2015年04月10日

一会員による『学城』第1号の感想(13/13)

(13)常に「原点」に立ち返る必要がある

 本稿は『学城』第1号の感想を認めることによって、特に全体を貫くテーマである「原点」という観点から、この第1号の中身を主体的に自分の実力とすることを目的として、これまで第1号に掲載されている11本の論文を取り上げ、その要約を行い、学ぶべき点を明かにしてきたものである。

 ここでこれまでの流れを大事な点を、「原点」という第1号全体を貫くテーマにそって振り返っておこう。

 連載第2回と第3回で扱った近藤先生と加納先生の国家論に関する論文では、記念すべき『学城』第1号の冒頭2つの論文が国家論に関するものであるということの意味を考えてみた。端的には、学問構築上、国家論の把持がいかに大切であるかを物語っているといえると思うと述べておいた。つまり、国家論は、現実の問題を解決するためにこそという学問(哲学)の「原点」から考察すべきものであって、「学問としての哲学の体系とは実体世界の国家体系を論じる国家学に対しての、いわば観念的世界における学術国家としての体系学」であることをしっかりと押さえる必要がある、ということを確認できた。

 本田先生のヘーゲル『精神現象学』に関する論文を扱った連載第4回では、ヘーゲルにとってはこの『精神現象学』こそが、学問の「原点」であり、「『精神現象学』を著すにいたったヘーゲルの学的原点」について、「絶対精神」すなわち「全世界の弁証法的運動」を把握しようとしたことであることが説かれていることを見ていった。ヘーゲルは学問の歴史的な「原点」である古代ギリシャ哲学に深く学んだことも、我々の学びの指針として重要だと認めておいた。

 悠季真理先生の古代ギリシャ哲学についての2本の論文を取り上げた連載第5回と第6回では、先にみたように、「古代ギリシャ哲学とは、いわば絶対精神の始原なのである」として、ヘーゲルの絶対精神の「原点」が古代ギリシャ哲学にあることを確認し、また、「自分の専門分野を学問的に発展させる」ためには、「諸学問の原点であるところの古代ギリシャに学ぶ」必要があるとして、古代ギリシャ哲学に学ぶ直接の意義についても触れられていることを確認した。

 連載第7回には、P江先生による医学原論講義を扱った。ここでは、「科学的学問体系とは何か」、「教育とは何か」、「医師とは何か」、「体系とは何か」など、その説こうとする内容の「原点」から問いなおして論を展開していくことの重要性を学んだ。これは逆に言えば、そもそもの対象を概念的に把握することなしには、学問を構築していくことができないということであって、1つ1つの言葉をしっかりと概念化していくということも非常に大事だということになると思う。

 連載第8回には、医学史を扱った諸星先生の論文を検討した。諸星先生は近年の医療ミスなどの医療問題の「原点」を、そもそも医療とは何かを論理的に把握できていない情況に求めておられることをまず確認し、自らの専門分野の対象となる事物事象の一般論をまずは高く掲げて、その一般論から対象的事物事象に格闘レベルで取り組んでいくことの必要性を見てきた。この内容は、三浦つとむさんが『認識と言語の理論』第1部でフロイト理論を批判する際に、フロイト理論の「原点」である不可知論や決定論などを焦点にしておられる姿勢を思い起こさせ、自分の理論の「原点」にあたる部分が歪んでしまっていては、いくらその上に研究を重ねても、いつかは現実との間に矛盾を生じざるをえないことになることを、しっかりと肝に銘じておく必要があると感じた。

 神庭先生によるナイチンゲールの学問形成に関する論文を扱った連載第9回には、ナイチンゲールの学問形成の「原点」を青春時代に見るという視点の鋭さを指摘したことに加えて、ナイチンゲールの看護学形成の「原点」に父親による一般教養の教育があったことが指摘されていることを見ていった。どのような専門分野であろうとも、一般教養の学びは必須であって、世界全体の中に自分の専門分野を位置づけるとともに、専門分野の学びで培った論理能力や認識能力があってこそ、自らの学問を創出できるのだということを、しっかりと把握する必要があることを説いた。

 古田論文を取り上げた連載第10回では、現実の問題を説くことこそ学問の「原点」であることをしっかりと確認したこと、学びの「原点」である初心者の学びのあり方について、偉大な学者が使った言葉を単に知っているだけなのに、それを分かったつもりでそのまま自分の論文に用いていては、自分の実力は何ら向上することなく、言葉だけが躍っているような、流れの悪い、形而上学的な論文になってしまうことを見ていった。あくまでも自分が捉えた内容を、自分の言葉で認識を表現していく努力を積み重ねていく必要がある、ということであった。

 連載第11回に取り上げた本田先生による『新・弁証法・認識論への道』に関する書評と、連載第12回に取り上げた我々京都弁証法認識論研究会の「原点」である弁証法の学びかたについての南郷先生の論文では、「弁証法」というものが既に存在していて、それを公式を覚えるように学んでいってしまうという、受験勉強の延長のような考え方ではだめで、人類が系統発生において辿ってきた弁証法創出の道、弁証法発展の流れを自分の一身に繰り返す学びを行ってこそ、真に役立つ弁証法を身につけることができるのだということを学んだ。

 このように振り返ってみると、第1号にはまさに学びの「原点」とも言える内容がふんだんに盛り込まれていることが分かってくる。国家論の把握の重要性、古代ギリシャ哲学に学ぶ意義、現実の問題を解決するためには学的対象についてそもそもどういうことかから説いていく必要があること、自らの学問分野を創出するためには弁証法の学び、それも歴史的な弁証法の成立過程にまで踏み込んだ学びが必要であることなど、何度でも何度でもここに立ち返って自らの歩みを確認する必要がある中身が全編にわたって説かれていることに気付くはずである。

 私などはややもすると、南郷学派の理論や弁証法を学んでいるということで、自分の実力をそれだけで過大評価してしまって、それはもう分かったとして、基本的な部分を軽視してしまいがちになってきている。ところが、この「原点」にあたる学問の土台となる部分が歪んでしまっていては、たとえどんなに努力を重ねていっても、結局は単なる主観的な満足に終わってしまうことになるだろう。

 常に「原点」に立ち返って、一歩進んではまた初めから学び直してまた少しだけ進んでいく、ということを繰り返しの上に繰り返すことによって、基本的なありかたをしっかりと踏まえた、土台の強固な学問体系を構築していけるのだと思う。『学城』への学びはこれからも続いていくが、この第1号という「原点」に折を見て戻って学び直すことこそ、学問創出への道であることをしっかりと確認して、本稿を終えたいと思う。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

一会員による『学城』第1号の感想(12/13)

(12)「生命の歴史」から生成発展の論理構造を把握することが重要である

 今回取り上げるのは、南郷継正先生の武道哲学講義である。ここでは、弁証法には重層構造が存在し、それを把握した上で、生成発展の論理構造を「生命の歴史」に学んで、そこから世界史とは何かを解明していくことが必要であることが説かれている。

 以下、本論文の著者名・タイトル目次を掲載する。(本論文にはリード文はない。)

南郷継正
武道哲学講義〔T〕PART2

 〈目 次〉
◎プロローグ
一、社会の弁証法性を問う
 (1) 弁証法でいう発展の論理構造とは何か

 本論文では、哲学レベルとは、哲学とはをふまえて説くとして、弁証法が自然・社会・精神の一般的な運動に関する科学(法則)であることが説かれたPART1を要約するところから説きはじめられる。弁証法を真に理解できるためには、弁証法の歴史を知らなければならないとして、それは世界の歴史を知ることであり、また地球の歴史そのものを知ることでもあるとして、世界史と地球の歴史の一般的な運動としての論理的同一性を、生命の歴史も絡めながら展開されていく。弁証法的に見れば、世界史は地球の歴史の一般性がちょっと形を変えただけのものであって、ここに「「世界史」を理解する鍵は「地球の歴史」にあり」(p.216)ということの中身がある。もう1つ、「社会も精神も、自然の生成発展の途上で、生成し発展してきたものであるから、社会と精神を究明するには、その大元である自然をどうしても究明していなければならない」(p.217)ということもあることが説かれる。自然には、単純な物質現象と、生命現象が加わった物質現象とが二重性として存在し、社会では三重性、精神では四重性となるから、こうした重層的な弁証法性を理解することなしに、「弁証法はまったく役にたたない」などという大学者がいても、それは弁証法の中身を知らずに意味のない文字(言葉)で捉えているに過ぎないとされる。その上で、自然の弁証法は「生命の歴史」としてすでに措定してきているから、また「国家論」の解明のためにも、次は社会の弁証法性の究明の段階だとして、世界史には生成発展の歴史性、弁証法性があることが説かれていく。生命体が同じ場所では発展できなかったのと同様、人類も場所の移動によってこそ、頭脳活動を発展させることができたと述べられる。そして、人類の歴史の正規分布をヘーゲルがアバウトにでも描けたこと、生命の歴史においても人類の歴史においても、また精神(学問)の歴史においても、「栄華を極めたところはすべて滅びる寸前で単純な役割をもたされ、栄華を極めるところまで発展しなかったところが、次の段階に進歩していっている」(p.225)ことが説かれていく。結論としては、「生命の歴史」から把握できた“change of the place, change of the brain”という論理構造を世界史を解明する際にも、個人としての生成発展を図る際にも、しっかりと肝に銘じておかなければならない、とされる。

 本論文では、学問の「原点」ともいうべき弁証法とは何か、そしてその学びはどうあるべきかが説かれていることがまずは重要だと思う。前々回の古田論文をとりあげた際にも触れたが、弁証法を学ぶにしても、単に言葉の上から弁証法とはどういうものかを知っているだけではなんの役にも立たないことが強調されている。「たんに量質転化とは量から質への転化だと中学国語のレベルで読んでしまっているのに、「わかった!」として用いているから役にたたないとなってしまうのは当然だから駄目なのである」(p.220)という部分が決定的に重要だと思う。

 では、弁証法はどのように学んでいけばよいのだろうか。それはまさに、弁証法を弁証法的に学ぶ、ということに尽きると思う。つまり、弁証法というものの中身を、その生成発展の歴史性を丸ごと内に含むものとして捉えられるような研鑽を積むことである。具体的には、古代ギリシャからカント、ヘーゲルを経て、エンゲルス、三浦つとむへと流れていった弁証法の歴史性を、特にヘーゲルまでの旧弁証法の内実と、エンゲルス、三浦つとむによって創出された新弁証法、科学としての弁証法とを統一するかたちでしっかりと像を描けるようなかたちで自らの頭脳に創出していくことが必要であると思われる。具体的には、旧弁証法の学びとして、学問レベルの討論を日常生活レベルでも実践し続けること、合わせて新弁証法の学びとして、弁証法の三法則(対立物の相互浸透、量質転化、否定の否定)や矛盾などの概念を日常生活や自分の専門分野の具体例で分かるよう研鑽すること、こうした学びが必要である。「自然の場合の量質転化とはなにか、自然の場合の相互浸透とはなにか、自然の場合の否定の否定とはなにか、ということを弁証法的な具体レベルで考えなければならない」(p.219)とあるように、「意味のない文字(言葉)」(同上)としてではなくて、現実のありかたを生き生きと反映させるかたちで弁証法を学んでいかなければならないのである。

 もう1つ、本論文で取り上げたいことは、“change of the place, change of the brain”という論理構造についてである。これはどういうことかといえば、次のようになる。

「結論から先に述べておくならば“change of the place”の一番よい点すなわち、場所の移転のもっともよい点は、それによって今までとはまったく異なった外界が誕生してくるということ、直接には外界の反映が極端に変わるということであり、よって対立物たるそのものと場所の相互浸透がそのものを極端に変えるほどに、変らなければならないほどに違ってくるということである。」(p.222)

 人類の歴史でいえば、認識は外界の反映であるという認識論の基礎をしっかりと踏まえつつ、外界との相互浸透による自分自身の量質転化こそが発展の原動力であることが、「生命の歴史」における発展の論理構造との同一性から導き出されたということである。これはヘーゲルにも「はっきりと言語化できていない」(p.227)ほどの高みをもつ論理構造の解明である。南郷学派が自然で解明された弁証法性を把握することの威力を思い知らされるものである。

