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【戦後70年】
特攻(4)敗戦「軍神」一転「クソダワケ」…特攻隊員の親兄弟は泣いた「誰のために逝ったのか」
愛媛県西条市に住む八男の勲さん(84)は父の末蔵さんについて「父は息子4人が戦死したことに愚痴を言ったことはなく、気丈に振る舞っていた。でも、寄る年波というか、おいおい酒の量が増えていった」と話す。母のツヨさんは13年、長女を産むと病死した。勲さんは当時8歳。末蔵さんはその後、男手一つで10人の子供を育て上げた。
「妻に死なれて、子供もこれだけ死なれたら、大概の者は挫折すると思う。母親は乳飲み子を残して亡くなったから、父親は苦労したと思う。母親が生きていたら気が紛れただろうに、一人で耐えて生きた。父親の気持ちを考えると、私は血の小便をしてでも家を守ろうと誓った」
勲さんは父の生きざま、自分の戦後70年をこう振り返った。
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「海軍神雷部隊」(海軍神雷部隊戦友会)に収録されている一通の追悼賦(ふ)がある。
「朝露よりももろく私達から消えてしまった。四階級特進という栄誉も、靖国の母という誇りも、一切は敗戦によって遠い夢の彼方(かなた)に置かれてしまった」
「あれから幾年月、人前では流せない涙で幾夜枕のぬれたことか。遺品を受け取れとの通知に、首を長くして待ちに待ったが、とうとう遺品は何一つ帰って来なかった」