ニュース詳細
天皇皇后両陛下 8日からパラオ訪問4月7日 14時22分
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天皇皇后両陛下は、戦後70年に当たり、太平洋戦争の戦没者の慰霊などのため、8日からパラオを訪問されます。
両陛下は、戦争によって亡くなった人々を慰霊し、平和を祈念するため、8日から2日間の日程で太平洋の島国パラオを公式訪問されます。
両陛下のパラオ訪問は初めてで、8日午前、羽田空港を発って、夕方、パラオに到着し、空港での歓迎行事やレメンゲサウ大統領夫妻との会見に臨んだあと、ミクロネシアとマーシャル諸島の大統領夫妻と共に歓迎の晩さん会に出席されます。そして、9日、激戦地となったペリリュー島を訪れ、生き残った元日本兵や遺族らも見守るなか、日本政府が建てた慰霊碑に花を供えて犠牲者の霊を慰め、この日の夜、帰国されます。
パラオは、第一次世界大戦で占領した日本が、終戦の頃までおよそ30年にわたって統治しましたが、太平洋戦争で軍の拠点となり、日本軍だけでおよそ1万6000人が犠牲になりました。
宮内庁は、戦後60年に当たる平成17年に、両陛下が、慰霊のためサイパンを公式訪問された際、パラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島への訪問も検討しましたが、これら3か国については、受け入れ態勢を整えるのが困難だとして訪問は見送られました。しかし、天皇陛下はその後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオでの戦没者の慰霊について再び強く希望されていました。
両陛下のパラオ訪問は初めてで、8日午前、羽田空港を発って、夕方、パラオに到着し、空港での歓迎行事やレメンゲサウ大統領夫妻との会見に臨んだあと、ミクロネシアとマーシャル諸島の大統領夫妻と共に歓迎の晩さん会に出席されます。そして、9日、激戦地となったペリリュー島を訪れ、生き残った元日本兵や遺族らも見守るなか、日本政府が建てた慰霊碑に花を供えて犠牲者の霊を慰め、この日の夜、帰国されます。
パラオは、第一次世界大戦で占領した日本が、終戦の頃までおよそ30年にわたって統治しましたが、太平洋戦争で軍の拠点となり、日本軍だけでおよそ1万6000人が犠牲になりました。
宮内庁は、戦後60年に当たる平成17年に、両陛下が、慰霊のためサイパンを公式訪問された際、パラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島への訪問も検討しましたが、これら3か国については、受け入れ態勢を整えるのが困難だとして訪問は見送られました。しかし、天皇陛下はその後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオでの戦没者の慰霊について再び強く希望されていました。
訪問決定までの経緯
天皇陛下は、おととしの暮れごろには、戦没者の慰霊のためパラオへの訪問がかなわないかという気持ちを、宮内庁のごく一部の幹部に示されていたということです。
天皇陛下の意向を受けて、戦後60年の際に訪問が見送られたパラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島も水面下での検討の対象となりましたが、3か国を同時に回るのは、10年を経た今でも困難でした。
そうした中で、唯一日本との間で定期的な航空便が運航されているパラオが現実的な訪問先として浮かび上がりました。
こうした検討は、去年の夏ごろから本格化し、パラオの大統領から両陛下を招待したいという意向が示されたことなども受けて、去年9月、政府が、両陛下のパラオ訪問に向けた調整を関係省庁に指示しました。
そして去年12月、大統領が来日して改めて両陛下の訪問を招請し、年が明けた1月、両陛下のパラオ訪問が閣議で正式に決まりました。
訪問の日程については、パラオが雨季に入る前の天候の安定している時期に慰霊の目的が果たせる旅にするため、4月8日からの1泊2日と決められました。
天皇陛下の意向を受けて、戦後60年の際に訪問が見送られたパラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島も水面下での検討の対象となりましたが、3か国を同時に回るのは、10年を経た今でも困難でした。
そうした中で、唯一日本との間で定期的な航空便が運航されているパラオが現実的な訪問先として浮かび上がりました。
こうした検討は、去年の夏ごろから本格化し、パラオの大統領から両陛下を招待したいという意向が示されたことなども受けて、去年9月、政府が、両陛下のパラオ訪問に向けた調整を関係省庁に指示しました。
そして去年12月、大統領が来日して改めて両陛下の訪問を招請し、年が明けた1月、両陛下のパラオ訪問が閣議で正式に決まりました。
訪問の日程については、パラオが雨季に入る前の天候の安定している時期に慰霊の目的が果たせる旅にするため、4月8日からの1泊2日と決められました。
陛下 海外戦没者への思い
天皇陛下は、海外での戦没者やその遺族にも、心を寄せ続けられています。
天皇陛下は、戦後50年を迎えた平成7年、「慰霊の旅」で国内各地を回り終えると、宮内庁の幹部に、太平洋諸島を訪れて戦没者の慰霊をしたいと話されるようになりました。
これを受けて実現したのが、戦後60年にあたる平成17年の天皇皇后両陛下のサイパン訪問でした。
天皇陛下は、出発前のおことばの中で、「海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」と述べられました。
皇后さまも、この年、海外で亡くなった戦没者に寄せる天皇陛下の思いについて、「南太平洋の島々で戦時下に亡くなられた人々のことを、深くお心になさっていらっしゃいました。外地のことであり、なかなか実現に至りませんでしたが、戦後60年の今年、サイパン訪問への道が開かれ、年来の希望をお果たしになりました」と文書で述べられました。