 この論理構造は個人としての生成発展にも当てはまる論理構造であるとされているから、私もこの論理構造の中身をしっかりと研鑽しながら自らの発展の論理構造としつつ、合わせて自然とは何か、社会とは何か、精神とは何かを、この論理構造を導きの糸として解明していく決意を新たにしたことであった。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月08日

一会員による『学城』第1号の感想(11/13)

(11)学問を創出する道のりを説く

 今回は本田克也先生による『新・弁証法・認識論への道』(『全集』第2巻)の書評を取り上げる。弁証法の歴史、真の弁証法の完成形態を描いた本書を学ぶことによってこそ、弁証法を真の実力とし、自らの学問構築が可能となることが説かれてある。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下である。なお、『学城』誌上では、目次立てはないため、私なりに目次を付した。

本田克也
(書評)『新・弁証法・認識論への道』(『全集』第2巻)を読む

 史上初めて、武道と弁証法・認識論を学問として確立した南郷継正の全集第2巻が刊行された。ここに説かれた「弁証法とは何か、その歴史とは?」、そしてその解明を可能にした著者の歩みの偉大性を説く。

 〈目 次〉
(1)南郷継正は哲学の大道を構築されてきた
(2)弁証法が南郷理論の骨格である
(3)『南郷継正著 武道哲学 著作・講義全集』はいかなる著作か
(4)『全集』第2巻では弁証法の歴史と真の完成形態への素描が描かれている
(5)南郷継正は弁証法の歴史的発展形態を自らの歩みとして創造した
(6)弁証法の歴史は南郷継正によって歴史上初めて解明された
(7)南郷継正は文武両道を弟子を育てながら実践した
(8)弁証法を真の学力とするためにこそ『全集』第2巻に学ぶ必要がある

 本論文ではまず、南郷継正先生の哲学構築の過程が、筆者である本田先生の思い出と共に語られる。南郷先生の諸々の著作には、「哲学への道」に到達するための鍵が記されているというのである。そして南郷先生の諸々の論述において見逃すことができないこととして、「弁証法」がしっかりと背後を支える骨格として存在していることを、弁証法から離れていった滝村隆一などとの対比で鋭く描かれていく。こうした南郷先生の学的な意義が『全集』で明らかにされているとして、自らの手で過去の著作をより高い学的観点から書き直され、ヘーゲルを補完して読み取るための鍵を与えてくれるような著作であることが説かれる。その上で、『全集』第2巻については、真の学問の世界の扉を開けるための道が説かれているとされる。具体的には、弁証法というものの歴史的な発展段階におけるその姿形と実態、さらに弁証法の真の完成形態への素描が描かれており、弁証法それ自体も創られてきた、生成発展されてきたことが説かれているというのである。ならばなぜ、こうした理解が南郷先生に可能であったのかが次に説かれる。端的には、南郷先生が弁証法の歴史的発展形態を自らの歩みとして創造されたからであるとして、その鍵となる文言をいつくか引用した後、古代ギリシャからヘーゲル、エンゲルス、三浦つとむに至る発展過程の概略が述べられる。そして、弁証法の歴史は南郷先生の手によって歴史上初めて説かれたとして、それは「本来ある歴史的に存在してきた弁証法の姿形を見て取って文章化した」(p.193)ような皮相なものではなくて、「弁証法を創出しつつ、その歴史を推し進め、それを完成させることによって、はじめて弁証法のその姿形が実在となった」(同上)という意味であるとされる。こうした偉業の達成が可能であったのは、南郷先生が弟子を育てながら文武両道を実践されたからであるとして、真の弁証法を学ぶために、自らの専門分野を哲学レベルで構築するために、『全集』第2巻の学びが必須であると結論される。

 我々京都弁証法認識論研究会は、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を教科書として、弁証法の学びを土台に据えて、それぞれの専門分野の構築を目指して研鑽してきている。弁証法は、自然・社会・精神を貫く運動・変化・発展に関する科学であり、どのような分野においてもそれなしでは立ち行かない、最も基本的な科学であるとして、全会員が共通の学びの課題として位置付けているものである。弁証法、あるいは『弁証法はどういう科学か』への学びは、我々の研究会の「原点」である。しかしここでえてして、「弁証法」というものが既に存在していて、それを公式を覚えるように学んでいってしまう、という、受験勉強の延長のような考え方に陥りがちである。本論文は、このことを強く戒める内実を持つものである。

「これまでの学問史では「弁証法」というものが「ある」かの如くに捉えられてきたにも関わらず、南郷継正にあっては「弁証法」それ自体としても創られてきた、すなわち生成発展されてきた、と思わせられる。」(p.191)

「これまで「弁証法がある」とされてきた常識を覆し、弁証法が胎児から、乳幼児、そして思春期へと発展していくプロセスを目の当たりにしてくれるような展開で、まるで推理小説でも読むようなゾクゾクする展開に満ちている。」(同上)

「科学としての弁証法も「そこにあるとされている、弁証法の山に登ることでは断じてなく、それは弁証法の山を築くと直接に、自らがその山に登ることであり、弁証法の山に登ると直接に自らが弁証法の山を築くこと」である」(p.193)

 これは一体どういうことか。それは、弁証法というものも弁証法性を持っていて、人類の歴史においてゼロから創出されたものであって、それが歴史を経るとともに、人類の認識が発展していき、それに合わせる形で弁証法もその内実を変化・発展させてきたのだ、ということである。このことを理解しない限り、現実の問題を解くのに役立つ真の弁証法の実力を培うことはできないということである。

 では、そうした実力をつけるためには、弁証法の真の姿を把握するためには、どのような学びが必要になってくるのであろうか。それはドイツの偉大な生物学者ヘッケルが言うように、「個体発生は系統発生を繰り返す」を実践することである。つまり、人類の歴史において弁証法が創出され、その内実が変化・発展させられてきた流れを、自らもしっかりと辿り返すことである。こうすることによってしか、本当の弁証法を理解することはできないのだ、これが本論文の趣旨であろう。

 『全集』第2巻は、南郷先生が辿られたこうした道のりを説かれているのであって、ここに説かれてあることをヒントにして、自らが哲学史をしっかりと歩んでみることによって、弁証法をゼロから創出していく、これが弁証法の学びであることがしっかりと分からされた論文であった。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月07日

一会員による『学城』第1号の感想(10/13)

(10)言葉は学問的に学ぶ必要がある

 今回取り上げるのは、古田京子氏の投稿論文である。この論文は、論文自体の内容というよりも、そこに付された編集者のリード文や解説からいかに学ぶべきか、という視点が重要である。端的には、失敗から学ぶということである。

 いつものように、まずは本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を示しておく。

古田京子
〔投稿〕物理学者 武谷三男氏の《三段階論》と《技術論》に学ぶ

 この投稿論文は、学問(体系的論理)への道を志す初心者が陥りやすいあやまちの実例として採用したものである。端的には、有名学者の説や論を用いられた言葉そのままに内容を理解できたとして、自分の文章に採用していることがミスなのである。これは、囲碁や将棋において、初心者が名人の並べ方をそっくりマネするにも等しく、それで相手と闘えるワケがないからである。
 いずれの世界においても名人・達人の技のレベルになるには、上るべき段階がしっかりとある。初心者は自分の勝手な言葉に驕ることなく、まずは初心者としての言葉で論を展開することが、学問への道となる。(編集者)

 〈目 次〉
一、三段階論
二、技術論
三、武谷理論の教育への応用に際しての課題
  ―南郷継正『武道講義第3巻 武道と認識の理論V』(三一書房)より―

 本論文では、人間の認識はどのように発展するものかに関心があるとする古田氏が、物理学者の武谷三男氏の《三段階論》と《技術論》を学校教育に取り入れるべく、その内容を明かにし、さらに南郷継正先生が指摘しておられる武谷理論の欠点を補うとして、〈人間を対象として認識するための〉認識論が必須だと述べられる。そして、南郷先生による認識論の三本の柱(人類の認識としての発展過程の論理構造を説くこと、人間の一般的な認識の発展過程の論理構造を説くこと、個としての人間(社会的個人としての人間)の認識の発展過程の論理を説くこと)のうち、武谷理論は1つ目の柱の一部分にあたるとして、他の部分の完成にはまだまだ先の道のりは遠いと締めくくっている。

 この論文については、上に挙げたような編集者である悠季真理先生のリード文が付いているほか、最後に「編集者解説」として、この論文の「あやまち」について詳しく解説されている。この解説の内容を要約すると以下のとおりである。

 本論文の筆者は、「言葉を学問的に学ぶことなく、学習的に学んでの論の展開となっている」(p.182)ことが問題であって、「言葉を知っているだけなのに、わかっているとしてそのままに用いている幼さ」(同上)があるということである。武谷の三段階論や技術論が学問的・理論的にわかるには、弁証法・認識論の基本的な学びが必須となるのであり、ここを経てオボロゲながらも三段階論とはなにか、技術とは何かが理解できてくるということである。武谷の三段階論は、科学や生物を抜きにしての物理的な認識であって、自然一般の認識論にはほど遠く、南郷先生の「絶賛」も、その言葉の響きによる感性の興奮を、武谷三男に感激しての文言だと読み取る必要があると説かれている。では具体的にはどうすればよかったかといえば、生徒にも分かるように理論的な言葉を説明してみることを続けていくことで自分の実力を高めていくことであったと述べられている。

 この解説で説かれていることは、我々京都弁証法認識論研究会においても、胸に刻みつけるべき内容であると思う。三浦つとむさんや南郷継正先生の表現をそのままに用いて論文を執筆し、それで分かったつもりになってしまっていては、認識は全く深まっていかないし、時には大きな勘違いをしてしまっていることもあり、こうなると、現実の問題を解決していくのだという学問の本質が見失われ、場合によっては現実の問題をヨリ深刻なものにしてしまいかねない。

 ここで指摘されていることは、特に注意すべきこととして、我々の師からもたびたび指摘されていることである。つまり、1つ1つの言葉をしっかりと像を描いて用いているのか、あの言葉ではなくてこの言葉を選んで表現したのは、一体どういう理由からなのか、といったことを、丁寧に丁寧に考え続けていく、ということである。こうした作業を実践していかないと、この解説で批判されているように、上っ面だけの言葉で論を展開していくことになり、筆者にとっては全く現実の問題を説いていくための実力とはならないし、読者の側からしても、読んでいて流れがスムーズではなく、何か形而上学的に分断された個々の事物を羅列的に並べて置かれているだけという印象がぬぐえなくなってしまうのである。

 例えば、古代ギリシャの哲学者たちについて、「研究方法や実験器具などの未熟ということもあって、彼らには現象論的段階の正確な観測や、実体論的段階の知識が不足していた」(p.171)と述べられていたり、経験主義的教育について〈はいまわる経験主義〉という言葉を紹介した後、「この「はいまわる」という表現は、換言するならば「認識の発展との相互関係の理論を持たない」、現象論レベルに終始して「本質論的段階へとのぼっていくことのない」実践であったということになろう」(p.176)と結論されたりしている。前者については、研究方法や実験器具の未熟というより、人類の認識の発展が、古代ギリシャ時代においてはまだまだ現象しているものを正確に脳細胞に反映させ、それについて何とか相手に伝えようと必死になって問答することができることが上限であって、ということをしっかりとつかんでいれば、こうした表現にはならないであろうし、後者については、一読しただけでは、この筆者がどういうことを言いたいのか、具体的なイメージが湧いてこないものであった。

 「実践(表現)による問いかけ」(同上)や、「技術によって認識と実践とを結びつけ、それを技能として身につける」(p.179)なども、言葉が躍っているような印象で、その言葉の背後にあるはずの筆者の認識が、非常に薄っぺらなものに思えてくるのである。

 これがリード文で編集者が述べている、「有名学者の説や論を用いられた言葉そのままに内容を理解できたとして、自分の文章に採用している」ということだと思う。端的には、言葉という結論だけを流用していて、その言葉となったそれまでの学者の研鑽の過程をその原点にまで遡って学びとれていない、ということだと思う。

 とはいえ、私もまだまだ初心者の域を出ない者である。ここで説かれているように、言葉の背後にある認識をしっかりと捉えられるように、そしてそれを自分の言葉で説明する過程を通じてしっかりとした実力を身につけられるように、「まずは初心者としての言葉で論を展開することが、学問への道となる」という学びの「原点」を取り違えないようにしなければ、いくら努力したつもりでも明後日の方向へと向かってしまって、現実の問題を説くという学問の「原点」が果たせない結果となってしまう。肝に銘じて研鑽していきたい。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月06日

