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【戦後70年】
特攻(4)敗戦「軍神」一転「クソダワケ」…特攻隊員の親兄弟は泣いた「誰のために逝ったのか」
昭和20年4月15日の朝、新聞を読んでいた岐阜県川辺町の岩井伴一さんは、突然立ち上がり、叫んだ。
「遅かった、遅かった。サダが逝っちまった」
悲鳴は家中に響いた。
この日の新聞に特攻隊の出撃を報じる記事が載り、その中に次男の定好(さだよし)伍長=当時(19)、戦死後少尉=の名前があった。陸軍少年飛行兵で、第103振武(しんぶ)隊員として2日前、鹿児島県の知覧飛行場から出撃し、沖縄海域で特攻を敢行した。
岩井家では長男の千代司さんが18年3月5日、ソロモン諸島で戦死していた。伴一さんは妻のよしゑさんの気持ちを慮(おもんぱか)り、戦死公報がくるまで内緒にしようと新聞をその場で燃やした。
だが、よしゑさんは定好伍長の戦死を知ることになる。長男の戦死から立ち直りかけていたよしゑさんのショックは大きかった。定好伍長の弟、鉞男(えつお)さん(86)は「1週間で髪の毛が真っ白になってしまった。兄貴の死を受け入れられなかった」と振り返る。
よしゑさんは風の音がするたび、息子を出迎えるように庭や玄関を見やった。畑仕事の最中に飛行機が上空を飛ぶと「サダが乗っとらんやろうね」とつぶやき空を見上げた。「5本ある指はどれを切っても痛い。親にすれば、子供を一人でも亡くせば悲しいものだ」と繰り返しては涙ぐんだ。