの偽らざる今の感情は、こういうことなのではないか。
 
「風評被害に悩む福島県には同情する。だから自分は、根も葉もないような情報を信用することはない。だが、自分は福島に行かない」、「南相馬市に住む覚悟を抱いた人たちには敬意を評する。それは地元住民の覚悟とも取れる。だが、自分は住まない」、「出荷されている福島の食品は安全なのだろう。美味しいお米やお酒があるのもよく知っている。でも自分は食べない」。そして、「それなりに復興は進んでいるのだろうから、今後もがんばってもらいたい。自分は今の暮らしもあるし、あえて積極的に行動するつもりはない。ただひとつお願いしたいことは、危険性のあるものを県外に持ち出さないでくれ」と。
 
私は、応える。「もちろんそうだよね。僕たちが福島のために勝手にやればいいことだ。いつまでも県外の人たちに頼ってばかりはいられないし、覚悟を持った人たちが、その中でやればいいだけだよね」と。
 
福島を伝える方法が困難を極めてきている。センセーショナルな話題はほとんどない。「だったらそれでいいではないか」という意見はもっともかもしれないが、関心の薄れるなかで、淡々とした生活をどう伝えればいいのか。快適な土地を求めて移住する現代社会の中で、不自由とは知りつつも、自分の住む大地に愛情と誇りを持っている人たちがここにはいる。守るべきものは、この故郷であり、ここでの暮らしである。
 
このようなことを考えていると、「自分も住み続けている理由は何なのか?」ということに行き着くのだが、きっとその回答にこそ真実が隠されているのだろう。それは、まだわからない。ただひとつだけ言えることは、この地がどう再生していくかを見届けたいということである。大袈裟を言えば日本人として。
哲学研究者で翻訳家の内田樹さんがポピュリスト・大阪市長で維新の党最高顧問の橋下徹の人物像について以下のような見方を示しています。


上記の指摘には内田樹さんのものの見方がよく示されていて、興味深いものがあります。上記の指摘には橋下徹への若干の皮肉もこめられているのでしょうが、この国にポピュリズム思想を蔓延させている橋下徹という人物への深読み的な買いかぶりがあって、端的に言って、危険な思想だと私は思います。

内田樹さんはなぜこのようなものの見方をするのか。そのひとつの解がやはり彼のツイッター発言にあります。内田さんはロシアの思想家のクロポトキンの『相互扶助論』を援用して内田流の思想を以下のように述べています。

経済成長の終わりと定常経済への移行は経済の自然過程である。(略)アベノミクスというのは「資源の再分配のアンフェアネスを徹底的に進めることでパイを大きくする」方策です。成長が止まったとたんに社会的混乱が起きるように意図的に作り込んである。だから成長する以外に社会的安定の道がない。カオスを忌避するなら経済成長の夢にすがりつくしかない。いつになったらこの悪夢から人々は目覚めるのでしょう。(略)「再分配のための社会の仕組み」を政治が構想できない以上、とりあえず市民レベルで再分配をはかるしかない(略)。そして、すでに多くの人々が自力で相互支援の仕組みを作り出そうとし始めています。その動きが同時多発的であり、かつ主導的な理論も組織も持たない運動であることに、僕は希望を感じます。イデオロギーではなく、身体実感をベースにして手作りされる運動の方がずっと持続力も創発性も豊だからです。

凱風館はいま「雇用の創出」、「生きるための技術の伝授」、「相互扶助相互支援のネットワーク形成」をめざして動いていますが、それは19世紀の「空想的社会主義者」の夢想に近いものかもしれません。「一挙にかつ根源的に世界を変える構想以外は無意味だ」という批判に今度は抵抗してみたい。(略)定常経済・相互扶助社会は「夢想」ではなくて、歴史の必然的帰結です。意図的に創り出さなくても、自然にそうなります。この企ての合理性が理解できない人たちは「弱者を支援するために作られた組織」の方が「勝者が総取りする組織」よりも淘汰圧に強いということを知らないのでしょう。ピョートル・クロポトキンの『相互扶助論』をぜひお手に取って頂きたいと思います。クロポトキンは相互扶助する種はそうしない種よりも生き延びる確率が高いという生物学的視点からアナーキズムを基礎づけようとしました。なぜアナーキズムが弾圧されたのか、その理由が読むと分かります。国家による「天上的介入」抜きで市民社会に公正と正義を打ち立てることができるような個人の市民的成熟をアナーキズムは求めました。「公正で雅量ある国家」を建設するより前に、まずその担い手たる「公正で雅量ある市民」を建設しようとしたことに国家は嫉妬したのです。(内田樹Twitter 2015年1月5日

内田さんの推奨するアナーキズムの思想とクロポトキンの『相互扶助論』の思想を適確に過不足なく解説するには困難なものがあります。その思想の奥行きはかなりの程度深く、その思想が形成されてきた歴史的文脈や政治的文脈、思想的文脈を重ねあわせるようにして読解するようにしないと誤読は免れないからです。誤読に基づく解説をしてももちろん無意味です。だから、ここではその解説はスルーしておくことにします。

ただ、現在、アナーキズムやクロポトキンの『相互扶助論』の思想はどのような文脈で用いられているか。いま売出し中(といっても、かなりの程度年数を経ている)の若手政治学者の中島岳志さんの論(中島岳志Twitter 2015年3月19日付)を例にして見てみます。


ご覧のとおり、ここでは中島岳志さんの「相互扶助」の論は例の「八紘一宇」発言で多くの人から批判を浴びた国会議員の三原じゅん子を擁護するための道具立てとして用いられています。私が内田樹さんのものの見方を(もちろん、中島岳志さんのものの見方も)「危険なものの見方」だというのはそういうことです。

また、内田樹さんについては、先の参院選で湯浅誠さんや中島岳志さんとともに9年前の教育基本法改悪の際に民主党の「教育基本法検討会」事務局長として自民党の同法改悪法案を凌駕する愛国心条項を含む民主党教育基本法改悪案を取りまとめた中心人物である鈴木寛前参院議員の応援団に加わっていたことも想起されるべきでしょう。

しかし、そうした「危険なものの見方」をする内田樹さんに日本共産党の準機関誌的月刊誌といってよい『経済』編集部が原稿を最近発注したということです。



共産党は内田樹さんになにを期待しているのでしょうか? 「危険なものの見方」を「危険なものの見方」として感知することのできないいまの共産党の理論水準と思想水準にも私は危惧を抱きます。共産党の「右傾化」はどこまで進行して行くのか? こちらのゆくえも気になるところです。そして、上記の愚論を弄する中島岳志さんなどの編集委員を擁する革新メディアを自称する『週刊金曜日』の「右傾化」のゆくえ、「右傾化」した社長としての岡本厚前編集長をトップに擁する岩波の『世界』のゆくえも。
昨日の5日、翁長雄志沖縄県知事が昨年12月に就任後初めての菅義偉官房長官との会談が那覇市内のホテルで開かれました。菅房長官側からの要請による会談ですが、これまで翁長知事との会談を一貫して拒否してきた官邸の強硬姿勢に「自民党内からも丁寧な対応を求める批判が出始め、統一地方選を前に政権のイメージ悪化を食い止めたいという思惑」や「安倍首相の訪米を控え、沖縄側の意見は聞いたというアリバイにしよう」(朝日新聞4月6日社説)とする思惑からのものと見て間違いないでしょう。

そうした官邸側の打算と思惑は沖縄のメディアも先刻承知で、今回の会談の成立についてもまったく期待を抱いていません。沖縄タイムスの昨日5日付けの社説も「移設反対の民意が示されたという見方を否定し、『普天間の危険性除去をなんとかしてほしいというのが沖縄県民の声』だと、臆面もなく問題をすり替える菅氏の発言は、沖縄の人々に寄り添うという姿勢からはほど遠い。こんな認識で5日の翁長雄志知事との会談に臨むようでは、実のある話は期待できない」というものでした。当然の認識であろうと私も思います。

官邸側も翁長知事側もこの会談を今後も続行させていく旨の宣言をしていますが、両者の会談を会談として実のあるものにするためには前提として「まず、辺野古で進める作業を中止すること。それが話し合いに臨む最低限のルール」(同前朝日社説)というべきものです。そうしない限り、沖縄の政府への不信と反発はますます高まっていかざるをえないでしょう。いまは「話し合い」よりも政府の口先ではない「実行」が求められているのです。
 
と書いてきましたが、実はここまで書いてきたことは主題ではありません。ここでの主題は、前出の沖縄タイムスの昨日5日付けの社説でも批判されているこの4日に自民党県連の会長に就任した島尻安伊子参院議員の「(沖縄の)市民の反対運動について『責任のない市民運動だと思っている。私たちは政治として対峙する』と言い放った」「驚くべき発言」についてです。この島尻参院議員の「驚くべき発言」の記事を目にしたとき、私の安倍暴政政権を支える自民党議員、自民党という悪辣な政党に加わる者どもへの怒りは沸点に達しました。
 
島尻安伊子参院議員は2010年の参議院選挙で普天間基地の県外移設を公約に掲げて当選した人です。その人が普天間基地の県外移設、また、同基地の即時廃止を求める沖縄の市民の反対運動について「責任のない市民運動だと思っている。私たちは政治として対峙する」とまでうそぶいているのです。参院選当選時の公約とはなんだったのか、とこの人を説諭しようとしても無駄というものでしょう。この人が生きている世界では道理や倫理などの言葉は存在しないのです。あるのはおそらく強者迎合と富者迎合の論理、弱肉強食の世界観だけです。こういう人を愚劣の人というのです。
 
島尻安伊子という人を弾劾するために証言として沖縄在住の作家の目取真俊さんの2本の文章を採録しておきます。
 
5日付琉球新報が、参議院予算委員会での島尻安伊子議員の発言を報じている。1月19日に行われた名護市長選挙で、稲嶺進氏は「市長権限を使って埋め立て工事に反対する」という公約を掲げて再選を果たした。前回の票差の2倍以上となる4000票余の大差で勝利したことは、稲嶺市長への市民の信頼と公約への強い支持を示すものだ。それに対し、日本政府はさまざまな圧力をかけて稲嶺市長を追いつめ、名護市民の民意を踏みにじろうとしている。島尻議員は政府の手先として、そのお先棒を担ごうとしている。2010年の参議院選挙で島尻議員は、普天間基地の県外移設を公約に掲げて当選した。にも関わらずその後、自らの公約を破棄しただけでなく、ほかの県選出自民党議員の公約破棄を促す役目を果たした。あまつさえ今度は、名護市長の公約まで突き崩そうと謀っている。いったいどこまで愚劣なのだろうか。(略)

島尻議員はまた「反対派」への警察権力の弾圧も呼び込もうとしている。県警に予防措置の強化を促すその発想は治安維持法に通じるものであり、辺野古新基地建設に反対する名護市民、沖縄県民の行動を、国家の暴力装置を使って抑え込もうとするものだ。それこそ現場での大きな混乱と流血の事態を引き起こしかねない危険な発言である。島尻議員は、これまで17年余にわたって反対してきた辺野古のお年寄りや、「市民投票」以来、分断と対立に苦しんできた名護市民のことを考えたことがあるのだろうか。自らの選挙公約を破ったばかりか、政府に県民への弾圧を促す島尻議員に、県選出の国会議員たる資格はない。即刻辞任すべきだ。「台所から嘘をつく」が売り物のこの腐りナイチャー議員を、1日も早く沖縄から叩き出さなければならない。(海鳴りの島から 2014-02-07
 
7月7日付の琉球新報には共同通信と合同で行った県内有権者対象の電話世論調査の結果が載っている。(略)琉球新報と共同通信の調査では、普天間飛行場の返還・移設についての対応も問うている。(略)県外・国外移設、無条件撤去を合わせて79.1%が普天間基地の「県内移設」に反対している。5月28日の日米合意直後の県民世論調査では、84.1%の県民が辺野古「移設」に反対だったが、現在も8割近い県民が反対の意思を示している。普天間基地の辺野古「移設」を県民の頭越しに日米合意したことへの怒りは収まっていないし、菅政権が普天間基地問題を選挙の争点から消したとしても、それは一時しのぎにしかならない。参議院選挙がどのような結果になろうと、「県内移設」反対の県民世論が8割を占める状況を菅政権がひっくり返すことはできない。