一会員による『学城』第1号の感想(9/13)

(9)ナイチンゲールの思想全体から学問形成を見る

 今回取り上げるのは、神庭純子先生のナイチンゲールの学問形成に関する論文である。ナイチンゲールの学問に与えた青春時代の学びについて、特に古代ギリシャ哲学、それもプラトンの著作に着目して説かれていく。

 いつものように、まずは本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を示しておく。

神庭純子
ナイチンゲールの学問(看護学)形成の内実を青春時代にみる
─その青春時代はギリシャ哲学の風に導かれて─

 幼少期からの家庭教育によって培われた一般教養、特に古典的教育による素養はナイチンゲールの学問形成の基盤となるものであった。彼女の著作からギリシャの哲学者プラトンの思考のあり方との共通性がみいだされた。

 〈目 次〉
一、序論
二、本論
 (1) ナイチンゲールの教育課程
  A ナイチンゲールの生涯における教育期の位置づけと教育方法
  B 父ウィリアムE.ナイチンゲールの教育歴
  C 父によるナイチンゲールの教育内容
 (2) ナイチンゲール『思索への示唆』とプラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』にみられる共通性をさぐる試み
  A ナイチンゲール『思索への示唆』とプラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』をとりあげる理由と内容概説
  B ナイチンゲール『思索への示唆』とプラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』との共通性の抽出
  C ナイチンゲール『思索への示唆』とプラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』を比較してその共通性をさぐる試み
三、結論

 本論文ではまず、ナイチンゲールの残したものを学び継承していくためには、看護に関わる著作だけではなくて、彼女の認識がどのように形成されたのか、その思想性そのものを学び取っていくことが大切であるとの観点から、彼女への教育がどのようなものであったのかを明らかにしていくとされる。イギリス最盛期のヴィクトリア期に上流階級の家庭に生まれたナイチンゲールは、家庭教師、続いて父親から諸々の学科を学び、17歳になった時、それまでの教育の総仕上げとして外国旅行に出かけたということである。こうした教育の背景には、父ウィリアムがケンブリッジ大学でギリシャ・ラテン語をはじめ、修辞学、弁証法、哲学や数学などを学んだことがあったことが説かれる。そして父によるナイチンゲールへの教育内容が具体的に展開される。文法、語学、歴史、哲学、数学、心理学、作文課題などを父が教え、17歳の外国旅行では、ナイチンゲールは社交会に出たり政治運動や慈善事業の視察、調査などを行ったりしたのである。こうした背景をもとに、ナイチンゲールの著作とプラトンの著作との共通性がさぐられていく。まず、プラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』とナイチンゲール『思索への示唆』の内容の概要が紹介された後、それぞれの思考性を表しているものとして重要と思われる部分が、「教育について 生き方について」、「存在について」、「人間の認知における限界の自覚について」、「相反するものの統一」の各項目に関して抽出され、それぞれ共通性がさぐられていく。最後に結論として、ナイチンゲールの教育課程に父親の教育が重要であったこと、父の教育によって彼女が広い一般教養を身につけたこと、古典的教育としての学びが十分になされていたこと、父による基礎教育の影響を大きく受けて彼女の思想が形成されたことが説かれる。

 本論文の焦点は、ナイチンゲールの著作とプラトンの著作とを比較し、その思想の共通性をさぐることであることであるが、本稿ではプラトンに限らず、広く古代ギリシャ哲学を中心とした一般教養を学んだナイチンゲールの青春時代を考察するものとする。

 『学城』第1号に貫かれているテーマである「原点」という観点から見れば、ナイチンゲールの看護学形成の「原点」に父親による一般教養の教育があったことが指摘されていることは重要である。これはP江千史先生もその著作の中で述べておられることであるが、学問形成の土台として、一般教養、学的一般教養の学びが必須であって、ここを蔑にしていていては、決して学問への道に進めず、当然に学問の道を歩むことも出来ない。どんな専門分野を目指すにしても、世界全体をアバウトにでも把握して、そこから自らの専門分野と世界全体との連関を生き生きと像として描けていけることが、まずは大切なのであって、単なる雑学として知識的に、表面的に学んでいくというのでは決してないのである。このことは、我々京都弁証法認識論研究会においても大きな課題として位置付けているところであって、弁証法、認識論、歴史・哲学史を世界全体を捉えるための文化遺産として学び続け、また毎日の新聞やコンパクトな著作から世界や日本の情況について全体的に学んでいるのである。

 また、父親による一般教養の教育を時期的に見てみるならば、本論文のタイトルにもある通り、ナイチンゲールの青春時代に行われていることも見逃せないことである。「三つ児の魂百まで」ではないが、人間の脳細胞が実体的にも機能的にも大きく成長していく青春時代に、こうした学びを行っていたことがナイチンゲールの「原点」となったのである。逆に言えば、こうした青春時代に大志を抱いて、自らの進むべき道を描きながら学んでいけるような教育が、その人のその後の人生にとって非常に大きな意味を持つということである。自分自身についてはもう遅きに失したこととはいえ、せめて自分の子どもたちにはこうした観点から教育していかなければならないだろう。

 最後にもう1つ触れておきたいことがある。それは、何のために言語を学ぶかということについてである。現在、我々の研究会では、言語学の創出を目指す私のみならず、研究会全体の課題としてドイツ語の学びを行ってきているところである。これは何も、ドイツに旅行に行って、美味しいビールを楽しむためではない。哲学の二大潮流の1つたるドイツ哲学を我がものとするための基盤として、ドイツ語の構造からドイツ人の認識を辿っていけるように、またドイツ語の原典からドイツ観念論哲学の内実を掴んでいけるように、学んでいるのである。ナイチンゲールのプラトンへの学びはまさに、我々が今なそうとしていることを(ドイツ哲学と古代ギリシャ哲学の違いはあるにしても)実践した過程である。こうした観点からも、ナイチンゲールの学びを研究する必要があると思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月05日

一会員による『学城』第1号の感想(8/13)

(8)医療と医学の区別と連関を説く

 今回取り上げるのは、諸星史文先生による医学史とは何かを問う論文である。医学と医療の区別と連関を説きながら、本来の医学史とはどういうものかを明らかにしていく試みである。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下の通りである。

諸星史文
学問形成のために問う医学の歴史
―医学史とは何か―

 医療の現状と問題点をふまえ、医学体系の重要性と医学の体系化のために医学史が必須であることを説き、医学史研究の第一人者とされる酒井シヅと医学史の重要性を説いたとされるウィルヒョウの論を検討する。

 〈目 次〉
一、医療の現状と問題点
二、医学と医療の区別と連関
三、ウィルヒョウの説く医学史(なるもの)の学びとは

 本論文ではまず、医療ミスなどの医療問題に様々な改革が打たれているが、どれも奏功していないことが述べられる。その原因として、医療が体系的に学ばれず、そのために医療とは何かを理論レベルで把持していなことが挙げられている。そして「どうしても医療ならぬ医学の体系化(確立)が必要なのだ」(p.134)と説かれ、ここから医学と医療の区別と連関を明らかにすることから始めると宣言される。そこで医学とは何か、医療とは何かについて、P江千史先生の概念化が紹介され、「端的には、医療とは、病を治すための実体的・認識的技術であり、医学とは、病の形成過程と回復過程の構造を一般的にとらえ、病とは何か、それに働きかける治療とは何かを体系化した認識であり、科学である」(p.135)とまとめられている。また、医療と医学との連関について説かれた後、医学体系の確立とそれによる医療体系の確立化のためにこそ、医学史を問うとして、医学史研究の第一人者とされる酒井シヅの提言が検討されていく。酒井はウィルヒョウの「医学はいずれの科学にも増して歴史を必要とする」という一文を持ち出し、医学の分野における医学史軽視を指摘するのだが、実はこのウィルヒョウの一文の中にある「医学」は誤訳であって、本来は「医療」と訳すべきであることが、日本語訳では同じ「知識」と訳すものがドイツ語では”Kenntnis”と”Wissen”の二語が使い分けられていることなどを示しつつ説かれていく。そして結論として、酒井はそもそも医学史とは何か、なぜ医学史が重要なのか、医学史と医療史の区別はどのようなものかを解明できなかったのであり、この現状を踏まえて、「次回は、医学史とは何か、医療史とどう違い、どう連関するのか、なぜ医学体系の確立に医学史が必要なのかを論じることになろう」(p.143)と締めくくられている。

 『学城』第1号全体を貫くテーマである「原点」という観点からこの論文を捉えた場合、諸星先生は近年の医療ミスなどの医療問題の「原点」を、そもそも医療とは何かを論理的に把握できていない情況に求めておられることを指摘しなければならないだろう。なぜ医療問題を原点にまで遡って、そもそも医療とは何かを問わなければならないのかというと、それは全体は統括されていて部分的にほころびが出てきているといったレベルの問題ではなくて、そもそも全体がしっかり統括されていないという現状があるからであるとされている。

「現実の医療の世界は、この「全体の統括」がしっかりと為されていないにもかかわらず、改革と言いながら、それぞれの部分部分を狭い経験の中でいわば対処療法的に直そうとしているに過ぎない内容のものがほとんどなのである。より正確にいえば、次々に生じる医療問題から改革を迫られて取り組んでいるものの、医療を「医療とは何か」から体系的に把握せずに行っているため、せっかくの改革が徒花に終わり、数年後にはまた別の改革をせざるを得なくなるような状況ですらある。」(p.133)

 この「全体の統括」を行うものこそ、「医療とは何か」という一般論であることは、南郷学派の諸々の著作で繰り返し述べられていることである。逆に言えば、一般論というものは、対象の諸々の現象に潜む共通性を認識にすくい出したものであるから、対象の全ての事象を貫いている性質だといえるのである。一般論は体系を統括するものであり、全ての個々の事象は一般論に収斂するのである。こうした理解は学問構築上必須のものであって、我々京都弁証法認識論研究会のメンバーも、自らの専門分野の研究において、自らの対象とする言語なり経済なりの一般論を仮説的にでも高く掲げ、この一般論から対象の事物事象に問いかけていき、この一般論をヨリ精査していく作業を行ってきているところである。

 この論文ではもう1つ、私の専門分野である言語に関わって取り上げておきたいことがある。それは、同じ形の語彙を使っていても、その中身は大きく異なることがあることが、ドイツ語の日本語訳を例に明確に示されていることである。

 本論文では、具体的には、日本語の「知識」に対応するドイツ語として”Kenntnis”と”Wissen”の二語が挙げられ、その内容の違いが説明されている。「ずばり端的には、Kenntnisというのは、外界の直接的な反映による知識であるのに対して、Wissenは歴史を知る、文化を知るという意味での文化遺産の学びを通しての知識を意味している」(p.141)とあるように、この場合、ドイツ語では概念の違いを違った語彙で表すのに対して、日本語では同じ語彙で表すのである。

 こうしたことは、何もドイツ語と日本語との関係だけで生じることではない。例えば、大学教授が「論理」といった場合と南郷継正先生が「論理」といった場合では、言葉の形は同じでもその意味する中身は全く違うということもあるのである。あるいは、長年連れ添った老夫婦が相手に対して「好き」といった場合と小学生の子どもが好きな人に「好き」といった場合とでは、言葉の内容が全く違っているのである。

 これは言語の本質に関する非常に重要な内容を含んでいる事柄である。つまり、言語は表面上は口から発せられ紙に書かれる音声や文字そのものなのであるが、その音声や文字自体は言語の一側面(結果)であって、そこに至るまでの過程として、直接の基盤としての認識や、認識を生み出す大本となる対象の世界が広がっていて、その対象や認識との目に見えないつながりをもった存在として、言語を把握しなければならない、言語を過程的構造においてとらえなければならない、ということである。

 本論文で示唆された、こうした言語の本質に関する問題をヨリ多面的に、ヨリ構造的に、深めていくことで、科学的言語学を構築することこそ私の人生を賭した夢である。言語の問題はすべての学問分野に共通する問題を含んでいるのであるから、どの論文からも言語の問題を考察するヒントを得られるのであって、こうした態度で直接説かれている分野との二重性で、言語の一般論を精査していきたいと思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