宮内庁は当時、パラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島への両陛下の訪問も検討しましたが、これらの国については、相手国が受け入れ態勢を整えるのが困難だとして訪問は見送られました。
しかし、天皇陛下はその後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオでの戦没者の慰霊について再び強く希望されていました。
天皇陛下は、戦後50年を迎えた平成7年、「慰霊の旅」で国内各地を回り終えると、宮内庁の幹部に、太平洋諸島を訪れて戦没者の慰霊をしたいと話されるようになりました。
これを受けて実現したのが、戦後60年にあたる平成17年の天皇皇后両陛下のサイパン訪問でした。
天皇陛下は、出発前のおことばの中で、「海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」と述べられました。
皇后さまも、この年、海外で亡くなった戦没者に寄せる天皇陛下の思いについて、「南太平洋の島々で戦時下に亡くなられた人々のことを、深くお心になさっていらっしゃいました。外地のことであり、なかなか実現に至りませんでしたが、戦後60年の今年、サイパン訪問への道が開かれ、年来の希望をお果たしになりました」と文書で述べられました。
宮内庁は当時、パラオをはじめ、ミクロネシアとマーシャル諸島への両陛下の訪問も検討しましたが、これらの国については、相手国が受け入れ態勢を整えるのが困難だとして訪問は見送られました。
しかし、天皇陛下はその後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオでの戦没者の慰霊について再び強く希望されていました。
前侍従長「強いお気持ち」
天皇皇后両陛下に10年余りにわたって仕え、サイパンへの慰霊の旅にも同行した前侍従長の渡辺允さんは、NHKのインタビューに応じ、「天皇陛下の強いお気持ちが、今回のパラオ訪問につながってきたのだろう」と語りました。
この中で渡辺さんは、天皇陛下が、戦後50年の平成7年、「慰霊の旅」で国内各地を回り終えると、パラオなど南太平洋の島々での慰霊を口にされ始めたと話し、「外国訪問の話になるたびに南太平洋に行けないかとおっしゃっていたが、当時はまだ行って頂かなければならない国がいくつもあり、島国で遠いこともあって、なかなか難しかった。それでも、やっぱりだめか、やっぱりだめかと何年にもわたって同じ事をずっと繰り返しおっしゃっていた。そのことに、南太平洋の島々への非常に強い思いを感じた」と述べました。
そして、天皇陛下が、南太平洋での慰霊を望まれた理由について、「310万人を超えると言われる日本人の戦没者うち相当数の人が海外で亡くなっており、やはり海外で慰霊をしたいと考えられたのだと思う。南太平洋の島々は、それぞれが激戦地で、日本政府も慰霊碑を建てている。そういうところで慰霊をしたいというのがいちばんのお気持ちだったと思う」と話しました。
渡辺さんは、また、平成17年のサイパン訪問の前にパラオやミクロネシア、マーシャル諸島への訪問を検討したものの、交通の事情などから断念したと振り返ったうえで、「天皇陛下が『ああそうか、だめか』とおっしゃったので、この話は無くなったと思いましたが、その後またおっしゃったということで、やはり強いお気持ちがおありで、今回の訪問につながってきたのだろうと思う」と語りました。
さらに、今回、両陛下が、激戦地のペリリュー島を訪ねられることについて、「結果として、今までペリリュー島を聞いたこともなかった人が、そこで起きたことを知ることになる。それが非常に大きな意味のあることだと思う」と述べました。
そして、両陛下の平和に対する思いや戦争への向き合い方について、「究極的には、世界の平和を祈られている。戦争の犠牲者の慰霊も日本人だけではなくて、あらゆる国のすべての人ということだろう。両陛下の戦没者の追悼は、終わりがない、本当にご生涯を通じてのことなんだろうと思う」と語りました。
この中で渡辺さんは、天皇陛下が、戦後50年の平成7年、「慰霊の旅」で国内各地を回り終えると、パラオなど南太平洋の島々での慰霊を口にされ始めたと話し、「外国訪問の話になるたびに南太平洋に行けないかとおっしゃっていたが、当時はまだ行って頂かなければならない国がいくつもあり、島国で遠いこともあって、なかなか難しかった。それでも、やっぱりだめか、やっぱりだめかと何年にもわたって同じ事をずっと繰り返しおっしゃっていた。そのことに、南太平洋の島々への非常に強い思いを感じた」と述べました。
そして、天皇陛下が、南太平洋での慰霊を望まれた理由について、「310万人を超えると言われる日本人の戦没者うち相当数の人が海外で亡くなっており、やはり海外で慰霊をしたいと考えられたのだと思う。南太平洋の島々は、それぞれが激戦地で、日本政府も慰霊碑を建てている。そういうところで慰霊をしたいというのがいちばんのお気持ちだったと思う」と話しました。
渡辺さんは、また、平成17年のサイパン訪問の前にパラオやミクロネシア、マーシャル諸島への訪問を検討したものの、交通の事情などから断念したと振り返ったうえで、「天皇陛下が『ああそうか、だめか』とおっしゃったので、この話は無くなったと思いましたが、その後またおっしゃったということで、やはり強いお気持ちがおありで、今回の訪問につながってきたのだろうと思う」と語りました。
さらに、今回、両陛下が、激戦地のペリリュー島を訪ねられることについて、「結果として、今までペリリュー島を聞いたこともなかった人が、そこで起きたことを知ることになる。それが非常に大きな意味のあることだと思う」と述べました。
そして、両陛下の平和に対する思いや戦争への向き合い方について、「究極的には、世界の平和を祈られている。戦争の犠牲者の慰霊も日本人だけではなくて、あらゆる国のすべての人ということだろう。両陛下の戦没者の追悼は、終わりがない、本当にご生涯を通じてのことなんだろうと思う」と語りました。