今回の参議院選挙沖縄選挙区では、自民党公認の島尻氏も普天間基地の「県外移設」を主張している。しかし、それでは島尻氏は、政権交代以前に「県内移設」=辺野古新基地建設を推進してきたことは誤りだったと認めて、反省や謝罪の意を示したのだろうか。本音で「県外移設」を主張し、自民党国防部会副部会長という立場にあっても党の方針に逆らい、辺野古「移設」反対のたたかいを取り組むつもりだろうか。私にはそうは見えない。県民世論に逆らえば選挙に勝てないという政治的判断と、民主党連立政権に対抗するという政局がらみの打算から「県外移設」を主張しているとしか思えない。(海鳴りの島から 2010-07-08
 
そして、この島尻安伊子参院議員を含む安倍暴政政権を支える悪辣な自民党という政党に属して恥じない議員全体を弾劾するために「今日の言葉」から弁護士の猪野亨さんの以下の文章を再録しておきます。

統一地方選挙に突入しましたが、自民党推薦候補たちが、こぞって中央政府とのパイプのごとく言い出すのは、心底、下品です。安倍氏に対して尻尾を振っているだけの人たちです。反対意見、少数意見を尊重する姿勢などさらさらなく、強い者に尻尾を振ることができる人たちによって安倍総理を頂点としたピラミッド構造を作り上げている自民党。中央政権とのパイプを強調して権威だけを振りかざし、他方で本来、地元のためには反対すべきことも反対しないような人たちが、地方の名士気取りで議員をやっているだけの集団が自民党ですが、これが安倍氏のピラミッド構造を下から支えているのです。

お友達人事は、このピラミッド構造を強固にするためのものです。みな、「大抜擢」を狙って、安倍総理のご機嫌を取るわけです。自然と安倍氏を取り巻く人たちは権力が大好きな人たちばかりになります。そして
右翼チックなことを言って喜んでいる三原じゅん子氏のような例をみれば、よくわかります。調子の乗るだけでなく、暴走しているのです。

今やこのような表現がぴったりです。「
自民党にあらずんば人にあらず右翼チックなことを競い合っているような安倍政権を信任しますか。私たちに問われているのです。(
弁護士 猪野 亨のブログ 2015/04/02
古賀茂明さんの「報ステ」発言問題に関してあれこれの議論が続いていますが、藤原新也さん(写真家、作家)が同問題に関して道理の立ったことを言っています。少なくとも私にはそのように見えます。私が道理があると思う藤原さんの言は次のようなもの。

江川紹子やニュースウイーク編集長の竹田圭吾有田芳生などひごろ安倍政権と距離をとっている人間もこのたびの古賀の言動に異を唱える根拠はふたつある。古賀がテレビの生放送内でテレビ朝日の早河会長が菅義偉官房長官や官邸の意向に沿って自分が降ろされたと発言したことに確たる裏付けがなく、そういった軽率な行動はかえって敵に塩を送ることになる。私憤を公器をつかって晴らすべきではない。の二点である。確かにあそこまでカミングアウトするのであれば、アナウンサーの古館の横やりに途中で発言を控えるのではなく、生放送なのだからそのまま確たる証拠を提示するという覚悟と用意周到さが必要だが、それがなかったことは”弱かった”と言わざるを得ない。

だがこの古賀の発言を”私憤”と一蹴して、せっかくの問題提起を葬り去る動きは同意できかねる。なぜなら私はあれは公憤に見えたからである。かりにひとりの表現者(コメンテーター)が公器の中で歯に衣着せぬ発言をし、それが現政権の怒りを買い(かつて安倍とメシを食った早河)のトップダウンで彼が降板させられたとするなら、それは表現の自由という自由主義社会の根幹を揺るがす出来事であり、かりにその矢面に彼が立ったことでそれを江川らが私憤と片付けることは自らの首を絞めることになるからである。ということはそれが私憤ではないと証明する意味においても古賀は自分の発言の根拠を示す必要があるということだ。」

ここでは藤原さんの言う「私憤ではないと証明する意味においても古賀は自分の発言の根拠を示す必要がある」という立言にしたがって古賀発言擁護の急先鋒のひとり山崎雅弘さん(現代紛争史研究家)の論(ツイッター発言)の私として「同意できかねる」一、二のところを述べておきます。

第1。山崎さんは次のように言います。


山崎さんの立論の「社会的な問題を議論する時、全体の構図や力学などに目を向けず、ひたすら登場人物のキャラクター(人格)の論評だけに終始するのは『井戸端会議』的」というのはそのとおりでしょう。しかし、山崎さんの「プロの『メディア業界人』や『ジャーナリスト』までもが」という立論は大雑把にすぎるでしょう。ここで山崎さんの念頭にある「ジャーナリスト」たちは江川紹子さんやニュースウイーク編集長の竹田圭吾さんらのことでしょうが、同じジャーナリストでも今井一さんや想田和弘さん(映画監督兼ジャーナリスト)は山崎さんの主張の戦列に連なる人たちです。だとすれば、ここで客観的に言えることは、同じジャーナリストでもさまざまな主張の人たちがいるということだけです。

それを「ジャーナリスト」というくくりでひとつにして、自分たちの主張と異なる主張を持つジャーナリストは真のジャーナリストではないかのように言う。その言は、ジャーナリズムという多様な言論空間を自ら否定する(藤原さんの言葉を借りれば「自らの首を絞める」)誤りの立論というべきではないか。同じひとつの事象も見る角度を異にすれば違って見えるということは一般人であってもよく経験することです。「ジャーナリスト」であっても同じことです。ジャーナリストの見る角度、見る眼によって同じ事象は異なった様相を帯びることはしばしばあります。その多様性をジャーナリズムというべきなのです。多様性のある見方を否定してはまさに「自らの首を絞める」ことにしかならないでしょう。

第2。山崎さんは次のようにも言います。


しかし、「『政権寄り』からの圧力から番組を守り続けた気骨ある女性プロデューサーが更迭」されたというのはほんとうか? 4月2日発売の『週刊文春』(4月9日号)の「『報道ステーション』電波ジャック古賀茂明vs.古舘伊知郎 内ゲバ全真相」という記事によれば、この4月のテレビ朝日の人事異動でくだんの「女性プロデューサー氏はテレビ朝日経済部長に転じた」といいます。この人事異動は一般に栄転と呼ばれるべきものであって、それを「更迭」などというのはあまりに主観の勝ちすぎた見方というべきでしょう。ここでも山崎さんの主張の誤りは明らかです。「視聴者が気づかない程度のスピードで少しずつ、ハンドルを切って」「政権寄りにシフトするなら」、それは、女性プロデューサーの更迭の結果ではなく、その女性プロデューサー氏も含むテレビ朝日全体の権力への追随の結果と見るべき性質のものです。古賀氏擁護の論はここでも破綻しています。

ところで、この「女性プロデューサー更迭」論はそもそも古賀茂明さんがくだんの「報ステ」発言の際に持ち出したもので、そういう意味では古賀さんの「報ステ」発言の論そのものに相当主観的で歪んだ認識が含まれていたことを示しています。にもかかわらず、上記の山崎ラインの認識は、共産党員、あるいは共産党支持者の間にもかなりの程度浸透しているようです。こちらは地方の共産党員の大学名誉教授のブログですが、また、こちらは同大学名誉教授が推奨する共産党のシンパサイザーのジャーナリストの土井敏邦さんのブログですが、そこでも古賀茂明さんの論が検証と批判抜きで、すなわち、山崎ラインレベルで高く評価されています。そして、その両者のブログ記事で持ち上げられているのはこちらのブログ(ちなみにこのブログ主宰者も共産党員、もしくはシンパのようです)や弊ブログにおいて似非ジャーナリストやイエロー・ジャーナリスト、デマゴーグなどと繰り返し々々批判している田中龍作氏や岩上安身氏の記事です。この国の右傾化だけでなく、いわゆる左派、リベラル勢力の砦として存在してきた共産党内の右傾化もいまや中央においても地方においてものっぴきならない形で底深く、底深く進行している様相です。そのひとつの証左として古賀「報ステ」発言問題を例にして挙げておきます。

こうして見てくると、藤原新也さんの道理のある論があらためて光ってくるように思えます。
岩波書店 
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先に私は岩波書店の就業規則改悪問題に関して前共同通信記者で現同志社大学教授の浅野健一さんの岩波書店批判と弁護士の澤藤統一郎さんの同書店『世界』編集者の熊谷伸一郎氏批判の論をご紹介しましたが、実はご紹介した同論攷で浅野健一さんは就業規則改悪問題に関連して岩波書店社長の岡本厚氏(前『世界』編集長)の批判もしていました。金光翔さん(前『世界』編集者)の『資料庫』のサイトに浅野さんの同論の全文があらたに掲載されていることからわかりました。同論で浅野さんの指摘する事実は岩波書店と『世界』の右傾化とさらなる劣化を同社を指導する立場の「社長(当時、『世界』編集長)の右傾化」という側面から証明するものといえるでしょう。弊ブログにも岩波と『世界』の右傾化の事実を示す証拠のひとつとして関連部分を引用、アップしておきたいと思います(全文は上記サイトでご覧ください)。

以下、浅野健一さんの論。
 
岩波書店は「就業規則」の全面改定を労働組合に提案しており、就業規則改定案の第10条の2で、<職員は、会社の名誉を傷つけまたは会社に損害を与える行為をしてはならない>と規定している。また、第41条の4では、<会社および会社の職員または著者および関係取引先を誹謗もしくは中傷し、または虚偽の風説を流布もしくは宣伝し、会社業務に重大な支障を与えたとき>、社員は諭旨解雇または懲戒解雇とすると定めている。(略)

ここでいう岩波書店の「著者」というのは、岩波書店の定義では、記事、論稿を一度でも岩波書店の刊行物に書いたことのある人で、関係取引先は、岩波書店が広告を出している新聞社、雑誌社を含むという。(略)
 
岩波書店社長である岡本厚氏は、岩波の刊行物に何度も書いたことのある著者の私を誹謗中傷している。例えば、私が第1作の『犯罪報道の犯罪』で取り上げた冤罪被害者、小野悦男さんが無罪確定・釈放後に事件を起こして逮捕起訴された際、小野さんの無罪確定事件も怪しいと『世界』誌上で書いた牧太郎氏を擁護し、私を非難した。また、浅野ゼミと北海道新聞が共同で企画した西山太吉さんと吉野文六さんの対談に関して私が『週刊金曜日』に書いた記事について、2010年4月12日、浅野ゼミの関与はウソだと週刊金曜日編集長に抗議している。道新側の要請で対談の直前に参加した岩波書店の『世界』編集部と岡本氏は、もともと私と道新の徃住嘉文記者が対談を企画し、実現させたことを知らなかったのだ。岡本氏はいまだに非を認めず、私と浅野ゼミに謝罪していない。
 
私は22年間、共同通信の記者を務めていたが、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)などで、当時の社長の不正経理が内部処理されたことを明らかにした。また、『天皇とマスコミ報道』(三一書房)・『客観報道』(筑摩書房)や雑誌記事などの中で、昭和天皇が死亡した1989年1月、共同通信は天皇の死を「崩御」と表現したが、共同通信社内で「崩御」使用を決定した中心人物が当時ニュースセンター(見出し・校閲などの編集局の中枢部門で旧称は整理本部)の責任者で、後に関東学院大学教授になった元新聞労連新研部長・共同通信労組委員長の丸山重威氏だったことも書いた。岩波書店の改定就業規則ではこういう著述は許されないことになる。
 