一会員による『学城』第1号の感想(7/13)

(7)「科学的医学体系」こそが医学教育改革の要である

 今回は、P江千史先生による科学的医学体系を講義されていく論文を取りあげる。P江先生の論文は根本的なそもそも論から繰り返し説かれていく展開になっていて、非常に論理的で読みやすく、しかもその大志が現れ出てくるような表現になっていて、認識と言語との関係を考察する上でも興味深いものとなっている。

 以下に、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を提示する。

P江千史
「医学原論」講義(第一回)
─時代が求める医学の復権─

 本講義は、医学に未だ学問体系がないことを悟って以来、四半世紀をかけて構築してきた科学的医学体系を講義していくことになる。今回は医学教育になぜ体系性が必要なのかを、「ガイドライン」を例に具体的に説く。

 〈目 次〉
一、医学体系はなぜ必要か
 (1) 医学の体系化への出立
 (2) 医療現場の混乱
 (3) 問われる医学教育
 (4) 医学教育改革内容の提示
 (5) なぜ体系性がないと医学教育にならないのか
 (6) 体系的な医学教育とは
 (7) 生理学から病理学への体系性
 (8) 科学的医学体系の必要性

 本論文では、P江先生の医学の体系化への出立から説き始められる。医療現場でも大学でも限界を感じ、そこを突破するために医学の科学的学問体系化を生涯の目標とされたのであった。現在の医療現場を見てみると、「医療ミス」の頻発による大混乱が生じていて、この問題の解決策として医学教育改革が叫ばれている、しかしその中身は膨大な量の知識から必須の基本事項を精選するガイドラインの作成、学生主体の学習方法への転換、診療参加型の臨床実習の充実など、視点としては正しいものの現実的な解決にはならないものだというのである。そこで具体的に「教育内容ガイドライン」の目次を提示して、このガイドラインでは体系性がないため、実力のある医師を養成することができないことが説かれていく。そもそも体系とは、「あるべきところにきちんとあるべきものがあり、それらが一貫してつながって統括され、ひとつのものとしてまとまりを保っている」(p.132)ことであって、教育内容にきちんとした筋道がなければ、病気の診断と資料を自らのアタマで筋道たてて考えていくことができないにもかかわらず、このガイドラインはいささかも体系性がなく単なる選別であるというのである。そして、本来の医学教育のガイドラインにおいて第一に明らかにしなければならないことは医師とは何かということであり、医学教育で身につけるべき最も重要なことは病気を診断し治療する十分な実力であるにもかかわらず、「教育内容ガイドライン」では医師とは何かを説くことなく、「インフォームド・コンセント」や「患者の権利」などを重視していることが説かれていく。さらにこの原因として、「科学的医学体系」を把持しないからガイドラインに体系性がなく医師とは何かも説けないのだとされる。加えて、生理学と病理学のつながり方が唐突であって、実際に生きて生活している人間が病気になっていく過程を実感としてつかめないような流れになっていることも指摘される。このように、「教育内容ガイドライン」は医学教育改革の中心であるにもかかわらず、実力のある医師を養成するものにはなりえず、この現状を突破するためには「科学的医学体系」が必要であることが述べられて、本論文は終了する。

 本論文では、冒頭部分でP江先生の学的出立に関するエピソードが語られているのがまず印象的である。治せない病気にただじっと見守るしかない情況、看護学ではすでに創出されている科学的学問体系が医学には存在しない悔しさなどが、溢れんばかりの思いを乗せて表されている。まさにP江先生の科学的医学体系への「原点」とも言いうる内容だと感じた。学への出立時の思いを「原点」としてしっかりと位置付け、くじけそうな時にもこの「原点」の思いを忘れずに進んでいくということは、我々の学びの道程においても非常に重要なことだと思う。

 さて、具体的に展開されている論の内容については、「体系性」ということを軸に、実力のある医師を育てるために必須の科学的医学体系の重要性について、「教育内容ガイドライン」を具体的に批判する形で展開されていて、非常に説得力があるものであった。特に、体系とは何かに関わっての論理展開は、上にも引用したし、またP江先生の他の著作でも説かれているものではあるが、やはり優れた把握だと思う。人間の体の体系性を例にとり、頭、体幹、手・足などが脳によって完全に統括されているという状態が、見事な体系性として挙げられているのは、まさに医師であり医学者であるP江先生ならではだと思う。

 また、P江先生の論理展開の特徴としてもう1つ、自ら問いを立ててそれに答えていくというものがある。これは南郷学派の先生方に共通するものでもあるが、特にP江先生については、そもそもから問うていく流れが顕著であると思う。具体的には本論文でも、「科学的学問体系とは何か」(p.117)、「教育とは何か」(p.130)、「医師とは何か」(同上)、「体系とは何か」(p.132)など、その根本から問いかけて、根本から説いていく、という方法が多用されていると思う。『学城』第1号全体を貫くテーマに沿って言えば、「原点」から説いていく、ということになるかと思う。

 唯物論では、世界全体は永遠の昔から存在していて、物質的に統一されていると考えるのであるが、個々の事物事象については、その「原点」、「0から1へ」の生成過程を問うことが重要な視点になってくる。「生命の歴史」においても、「1」たる単細胞生物がもともと「ある」と考えるのではなくて、単細胞生物が「0」から如何に生成したのかを説く論理構造が要となっていると思う。前回、前々回に扱った古代ギリシャ哲学の重要性というものも、自らの専門分野の「原点」、「0から1へ」の過程を見ることにあるのではないかと思う。自らの専門分野がどのように生じてきたのかの過程的構造の把握こそが、その対象の本質にかかわる大切なことなのだということだと思う。こうした意味でも、本論文は我々の考え方の筋道のあるべき姿を示してくれている模範的な存在として、しっかりと学んでいかなければならないだろう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月03日

一会員による『学城』第1号の感想(6/13)

(6)古代ギリシャ哲学を理解するためには、原典とはいかなるものかを把握する必要がある

 今回も引き続き悠季真理先生の論文を取り上げる。前回取り上げたものが古代ギリシャ哲学の内実を解き明かすことに焦点があてられていたのに対して、今回取り上げる論文は、古代ギリシャ哲学の学び方を論じるものである。

 以下、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲げておく。

悠季真理
古代ギリシャ哲学、その学び方への招待

 本稿は古代ギリシャ哲学を理解するための学びについて論じるものである。ギリシャ哲学の継承過程には二つの流れがあることを紹介し、西欧を介しての研究のみならずギリシャ本国での研究にも着目する必要性を説く。

 〈目 次〉
 はじめに
一、古代ギリシャ哲学は、これまでどのように学ばれてきたか
 (1) 古代ギリシャの“原典”とはなにか―“原典”は原典ではない
 (2) ギリシャ哲学の継承
  A 二つの流れ―西欧諸国とギリシャ本国
  B ギリシャ本国の伝統に学ぶ意義
  C 現代のギリシャにおける古典教育
  D 発音問題―西欧とギリシャとの乖離
  E 西欧でのギリシャ文化の受容―苦難の歴史
  F ギリシャにおける古典研究の独自性
 (3) 現代における“原典”の読まれ方とその問題点
  A 「文法」的解読の限界
  B どうすれば“原典”に迫れるか
二、写本はどう形成され、継承されてきたか
 (1) 本来の原典はいかなるものであったか
 (2) ギリシャ時代からローマ時代へ
 (3) ビザンティン帝国とギリシャ哲学
 (4) 写本制作の仕方とその問題点
三、古代ギリシャの学問の実相を浮かび上がらせるための道しるべ

 本論文ではまず、自分の専門分野を学問的に発展させるためには、諸学問の原点である古代ギリシャ哲学を学ぶ必要があるとして、その学び方について説いていくことが述べられている。そして、古代ギリシャのいわゆる“原典”とされているものの内実について説かれていく。端的には、“原典”は「写本」であり、「実際に存在するのは、古代の文献が後世になって、その時代時代の認識で読まれて、その時代の必要性に見合う形で筆写されてきたところの、古代とは大きく変容させられた文献」(pp.94-94)である、ということである。その「写本」について、どのように伝えられてきたのかという流れが2つあるとして、日本にも入ってきたビザンティンからアラビアを介して西洋諸国に広まった流れと、ビザンティン以降もギリシャ人自身の手で継承されてきた流れがあるとして、後者に着目すべきことが、ギリシャ本国の古典語教育や発音問題といった、言語を生み出すギリシャ文化の理解という観点から述べられていく。つまり、他国を介した継承では、ギリシャ文化を十分に受容できていない可能性がある、ということである。だからこそ、ギリシャ本国での古典研究に注目する必要があるし、そうすることによってこそ、古代ギリシャという時代に形成された人間の認識の表現である原典に迫っていけるということである。それでは本来の原典とはどういうものであったか、それはどのように継承されていったのかが続いて説かれていく。本来の原典は、パピルスで作られた長い巻物に大文字のみで分かち書きもせずカンマやピリオドもなく書かれてあったということである。それがローマ時代までには、帝国内の軍事的職務等の必要性に応じる形で文字の綴りや文体が統一され、また文献の取捨選択も行われていき、ビザンティン帝国になると現在にも残る写本が聖職者階級の人々によって作成されたことが述べられている。そして最後に、写本制作の仕方とその問題点として、分かち書きをせずに書いてある文章や毀れによってその箇所を補う必要がある文章の場合に、筆写する目的や理解力などに大きく規定され、原典からは相当に変容した“原典”が写本として残されることが説かれる。こうした困難を乗り越え、古代ギリシャの学問の実相を浮かび上がらせるためには、古代から現代までの学問の歴史を、先に述べられた二重の意味で学ぶ必要があると説かれる。

 この論文でまず注目したいのは、私の専門分野である言語に関わる内容についてである。「そもそも「文法」というのは、古代ギリシャ時代にはなかった」(p.103)とあるように、我々が普段目にする「文法」なるものについても弁証法的に、生成発展していくものとして把握しておられるし、また、言語が認識の表現であり、その認識は外界が五感器官を通して脳細胞に反映してものであるから、「古代ギリシャという時代における、その地域に生まれ育ったその社会における、そこで生まれ育って形成されたところのその人間の認識がわかるための学びをしなければ」(p.104)、“原典”とされるものを読んでも、その本当の中身を掴むことができないと説かれていることなどは、認識論を基盤とした言語理解のお手本となる把握だと思う。

 こうした理解がなければ、古代ギリシャ哲学の原点たる“原典”にいくら学ぼうとしても、それはただ現代人の認識から問いかけて“原典”を解釈するだけに終わってしまい、真の意味で古代ギリシャの学問を学んだことにはならない、ということであろう。

 『学城』第1号の全体を貫くテーマである「原点」ということに関わってもう少し触れておくと、古代ギリシャの学問はおよそどんな専門分野に関してもその「原点」にあたる位置を占めており、「自分の専門分野を学問的に発展させる」(p.92)ためには、「諸学問の原点であるところの古代ギリシャに学ぶ」(同上)必要があるとされていることは、決定的に重要な意義をもっていると思われる。我々がシュヴェーグラー『西洋哲学史』やヘーゲル『哲学史』を学んできているのも、また個別科学史(言語学史、経済学史、教育学史、心理学史など)を研究しているのも、「自分の専門分野が歴史的にどう生成し、どう発展してきて現在にまで至ったのか、ということをふまえる」(同上)ことを通じて、世界全体、歴史全体とのつながりも含めて、自分の専門分野の位置づけや他の分野との関係を複合的に、過程的に捉えようとしているからである。世界全体、歴史全体の中に自分の専門分野をしっかりと位置づけるための哲学史(特にその原点である古代ギリシャ哲学)や個別科学史の学びを土台にしてこそ、個別科学の創出が可能となっていくのである。

 弁証法、認識論の基礎をしっかりと把握し、事物事象を過程的に複合的に捉え、また現実の世界(社会)と人間の認識(学問)とのつながりに十分留意しながら、自らの学問を構築していくための土台となる考え方をこの論文から学ぶべきであろう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月02日

一会員による『学城』第1号の感想(5/13)

(5)古代ギリシャ哲学は現象論レベルであった

 今回取り上げるのは、悠季真理先生による古代ギリシャの学問に関する論文である。人類の認識の発展を捉えた場合、古代ギリシャの学問の内実、そのレベルは如何なるものかについて、ギリシャ時代という時代性を考慮して考察されるものである。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下のとおりである。

