名人戦:羽生60手で先勝 名人戦最短手数

毎日新聞 2015年04月09日 18時26分(最終更新 04月10日 00時31分)

挑戦者の行方尚史八段に勝ち、感想戦で対局を振り返る羽生善治名人=東京都文京区のホテル椿山荘東京で2015年4月9日午後6時41分、竹内紀臣撮影
挑戦者の行方尚史八段に勝ち、感想戦で対局を振り返る羽生善治名人=東京都文京区のホテル椿山荘東京で2015年4月9日午後6時41分、竹内紀臣撮影

 東京都文京区のホテル椿山荘東京で8日から繰り広げられていた第73期名人戦七番勝負第1局(毎日新聞社、朝日新聞社主催、大和証券グループ協賛、藤田観光協力)は9日午後5時52分、60手で羽生善治名人(44)が挑戦者の行方尚史(なめかた・ひさし)八段(41)に快勝し、通算9期目の獲得へ前進した。残り時間は行方29分、羽生1時間38分。

 第2局は22、23日、岐阜県高山市の「高山陣屋」で指される。

 60手の終局は1947年6月の第6期第7局指し直し局(○塚田正夫八段−●木村義雄名人=肩書は当時)の63手を抜く、名人戦史上最短手数だった。

 突然のことだった。夕食休憩まで10分を切ったところで手洗いから戻った行方は水を一口含み、次の瞬間「投了」を告げた。名人戦初挑戦の第1局は、予想外の短手数という苦い結果で幕を閉じた。

 相矢倉から行方が注文を付け、1日目の夕方に2時間近い長考で指した6八飛(39手目)は、「指そうと思っていた手だった」(行方)という。羽生は封じ手で4三金左と指し、難しい中盤戦が続くと予想された。

 しかし、羽生が対応した5五歩(42手目)〜5三金寄(46手目)が、解説の田村康介七段が感心した構想で、金銀の形は悪いが、行方の攻めを完封するものだった。

 昼食休憩再開後、行方は4六銀から中央での戦いを目指したものの駒損が大きく響いた。終了図段階で、攻めが続かず、投了したのも致し方ない。解説の田村七段は「挑戦者の『作戦失敗』ではなかったと思うが、名人の手の組み合わせがうまく、読み勝った将棋でした」と語った。

 不本意な内容だった行方は、第2局で巻き返しを目指す。【山村英樹】

 ◇駒得でよくなった

 羽生名人の話 似たような将棋を指したことがあり、6八飛はもしかしたらあるのではないかと思った。2日目の夕刻時点では互いに目的がはっきりしない将棋で、こちらも形がゆがんでおり分からなかった。銀を取って駒得になりよくなったと思った。

 ◇作戦とがめられた

 行方八段の話 6八飛は指そうと思っていた手。いざ指す段になってどうなるかと思って長考した。封じ手の4三金左も正直あまり考えてなく、5三金寄(46手目)で作戦をとがめられてしまった。これでは話にならない。もっとましな将棋を指します。

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