『週刊金曜日』で私と共に「人権とメディア」を連載している山口正紀氏は読売新聞記者時代に、読売新聞のロス銃撃事件報道などを批判した。共同通信記者の中嶋啓明氏も共同通信や共同の加盟社の報道を批判の対象にしている。しかし、読売や共同が就業規則を持ち出して、処分をちらつかせたことは一度もない。(略)
 
リベラルなマスメディア企業の中で、「著者」や「関係取引先」や「職員」(社員)への誹謗中傷を懲戒解雇処分とするという規定を行っているメディアを知らない。
 
言論機関にとって重要なのは、社内言論の自由だ。社員みんなが情報を得て、自由で闊達な議論をたたかわすことが何より大切だ。意見の違いを述べ合うことだ。controversial(論争的)であることが大事なのだ。社長も、一社員も平等の権利を持って。
 
岩波書店にこのような就業規則が導入されれば、職員は萎縮し、お互いが疑心暗鬼になり、風通しの悪い職場になるだろう。相互監視の暗い職場になることは間違いない。これが他のメディア企業に広がった場合、報道・出版界全体が活力を失うだろう。
ヒロハユキザサ

・70年前の4月1日、米軍55万人が沖縄本島へ上陸した。この90日に及ぶ
沖縄戦で、日本軍による強制「集団自決」は1700人、さらに沖縄県民20万人が犠牲となり命を落とした。米軍は最初から沖縄に大きな基地を作り、日本本土への侵攻拠点とする戦略だった。そして今もなお沖縄には34の米軍施設があり、その土地面積は日本にある米軍施設の約75%を占める。オスプレイや戦闘機の騒音、実弾演習による山林火災、墜落事故、米軍人による事件は絶えない。そこへ加えて、さらに沖縄・辺野古に新基地を作ろうと、安倍政権は躍起になっている。しかも防衛局は、許可なく45トンもあるコンクリート製ブロックを海底に埋め、サンゴが育つ岩礁を破砕している。米倉外昭・琉球新報記者は「地元メディアの記者たちが辺野古の現地で、国家権力むき出しの暴力に目を凝らし、沖縄の民意を無視してゴリ押しする政府を厳しく糾弾」しているのに、「全国メディアは、工事の進捗、行政上・法律上の手続き、特に政府と沖縄県の対決とその行方など、いわゆる<落としどころ報道><ひとごと報道>にのみ向いている」(「ジャーナリスト」3月号)と指摘。戦後70年の今本土の私たちには、沖縄で政府が行っていることの重大さを、、自らのこととして考え取材し報道する、その責務が問われている。(Daily JCJ【今週の風考計】2015年03月29日

右傾化については、今の日本は間違いなく右傾化していると思います。(略)右傾化の最大の要因は、人々の暮らしが良くならないか、さもなくば悪化していることに起因する閉塞感でしょう。そのために、たとえば民族主義に走る心理規制は、私にも理解できます。なぜなら私自身、「グローバルスタンダード」という言葉を批判する論法を覚えた90年代後半に、民族主義的な心情に傾いた時期があるからです。(略)私の場合は反中反韓ではなく反米の心情を強めたのですが、当時言われた「マネー敗戦」という言葉に、「経済でアメリカに負けるようになったか」と思ったのが、反米の心情を強めた理由でした。ですから、その頃が私の生涯でもっとも右傾化していた時期だったと自己規定しています。ちなみにそれは、現在「小沢信者」として私が批判している人たちの心情とよく似たものではなかったかと思っています。つまり、「小沢信者」とはリベラルまたは左派が右傾化して生まれた人々なのではないかというのが私の仮説です。現在は、経済敗戦や生活苦に対する人々の鬱憤がアメリカではなく中国や韓国に向かい、それが戦前回帰を狙う極右政治家の安倍晋三政権の歴史修正主義と相俟って、危険極まりない状態に至っている状態だと捉えています。(きまぐれな日々 2015.03.30

・そして最後に、この作品集の中で最大の中編「
霧の犬」が来る。原稿用紙二〇〇枚を超える長い作品ではあるが、九五の短い章が積み重ねられていくものの、はっきりとしたプロットが読み取れるわけではない。表題が示唆するように、すべては霧の中にあるかのようで、霧はいたるところで「とほろとほろ」「しむしむしむ」「ましかませましましましか」と湧き、「ほどろほどろ」と降り続け、景色は「もどろ」であり、「はだら」である。「もうこわれている」かもしれないこの世界では、「であることは、でないこととさほどの異動はな」く、物事は「ある」「無い」とは言われず、「あられる」「無かれる」といった具合に受け身で表現される。/そして霧の中を三本肢の犬が歩き、主人公の男は女に足を洗われ続け、無蓋貨車が戦車を積んでどこかに走っていく。住人たちは「」「」「」「」「」といったひらがな一文字で呼ばれる個人だが、「わたし」の個はしばしば四つに分裂した。「じかんのおわりがはじまっている」、「それは、もうはじまっていた、おわっているのかもしれなかった」――といった、黙示録的な雰囲気が充満している。/異様な作品だと言ってもいいだろう。言語実験と世界の崩壊が並行し、読者は霧の中に取り残される。難解ではあるが、これほどの言語的な手ごたえを持った実験的な作品は、今の文芸界でめったにお目にかかれるものではない。この作品が提示している逆説は、崩れた世界を崩れかけた言語で描きながら、紛れもない新しい言語世界を創り出しているということだ。この作品に限らず、他の比較的短い作品もすべて異様に密度の濃い文体と、そこから立ち上る気迫の鋭さによって圧倒的である。おそらく並々ならぬ怒りと絶望を秘めながらも、それを抑えて作品を構築していこうとする意志から、これらの作品の類を見ない強度が生まれているのだろう。(辺見庸『霧の犬』書評、沼野充義「週刊読書人」2015年3月27日

・沖縄知事と担当相、東京での会談調整:
朝日新聞デジタル-2015年4月1日←左記のような報道に関わる問題について以下のような指摘があります。私は「話し合い」自体は否定しませんが、「話し合い」の罠についても十分に認識しておくべきだろうと思います。以下、「今日の言葉」として(引用者)。

翁長氏は30日、「承認取り消し」という「次の一手」への言及をさけ、「政府と話し合いをさせて頂きたい」と述べました。(略)「話し合い」は大切というのは一般的通念ですが、こと「辺野古新基地建設」に関しては、とにかく国と県が話し合えばいいというものではありません。それは的を外れているだけでなく、きわめて危険な道への入口になりかねません。そもそも、何を「話し合え」というのでしょうか。(略)予想されるのは、なんらかの「妥協点」を探ることです。翁長氏が一貫して「政府との話し合い」を切望しているのも、その「妥協点」を見つけるためではないでしょうか。そんな中で注目されたのが、29日放送のNHK討論です。橋本龍太郎内閣の首相補佐官を務め、普天間基地の辺野古移設を決めた張本人の岡本行夫氏がこう述べました。「政府も沖縄県もお互いに説明が不十分だ。翁長知事も意固地にならず話し合うべきだ。例えば、緊急避難的に辺野古(の基地)を使う、それがいつまでなのか、という議論をすすめるべきだ」「緊急避難」的に、期限をきって辺野古の基地を認めるという「妥協案」です。沖縄問題でいまも政府や沖縄の保守に影響力をもつ岡本氏の「提案」だけに聞き捨てなりません。しかし、これはいうまでもなく、辺野古新基地建設を容認させるための、それこそ方便です。このほか、さまざまな「妥協案」が出てくる可能性があります。しかし、辺野古新基地をめぐっては、「妥協」はありえません。新基地を造るのか、造らせないのか、そのどちらかです。安倍政権に「話し合い」で、辺野古新基地、普天間「県内移設」を断念さることは不可能です。新基地を阻止するためには、知事の法的権限を行使し、民主主義と平和の本旨に立って政治的に世論を喚起し、安倍政権を追い詰める以外にありません。(私の沖縄・広島日記 2015-03-31
これはお伝えしたい写真です。

カメラマンに望遠レンズを向けられ、武器かと思って両手をあげたシリア難民の女の子。この写真が深い悲しみと共に、インターネットで広まっています(BBC News Japan 2015.3.31)。

シリアの女の子


<社説>農相の無効判断 法治骨抜きの異常事態だ
(琉球新報 2015年3月30日)
<社説>農相効力停止決定 まるで中世の専制国家 民意無視する政府の野蛮(琉球新報 2015年3月31日)
社説[農相「無効」決定]透明性も適格性も疑問
(沖縄タイムス 2015年3月31日)
 
まったくそのとおりというほかありません。沖縄県民の抵抗と反対の声を無視し、「沖縄」の民心を力で抑え込もうとするその野蛮さはまさに「中世の専制国家」そのものです。そこには「法治主義」という官僚発と思われる法律の言葉はあっても中身としての「法治主義」の精神は毫もありません。あるのは野蛮というも愚かなりの「法治主義」。沖縄県民ならずとも怒りはふつふつと沸騰します。
 
しかし、この野蛮性の問題は衆院で3分の2以上の議席を占めるに到った与党・安倍政権だけの慢心と見るべきでしょうか? 以下のような指摘もあります。
 
「しかし、驚いたのは、ブロゴスで読んだ、枝野官房長官による民主党の声明というものである。(略)枝野氏の声明が言っているのは、「民主党は、沖縄をはじめとする関係住民の負担軽減に全力をあげるとともに、地元の理解を得つつ、在日米軍再編に関する日米合意を着実に実施するという苦渋の決断をしたが、このような沖縄を突き放した対応は、却って事態の進展を遅らせるものと危惧している」「沖縄の負担軽減と日米同盟の着実な深化を円滑に進めるためにも、政府がより沖縄県民の心に寄り添った姿勢を示すことを強く求める」ということである。ようするに、この枝野という人は、私だったら、会った上で同じことをもっとうまくやるといっているのである。私たちは「苦渋の決断」をした経験があるので、うまくやれるといっているのである。なぜ、そういうことができるかということの根拠を語らない。信じられない主観的発言である。こういう発言が仮にも政党の幹事長からでるということとは考えられない。「事態の進展を遅らせ」ないために、「日米同盟の着実な深化を円滑に進める」という姿勢、これはようするに、私は、現在の安倍内閣と同じ考え方であるが、私ならばもっとうまくやるということではないのか。」
 
「何という政党であるか。民主党が安保条約を維持しようということは、民主党の政策であろう。「日米同盟の着実な深化」というのも考え方としてはありうるであろう。ただ、辺野古の新基地建設で問題となっているのは、軍事同盟をイラク・中近東まで広げようということであって、これは従来の安保の考え方とは違うことである。そこをどう考えるのか、この政党は何を考えているのか。こういうように政策を考えるから、辺野古は、こういう形で沖縄県と相談できるという話しをしないと、何をいったことにもならない。」(保立道久の研究雑記 2015年3月25日

こうした「本土」の政党の不甲斐なさが安倍政権の慢心をさらに増長させている。だから、「中世の専制国家」さながらの野蛮な強引さで沖縄の民意を無視しても、そういうことなど歯牙にもかけない、ということになっているのではないか? だから、今回の安倍政権の増上慢の責任は同政権だけでなく、同政権をまっとうに批判することさえできない政党をも増長させる程度の選択をしてしまった私たち「本土」の有権者そのものにある、ともいえるでしょう。翻って考えてみれば、安倍政権の「野蛮政治」の責任は私たちというひとりひとりの「個」にあるのです。
 
沖縄在住の作家の目取真俊さんはヤマトゥあるいはヤマトンチュへの直諫として次のように言います。

このままでは「沖縄県民に政府への敵愾心と怒り、反ヤマトゥ感情を増幅させるだけ」

「沖縄県民の心情はどんどん悪化し、政府だけでなく日本全体への反発、離反意識が強まるでしょう」
 
少なくとも「本土」の市民としての私たちは沖縄の「日本全体への反発、離反意識が強まる」加担者となってはならないでしょう。「加担」は単に安倍政権を支持することだけを意味しないのです。
昨日のエントリの続きとして想田和弘さん(映画監督)と山崎雅弘さん(現代紛争史研究家)の古賀発言評価を記録しておきます(あくまでも昨日のエントリの続きというのが本日の記事の前提です。その前提を強調しておかなければならないのは、昨日述べた古賀発言を必要以上に買いかぶり、日本の政治のゆくえを総体として見ることができないカレント・デモクラティックの連中(いわゆる「反共左翼」家が多い。「反共」が主軸であるため現実の「右」的旋回に貢献する)の駄論、愚論がとどまらないからです。こうした連中の駄論、愚論を放置してきたことによってこの国はここまで右傾化してしまった。その二の舞を舞うことは私として許容することはできません)。