悠季真理
古代ギリシャの学問とは何か

 本稿は古代ギリシャの学問の内実について論じるものである。従来の西洋を介したギリシャ哲学研究の問題点を指摘し、ギリシャ時代という時代性から、当時の学問が何故行われ、どのようなレベルだったのかを探る。

 〈目 次〉
はじめに
一、わが国における西洋古典学の始まり
二、西洋古典学の現状と問題点
三、ギリシャ時代という時代性
四、フィロソフィア(知を愛する)とはどういうことか

 本論文では、古代ギリシャ語の「フィロソフィア」という語をわが国では「哲学」と訳して独自の意味を持たせたために、物事の本質や真理を伝えてくれる何か深遠なイメージを抱くのであるが、実際の古代ギリシャ哲学とは一体どのようなものであるのかを説いていくとされている。そこでまずは西洋古典学の現状と問題点が説かれていく。端的には、現代人の感覚で、現代人の文化のレベルで古代ギリシャ哲学を理解してしまうことが問題であって、古代ギリシャの学問の実像に迫るためには、「認識学や学的弁証法の実力を土台とした、総合的な学問力(哲学力)が必要となる」(p.80)ということである。合わせて、古代ギリシャの時代性、つまり当時の学者たちは、自らの共同体の統括者として、国家の独立を護るために対象と真摯に取り組んでいたのだという社会的背景をしっかり踏まえる必要があることも説かれている。その上で、「フィロソフィア」とは何か、古代ギリシャの学問が現象論レベルであったとはどういうことかについて、プラトン『国家』を繙きながら検討されている。結論的には、「当時の学問というのは決して抽象的なレベルまでにはほど遠く、国を治めるために必要な限りでの諸々の知識」(p.89)であって、日本語で解説されている「数学的諸科学」などの言葉でイメージするものとは全く違ったものであるということが説かれている。

 本論文は、前回取り上げたヘーゲルも必死で研鑽したとされている古代ギリシャ哲学について、その内実を説こうとするものであるが、まず注目しなければならないのは、学問なり哲学というものを他の存在から切り出して、その言葉のイメージからのみ考察するという態度を批判して、国家間の抗争や国家による人々の統括などといった社会情況をしっかり踏まえて、その上で、社会との連関において学問や哲学を論じておられるということである。「哲学」にしても「幾何」という言葉にしても、現代の我々日本人の感覚からすれば、とても深遠で、抽象的で、難解なものだというイメージを抱いてしまうが、古代ギリシャ哲学といった場合の哲学については、必ずしもそうしたものではなく、国家の統括に関わる範囲で必要とされた諸々の知識の集積にすぎない、具体的には数が数えられるとか、天体運動に基づいて季節の変化が分かるとか、そういった非常に表面的というか現象論的な把握にすぎなかったことが説かれている。

 こうした現象論的な把握にすぎなかったにせよ、古代ギリシャ哲学というものは決して「学問のための学問」というような現実生活からかい離した抽象的なものではなかった事も強調されていることは注意する必要がある。つまり、人類の認識の発展過程をしっかりと土台に据えて、その時代時代の学問がどのように形成されていったのかを、あくまでも現実の対象、目の前で起きていることを解明し解決するためにこそ創出されていったという視点で、学問と社会の情況をつなげる形で把握していかなければならない、ということである。これは昨年1年間、我々京都弁証法認識論研究会の毎月の例会において、シュヴェーグラー『西洋哲学史』のある時代を取り上げる際には、その時代背景をしっかりと押さえておく必要があるとして、毎回のレジュメでこのことを確認していったことであった。毎月の例会報告の第1回目に掲載した報告レジュメを参照していただきたい。

 もう1つ、『学城』第1号全体を貫くテーマである「原点」との関わりでこの論文で取り上げるべきことは、「古代ギリシャ哲学とは、いわば絶対精神の始原なのである」(p.90)と説かれていることに関わる。そもそも、古代ギリシャ哲学というのは学問の歴史的な原点であるが、前回ヘーゲルに関わって触れたように、ヘーゲルは古代ギリシャ哲学を深く深く学んだために、自らの学問を形成できたのであって、そのヘーゲル哲学の中心である「絶対精神」についても同様に、古代ギリシャ哲学の研鑽の結果創出された概念である、というわけである。ヨリ具体的には、パルメニデスの「一にして全」という言葉をヘーゲルが愛していたことが紹介されているが、まさにヘーゲルは「絶対精神」という「一」でもって「全」世界のあり方を説こうとしたのであり、「決して現在の研究者たちのようなレベルで、何かある一分野に限っての、研究のための研究をやっていたなどとは、間違っても考えてはならない」(p.85)という警笛は、古代ギリシャ哲学とともにヘーゲル哲学においても言えるわけであって、我々もこうした学問の原点を常に念頭において、自らの専門分野に関わるだけではなく、現代日本、現代世界のあらゆる問題を、その歴史をも射程に入れて研鑽していかなければならないのだ、ということだと思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

一会員による『学城』第1号の感想(4/13)

(4)世界の全てを体系として説くことが哲学である

 まずお伝えするのは、待ちに待った『学城』第12号が遂に発刊されたことである。会員から3月31日の23時前にメールで連絡があり、仕事を終えて家に帰ってみると、現代社から郵送されていたのである。まだ巻頭言と編集後記に目を通しただけであるが、初学者向けに充実した内容となっているようである。読者の皆さんも、ぜひ定期購読されることを願う。現代社のホームページには、現時点(4月1日1時時点)ではまだ新刊の情報はないが、定期購読すれば、いち早く最先端の学問に触れることができるからである。

 さて、今回取り上げるのは、本田克也先生によるヘーゲル『精神現象学』に関する論文である。『精神現象学』は如何なる書なのか、この書はヘーゲルの業績にいかに位置づけられ、評価されなければならないのかについて、詳しく展開されている論文である。

 以下、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲載する。

本田克也
ヘーゲル『精神現象学』にみる、学問の原点
―ヘーゲルは学問の形成について何を語るか─

 十九世紀の偉大なる哲学者であるヘーゲルの最初の著作に『精神現象学』がある。この書は極めて難解とされ、いかなる学者にも理解が不可能であった。本稿ではこの書の核心を暴き、そこに真の学問の原点を問う。

 〈目 次〉
一、ヘーゲル『精神現象学』とはいかなる書か
二、『精神現象学』において、ヘーゲルが意図したこととは
―ヘーゲルが目指した「哲学への道」とは
三、ヘーゲル『論理学』における「弁証法」
四、ヘーゲル『エンチュクロペディー』とその後の科学の発展
五、ヘーゲルはいかにして、自らの学問を構築しようとしたか
六、エンゲルスはいかにして、ヘーゲルを越えようとしたか
七、再び、『精神現象学』とはいかなる書か

 本論文は、哲学とは何か、ヘーゲルは何を残したのかという問いに対する明確な解答が現代においても提出されておらず、また最も初期の、しかも数少ない書き下ろしの著作である『精神現象学』についても、一体如何なる書であるのかの解答はこれまでのどの学者も解き得なかったとするところから説き始められる。そして、『精神現象学・序論』においてヘーゲルが、「学問が体系であること、真理でもあること、哲学を学問にすること」と説いた意義について、シェリングの説などと対比的に述べられていく。また、『精神現象学』がヘーゲルの体系の全体像をおぼろげながら素描していることも指摘されている。しかしそれでも難解な『精神現象学』を読み解くための鍵が、南郷継正『武道哲学 著作・講義全集』第1巻であるとして、この著作を導きの糸にすれば、ヘーゲルの言わんとしていることが理解できていくとされるのである。さらに、ヘーゲルが何を目指したのかとして、社会科学や精神科学はおろか、自然科学ですらまだまだ発展途上にあった中で、ヘーゲルは弁証法=絶対精神でもって全世界のあり方を丸ごと把握しようとしたと説かれていく。そして、ヘーゲルが『精神現象学』を執筆できる基盤があったのは、アリストテレスからカントへと至る哲学の歴史を学んだからこそであると指摘されるのである。ところが、ヘーゲルの弁証法を法則化したエンゲルスにおいては、こうした学びの過程を軽視したために、結果としては唯物論哲学を創出することができなかったと述べられる。そして結論として、『精神現象学』では、「これから学問へと向かう「精神」の原基形態を究明しようとした」(p.74)のであり、『精神現象学・序論』では、「学問序説ともいうべき内容を展開したかった」(同上)のであって、「世界の絶対精神としての把握を弁証法として成し遂げた成果」(p.75)だと説かれるのである。

 本論文にもある通り、『精神現象学』はヘーゲルの最初の主著である。ここではどのようなことが説かれているのかを明らかにし、学問の原点を問うことが本論文の目的である旨、リード文に説かれている。南郷継正先生は、『武道哲学講義(第1巻)』で『精神現象学』について「学問形成への道標」(p.48)と説いておられる。つまり、ヘーゲルにとってこれから学問の道を歩んでいく際の、地図なり羅針盤なりの役割を果たす著作が『精神現象学』であって、当然、そうした内容をヘーゲルはここで説こうとしているのである、ということである。だからヘーゲルにとってはこの『精神現象学』こそが、学問の「原点」であるといえると思う。

 さらに本論文では、「『精神現象学』を著すにいたったヘーゲルの学的原点」について、「絶対精神」すなわち「全世界の弁証法的運動」を把握しようとしたことであることが52頁に説かれてある。ヘーゲルは全世界を絶対精神の自己運動として把握し、学問を体系として説かなければならないとしたことが、『精神現象学』において漠然と説かれているということである。

 合わせて、「世界の全てを究明していた」「ギリシャ」に「哲学の原点があるのではないか」とヘーゲルは考えていたことが73頁に述べられている。そこで古代ギリシャからの哲学の流れをヘーゲルは必死になって研鑽したわけであるが、古代ギリシャでは世界の全てを説くといってもそれはまだ「知を愛する」というレベルにすぎなかったので、これを弁証法的に筋を通す形で、体系として説いていこうとすることが『精神現象学』のメインテーマであったと説かれている。

 こうした本論文の中身を、『学城』第1号全体を貫くテーマである「原点」というものから捉え返すとどうなるだろうか。

 ヘーゲルは自身の学問の出立時(原点)において、学問の歴史的な「原点」である古代ギリシャの哲学に着目して、世界の全てを体系的に説くことこそ哲学であるとし、これを絶対精神の自己発展として、弁証法として説くことを自身の哲学体系の「原点」として哲学を創出していこうと決意した、ということだと思う。この中身を、「多くの混乱」(p.75)を含み「荒削り」(同上)でありながらも、何とかして表そうとしたものこそが、『精神現象学』であった、ということだと思う。だからこそ、学問構築を目指す我々は『精神現象学』に学ばなければならないし、また、『学城』誌の創刊号において、そのことをしっかりと説かれているのだと思う。

 そのほか本論文には、学問を構築の出発点として、「一般教養」及び「学的一般教養」の大事性が繰り返し説かれている。P江千史先生の『医学の復権』や南郷先生の『武道哲学 著作・講義全集』第1巻を随時引用しながら、ヘーゲルも歩んだであろう「哲学の歴史を弁証法化する学び」(p.67)を実践することなしには、学問の創出などありえないことが強調されている。我々の学びのあるべき姿として、しっかりと心にとめ実践すべきことだと思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月31日

一会員による『学城』第1号の感想(3/13)

(3)国家とは何かという原点を滝村隆一『マルクス主義国家論』から問う

 今回は加納哲邦先生の国家論論文を取り上げる。国家とは何かを問うために、先達の文化遺産をしっかり検討し学び取る必要があるとして、『マルクス主義国家論』を中心に滝村国家論の概略や疑問点について説かれていく論文となっている。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下である。なお、『学城』誌上では、目次は項番のみ振られているため、その項番に私なりにタイトルを付した。

加納哲邦
学的国家論への序章
―国家学構築への視点を問う―

 国家とは何かが定かでない現状に応えるべく、国家の学問的究明を志し、そのために必須の視点である「学問体系」、「弁証法」、「発展史観」等をわが国随一の国家論者滝村氏を取り上げヘーゲルの国家論にも言及しつつ説く。

