――ドラゴンクエストは昭和63(1988)年発売の3作目「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」が大ヒットし、社会現象となりました
堀井 1作目は容量もなく、やりたかったことをだいぶそぎ落としました。3作目は容量が増え、やりたいことを全部入れた結果です。1、2作目で「面白い」という評判が広がり、爆発的なヒットにつながったと思います。あんなに大行列になるとは思いませんでしたが。
――驚かすことが好きな堀井さんですが、「III」のなかでのポイントは
堀井 ゲームを作る際に、どうしたらプレーヤーが驚くのかどうか、いろいろ考えてイベントを作ります。例えば「III」なら、王様がプレーヤーと交代してくれる場面ですかね。プレーヤーは「まさか王様にはなれないだろう」と思っているけど、王様はプレーヤーの提案を飲み込んで交代してくれる。あそこでプレーヤーは「いきなり王様になっちゃった。どうすんの!」と思ったはず。
――大ヒットによって生活は変わりましたか
堀井 そんなに変わりませんでした。僕はもともと引きこもりで、ゲームばかり、漫画ばかりのインドア派。ゲームメーカーのエニックス(当時)に頼まれ、次から次へと作品を作るだけです。変わったのは、取材を受けることが多くなりました。収入も増えましたが、フリーのゲームデザイナーなので、ヒットが続かなくなったらおしまいです。ここで使ったらいけないと思いました。関西人だから堅実で慎重なのですね(笑)。
――シリーズを展開するにあたり、気をつけていることはありますか
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