が、その前に3月28日付けのエントリでご紹介している高世仁さんの記事を再掲しておこうと思います。同記事で高世仁さんは本日のエントリのテーマに重なる問題として某テレビ局のあるニュース番組のスタッフの重要な証言を言論の自由に関わる重要な問題提起として紹介しています。

・きょうは、GALAC(ぎゃらく)という雑誌の座談会に呼ばれて新宿へ。この雑誌は、ギャラクシー賞を出しているNPO放送批評懇談会が発行するテレビとラジオの批評誌だ。座談会のテーマは「イスラム国」の日本人人質事件とテレビについてで、出席したのは共同通信の原田浩司、フリーでアフガンの米軍従軍取材で知られる横田徹、イラク戦争から現地を取材しつづける綿井健陽の各氏。私は、ジャーナリスト常岡浩介さんの私戦予備陰謀容疑でのガサ入れへの対応、常岡さんのテレビ出演時の政府批判封じ込め、旅券返納命令への屈服などの例をあげて、日本のテレビ局の姿勢はひどすぎると批判したが・・・仕事を干されてしまうかも。6月号に掲載予定なので、関心ある方は書店でごらんください。座談会のあと、司会の水島宏明さんも交えて近くの「塚田農場」で飲んだ。

水島さんは、かつて日本テレビ系の札幌テレビ(STV)の社員で、ロンドン、ベルリンの特派員やNTVで解説員までつとめ、2013年に退社して今は法政大学でジャーナリズムを教えている。5人でワイワイやっているうち、今のテレビ局、おかしいんじゃないか、という話題になった。そこで、先日、某テレビ局のあるニュース番組のスタッフに聞いた驚くべき話を披露した。去年7月1日、安倍内閣が集団的自衛権行使容認を決めた日のこと。いつものように、30人のスタッフを集めて打ち合わせがあった。そこで番組の責任者が「きょうは『街録』(街頭録音)はやらなくていい」と言ったという。消費税が増税されるとか、原発の再稼働が認可されたとか、重要な政策転換があれば、街頭インタビューで街の声を拾って放送するのは「定番」だから、これは異例の指示だった。一人のスタッフが質問した。「今日こそ街録が必要なんじゃないですか、なんでやらないんですか」。その責任者が放った答えはこうだ。「おれたち共産党じゃないよな」さらに、「街録で答えたヤツが共産党員でないか、証明できるのか?」その場にいたスタッフは沈黙したまま打ち合わせは終り、その日、集団的自衛権行使容認のニュースに、街録は流れなかったという。(高世仁の「諸悪莫作」日記 2015-03-20

本日の記者会見(6:45頃~)で菅官房長官は報ステの古賀発言について「事実無根だ」と全否定していますが、古賀さんが「菅官房長官が『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っていると聞いています」と言っているのはおそらくほんとうのことでしょう。ここで古賀さんが「裏で」と言っているのは菅官房長官のオフレコ発言を指しているのだと思いますが、証明できないのがオフレコ発言の特徴です。だとすれば、裁判所でも検察でもない私たちは状況証拠から判断する以外ありませんが、古賀さんは数人の記者からそのオフレコ発言を聞いたと言っています。上記の高世仁さんが紹介する事例、また、昨年の総選挙直前の11月の政府の露骨なメディア介入の事例などなどと重ねあわせてもこの場合の発言の信憑性は古賀発言の方にあると見るのが常識的な判断というものだろうと私は思います。

さて、以下が想田和弘さんと山崎雅弘さんの古賀発言評価。

想田和弘Twitter(2015年3月30日)

【まとめ】
この発言自体が露骨な圧力ですよ。→菅長官、バッシング「事実無根だ」「当然、放送法という法律があるので、まずテレビ局がどういう風に対応されるかをしばらく見守りたい」 報ステでの発言に - 朝日新聞デジタル彼 のボスもそうだが、菅官房長官は自らに権力があることを自覚し自重するどころか、権力をちらつかせて反対者を黙らせることに躊躇がない。ヤクザと同じ。朝日バッシングに見られたように、マスコミも団結して横暴な権力と闘うどころか、同業他社を叩く好機とばかりに尻馬に乗るのだから始末におえぬ。権力を笠に着るタイプの人間に政治権力を与えては絶対にダメなんですよ。なぜなら権力は良い方に使えば効果も絶大だけど、悪用されたら破壊的な威力を発揮するので。だから権力の暴走を抑えるために三権分立や憲法や報道があるわけだが、それらも骨抜きにされっぱなしだからひとたまりもない。日本のデモクラシーがこれほど脆いものだったとはね。なかなか受け入れがたいけれど、もはや認めざるを得ない事実だと思う。





山崎 雅弘Twitter(2015年3月30日)

【まとめ】
古賀茂明が『報ステ』放送中・放送後のスタッフとのやりとりをすべて明かした!(リテラ)「放送から一夜明け、古賀氏が、彼に非常に近い新聞記者に語った内容を我々は独自ルートで入手した(古賀氏本人に確認したところ『ノーコメント』)」。テレビ朝日の報道局員「報道フロアはもう騒然となってましたよ。報道局幹部は、激怒してましたが、番組のスタッフや局員からは、よく本当のことを言ったという称賛の声や、普通のことを言っただけじゃないかという冷静な声、激論はあってもいい、面白い、視聴率が取れるといった様々な声が出てました」古賀茂明「(番組幹部W氏に)あなたは名前を出さないで裏でそういうふうに圧力かければすべて済むからいいですけど、僕は名前出してやっているんですよ、と。だからあなたも正々堂々と言えると思っているんだったら、名前を言っても何も困らないでしょうと言ったら、それは困ると」「私が黙っていたら、前にあったテレビ局への自民党からの圧力文書の時、テレビ局が何も抗議しなかったことと同じになってしまう。だから私は黙っているわけにはいかない。菅さんが脅してくるなら、私はそれを言いますからねと、だから申し訳ないけど私はああいうことを言わせてもらった」

テレビ業界の人は、局内の「非公式な放送コード」にすっかり順応してしまい、言論の自由への制約が以前より強まっても、もう疑問にも思わなくなっているのか。「他局もそうだから」みたいな、外部から見れば何を言ってるのかと思う理屈で、本来持ち続けるべき疑問を流してしまっているようにも見える。古賀氏が指摘しているように、昨年末の総選挙で自民党がテレビ各局に「与党批判するな」と恫喝した時、大手テレビ局は形式的な抗議文を出しただけで実質では完全に服従した。与党圧勝という予想を一斉に出して与党有利の流れを作り、政策の失敗は報道せず、テレビコメンテーターもその流れに追従した。古賀氏の行動について「テレビコメンテーターのあるべき姿」という小さい箱の中に論点を押し込み「コメンテーターとしては失格」と切り捨てて幕引きにする光景を見ると、言論の自由はこうして社会から失われていくのかと改めて思う。言論の不自由を否認することで、それは論点から徹底的に除外される。



「政府のテレビ局への圧力」という民主主義の根幹に関わる問題に一切触れず、古賀氏の人格問題に矮小化して袋叩きにする動きの中に、テレビ業界人の姿もあるのが異様だと思います。古賀氏を見せしめとして潰す前例を作ることは、自分達の足枷をさらに大きくするはずですが。古賀氏の件で不思議なのは、テレビ業界人やテレビコメンテーターの中に「自分は政権批判NGなんて一度も言われたことがない」「だから今まで安倍政権を批判したし、今後もする。NGと言われても従わない」とコメントする人が見当たらないこと。政府の圧力が古賀氏の妄想なら、こう明確に言えばいい。たった一人のテレビ出演者が、水面の下に隠れていた「言論の不自由」を水面の上に出すだけで、慌てふためいてそれを手で覆い、出した人間を袋叩きにする。対米従属の否認、言論の不自由の否認、男女不平等の否認、汚染水海洋漏洩の否認など、社会の中で「無いこと」にされる現実がどんどん増えている。















3月27日放送の「報道ステーション」であった古賀茂明さんの番組降板を巡っての同氏と古舘伊知郎さんのバトルについて同番組での古賀発言を必要以上に買いかぶるある種のムーブのようなものがあって、そのいかにも軽々としたカレント・デモクラティック(もちろん、真の「デモクラティック」とは無縁です)に苦々しいものを感じていたところ、kojitakenさんが私とほぼ同様の違和感を述べていてやや気保養しました。
 
古賀茂明が古舘伊知郎と安倍政権・テレ朝上層部との妥協を告発
(kojitakenの日記 2015-03-29)
 
上記記事に見るkojitakenさんの「古賀茂明も古舘伊知郎も、『報道ステーション』という番組も基本的に買っていない」という認識、「古賀はすさまじい新自由主義者」という認識、同番組の前コメンテーターの加藤千洋さんの評価についてもほぼ私の認識、評価と同じです。ただ、kojitakenさんは古賀茂明さんについて「すさまじい新自由主義者」という認識しか示していませんが、私は古賀さんの「脱原発」の姿勢についてもまがいものであるという認識を持っています。そのことについてはこちらの記事ほかで何度も書いています。さらに古賀さんがただ「元経産省官僚」というブランドだけで専門外のことをしたり顔で解説する(雑談ならともかく誠実な人はこういうことはしないでしょう)姿勢についても大きな違和感を持っています(これは内実よりもブランドを重用するメディアの責任でもありますが)。
 
しかし、そうした私の古賀茂明評価があるとしても、これもkojitakenさんも言っていることですが、古賀さんの「昨今の "I am not ABE." の発言」や「古賀外しには『古舘プロダクションの佐藤会長』とかいう人間が一枚噛んでいること」を暴露した点、すなわち、安倍政権とテレビ朝日の上層部との間に「妥協」があったことをナマの報道番組を通じてはじめて暴露した点については「古賀の暴露ぶりは、テレビで見ていてみっともなさを感じるパフォーマンス」だったとしてもおおいに評価してよいことだと思っています。
 
さて、これだけ私流の古賀茂明批判をしておけば、下記の山崎雅弘さん(現代紛争史研究家)と加藤典洋さん(文芸評論家)の古賀茂明評価を紹介しても誤解はされないでしょう。

以下、山崎雅弘さんと加藤典洋さんの3月27日放送の「報ステ」における古賀発言評価。
 
山崎 雅弘Twitter(2015年3月28日)から。
 
昨晩の『報道ステーション』での古賀茂明氏の行動については賛否があるが、一般には水面下に隠されている「大手テレビ局に対する政府からの圧力」が、今のこの国で存在することを、水面の上に出して可視化したという意味で、公益にかなう行動だったと思う。それを番組内で言った出演者は、他にいない。メディアの業界人を含め、国民は「おかしいと思ったことは、口に出して言わなくてはならない」という発言も、公益にかなう行動だったと思う。しかし「テレビ朝日の早川会長」は既出として「プロダクションの佐藤会長のご意向で」というのは初めて出た名前で驚いた。古館氏は動揺していた。森永卓郎氏もラジオで指摘していたが、メディアの翼賛体制に異を唱える声明に、大手メディアによく出演する「有名なコメンテーター」はほとんど誰も賛同していない。翼賛体制に異を唱えない。政府批判を控え萎縮するメディアの流れに疑問を感じない人は、大手メディアに今後も使ってもらえる
 