 〈目 次〉
(1)今、国家とは何かが問われている
(2)理論的・体系的な学的国家論は現在存在しない
(3)国家とは何かを問うために滝村国家論を俎上に載せる
(4)『マルクス主義国家論』は国家本質論を説いた著作である
(5)『国家論大綱』は「未完成品」である
(6)滝村国家論とはどんなものか
(7)国家と社会の関係をヒントレベルで戯画的に説く
(8)滝村国家論の「発展史観」は画期的業績である
(9)対象の発展を説くには発展の始原と発展の過程、構造を解明する必要がある

 本論文では、近年の世界を見渡すと、「イラク戦争、アフガニスタン戦争、北朝鮮問題、パレスチナ問題、コソボ紛争など、国家の存在そのものにかかわる問題が頻発している」(p.21)にもかかわらず、世界で頻発する国家に関わる問題を解決できるような学的国家論が不在であることが説かれる。そこで本稿では、国家とは何かを問い、学的国家論の構築を視野に入れつつ論を展開していくとした上で、まずは先達の文化遺産をしっかりと検討し学ぶ必要があるとして、滝村隆一『マルクス主義国家論』を中心に取り上げることが述べられる。『マルクス主義国家論』は滝村氏にとっての「国家の一般的な本質論」(p.29)を展開した著作であるからである。そして滝村国家論がどういうものかを示すために、氏の国家論の大事な文章がいくつか引用された後、加納先生自身の国家と社会の関係についての見解が、ヒントレベルで、戯画的に説かれていく。端的には、「いわば国家は缶詰の缶のようなものであり、中身が社会と考えると分かりやすいかもしれない」(p.35)ということである。詳しくは次号以降の本論で展開されるとのことで、最後に、滝村国家論の「発展史観」に関する文章が引用され、これはヘーゲル『歴史哲学』からの学びを背景にした氏の画期的な業績であることが述べられ、対象の発展を解くためにはその始原を論理的に措定しなければならないこと、対象の発展の過程、その構造(必然性)を解くためには弁証法の実力が必須であることが説かれる。

 前回紹介した近藤先生の論文では、同じ国家論構築を目指すにしてもマルクス国家論を正面に据えて論じられていたのに対して、今回見ていく加納先生の論文では、滝村国家論を『マルクス主義国家論』を中心に据えて論じていくという違いがある。しかしいずれにしても、前回も述べたように、記念すべき『学城』第1号の冒頭2つの論文が国家論に関するものであるというのは、学問構築上、国家論の把持がいかに大切であるかを物語っているといえると思う。

 それでは具体的に内容に関して見ていくことにするが、今回は連載第1回ということもあり、それほど突っ込んだ内容が展開されているわけではない。それでも随所に、注目すべき内容が説かれていると思う。

 まず、前回の近藤論文と同様、現実のさまざまな問題を解くためにこそ、「国家とは何か」が問われているということを明確に打ち出している点が注目に値する。具体的にはイラク戦争を例にとり、イラクが1つの国としてまとまっておらず、テロが頻発し、泥沼の様相を呈していることに触れ、「イラク戦争は、国家主権、国家機能、国家創設、国際法等々、国家に関わる様々な問題をはらんでいる」(p.22)と述べられている。『学城』第1号が発刊されたのは2004年のことであるが、現在の「イスラム国」による中東情勢の緊張化を、いわば予言するかのような記述には、学的国家論の重要性を感じずにはいられない思いである。合わせて、この約10年間で世界情勢が激変していること、具体的には、今述べた「イスラム国」の台頭、ウクライナ危機、EUの動揺などを見てみれば、今こそいよいよ国家ということを真剣に考えざるを得ない情況が進展してきており、それゆえに国家論構築の必要性もますます高まっているといえるのではないか。

 また、これも前回触れたが、国家は社会を覆ういわば缶詰の缶のようなものだとしておられることも興味深い。近藤先生は「端的には」として、国家は社会の実存形態であると述べておられたのだが、加納先生の場合はイラク戦争後のイラクの情況を具体的に述べた後の結論として、「国家というものは、他の国家に対して、時として厳しい関係の中で、社会が自立的・独立的に生活してゆけるように、いわば社会を覆って固めているようなものと考えてもいいかもしれない。」(p.22)と述べた後、上記の「国家=缶詰の缶」論を展開しておられる分、非常に説得力があると感じた。

 ここで考えてみたいことは、「集団力」ということである。どういうことかというと、やはり同じ専門分野を目指す者が研究会に複数人いるというのはかなり重要ではないか、ということである。日本弁証法論理学研究会に近藤先生と加納先生という同じ国家論の創出を志す方々が一緒に研鑽しておられるからこそ(もちろん南郷継正先生という指導者の存在も大きいことではあるが)、こうした学的国家論への道を歩んでいけるのであると思う。翻って我々の研究会では、なかなかこうした量的担保が出来ていない情況である。今後の課題としたいと思う。

 さて、最後に『学城』第1号を貫くテーマである「原点」ということに関わって1つだけ述べておきたい。本論文では、対象の発展を解くために必要な第1の点として、その対象の発展の「始原」を問うことを挙げておられる。この見方は非常に唯物論的で、我々もこうした頭の働かせ方を学ばなければならない。そもそも唯物論では、全体としては物質的な世界に起源はないとするものの、個々の事物・事象には必ず始まりがあると考える世界観である。こうした視点に立った時、常にその「始原」=「原点」を問うて、その生成の必然性を論理的に筋を通して説き切らなければならない、ということになる。そのお手本のような論理展開で、とても重要なことを教えていただいたと思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

一会員による『学城』第1号の感想(2/13)

(2)国家とは何かの原点をヘーゲルから受け継がんとしたマルクス主義国家論

 今回から、『学城』第1号に掲載されている各論文について、順次その感想を述べていきたい。

 初めに取り上げるのは、近藤成美先生の「国家とは何か」に関わっての論文である。マルクス・エンゲルスの科学的社会主義の理論にさかのぼって国家論が検討されている論文である。

 まずは以下に、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲載する。

近藤成美
マルクス国家論の原点を問う
―ヘーゲルから継承した市民社会と国家の二重性について―

 二十世紀、社会主義国家の崩壊後、世界には平和が訪れるどころか、ますます戦争やテロが多発し、「国家とは何か」が大きく問われている。筆者は「科学的」社会主義の理論的な原点を問い直すところから説き始める。

 〈目 次〉
はじめに―なぜいま国家論なのか―
 (1) 激動の二十世紀を振り返る
 (2) なぜいま国家論なのか

 本論文ではまず、二十世紀がヨーロッパの帝国主義列強が覇権を競った第一次世界大戦と社会主義ロシアの誕生で始まったとして、科学的社会主義の原点であるマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』やエンゲルスの『空想から科学へ』が紹介される。そして科学的社会主義の理論の鍵として、唯物史観及び剰余価値説を基礎とした資本主義批判の内容が確認されていく。しかし、マルクス・エンゲルスが主張したような資本主義の矛盾の激化による社会主義革命の必然性も国家の死滅も、現実の世界のありかたが否定しているというのである。「生産の無政府性による経済の混乱(=恐慌)も、資本の蓄積と表裏をなす労働者の窮乏化も、避けがたい必然性とはならなかった」(p.14)というわけである。これは、マルクス・エンゲルスが資本の体系も国家の体系も理解していなかったことが原因である、と説かれていく。現代に目を移すと、確かに社会主義は崩壊したが、だからといって資本主義が歴史の究極の理想的な姿ではないことは、冷戦が終わった後の世界がとても平和とはいえない情況からも明かであると述べられる。そして、こうした情況にあって、我が日本においても、まともに国の進むべき道が描かれず、憲法問題も解決の糸口が見えていないからこそ、「歴史の評価に耐えうる科学的な国家論」(p.20)を目指す必要があると結論されるのである。

 まず指摘しておかなければならないことは、あくまでも現実の問題を解決するためにこそ、そもそも国家とは何かを問わねばならない、としておられることである。冷戦が終結して、世界的な平和の時代が到来するかと思えば、いまだにアメリカはアフガニスタンやイラクへの戦争を、それも膨大な財政赤字、貿易赤字を抱えながら行っているし、日本にしてもこうしたアメリカの国家戦略に規定され、アメリカに追従するのみで、自らの国家の歩むべき道を描き切れずにいる。社会主義は確かに崩壊したとはいえ、それでは資本主義が勝利したのかといえばそうではなく、次の時代を見通せるような、あるべき社会の枠組みはいまだに見えてきてはいない……。こうした現実の諸々の問題を解決するためにこそ、科学的な国家論を建設すべきだという近藤先生の熱い思いが伝わってくる論文となっているのである。

 ただし、この論文で「生産の無政府性による経済の混乱(=恐慌)も、資本の蓄積と表裏をなす労働者の窮乏化も、避けがたい必然性とはならなかった」と指摘されていたことについては、若干の補足が必要となるかもしれない。というのも、この論文が執筆された後、資本主義経済は世界的な大恐慌(サブプライム問題、リーマンショックなど)を経験し、富裕層と貧困層との格差の拡大が世界的な大問題として浮上してきているからである。この論文が出されてから約10年間の世界歴史の歩みは、資本主義が歴史の究極の理想的姿ではないことをいよいよ鮮明にするものであったと言えるだろう。リーマンショック後にマルクスの復権とでもいうべき動きが見られたことに加えて、証券会社のエコノミストから民主党政権下では内閣官房内閣審議官などを務めた水野和夫氏(マルクス主義者でも何でもない)が『資本主義の終焉と歴史の危機』というタイトルの本(集英社新書)を出版してベストセラーとなったり、資本主義経済の発展は必然的に格差の拡大をもたらすと論じたピケティ『21世紀の資本』が世界的な大ブームを巻き起こしたりしているのも、こうした現実を反映したものといえるだろう。

 では、国家とは何か、科学的な国家論はどのように創出すべきか、という問題が次に問われることになろう。ここで近藤先生は、「〈国家とは何か〉を論理的=過程的・構造的に正面から説こうとしたのは、歴史上ヘーゲルをおいて他になかった」(p.20)として、今後の本論においてきっちりとヘーゲルを説いていく旨を述べておられる。さらに、「ヘーゲルのまっとうな後継者たらんとした」(p.19)マルクス、エンゲルス、レーニンなどの社会主義の立場からの国家論を、三浦つとむや滝村隆一の国家論も含めて問い直すことにしたと説いておられる。端的には、国家論の原点たるヘーゲルから、マルクス、エンゲルス、レーニン、三浦つとむ、滝村隆一へと流れていった国家論の歴史を説いていくということだと思う。

 ここで、『試行』誌を受け継ぐべく創刊された『学城』の第1号の冒頭論文が国家論であることの意味を考えてみたい。まず挙げなければならないことは、我々京都弁証法認識論研究会が昨年、毎月の例会報告で検討してきたように、学問(哲学)の発展過程がいよいよ社会科学の構築を課題とする段階にまで到達したのだ、ということである。哲学を支える3本柱(自然科学、社会科学、精神科学)について、自然科学は「生命の歴史」として、精神科学は「認識学」として、すでに南郷学派によって措定されており、これらを導きの糸として、残る最後の1本である社会科学の構築にいよいよ取りかかるという宣言として見ることができるだろう。

 もう1つ、冒頭論文が国家論であることに関して取り上げたいのは、南郷継正先生は「武道哲学講義X」(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第八巻』所収)において、次のように説いておられることに関係する。

「哲学とは学問としての国家体系である。より正確には、学問としての哲学の体系とは実体世界の国家体系を論じる国家学に対しての、いわば観念的世界における学術国家としての体系学であり、端的には学 国家学である。」

 これは、哲学の体系性が国家の体系性に通じるものであることが説かれているといえるだろう。すなわち、国家学を構築することが哲学を創出する上で大きな指針となるものだということだと思われる。このように考えると、『学城』の第1号の冒頭論文が国家論であることは、日本弁証法論理学研究会が哲学の創出を目指すのだということの力強い宣言だといえるだろう。

 本論文では、この国家とは何かについて、「端的には、社会の実存形態である。正確には社会が実存できる形態、である。」(p.20)という規定がなされている。そして、「この国家についての規定は、日本弁証法論理学研究会の三十年にわたる研鑽において得た結論であり、学的検証を充分に踏まえたものである」(同上)との文言もある。今年から来年にかけて、ヘーゲル『哲学史』を学んでいく我々京都弁証法認識論研究会にとって、本論文で説かれていく国家論の中身は、哲学とは何かを理解するうえでも非常に大きな意味を持つことになると思う。国家論と哲学のつながりも十分意識しながら、引き続きしっかりと学んでいきたいと思う。

