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1杯のラーメンに込められた思い

4月9日18時52分

仲秀和記者

麺をスープにつけて食べる「つけ麺」。
今や専門店もできるほど人気を集めていて、食べたことがある人も多いのではないでしょうか。

この「つけ麺」の考案者で、東京・池袋にあるラーメン店、「大勝軒」の創業者の山岸一雄さんが、今月1日、心不全のため、80歳で亡くなりました。
50年近くにわたって店を営んできた山岸さんが作るラーメンの味やその人柄は、多くの弟子や常連客に愛され、ラーメン文化を築いた1人とされています。

山岸さんは、1杯のラーメンにどんな思いを込めていたのか。
首都圏放送センターの仲秀和記者が取材しました。

看板メニュー「特製もりそば」

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山岸さんは長野県の出身で、昭和36年に池袋にラーメン店を開きました。
山岸さんが考案した看板メニューの「特製もりそば」は、麺をスープにつけて食べる「つけ麺」の元祖とされています。

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魚介類と豚や鶏がらなどを煮込んだ、こくのあるスープ、そして、ボリュームたっぷりの麺は、開店当初から人気を集め、行列ができる店として不動の地位を築きました。

訃報を聞いて集まる常連客

山岸さんは7年ほど前から体調を崩して入退院を繰り返していましたが、今月1日、心不全のため、板橋区内の病院で亡くなりました。

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亡くなった直後の週末には、訃報を聞いた常連客などが店に押し寄せ、ふだんのおよそ1.5倍の客が山岸さんの味を楽しみました。
常連客の1人で、電気工事会社で働く小椋善力さんは、30年余り、毎週のように行列に並んで、「もりそば」を食べてきました。

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小椋さんは「若いころ、おなかをすかせて店を訪れたときに特別にチャーシューを1枚多く入れてくれた」と懐かしそうに話しながら、山岸さんから受けたさりげない気遣いが、その後の仕事で生かされたと振り返っていました。

惜しげもなくノウハウ公開

山岸さんは、弟子入りを志願してきた人は、誰でも受け入れ、スープや麺の作り方を一から教えるなど、独自のノウハウを惜しげも無く公開してきました。

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生前、「企業秘密は無いので、レシピを教えてくれと言われれば誰にでも教える」と話していたことばどおりに、多くの弟子を育て、のれん分けした店は全国で100軒を超えています。

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弟子の1人で、埼玉県川越市でラーメン店を営む鈴木建夫さんは、12年前、飲食店の経営に行き詰まり、山岸さんから教えを請いました。
鈴木さんは、材料の分量や煮込む時間、火の強さなどを緻密にまとめたスープのレシピを学びました。

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独立した今もレシピが記されたメモを大切に保管していて、このレシピを基に、客が満足する味を探求し続けています。

「食材をむだにしない」

一方、沖縄県宜野湾市でラーメン店を営む飯田敦志さんは、修行していた当時、炊き過ぎて余った米を捨てた際、山岸さんから厳しく叱責されたといいます。

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飯田さんは「食べ物は命を犠牲にしているのだから絶対にむだにしちゃいけない」という山岸さんの教えが、料理人としての心構えになっていると話していました。
山岸さんが食材を大切にする背景には、長野県から17歳で上京し、戦後の厳しい食料難の時代を過ごしてきたことがあります。
看板メニューの「もりそば」も山岸さんの「食材をむだにしない」姿勢から生まれたものでした。
独立する前、中野区のラーメン店で働いていた山岸さんは、当時、麺をゆでる鍋に残った麺の切れ端を集めて、まかないとして食べていたといいます。
山岸さんの親戚の坂口光男さんは、「もりそば」が生まれた経緯について「夏の暑い時期に、まかないをすぐに食べられるよう、麺を流水で洗い流し、しょうゆやお酢などを入れたつけ汁で食べていたらお客さんが『僕にも食べさせてよ』ということで始まった」と説明していました。

胃袋だけでなく心も満たす

山岸さんはこうして生まれた「もりそば」をできるだけ安く提供しようと、業者が作った麺を仕入れるのではなく、自家製麺にこだわりました。
そこには、「うまくて安くて量が多いのが自分のラーメン」という山岸さんの信念があったのです。
山岸さんが創業した池袋の店で2代目の店主を務める飯野敏彦さんは、およそ25年にわたって山岸さんのそばで1杯のラーメンにかける思いを学び続けてきました。

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飯野さんは、「山岸さんの神髄は、客の表情を一瞬で読み取り、胃袋だけでなく、心までも満たしていたことだ」と説明したうえで、「山岸さんのラーメンは1杯1杯から、客にいっぱい食べてもらいたい、満足してもらいたい、そして、幸せになってもらいたいという気持ちが伝わってきた」と振り返っていました。

海外進出が進む「ラーメン」

現在、ラーメンを出す店は、国内でおよそ3万1000軒あるとされています。
さらに、最近は海外にも進出が進んでいて、店の数はアジアやアメリカを中心におよそ3000軒あると推計されています。
こうした店の多くは日本のラーメン店が進出したものですが、中には日本でラーメンの作り方を学んだアメリカ人の男性がニューヨークで店を開いて人気を集めているケースもあります。

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この店の経営者の男性はラーメンの魅力について、「すべてが1杯の中に収められていて、食べる人を誘い込む」と話していました。
日本の庶民の味であるラーメンは、今や、世界各地で日本を代表する味として親しまれているのです。

「ラーメン文化育むきっかけに」

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こうしたラーメン文化の広がりについて、ラーメン評論家の大崎裕史さんは、「山岸さんの味に近づくために多くの人が試行錯誤を重ね、そのうちに新たな別のラーメンが生まれるという切磋琢磨(せっさたくま)のなかで、ラーメンは進化し、広がっていった」と分析しています。
そのうえで、大崎さんは、「世界に発信するラーメン文化を育むきっかけになった山岸さんのラーメンは、これからも世界中に影響を与え続けていくだろう」と話していました。

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今回の取材のなかで、実際に話を聞いた弟子やなじみの常連客たちは、口をそろえて「山岸さんのラーメンからは優しい人柄が感じられた」と話していました。
私自身も、山岸さんから受け継いだ弟子たちの「もりそば」をいただきましたが、つるっとのどごしのよい麺に独特の酸味と甘みが特徴のスープが絡まり、口の中に優しい味わいが広がって次々と箸が進みました。
そして、食べ終えたあとに満腹感で満たされると、幸せな気持ちになり、山岸さんの人柄に少しだけ触れたような印象を受けました。


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