民主主義の原理原則に反した行動を政府が行えば、テレビの生放送ニュース番組等で、永田町や霞ヶ関の予想しない形で「ハプニング」が起きるのは、メディアの健全性がかろうじて残っている証しだと思う。ロシアのクリミア併合が行われた時も、RT英語放送のアナウンサーが生放送中に抗議して辞職した。政府がテレビ放送局に「政権批判するな」との圧力をかけ、テレビ放送局の上層部がそれに迎合して、政権批判を行った社員や外部出演者に制裁を加えるというのは、独裁国家など非民主主義国によく見られる特徴だが、日本は「そういう国ではない」と信じられてきた。現実は水面下で確実に変わりつつある
 
「今日はJ(大手芸能プロ)やD(外資系エンタメ産業)の批判はNGでお願いします」という検閲を「わかりました」と日常的に受容する「テレビ出演者」は、「今日は政権批判もNGでお願いします」と言われても、抵抗感なく受容できるのかもしれない。両者の意味は決定的に違うが、違いを認識しない。昨年12月19日付東京新聞への寄稿文でも書いたが、社会が権力を持つ一部の人間によって「国民の合意(民主主義)とは違う方向に作り替えられる」時、何もせず沈黙し傍観するのは「中立」でも「第三者」でもない。変化の流れに加担する群衆になる。民主主義に大した価値を置かない人や、実質でなく形式で物事を捉え考えるタイプの人には、古賀茂明氏の行動は「番組を降ろされた個人的恨みの発露」にしか見えないかもしれない。以前なら首相や閣僚が辞任を強いられた状況でも今はそうならないのはなぜかという、より重要な問題の根源に目を向けない。
 
昨晩の『報道ステーション』で、古氏は「ニュースとは関係の無い話になった」ことを視聴者に対して「詫び」ていたが、今日どこで何があったという具体的情報伝達だけが「ニュース」だと思っているなら、この番組に未来は無いと思う。「テレビ局の変質」自体、視聴者にとっては重要なニュースだろう。
 
【古賀茂明生放送で暴露】古伊知郎と激論動画(報道ステーション)(NAVAR)

あらゆる出来事と同様、昨晩の『報道ステーション』の意味や価値も、今すぐ評価できるのは全体の一部でしかない。全体の意味は、何年も経った後で初めて明らかになる。古賀茂明氏の件に限らず、政治的な意志表示をする人間に対して、その主張内容の是非に触れることを避けつつ、意志表示の手段や形式的瑕疵、発言者の人格問題に論点をすり替えるパターンは多い。社会の「形式」を管理統制することに長けた人々から見れば、こうした思考パターンは自分たちの味方だろう。
 
報道ステーション:古舘キャスターと古賀氏のやりとりは…(毎日)これは予想外の展開。毎日新聞が、古賀氏と古氏の番組内でのやりとりを正確に書き起こして、番組を観ていない読者に「判断材料」として提示している。これもジャーナリズムの仕事。古賀茂明氏は、番組の中で「菅官房長官がテレビ局に圧力をかけている」と述べていたが、現職の官房長官がテレビ局に直接圧力をかけて報道統制を行っているのが事実なら、民主主義国の根幹が既に崩れていることになる。記者は国民の「知る権利」に応えて、会見で官房長官に問いただす必要があるだろう。
 
加藤典洋Twitter(2015年3月28日)から。
 
報道ステーション面白い。たまたま見ました。古賀さん、まとも。一人しっかりした人がいると、朝ナマなんていうのも真っ青だね。ガンジーのフリップ、素晴らしいです。古賀さんのテレビの遺言だが、反テレビの産声にも聞こえた。
 
4.古賀「何もなくプラカを出せばただの馬鹿ですが、官邸が個人攻撃をしてきているんです。菅官房長官が、名前を出さず、私を批判してきています。『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っていると聞いています。それは大変なこと。免許取消もあるという脅しですから」@iwakamiyasumi4.古賀「何もなくプラカを出せばただの馬鹿ですが、官邸が個人攻撃をしてきているんです。菅官房長官が、名前を出さず、私を批判してきています。『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っていると聞いています。それは大変なこと。免許取消もあるという脅しですから」@iwakamiyasumi
 
1.これより、たった今行われた「報道ステーションの出演を終えたばかりの元経産官僚・古賀茂明氏への緊急インタビュー(聞き手:岩上安身)」の様子を報告します。@iwakamiyasumi1.これより、たった今行われた「報道ステーションの出演を終えたばかりの元経産官僚・古賀茂明氏への緊急インタビュー(聞き手:岩上安身)」の様子を報告します。@iwakamiyasumi
 
2.岩上「報道ステーション、最初にアドリブで降板に至った経緯を話したところで止められましたね」。古賀「官邸に抗議することが今回の目的でした。古舘さんは私に『何もできずすみません』と言っていたのであれくらいいいかと思いましたが、古舘さんには立場がある」@iwakamiyasumi
 
3.古賀「古舘さんとはとても仲良くしていただいていたので、止められて、非常に驚きました。だから『言っていることと違うじゃないか』と言わせていただいた。『I AM NOT ABE』のプラカードを出し、『なぜあそこまでするか』と思う人も多かったでしょう」@iwakamiyasumi
 
5.古賀「脅されて、常に不安を持ちながらも『黙ってはいけない』ということで、無理矢理、自分を追い詰めていました。ガンジーが言っていたように『1人騒いでも社会は変わらない。大人になろうと思って何も言わなくなったら、自分が変えられたことになってしまう』」@iwakamiyasumi
 
6.古賀「僕はいつもそう強く思っているので、攻撃されて黙るのではなく、言われたら言いたいことをどんどん言うつもりでやっています。テレ朝には申し訳なかったですが、私がいきなり言ったので、誰の責任にもなりません」@iwakamiyasumi
 
7.古賀「最初『I AM NOT ABE』のときは事前にやるとスタッフに言っちゃったんです。あとで(上から)言われてしまったようなので、今回は内緒でいきました。僕としては最大限気を使ったつもりですが、突然ですから裏切りだと思う人もいると思います」@iwakamiyasumi
 
8.古賀「今日は番組後に、報道局長をはじめガンガンガンガン言われました。あんなニュースと関係ないこと言うのはおかしい、事前に言ってくれないのもおかしい、と。でも僕は、話す内容を打ち合わせること自体が変だと思っています」@iwakamiyasumi
 
9.古賀「彼らは『そんなこと突然言われても世の中の人は何もわからない』といいます。わからなくてもいい。日本の報道がどうなっているかの議論のきっかけになればいいし、私物化というが、僕は自分の利益でやっているわけではないんです。利益を考えればやりません」@iwakamiyasumi
 
10.古賀「官邸や政府はマスコミをどう押さえるかに力を入れています。僕達数少ない人間が戦う場を与えられれば活用します。しなければ、日本がとんでもないことになる。『変な人だ』という人もいると思う。でも、普通の人はまだ危機的状況がわかっていないと思う」@iwakamiyasumi
 
11.古賀「政権が圧力かけるのは日常茶飯事です。私ももともと経産官僚なので。今行われているのは、『計画的にどう報道を抑えていくか』ということです。官邸の偉い人とご飯を食べて、審議会にどうこう言われれば、みんな(報道姿勢が)変わるそうです」@iwakamiyasumi
 
12.岩上「今後、古賀さんはどうしていくのでしょう」。古賀「これで東京でのキー局出演は当分ありえません。でも、これで自由にもなったので、いろいろやっていきたい。今後は『フォーラム4』をやっていきたいと思います。サイトがあるので検索してください」@iwakamiyasumi
 
いまIWJの古賀さんの活字実況を読んだところ。この人はいい。昔、フランスでインテリの出てくる討論番組をテレビで見ていたら、途中、大げんかになって一人スタジオから出ていった。でもちょっと話題になったくらいだった。そうでなきゃ。テレビってもともとそういうメディアだったんじゃないのか
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本ブログの「今日の言葉」の2015年3月13日から3月27日までの記録のその2(「福島」「原発」「貧困」「回顧」編。既出記事は除く)です。

・ドイツの公共放送ZDF「
原子力エネルギーのカムバック」日本をはじめ世界各国の「原子力ロビー」の暗躍がテーマで、首相が「原子力産業の代理商」に成り下がっている現実をストレートに報道している。日本の安倍晋三首相が「原子力産業のセールスマン」で、「陰に潜むビッグプレーヤーが東芝、日立、三菱」だという指摘は、単に現在進行中の事実を事実として報じているだけだが、日本の大手メディアはそんな程度の「事実の指摘」すら行えない。ドイツの公共放送ZDFは、日本政府と原子力産業を「情報隠蔽と改竄の常習犯」と見なした上で、「これまでの路線を変えないまま、日本が核技術を輸出することに不安を覚える」と指摘している。「なぜなら、海外で違う態度をとるとは思えない」/原発推進へ国民分断、メディア懐柔 これが世論対策マニュアル(赤旗、2011年7月2日)「原発『世論対策マニュアル』をつくった日本原子力文化振興財団の活動費の3~4割は税金」「同財団の理事には八木誠関西電力社長のほか清水正孝東京電力社長(当時)、玉川寿夫民間放送連盟常勤顧問、加藤進住友商事社長、庄山悦彦日立製作所相談役、佃和夫三菱重工会長、西田厚聡東芝会長、林田英治鉄鋼連盟会長など」「文科系は数字をありがたがる」「良識的コメンテーターの養成」「テレビディレクターに知恵を注入」東芝、日立、三菱、民放連など。原子力PA*方策の考え方(PDF)驚くのは、マスコミ向け対応策を指南した「原子力PA方策委員会」の委員長が、中村政雄読売新聞社論説委員という事実。報道人が「情報操作の手引き」をしている。「数名からなるロビーをつくり、コメンテーターの養成に努める」「特定のテレビ局をシンパにするだけでも大きい意味がある」「広報担当官は、マスコミ関係者と個人的つながりを深めておく。人間だから、つながりが深くなれば、当然、ある程度配慮し合うようになる」「日頃から、役立つ情報をできるだけ早く、かつまた、積極的に提供しておく。それが信頼関係を築く。記者にとってはありがたい存在になる」「平生から、特に社会部の記者とのつながりを深めておくことが大切である」時間をかけて「大手マスコミ関係者」を「飼い慣らしていく手口」が、赤裸々に解説されていて興味深い。(山崎 雅弘Twitter 2015年3月15日

干刈あがたの作品をぼくは読んだことがない。しかし、60年安保のとき、高校2年生だった彼女もまたデモに参加している。樺美智子の死に衝撃を受けたという。早稲田大学を中退、雑誌のライターをしながら、結婚し、2児の母となった。そして島尾敏雄のアドバイスで、奄美などの島唄を採集しはじめたという。1982年、「樹下の家族」で『海燕』新人文学賞を受賞、その後、「ウホッホ探検隊」や「ゆっくり東京女子マラソン」などの小説を書き、1992年5月に亡くなった。著者はこう書いている。〈彼らが嫌った『偽モノ』とは、まさに復興期の社会意識(民主主義)と成長期の社会意識(消費主義)の節操なき混交のうちにあった。それは、相手に応じてナショナリズム(反米)にもデモクラシー(反岸)にも化け、いつの間にか『所得倍増』のキャンペーンに同調していった。このキマイラのような〈社会意識〉が醸し出す臭気に、彼らは反撥した。この一点において、山口二也ファイティング原田加賀まりこと干刈あがたを同列に論じることができると私は思った。そして、たぶん、そうした乱暴な世代論が成立する年は、この前にも後にもないような気がしている〉よくわからない。若者がたたかい、傷つき、立ち直って、また傷ついていたことはたしかである。若者もいつしか年をとる。しかし、たたかいは死ぬまで終わらないだろう。(海神日和 2015-03-15