 以上、『学城』第1号の冒頭論文について見てきた。国家論は、現実の問題を解決するためにこそという学問(哲学)の「原点」から考察すべきものであり、その国家論の「原点」として、ヘーゲルの国家論、マルクス主義国家論について説かれていくことが述べられていたのであった。次回も引き続き国家論を扱った加納哲邦先生の論文を取り上げることにする。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

一会員による『学城』第1号の感想(1/13)

〈目次〉(予定)

(1)「原点」が『学城』第1号の全体を貫くキーワードである
(2)国家とは何かの原点をヘーゲルから受け継がんとしたマルクス主義国家論
(3)国家とは何かという原点を滝村隆一『マルクス主義国家論』から問う
(4)世界の全てを体系として説くことが哲学である
(5)古代ギリシャ哲学は現象論レベルであった
(6)古代ギリシャ哲学を理解するためには、原典とはいかなるものかを把握する必要がある
(7)「科学的医学体系」こそが医学教育改革の要である
(8)医療と医学の区別と連関を説く
(9)ナイチンゲールの思想全体から学問形成を見る
(10)言葉は学問的に学ぶ必要がある
(11)学問を創出する道のりを説く
(12)「生命の歴史」から生成発展の論理構造を把握することが重要である
(13)常に「原点」に立ち返る必要がある


−−−−−−−−−−−−−−−

(1)「原点」が『学城』第1号の全体を貫くキーワードである

 本来であれば、本日から『学城』第12号の感想小論を掲載する予定であったが、第12号は残念ながらまだ世に出ていない。『学城』第10号は2013年12月に発刊され、続く第11号は2014年7月に発刊された。その第11号の編集後記には、「わが研究会においては志ある若い読者のために、発刊を年二回に増やし、初学者向けの教育が可能な、いわゆる入門編となる論文も掲載したいとの思いが、以前にも増して強くなってきた」(p.203)と記載されていた。これまで2004年から毎年1冊ずつ刊行されてきたのであるから、このように述べられたからには当然に、第12号は2014年内、遅くとも2015年初頭には出版されるだろうとの予測の下に、我々京都弁証法認識論研究会の1年間のブログ執筆計画を立案した際に、精読・執筆・推敲の時間を考慮して、3月29日から「一会員による『学城』第12号の感想」を掲載する計画を立てていたのである。

 ところが、第12号はまだ出ていない。出ていないものの感想を書くわけにはいかないから、やむを得ず、と言うと語弊があるが、ここは原点に立ち返って、『学城』第1号を取り上げることにしたわけである。前稿で取り上げた『学城』第11号については、「原点からの辿り返し」が全体を貫くテーマではないかとしておいた。『学城』第10号で1つの区切りとし、第11号からは改めて原点に立ち返った論稿が発表されたのであるから、我々もこの機に『学城』を第1号から学び直すことにしたのである。

 第1号には、「学城」の文字の後に「ZA-KHEM,sp」という文言があり、さらに「学問への道1(弁証法編1)」とある。まず後者に関して言えば、巻頭言に「学問は単に理論的なものであっては駄目で、その理論性を含んでの体系化でなければ、すなわち理論的なうえに体系性をもたなければ学問たりえず、結果として単なる情熱のみの論理的展開になるだけだ」(p.2)という指摘があり、学問の体系化には弁証法が必須である旨が説かれている。故に、「学問形成のための基礎編」(p.1)として「学問への道(弁証法編)」を説くのだということである。

 では、「ZA-KHEM,sp」とは何のことなのか。これは弁証法の歴史的発展に大きな力があった学者の頭文字である。すなわち、ゼノン、アリストテレスであり、カント、ヘーゲル、エンゲルス、三浦つとむであり、加えるにソクラテスとプラトンである。なぜこれらの人物なのかについては、哲学史の発展過程を押えなければ理解不能である。我々京都弁証法認識論研究会も、昨年1年間をかけて、シュヴェーグラー『西洋哲学史』を学び、今年と来年2年間をかけて、ヘーゲル『哲学史』を学んでいく予定であるが、こうした学びの中からここでいわれている「ZA-KHEM,sp」とはどういうことなのか、しっかりと把握できるように研鑽していきたいと思っている。

 さて、これまでの『学城』感想小論では、その巻の論文全体を貫くテーマを抽出して、そのテーマに沿って各論文の感想を述べてきたから、今回も同様に、『学城』第1号全体を貫くテーマを見出し、各論文がそのテーマを如何に具体的に表しているのかを見ていくことを中心に、各論文について論じていきたい。

 では『学城』第1号を貫くテーマとは何なのか。それはズバリ「原点」ということだと思う。何よりもまず、この第1号は学問への道の「弁証法編」であり、弁証法は学問の体系化に欠かせない核であるとともに、古代ギリシャにおいて学問が誕生したのは弁証法の誕生とともにであったことを考えれば、弁証法は学問構築の「原点」であり学問の「原点」である、といえるのではないか。また、各論文のタイトルにも、直接「原点」という言葉や「序章」などの言葉が使われていたり、学問の原点である「古代ギリシャ」が説かれていたり、「歴史」に着目してその対象の出発点たる「原点」を追及したり、個人の学問の「原点」を青春時代に求めたりしていることが分かるものとなっていたりしている。そもそも、日本弁証法論理学研究会が、『試行』誌を受け継ぐ形で「新たな学問の登竜門となる学問誌」(p.1)として発刊する『学城』の第1号が、事物の起源、すなわち「原点」をテーマにしないはずがないと思われる。事物の生成発展の歴史性を論理的に体系化したものが学問であるからである。

 では、ここで『学城』第1号の全体の目次を以下にお示しする。

学城 ( ZA-KHEM,sp ) 第1号


◎南郷継正  巻 頭 言

◎近藤成美  マルクス国家論の原点を問う
        ―ヘーゲルから継承した市民社会と国家の
         二重性について

◎加納哲邦  学的国家論への序章
        ―国家学構築への視点を問う

◎本田克也  ヘーゲル 『精神現象学』 にみる学問の原点
        ―ヘーゲルは学問の形成について何を語るか

◎悠季真理  古代ギリシャの学問とは何か

◎悠季真理  古代ギリシャ哲学、その学び方への招待

◎P江千史  「医学原論」 講義 (第1回)
        ―時代が求める医学の復権

◎諸星史文  学問形成のために問う医学の歴史
        ―医学史とは何か

◎神庭純子  ナイチンゲールの学問 (看護学) 形成の内実を
         青春時代にみる
        ―その青春時代はギリシャ哲学の風に導かれて

◎古田京子  (投稿) 物理学者 武谷三男氏の 「三段階論」 と
          「技術論」 に学ぶ

◎本田克也  (書評) 『新・弁証法・認識論への道』
          ( 『全集』 第2巻) を読む

◎田熊叢雪  現代武道を問う 〔T〕 ―居合とは何か

◎南郷継正  武道哲学講義 〔T〕 PART2

 次回以降、順次各論文の感想を認めていくが、その際、この第1号全体を貫く「原点」というテーマを常に念頭において、各論文における「原点」とは何かという問いかけをもって、論を展開していくこととする。なお、連載回数の都合により、本稿では田熊叢雪「現代武道を問う〔T〕 ―居合とは何か」を取り上げることができないことを予めご了承いただきたい。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月28日

弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想(5/5)

(5)対象と武器を弁証法的に学ぶ

 本稿は,臨床心理士である筆者が,『医学教育 概論(3)』を読んで学んだ内容を,主として,専門分野をどのように学んでいけば,実力ある臨床心理士となれるかという観点から考察することを目的として執筆してきたものである。そもそも『医学教育 概論』シリーズをとりあげたのは,科学的学問体系のお手本であるからであり,また,筆者の専門とする心理臨床と隣接する医療実践に関わるテーマが取り上げられているからであった。

 本稿の最終回にあたって,これまで説いてきた内容を振り返っておこう。

 初めに,臨床心理士にとっても一般教養は必須であり,臨床心理士としての実力向上のためには,かなり力を入れて学ぶことが大切であることを説いた。『医学教育 概論(3)』では,医師は「人間の」病気の診断と治療が専門であるから,病気を理解する前提として「人間」を学ばなければならないと説いてあった。そして,人間とは,自然的外界・社会的外界と相互浸透することによってしか,生きて生活できない存在であるがゆえに,その自然や社会をしっかりと学ぶことが人間理解に必須なのであり,それこそが一般教養の学びであるということであった。このことは,人間の心の問題の見立てと,その解決に向けた介入を専門とする臨床心理士にとっても,まったく同様に当てはまるということを指摘した。特に,人間の認識はその人が相互浸透する人間社会によって創られるのであり,当然,心の問題も,社会との相互浸透のあり方によって創られていくのであるから,社会,および社会との相互浸透について,臨床心理士は医師以上にきちんと,深く理解している必要があると指摘した。このような一般教養の学びのための具体的な教材としては,『医学教育 概論(3)』で説かれている新聞や中学校の公民,理科,保健体育の教科書に加えて,南郷継正先生が『看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』で触れられている歴史を題材とした時代小説や人間の心を主題にしている小説,さらに社会派とされている推理小説なども重要であることを説いた。

 続いて,クライエントを理解していく方法として,全体から部分へ入っていかなければならないことを説いた。『医学教育 概論(3)』では,「学びの王道」として,必ずまずは全体像を描いてから,それをしっかりと把持しながらそれらの部分に入る必要があるということが説かれていた。こうすることによってこそ,対象をきちんと論理的に把握できるのであり,正確に理解することができるのであった。とすれば,われわれ臨床心理士がクライエントという対象を理解してアセスメントをしていく際も,同様の過程を辿る必要があるのではないかと指摘した。すなわち,まずはクライエントの全体像を描く必要があるのであり,そのクライエントの全体像とは,今までどのような自然的外界・社会的外界と相互浸透してきたかを描くということであった。その人が育ってきた時代性・地域性を踏まえて,まずは家庭環境をしっかり描き,次いで保育園・幼稚園から小学校,さらには中学校・高校,そして大学や職場,それに新しい家庭環境といった,クライエントが相互浸透してきたところの小社会をしっかりと把握していくことが大切だと説いたのであった。このように,クライエントが相互浸透してきた社会的外界を押さえて,クライエントの全体像を描いてから,部分たる現在の困りごと(心の問題)に入っていくことによって,より適切な介入が行えるのだということを,視線恐怖を伴う社交不安障害の事例を通して解説した。その後,全体を踏まえて部分に入っていくとか,過程を踏まえて結果を理解していくとかいう弁証法的な対象の把握の仕方,学び方によってこそ,その対象をきちんと,論理的に把握できるのだということを指摘した。

 最後に,心理臨床の歴史を辿り返すことの重要性を説いた。『医学教育 概論(3)』では,医学教育の歴史から説く専門課程の学びの王道が説かれていた。これは簡単にいうと,医学教育の歴史が「臨床→基礎→臨床」の順になっているのだから,この系統発生の順番を,個体発生である個々人の医学生の学びにも適用すべきである,ということであった。現行のカリキュラムでは最初の「臨床」がないために,「基礎」を学ぶ目的や意義が不明となっているために,学びの質が浅いものになっているが,医学教育の歴史を踏まえたないようにすれば,きちんと「基礎」が学べて,臨床にも生かしていけるようになる,ということであった。これはすなわち,系統発生にはそれなりの必然性があるのであるから,個体発生においてもその必然性を辿り直さないと,実力は向上していかないのだ,ということであった。したがって,われわれ臨床心理士も,フロイト以来の(あるいはそれ以前の歴史も踏まえて)心理臨床の歴史をしっかりと辿り直し,フロイトの原理原則はどのような必然性として生まれてきたものなのか,それが社会の変化に応じてどのように修正されていったのか,どのような条件のときにフロイトの原則はいまだに通用するのか,といったようなことをしっかり把握してかかる必要があると説いた。また,科学的な学問体系の構築を志す筆者にとっては,学問構築のためにも,専門領域の歴史をしっかり辿り返してその論理化を図ることは必須であるということについても触れておいた。

