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【戦後70年】特攻(4)敗戦「軍神」一転「クソダワケ」…特攻隊員の親兄弟は泣いた「誰のために逝ったのか」

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【戦後70年】
特攻(4)敗戦「軍神」一転「クソダワケ」…特攻隊員の親兄弟は泣いた「誰のために逝ったのか」

特攻隊員ら英霊が眠る靖国神社には、参拝とサクラの花見で大勢の人々が訪れていた=東京都千代田区(小野淳一撮影)

 定好伍長から届いた最後のはがきには「最後の音信 元気で行きます。御両親も御身体を大切に 皆様によろしく さようやら」と書いてあった。「さようなら」が「さようやら」に。よしゑさんは動揺する息子の心中を察したのか、表情をゆがめ、苦しそうにしていた。

 よしゑさんは29年6月、脳出血でこの世を去った。60歳。「これでやっと千代司とサダの所に行ける」。最期によしゑさんが見せた表情は、定好伍長の戦死を知って以来、初めて穏やかなものだったという。

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 伴一さんは定好伍長に何度も「お前は跡取りだから」と手紙を出していた。

 鉞男さんは「長男を戦争で失ったおやじは、兄貴を跡取りと決めていた。文言には『特攻だけには行かないでくれ』という意味が込められていた。時局柄、そうは書けないから、言葉を選んで自分の気持ちを伝えようとした」と話す。

 手紙の意味を読み取ってくれとひたすら願っていたが、届かなかった。

 「もっと早く手紙を出しておけば本心が伝わったかもしれないという気持ちが思わず『遅かった』という言葉になったのだろう」と鉞男さん。父親の落胆は大きく、急に老けたという。

 長男の遺骨は戦地から戦友が運ぶ途中、船が撃沈され、伴一さんの手元に届かなかった。それでも戦死の様子は戦友から聞けた。だが、定好伍長の最期については全く情報がなかった。どこで突撃したのか、言い残したことはないのか…。次男の最期が分からない無念さと悲しさが入り交じった日々を送った。

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