・「福島にどう関わるか」。復興業界では「支援」という言葉が使われますので、「福島をどう支援するか」と言い換えてもいいです。必ず、この「善意」が絡んでくるから、そう簡単に拒否したり批判できなかったりもする。その結果、一方では、自らの「善意」を信じて疑わないけれど、実際はただの迷惑になっている「滑った善意」を持つ人の「善意の暴走」が起こり、問題が温存される。多大な迷惑を被る人が出てくる。他方では、本当に良識ある人が「的を射た善意」も持つのに、気を使いすぎる結果、タブー化された「言葉の空白地帯」が生まれて、そこについて皆が語るのをやめ、正しい認識をだれも持つことができなくなる。迷惑が放置される。この「善意のジレンマ」とでも呼ぶべき、「滑った善意」と「的を射た善意」という逆方向に向かう二つの矢印がすれ違う。結果、「悪貨が良貨を駆逐するように、「滑った善意」だらけになって「迷惑」が放置され、状況が膠着する。この状況を抜け出す際に意識すべきことは一つだけです。「迷惑をかけない」ということです。これが「「福島へのありがた迷惑12箇条」だ!(略)典型的な「ありがた迷惑」から、事例を交えて、見ていきましょう。1.勝手に「福島は危険だ」ということにする(略)2.勝手に「福島の人は怯え苦しんでる」ことにする3.勝手にチェルノブイリやら広島、長崎、水俣や沖縄やらに重ね合わせて、「同じ未来が待っている」的な適当な予言してドヤ顔(略)4.怪しいソースから聞きかじった浅知恵で、「チェルノブイリではこうだった」「こういう食べ物はだめだ」と忠告・説教してくる(略)5.多少福島行ったことあるとか知り合いがいるとか程度の聞きかじりで、「福島はこうなんです」と演説始める(略)6.勝手に福島を犠牲者として憐憫の情を向けて、悦に入る(略)7.「福島に住み続けざるを得ない」とか「なぜ福島に住み続けるのか」とか言っちゃう(略)8.シンポジウムの質疑などで身の上話や「オレの思想・教養」大披露を始める(略)9.「福島の人は立ち上がるべきだ」とウエメセ意識高い系説教(略)10.外から乗り込んできて福島を脱原発運動の象徴、神聖な場所にしようとする(略)11.外から乗り込んでくることもなく福島を被曝回避運動の象徴、神聖な場所にしようとする(略)12.原発、放射線で「こっちの味方か? 敵か?」と踏み絵質問して、隙を見せればドヤ顔で説教(
開沼博 2015年2月28日

原発メーカー訴訟弁護団の主張の根本的な誤り。島弁護士から3月17日に「配達証明」で送付されてきた「ご通知」をめぐってのメールを公開します。これによって原発メーカー訴訟弁護団が元事務局長の崔勝久の代理人辞任届けを裁判所に提出することを再度明らかにしています。私はこのメールの中で弁護団が主張する代理人辞任の主張に根本的な問題があることを明らかにしました。1.原発メーカー訴訟においては原告と弁護団の間で書類による委任契約は締結されていない。2.あるのは裁判所に提出した訴訟委任状だけで、そこでは原告が弁護士を訴訟代理人として選任することを明記している。3.従って原告を信頼できないというのであれば、選任された弁護士がとる行動は原告の代理人辞任ではなく、自らこの訴訟の代理人を降りることである。4.島弁護士のこの間の言動は、原告団(=「訴訟の会」)に対する不当な介入であり懲戒請求に値することは明らかであるが、メーカー訴訟に全力を尽くすのであれば、新事務局と無条件での話し合いに応じ、これからの裁判の進め方について真摯に議論すべきである。5.弁護団がそれでも崔勝久の代理人辞任を強行すれば、弁護団を解任すると意思表示する原告が多く存在し、裁判の遅延につながる。弁護団は裁判の遅延につながる行為をすべきではない。(オクロス 2015年3月25日
 

さくら  

本ブログの「今日の言葉」の2015年3月13日から3月27日までの記録のその1(「安倍批判」編。既出記事は除く)です。

・ドイツの
メルケル首相の訪日に続いてミシェル夫人が来日した。これは偶然なのだろうか。事前に両者に何らかの通底があったのかどうかは不明だが、この二人にはある問題に関する共通の関心事がある。(略)メルケル首相は会見の場をわざわざかねてより従軍慰安婦問題に積極的に取り組んできた朝日新聞社に設定し、暗に従軍慰安婦問題に関心のあることを示した。そしてドイツが戦後自からの非を認めたことを引き合いに日本(というより(略)安倍政権)に加害者側としての意識が低いということを遠回しに非難している(略)。メルケル首相に続いて昨日来日したミッシェル夫人は日本嫌いとの風評がある。(略)だが私はミッシェル夫人は日本嫌いだとは思わない。(略)ミッシェル夫人は日本が嫌いなのではなく、安倍が嫌いなのである。メルケル首相同様、彼女にとって女性の問題には当然敏感であり、安倍がうやむやにしょうとしている従軍慰安婦問題は見過ごせない”女性の人権蹂躙問題”なのである。私はこの従軍慰安婦問題に関しては、軍が関与していたか、していなかったかというそんなことは枝葉末節な問題でありどうでもいいと思っている。植民地の女性を日本軍人が慰安婦として徴用したこと。それが問題なのであり、軍がどうした民間がこうした、などはどうでもよいことだ。(略)海外ではこの従軍慰安婦問題が象徴する安倍は、女性の人権を無視する先進国唯一のリーダーだとレッテルを貼られていることを(日本のメデイアが報じないため)案外日本人は気がついていない。またこのことも井の中の蛙である日本人はとんと気づいていないが、この問題を軸に日本(安倍)は先進国の女性リーダートライアングル、メルケル首相、ミッシェル夫人、そして朴 槿惠に包囲されているのである。このすぐれて女性の人権問題である従軍慰安婦問題を棚上げしょうとする安倍の新たなキャッチフレーズが”女性が輝く社会”というのは口先三寸男の面目躍如であり、おそらく女性リーダートライアングルはこのことをしてさらに安倍を最低男と思っているのではないか。(略)私は戦後70年幾多の宰相を見てきているが写真家の観点から各時代の宰相にはそれぞれに男の度量と色気というものが感じられた。だが安倍にはこれがない。私の安倍嫌いの一因はここにもある。(藤原新也 2015/03/19
 
・きょうは、
GALAC(ぎゃらく)という雑誌の座談会に呼ばれて新宿へ。この雑誌は、ギャラクシー賞を出しているNPO放送批評懇談会が発行するテレビとラジオの批評誌だ。座談会のテーマは「イスラム国」の日本人人質事件とテレビについてで、出席したのは共同通信の原田浩司、フリーでアフガンの米軍従軍取材で知られる横田徹、イラク戦争から現地を取材しつづける綿井健陽の各氏。私は、ジャーナリスト常岡浩介さんの私戦予備陰謀容疑でのガサ入れへの対応、常岡さんのテレビ出演時の政府批判封じ込め、旅券返納命令への屈服などの例をあげて、日本のテレビ局の姿勢はひどすぎると批判したが・・・仕事を干されてしまうかも。6月号に掲載予定なので、関心ある方は書店でごらんください。座談会のあと、司会の水島宏明さんも交えて近くの「塚田農場」で飲んだ。水島さんは、かつて日本テレビ系の札幌テレビ(STV)の社員で、ロンドン、ベルリンの特派員やNTVで解説員までつとめ、2013年に退社して今は法政大学でジャーナリズムを教えている。5人でワイワイやっているうち、今のテレビ局、おかしいんじゃないか、という話題になった。そこで、先日、某テレビ局のあるニュース番組のスタッフに聞いた驚くべき話を披露した。去年7月1日、安倍内閣が集団的自衛権行使容認を決めた日のこと。いつものように、30人のスタッフを集めて打ち合わせがあった。そこで番組の責任者が「きょうは『街録』(街頭録音)はやらなくていい」と言ったという。消費税が増税されるとか、原発の再稼働が認可されたとか、重要な政策転換があれば、街頭インタビューで街の声を拾って放送するのは「定番」だから、これは異例の指示だった。一人のスタッフが質問した。「今日こそ街録が必要なんじゃないですか、なんでやらないんですか」。その責任者が放った答えはこうだ。「おれたち共産党じゃないよな」さらに、「街録で答えたヤツが共産党員でないか、証明できるのか?」その場にいたスタッフは沈黙したまま打ち合わせは終り、その日、集団的自衛権行使容認のニュースに、街録は流れなかったという。(高世仁の「諸悪莫作」日記 2015-03-20

・自民・公明両党は「安保法制」をめぐり、他国軍の戦争を支援する「海外武力行使法」の骨格を決めたその内容の恐ろしさに身がすくむ。まずはパートナーを組む米軍を、切れ目なく支援するため、あらゆる事態に備え、地球の裏側まで自衛隊の海外派兵を可能にする体制づくりだ。時の政府が「我が国の存立を脅かす」などと判断すれば、米軍が起こした先制攻撃にも、自衛隊の参戦が現実となる。さらに自衛隊の派兵恒久法を新設し、弾薬や燃料の補給・輸送などでの後方支援、「戦地」においては捜索救助活動に、いつでも従事させるという。武器使用についても範囲を拡大し、現場レベルで反撃に加われるようにする。これらの実施に当たっては、事前の国会承認がなくとも可能というから恐ろしくなる。「戦力を持たず交戦権を認めない」憲法9条2項はズタズタにされた。衆議院・自公両党での絶対安定多数をいいことに、国会審議も経ずに日米両政府は防衛協力のガイドライン再改定に、この「安保法制」を盛り込み、合意を先取りしてしまう肚だ。国民無視も極まる。そして5月中旬に法案を国会提出し一挙可決に走るという。とりわけ公明党の責任は大きい。ちっとも「歯止め」などかかっていない。ズルズル「戦争する国」へと、安倍首相の狙いについてゆく<下駄のユキ>になっただけではないか。23日から自公両党・幹事長が中国訪問。二人の会話も和気藹々だろう。(Daily JCJ【今週の風考計】2015年03月22日

・安倍総理は、ついつい本音というか、普段、口にしているからでしょう、自衛隊のことを「我が軍」と呼びました。3月20日、参議院の
予算委員会での出来事です。やっぱり自衛隊は軍隊なんですね。しかも「我が」軍というのは、私たちのという意味ではなく、安倍総理の場合には文字通り「私の軍隊」という意味です。安倍総理は、軍事大国化を目指していますが、その動機は極めて幼稚です。軍国少年がそのまま大人になっただけの安倍総理ですが、思考は極めて幼稚のままです。安倍政権の中でも安倍総理に逆らうととんでもない処遇が待っている、だから安倍総理には誰も何も言えないという極めて異常な政権。言うべきことも言えないということになれば、もはや権力への歯止めがなくなったのと同じこと。暴走がますます加速します。周囲がご機嫌取りになれば独裁体制そのものに直結します。(略)そして、辺野古移設に反対する沖縄県知事に対する冷遇です。(略)自分に反対するものに対しては一切、その声を聞くことなく、力で叩き潰そうとする暴力剥き出しの政権こそが安倍総理なのです。このような安倍総理だからこそ、自衛隊は軍隊であり、しかも自分の軍隊なのです。最高司令官としての安倍総理であり、自分の軍隊、だから「我が軍」なのです。単なる言い間違いレベルの話でありえません。安倍総理の本音なのです。(略)こういう人が今の日本の舵取りをしているということの意味を冷静になって考えましょう。(弁護士 猪野亨のブログ 2015/03/25

・安倍晋三首相は、三月二〇日の参院予算委員会で、自衛隊を「わが軍」と発言した! すでに壊憲は済んだかのような危険な発言であり、強く批判し撤回を求めなくてはならない。国会中継など見ている余裕はないので、私はこの事実を昨日のテレビのニュースで見ただけある。この発言を誘発させた質問者が共産党の議員ではなかったので、明日の「赤旗」はどういう扱いになるのかと心配した(維新の党の真山勇一氏だった)。そして、今朝の「赤旗」は何とわずか一九行のベタ記事! 質問者の氏名も書いてない。他方、「
東京新聞」は紙面四分の一の大きな記事。昨日ははっきり認識しなかったが、問題発言は二〇日だと知った。二〇日のテレビニュースで報道があったかどうかは分からないが、この記事によると「ようやく二四日に民主党の細野豪志氏が」取り上げたという。この記事で、水島朝穂氏が「八紘一宇発言にしても、野党もやじ一つとばさないし、追及が甘くなっている」とコメントしている。危険な動向に機敏に対応する必要性を痛感するとともに、他党の議員が絡むと小さく扱うセクト主義を早急に克服しなくてはならない。(村岡到 2015年3月25日
 

・自衛隊人権裁判弁護団の
佐藤博文弁護士の話:自衛隊は、遺書の返還を求めた隊員に「単に自己の死亡のみに準備する遺書とは全く別物である」と書面で答えている。要するに「国のため」「公務として」死ぬのだ、と強要している。隊員の多くが疑問に感じているのは当然だ。未成年の新入隊員にまで書かせている。憲法を無視して海外で戦争する軍隊を持つとはこういうことだ。
どらやき 
京都の和菓子専門店笹屋伊織の筒状のどら焼を輪切りにしたもの

内田樹さんが自身のツイッターに朝日新聞3月26日付掲載の高橋源一郎の論壇時評を評価するある人のツイートをリツイート(2015年3月26日)しています。

以下は、その内田樹さんのリツイートを読んでの「今日の言葉」としての私の感想。

高橋源一郎が「菅原文太の知性」を取り上げようとして書いた朝日新聞論壇時評の冒頭に置いたのは「高校2年の夏休み、8月6日を広島で過ごそうと友人と神戸からヒッチハイクをした」高橋を「なにしとんじゃ?」と誰何した若いヤクザは本人の弁では親の稼業を継ぐため慶応の大学院を中退したスタンダールを研究していたインテリだった、というエピソード。高橋は菅原文太の出世作となった「仁義なき戦い」と「知性」を関連づけようとして冒頭に上記のエピソードを置いたのでしょうが、冒頭のエピソードはヤクザについても「知性」についてもなにも象徴していないという意味で陳腐です。安物の三文小説の書き出しそのもの。「知性」のない書き出しで「知性」を関連づけようとしても無理というものでしょう。第一、「仁義なき戦い」にほとばしる知性は監督深作欣二の才能。菅原文太の「知性」ではありません。この程度のこともわからずに高橋源一郎の論壇時評の論を誉めるツイートをリツイートする内田樹の「知性」も残念ながらたかが知れているということにならざるをえないでしょう。天皇の言葉を「天皇陛下のお言葉」と呼ぶツイートを違和感もなくリツイートする人にふさわしい「知性」というべきか。

なお、内田樹さんは、この3月に晶文社から『日本の反知性主義』という本を出版していますが、以下、「内田樹の研究室」ブログと晶文社のホームページから同書の目次兼共著者一覧と前書き部分を引用しておきます。
 
反知性主義者たちの肖像 内田樹
反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴 白井聡
「反知性主義」について書くことが、なんだか「反知性主義」っぽくてイヤだな、と思ったので、じゃあなにについて書けばいいのだろう、と思って書いたこと 高橋源一郎
どんな兵器よりも破壊的なもの 赤坂真理
戦後70年の自虐と自慢 平川克美
いま日本で進行している階級的分断について 小田嶋隆
身体を通した直観知を 名越康文×内田樹
体験的「反知性主義」論 想田和弘
科学の進歩にともなう「反知性主義」 仲野徹
「摩擦」の意味──知性的であるということについて 鷲田清一
 
 
『日本の反知性主義』は3月刊行予定。編者として「まえがき」を書いたので、それを掲載しておきます。

どういう趣旨の本なのか、その緊急性は何か、それをぜひご理解ください。
 
編者のまえがき
 
みなさん、こんにちは。内田樹です。
 
本書、『日本の反知性主義』は昨年の『街場の憂国会議』に続いて、私がその見識を高く評価する書き手の方々に寄稿を依頼して編んだアンソロジーです。本書の企図が何であるかは昨夏に発送した寄稿依頼の書面に明らかにされております。それを再掲して、本書編纂の意図を示しておきたいと思います。まずそれをお読みください。
 
私たちは先に晶文社から『街場の憂国会議』を刊行しました。これは特定秘密保護法の国会審議においてあらわになった立憲政治、民主制の危機について、できるだけ多様な視点からその文脈と意味を考察しようとした試みでした。不肖内田がその編著者を拝命いたしましたが、多くのすぐれた書き手の方に集まって頂き、発行部数も予想以上の数字に達しました(ほんとうはこういう「危機に警鐘を」的な書物が売れるというのは、市民にとっては少しもうれしいことではないのですが・・・)
 
しかし、さまざまな市民レベルからの抵抗や批判の甲斐もなく、安倍政権による民主制空洞化の動きはその後も着実に進行しており、集団的自衛権の行使容認、学校教育法の改定など、次々と「成果」を挙げています。
 
しかし、あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導くはずのこれらの政策に国民の40%以上が今でも「支持」を与えています。長期的に見れば自己利益を損なうことが確実な政策を国民がどうして支持することができるのか、正直に言って私にはその理由がよく理解できません。
 
これは先の戦争のとき、知性的にも倫理的にも信頼しがたい戦争指導部に人々が国の運命を託したのと同じく、国民の知性が(とりわけ歴史的なものの見方が)総体として不調になっているからでしょうか。それとも、私たちには理解しがたい、私たちがまだ見たことのない種類の構造的な変化が起りつつあることの徴候なのでしょうか。私たちにはこの問題を精査する責任があると思います。そして、この作業を、かつての京都学派に倣って、共同研究というかたちで進めることができれば、読者のみならず、私たち自身にとっても裨益するところが大きいのではないかと思いました。
 
今回の主題は「日本の反知性主義」です。ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』は植民地時代から説き起こして、アメリカ人の国民感情の底に絶えず伏流する、アメリカ人であることのアイデンティティとしての反知性主義を摘抉した名著でした。現代日本の反知性主義はそれとはかなり異質なもののような気がしますが、それでも為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っていることは間違いありません。それはどのような歴史的要因によってもたらされたものなのか? 人々が知性の活動を停止させることによって得られる疾病利得があるとすればそれは何なのか? これについてのラディカルな分析には残念ながらまだほとんど手が着けられておりません。
 
今回も複数の書き手にそれぞれのお立場からの知見を伺いたいと思います。「日本の反知性主義」というトピックにどこかでかかわるものであれば、どのような書き方をされても結構です。どうぞ微志ご諒察の上、ご協力賜りますよう拝してお願い申し上げます。
  
依頼書は以上です。私が寄稿をお願いしたのは11名でしたが、うち9名がご寄稿下さいました(残念ながらご事情により寄稿して頂けなかったお二人も刊行の趣旨にはご賛同して下さいました)。寄稿者の職業は、ビジネスマン、哲学者、政治学者、コラムニスト、作家、ドキュメンタリー映画作家、生命科学者、精神科医、武道家と職種職能はさまざまです。どなたも政治について語ることや政治活動に従事することを主務としている方ではありませんし、特定の政治的党派や政治的立場をあきらかにしている方でもありません。それでも、全員がそれぞれの現場に毒性のつよい「反知性主義・反教養主義」がしみ込んできていることに警戒心を感じている点で変わりはないと思います。
 
この共同研究は、別に統一的な「解」をとりまとめることをめざすものではありません。ひとつの論件をできるだけ多面的に、多層的に、多声的に論じてみたいというのが編者の願いです。寄稿者のおひとり鷲田清一先生が引いてくれたエリオットの言葉にあるように、このアンソロジーのうちに「(相違が)多ければ多いほど(・・・)はじめて単に一種の闘争、嫉妬、恐怖のみが他のすべてを支配するという危険から脱却することが可能となる」という「摩擦」の原理に私も賛同の一票を投じたいと思うからです。
 
寄稿して下さったすべての書き手の方々と編集の労をとって下さった晶文社の安藤聡さんに編集者として心からの謝意と敬意を表したいと思います。ありがとうございました。
 
「そういえば、ずいぶん危機感をもって、『あんな本』を出したことがあったね」という思い出話をみんなで笑いながら話せる日が来ることを切望しております。
 
2015年2月 内田樹 
先日来日したメルケル首相の発言の真意について、産経や読売など日本ではレベルの低いあれこれの論争が繰り広げられていますが、同事象をあるひとりの元外交官とあるひとりのジャーナリスト、また、あるひとりの作家はどのように見ているか? 三者三様の論をご紹介させていただこうと思います。3人の論に共通しているのは「日本の歴史を否定する右翼ナショナリスト安倍晋三」(ニューヨーク・タイムズ社説 2013年1月2日)という認識。そして、その安倍という人間(「首相」云々以前の問題)の形容しがたい「反知性主義」への嫌悪感といってよいでしょう。
 
おひとり目の論は元外交官で政治学者の浅井基文さんの論。浅井さんはメルケル発言の真意について政治学の位相から論理的に非常に的確な論評をしています。また、ドイツ在住ジャーナリストの梶村太一郎さんはドイツのメディアがいかに安倍なる政権に失望しているかについて地の利を活かしてドイツのメディアに掲載された写真をふんだんに用いて見事に証明しています。また、藤原新也さんは独自のメルケル首相、ミッシェル夫人(ミシェル・オバマ)、朴槿恵大統領の女性リーダーによる安倍包囲網論を展開しています。もちろん、説得的です。以下、三者三様のメルケル発言論です。
 
メルケル発言と日中・日韓関係(浅井基文のページ 2015.03.23)
 
3月(9~10日)に来日したメルケル首相が、日独首脳会談後の記者会見(9日)、朝日新聞主催の講演会(同日)及び民主党の岡田代表との会談(10日)において、日本の歴史問題にかかわる発言を行ったことは非常に注目される出来事です。2007年に首相として初来日した際は歴史問題についてなんらの発言もしていません。なぜ、今回あえて歴史問題にかかわる発言を行ったのかを理解する上では、メルケル首相と中国及び韓国との緊密な交流を踏まえることが必要だと思います。
 
メルケルは首相就任以来、2006年、2007年、2008年、2010年(7月15~18日)、2012年(2月2~4日及び8月30~31日の2回)そして2014年(7月6~8日)と合計7回も中国を訪問しています。急速に台頭する中国のドイツ経済ひいては世界経済に対する重要性をメルケルが十二分に認識しているからこそのかくも頻繁な訪問であることは明らかでしょう。また、福島第一原発「事故」の警鐘に学んで脱原発に踏み切るメルケルの政治的洞察力・決断力は、21世紀国際政治経済における中国の決定的重要性をも深く認識していることが窺えると思います。
 
また、韓国の朴槿恵大統領とメルケル首相は、2000年10月にお互いに野党党首としてドイツで会見したのが最初で、メルケルが首相となってからは、2006年9月(メルケル首相執務室で)、2010年11月(メルケル首相がG20首脳会議で訪韓した際)、そして朴槿恵が大統領に就任してからは、2013年9月5日、ロシア・サンクトペテルブルクで開催されたG20首脳会議の席上で挨拶を交わし、翌6日にメルケル首相の提案で2国間首脳会談を行いました。この会談において朴槿恵大統領は、「(メルケルが)ダッハウ収容所追悼館を訪問して行った演説を、韓国の国民も感銘を受けながら聴いた。歴史の傷を治癒しようという努力がなければならず、度々傷に触れていては難しくなるのではと考える」と述べるとともに、「日本が歴史を眺めながら、未来志向的な関係を発展させることを希望する」と話したと報道されました(2013年9月7日付韓国・中央日報日本語版)。そして本年3月26~28日に、朴槿恵大統領はドイツを公式訪問して、26日にメルケルと首脳会談を行いました。
 
このように中韓両国首脳と緊密な関係を築いてきたメルケルが日本政治の動向に対する中韓両国の懸念・警戒の所在に無関心であるはずはありません。特に2014年7月の訪中及び本年3月の朴槿恵大統領の訪独に際して、中韓両国から安倍政権の歴史認識の危険性について認識を深めたことは容易に想像できることです。
 
私は、メルケルのこれらの発言が行われたときはちょうど、村山首相談話の会の訪中団の一員として中国に滞在していましたので、メルケル発言及びその含意に関する中国側の高い関心に直に触れる貴重な体験をしました。それだけに帰国後、日本のメディアの取り上げ方における反応の鈍さには唖然としました(安倍政権に対する遠慮が優先しているとしか考えられない)。しかし、メルケルがあえて安倍政権の歴史問題を取り上げたことは、この問題がもはや日本の国内問題あるいは日中・日韓間の二国間問題にとどまらず、東アジアひいては世界のこれからの方向性に重大な影響を与える問題となっていることを明確に示しています。
 
安倍首相としては、集団的自衛権行使によって対米軍事協力に全面的に踏み込むことを明確にすることにより、アメリカの歴史問題に関する対日姿勢を彼にとっての「許容範囲」内に押さえ込める、したがってメルケル発言については黙殺するという判断でしょう。しかし、反ファシズム戦争及び中国の抗日戦争勝利70周年、そして国連成立70周年の本年に、問題児・日本に対して行われたメルケル発言は、「井の中の蛙」である私たち日本人が感じているよりはるかに大きな国際的な意味合いを持つものとして受けとめられていると思います。8月15日の安倍首相談話に向けた攻防は、メルケル発言によって、安倍首相にとってハードルが一段引き上げられたことは間違いないと思います。以下においては、メルケル首相が行った歴史問題に関する発言を改めて確認しておきたいと思います。
 
1.3月9日の日独共同記者会見(出所:首相官邸WS)
 
メルケルが「ナチスとホロコーストは、我々が担わなければならない重い罪です」と述べたことは、「ナチス」を「日本軍国主義」、また、「ホロコースト」を「南京大虐殺」(中国)あるいは「植民地支配」(朝鮮半島)に読みかえることで、日本が「担わなければならない重い罪である」ことを承認することを言外に促していることはあまりにも明らかです。また、「この過去の総括というのは、やはり和解のための前提の一部分」と指摘したメルケルの発言は、歴史問題の総括をしない限り、日本が中国、韓国などとの和解を実現することはあり得ないという忠告であることも明々白々でしょう。
 
(質問)
  今年は、戦後70年の節目に当たります。日本もドイツも、第二次大戦の敗戦国というところでは共通しております。両国とも、周辺の国々との和解にこれまで取り組んできておりまして、ドイツが周辺の国々と和解に努力されてきたことは、日本人には広く知られております。現在、日本は中国それから韓国との間で、歴史認識などをめぐりまして対立点も残っております。ドイツの御経験、御教訓に照らして、日本が今後、中国や韓国とどのように関係を改善していったらいいのでしょうか。その辺のお考えをお聞かせください。
 
(メルケル首相)
  私は、日本に対して、アドバイスを申し上げるために参ったわけではありません。私には、戦後、ドイツが何をしたかということについて、お話することしかできません。戦後、ドイツではどのように過去の総括を行うのか、どのように恐ろしい所業に対応するのかについて、非常につっこんだ議論が行われてきました。ナチスとホロコーストは、我々が担わなければならない重い罪です。その意味で、この過去の総括というのは、やはり和解のための前提の一部分でした。一方で、和解には2つの側面があります。ドイツの場合は、例えばフランスが、第二次世界大戦後、ドイツに歩み寄る用意がありました。ですからEUがあるわけです。今日、EUがあるのは、こうした和解の仕事があったからですが、その背景として、ヨーロッパの人々は、数百年にわたって戦争を経験した後、一つになることを求めたという事実があります。本当に幸運なことに、我々は、こうした統合を行うことができ、安定した平和的秩序を得ることができました。ウクライナの領土の一体性に対して厳しく対応しなければならないのは、そうした背景もあるのです。一方で、進む道については、各国がそれぞれ自ら見つけなければならないと思っています。先程述べたとおり、自分にできることは、ドイツの場合についてお話しすることだけであり、今、短く、それをいたしました。
 
2.朝日新聞主催講演会(3月9日)
 
メルケルがドイツ敗戦の日を、ドイツにとって様々な意味での「解放の日」であったと位置づけることの重要な意義は、昭和天皇の終戦詔書に示された歴史観との対比において明らかだと言わなければなりません。また、メルケルが「私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません」と述べていること、即ち加害責任を率直に認めた上での発言であるということも、被害者意識だけに凝り固まっている私たち日本人猛省を促すものです。
 
また、ドイツが再び国際社会に迎え入れられた「幸運」は、「ドイツが過去ときちんと向き合ったから」であるとともに、「当時ドイツを管理していた連合国が、こうした努力に非常に大きな意味をくみ取ってくれたから」でもあるという認識を示していることも重要です。前者は日本に対して「過去ときちんと向きあう」ことを促すものです。そして後者は、日本を単独占領して自分の都合勝手に日本を動かしてきたアメリカに対して、日本の歴史認識問題に関してはアメリカにも責任があることを間接的に指摘したものだと思います。4月の安倍首相の訪米を迎えるアメリカの政府・議会がメルケルのこの発言を真摯に捉えるかどうかを注意してみていきたいところです。
 
【戦後70年とドイツ】
破壊と復興。この言葉は今年2015年には別の意味も持っています。それは70年前の第2次世界大戦の終結への思いにつながります。数週間前に亡くなったワイツゼッカー元大統領の言葉を借りれば、ヨーロッパでの戦いが終わった日である1945年5月8日は、解放の日なのです。それは、ナチスの蛮行からの解放であり、ドイツが引き起こした第2次世界大戦の恐怖からの解放であり、そしてホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という文明破壊からの解放でした。私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません。まだ若いドイツ連邦共和国に対して多くの信頼が寄せられたことは私たちの幸運でした。こうしてのみ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができたのです。さらにその40年後、89年から90年にかけてのベルリンの壁崩壊、東西対立の終結ののち、ドイツ統一への道を平坦にしたのも、やはり信頼でした。
 
【講演後の質疑応答】
(質問)隣国の関係はいつの時代も大変難しいものです。そして厳しいものです。過去の克服と近隣諸国との和解の歩みは、私たちアジアにとってもいくつもの示唆と教訓を与えてくれています。メルケル首相は、歴史や領土などをめぐって今も多くの課題を抱える東アジアの現状をどうみていますか。今なお、たゆまぬ努力を続けている欧州の経験を踏まえて、東アジアの国家と国民が、隣国同士の関係改善と和解を進める上で、もっとも大事なことはなんでしょうか?
 
(回答)「先ほども申し上げましたが、ドイツは幸運に恵まれました。悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つには、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう。当時ドイツを管理していた連合国が、こうした努力に非常に大きな意味をくみ取ってくれたからでしょう。法手続きでいうなら、ニュルンベルク裁判に代表されるような形で。そして、全体として欧州が、数世紀に及ぶ戦争から多くのことを学んだからだと思います」「さらに、当時の大きなプロセスの一つとして、独仏の和解があります。和解は、今では独仏の友情に発展しています。そのためには、ドイツ人と同様にフランス人も貢献しました。かつては、独仏は不倶戴天の敵といわれました。恐ろしい言葉です。世代を超えて受け継がれる敵対関係ということです。幸いなことに、そこを乗り越えて、お互いに一歩、歩み寄ろうとする偉大な政治家たちがいたのです。しかし、それは双方にとって決して当たり前のことではなかった。隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかったでしょう。そして、ドイツにもありのままを見ようという用意があったのです」
 
3.メルケル首相と民主党・岡田代表の会談(3月10日)
 
メルケル首相と岡田代表との会談に関しては、メルケルが「従軍慰安婦」問題を取り上げたかどうか、それが日本政府に対する忠告であったかどうかなどに関して「騒ぎ」となったようです。しかし、冒頭に述べたメルケル首相と朴槿恵大統領との親交ぶりから判断すれば、この問題を極めて重視する朴槿恵大統領がメルケル首相に対して詳しく話をしていることは容易に理解されることですし、したがって、メルケル首相が岡田代表に対して自ら取り上げたとしてもなんら不思議はありません(下記の民主党ニュースで、メルケルが「9日の安倍総理との会談で「ドイツは過去にきちんと向き合ったから和解を成し遂げられた」との発言」があったことを紹介したとあることから判断すれば、メルケルが朴槿恵の意向を体して、安倍首相との首脳会談で「従軍慰安婦」問題を取り上げた可能性すら排除できないと思います)。いずれにせよ、「言った、言わない」の低劣な次元でやり過ごす安倍政権や読売新聞、産経新聞の議論に振り回されるのではなく、メルケルが日本の歴史問題の深刻さを指摘したことにこそ注意を向けるべきでしょう。(以下、省略)

メルケル訪日のドイツでの報道/メディアから匙を投げられた安倍政権とNHK/言論の自由の深化はどうすべきか明日うらしま 2015年3月16日)
 
少し遅くなりましたが、今月の9日、10日のメルケル首相の訪日に関する、ドイツの報道について以下簡単にお報せします。
 
まずは、以下に観られるようにドイツの主要プリントメディアでは、なんと安倍首相との首脳会談後の記者会見の写真が、まったく使われませんでした。代わりに天皇を訪問した時と、朝日新聞社と日独センター共催の基調講演で中学生に歓迎されるメルケル首相の写真だけです。このこと自体が、いかにドイツメディアが安倍政権に失望して、匙を投げてしまっていることの現れであるといえます。すなわち首脳会談としての報道価値がないとの判断の現れです。(略)
 
引用者注:「メルケル首相と安倍首相との首脳会談後の記者会見の写真がまったく使われていない」論拠としてドイツ主要メディアの写真3枚については上記の「明日うらしま」のサイトでご確認ください。

敵対女性トライアングルには囲われたくない。
(藤原新也「Shinya talk」2015/03/19)

ドイツの
メルケル首相の訪日に続いてミシェル夫人が来日した。これは偶然なのだろうか。事前に両者に何らかの通底があったのかどうかは不明だが、この二人にはある問題に関する共通の関心事がある。(略)メルケル首相は会見の場をわざわざかねてより従軍慰安婦問題に積極的に取り組んできた朝日新聞社に設定し、暗に従軍慰安婦問題に関心のあることを示した。そしてドイツが戦後自からの非を認めたことを引き合いに日本(というより(略)安倍政権)に加害者側としての意識が低いということを遠回しに非難している(略)。メルケル首相に続いて昨日来日したミッシェル夫人は日本嫌いとの風評がある。(略)だが私はミッシェル夫人は日本嫌いだとは思わない。(略)ミッシェル夫人は日本が嫌いなのではなく、安倍が嫌いなのである。メルケル首相同様、彼女にとって女性の問題には当然敏感であり、安倍がうやむやにしょうとしている従軍慰安婦問題は見過ごせない”女性の人権蹂躙問題”なのである。私はこの従軍慰安婦問題に関しては、軍が関与していたか、していなかったかというそんなことは枝葉末節な問題でありどうでもいいと思っている。植民地の女性を日本軍人が慰安婦として徴用したこと。それが問題なのであり、軍がどうした民間がこうした、などはどうでもよいことだ。(略)海外ではこの従軍慰安婦問題が象徴する安倍は、女性の人権を無視する先進国唯一のリーダーだとレッテルを貼られていることを(日本のメデイアが報じないため)案外日本人は気がついていない。またこのことも井の中の蛙である日本人はとんと気づいていないが、この問題を軸に日本(安倍)は先進国の女性リーダートライアングル、メルケル首相、ミッシェル夫人、そして朴 槿惠に包囲されているのである。このすぐれて女性の人権問題である従軍慰安婦問題を棚上げしょうとする安倍の新たなキャッチフレーズが”女性が輝く社会”というのは口先三寸男の面目躍如であり、おそらく女性リーダートライアングルはこのことをしてさらに安倍を最低男と思っているのではないか。(略)私は戦後70年幾多の宰相を見てきているが写真家の観点から各時代の宰相にはそれぞれに男の度量と色気というものが感じられた。だが安倍にはこれがない。私の安倍嫌いの一因はここにもある。