 以上の内容を,別の観点から再度まとめ直してみたい。

 二つ目と三つ目の内容は,要するに,歴史の重要性ということに帰着する。われわれ臨床心理士は,臨床心理学という武器を用いて,クライエントを理解して,その問題の解決に向けた介入を行っていくわけである。したがって,まずはしっかりとクライエントを理解する必要がある。ところが,現在困りごと(心の問題)を抱えているクライエントは,何の前触れもなく突然困りごとに遭遇したわけではない。困るには困るに至る過程があったはずである。その過程を巨視的に,すなわち,クライエントが生まれてからこれまで,どのような社会的外界と相互浸透してきたのかということを聞き取って,クライエントの全体像を描くことが必要なのであった。これは,端的にいえば,クライエントの「今」を知るために,「今」に至る過程,すなわち,クライエントの歴史を知る必要がある,ということである。

 そして我々は専門家として,専門領域の知見を活かして支援していくのであるが,その専門領域の知見をきちんと理解して,身につけていくためには,その専門領域の歴史を知らなければならない。すなわち,心理臨床やそれを対象とした臨床心理学の歴史を知らなければならないのである。なぜなら,これまた現在われわれが心理的援助のための武器として使っている理論なり技法なりといったものは,歴史のある時点で突然降って湧いたものではなく,生成発展の必然的なプロセスの中で生じてきたものであるからである。幾世代もの人類が,系統発生として徐々に創り出してきたものである。だから,それを自らのものとするためには,われわれも個体発生として,その系統発生の過程をくり返さなければならないのである。

 このように,われわれ臨床心理士が働きかける対象であるクライエントの歴史と,働きかけるときに用いる武器である臨床心理学の歴史という,二つの歴史をしっかり学ぶということが,臨床心理士の実力向上のためには必要なのである。では,このことと,最初に説いた一般教養の重要性ということは,どのようにつながってくるのであろうか。

 それは,これら二つの歴史というのは,ある特殊な歴史であるからして,その特殊性をきちんと理解するためには,より広い視野の中にその歴史を位置づける必要があるということである。そのより広い視野を学ぶのが一般教養の学びなのである。

 たとえば,クライエントの全体像を描こうと思って,幼いころからその中で育ってきて相互浸透してきた小社会をきちんと重層的に把握したとしよう。しかし,そもそも人間は一般的に,どのような小社会の中で育って,どのように相互浸透していくものなのかという基準がなければ,そのクライエントを評価・判断することができないのである。だからこそ,時代小説や社会派推理小説などで,「時代の心,社会の心,人の心」をしっかりと学んでおく必要があるのである。このような教材で,一般的な個としての人間の認識の発展過程を描けるようになってこそ,目の前のクライエントの全体像が描けるようになるのである。そういった一般性を踏まえることなく,いきなり目の前のクライエントのみを見ても,その全体像を描けるはずはない。

 同じように,臨床心理学というのは,学問全体から見れば一特殊領域にすぎないものであるから,そもそも学問はどのように発達して来たのか,どのように発展していくものなのか,というような一般的な像を把握していないと,臨床心理学の発展過程も真に理解することはできないのである。そしてその学問発達一般論を学ぶのも,一般教養の中身であるはずである。

 このようにして考えてくれば,結局,あるものを学ぶのにはその歴史を学ぶ必要があるのであり,その歴史もより広い観点を踏まえたうえでの学びが必要になるのだ,そういう学びをしてこそ,真に実力がついていくのだ,ということになるだろう。歴史を学ぶことも,より広い視野からものごとを捉え返すことも,いってみれば弁証法的な学び方ということに他ならない。したがって,結局は弁証法的に学んでいけば実力がつくのだということになる。これだけいってしまえば,超抽象的な内容で,それ自体はもっともなことなのではあるが,その中身は,今まで説いてきたようなものだということである。

 さて本稿の最後に,以上をふまえて筆者自身の課題を明確にしておきたい。何よりも欠けているのは,心理臨床や臨床心理学の歴史についての学びである。これらをしっかり筋を通して描けるようになることが,当面の大きな課題といえる。また,人間を自然的・社会的外界との相互浸透によって生きて生活している存在としてとらえることは,支援対象のクライエントを見た時でも,小説の登場人物を見た時でも,まだまだ十分にできているとは言い難いものである。外界との相互浸透という視点をもって人間を見ていけるように,今後も訓練を重ねていくことを決意して,本稿と終えたいと思う。

(了)

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月27日

弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想(4/5)

(4)心理臨床の歴史を辿る必要性

 前回は,『医学教育 概論(3)』で説かれている「学びの王道」を踏まえて,それを臨床心理士としての実力向上にどのように活かしていけるかを考察した。本書で説かれている「学びの王道」とは,端的には,学ぶ対象の全体像を描いてから部分へと入っていくということであった。こうすることによってこそ,対象をきちんと論理的に把握できるのであり,正確に理解することができるのである。とすれば,われわれ臨床心理士がクライエントという対象を理解してアセスメントをしていく際も,同様の過程を辿る必要があるのではないかと指摘した。すなわち,まずはクライエントの全体像を描く必要があるのであり,そのクライエントの全体像とは,今までどのような自然的外界・社会的外界と相互浸透してきたかを描くということであった。その人が育ってきた時代性・地域性を踏まえて,まずは家庭環境をしっかり描き,次いで保育園・幼稚園から小学校,さらには中学校・高校,そして大学や職場,それに新しい家庭環境といった,クライエントが相互浸透してきたところの小社会をしっかりと把握していくことが大切だと説いたのであった。

 さて今回は,臨床心理士が実力をつけるために『医学教育 概論(3)』から学ぶべき点として,歴史の学びの重要性について考えていきたいと思う。

 本書の「第16課 医学教育の歴史から説く専門課程の学びの王道」では,医学教育の歴史を踏まえて,どのようにして専門課程を学んでいけば実力ある医師になることができるのかについて説かれている。まず,医学教育の歴史については,次のように説かれている。

「近代の学校教育制度が整うまで,医師の養成は,もっぱら徒弟的修業を行わせることによって,なされていました。すなわち,師匠とともに,患者を前にして医療実践を行うことが,医師への学びのすべてであったわけです。……

(中略)

 さて,このように学校教育制度が整うまでの医師養成過程は,徹頭徹尾,患者を前にしての,いわば「臨床実習」だったわけです。しかし,長い長い人類の歴史は,医師が患者を前にして,その病気の診断および治療で,悪戦苦闘し,何とかその病気の構造に立ちいろうとする過程を通して,膨大な知見を文化遺産として積みあげてきました。その結果,そのような文化遺産を修得させることなしに,医師を養成することができない時代に至ったのであり,これが医師養成のための,近代の学校教育制度の始まりです。もちろん看護師養成も,同じ理由から看護大学を必要とするに至りました。

 そして,蓄積された,医師に必要な文化遺産とは,大きく二重構造としてとらえることができます。一つは,当然に医師が歴史的に対象にしつづけてきた,人間の病気に直接関わる知見であり,もう一つは,目の前の病気を理解するために必須となった,人間の正常な構造と機能に関する知見です。

 ここで最も重要なことは,人間の正常な構造と機能に関する知見とは,あくまで,医師として,人間の病気を知るための必要に迫られて,明らかにしてきたものだという点です。」(pp.141-142)


 ここでは医学教育の歴史が概観されて,当初は「臨床実習」として,師匠とともに患者を前にして医療実践を行うことが医師養成の教育のすべてであったが,病気に関する知見,および病気を理解するために必須となる人間の正常な構造と機能に関する知見の蓄積が膨大になり,それを文化遺産として修得させることになしに医師を養成することができなくなったために,医師養成のための学校教育制度が整ってきた,ということが説かれている。

 これを踏まえて,医学生がどのような学び方をすればいいかについては,以下のように説かれている。

「以上のような歴史的事実を辿ってみると,現代の医学教育のカリキュラムが持つ問題点が,おのずと浮上してくることになります。それは端的にいえば,本来医師としての学びは,「臨床→基礎→臨床」でなければならないのに,現代の医学教育は,「基礎→臨床」となっている点です。

(中略)

 ……ではこのことによって,つまりみなさんのカリキュラムが,「基礎医学」→「臨床医学」→「臨床実習」となっていることによって,医学生としての学びに,どのような欠陥が生じているのでしょうか。

 それは,「臨床→基礎→臨床」の,最初の「臨床」が抜け落ちて,いきなり「基礎」から始まることによって,医学生はその「基礎」の学びの目的および意義がほとんど理解できず,その結果「基礎」の学びが,非常に浅いもので終わってしまうということです。つまり,「臨床」の学びに生かせるような,「基礎」の学びができないでいるのです。」(pp.146-148)


 ここでは,現代の医学教育のカリキュラムでは,「臨床→基礎→臨床」の,最初の「臨床」が抜け落ちているために,「基礎」の学びの目的および意義が理解できず,「基礎」の学びが非常に浅いものとなってしまっていると説かれている。逆からいえば,本来医学生は,「臨床→基礎→臨床」という順序で学んでいき,「基礎」の学びの目的および意義を十分に理解したうえで,「基礎」を学んでいくべきであり,そうしてこそ「臨床」に生かせるような「基礎」の非常に深い学びが可能となるのである,ということである。

 このように,医学教育の歴史を踏まえて,現代の学生がどのように専門課程を学んでいけばいいのかを提示することができるというのは,基本的には「個体発生は系統発生をくり返す」からであろう。すなわち,「人類」という一人の人間が,医師として実力をつけるべく辿ってきた系統発生の歴史を,医学生たる個々人も同様に辿っていく必要があるのであり,そうしてこそ,真に実力ある医師として成長できるのである,ということである。

 このようにしてこそ,「基礎」を学ぶ必然性が理解できるのであり,その「基礎」を活かした「臨床」も可能となってくる,ということだろう。

 同様のことは,臨床心理士にもいえると思う。すなわち,臨床心理士も,心理臨床の歴史なり,心理臨床がどのように教育されてきたのかの歴史なりを,しっかり辿り直す必要があるのであり,そうしてこそ,真に実力のある臨床心理士になれるというものであろう。

 筆者の周りには,認知行動療法やブリーフセラピーといった,今はやりの心理療法を専門としている若い臨床心理士がたくさんいる。しかし,彼ら・彼女らは,自分の専門としている認知行動療法やブリーフセラピーの技法習得には熱心である(このこと自体は,悪いことではない)が,派閥意識が強いためか,他流派を学ぼうという姿勢に乏しく,フロイトの理論や精神分析学などは,見向きもせず,ただただよく言われている決まり文句の批判をくり返すだけである。

 しかし,フロイトは,当時どうにも手の付けられなかったというより,気が狂ってしまったということで放置されていたようなヒステリーや強迫神経症の患者を,言葉のやり取りだけで治してしまうという,驚くべき業績をあげた人物であり,彼の理論や彼が重視した原則などは,それなりの必然性があって生まれてきたものである。そういうものを無視して,現在はやりの技法に飛びついているだけでは,学びの質が浅くなってしまうのも当然であろう。

 本来であれば,心理臨床の歴史をしっかりと辿り返し,フロイトの理論や原則はどのような必然性で生まれてきたのか,それが時代の変遷とともにどのように批判されて行動分析学やロジャースの理論,さらには認知療法やブリーフセラピーが生まれてきたのか,どのような条件下においてフロイトの原則は今でも生きており,どのような条件ではこれを修正していく必要があるのか,といったことを,しっかり把握していかなければならないと思う。これが実力ある臨床心理士になるために求められる,専門領域の歴史の学びであろう。

 また,筆者は,いまだに科学的学問体系からは程遠い臨床心理学を,少なくとも認識学の一領域として体系化していくことを志している。医学の場合は,すでに瀬江千史先生らによって,科学的学体系が完成されつつあるので,それを医学の全体像として学んでいけばいいだけ(?)であるが,臨床心理学は,いまだにその全体像を提示できるレベルには至っていない。そうであるならば,瀬江先生らが研鑽されたように,自らの専門分野の歴史もしっかりと学んで,実践の中から論理を引き出していくことによって,科学的学問体系の構築を目指すべきであり,そのためにも,専門領域の歴史を辿り返すことは必須といえるのである。

 単純に臨床心理士としての実力を向上させるためだけではなく,科学的な学問体系を構築するためにも,心理臨床の歴史をしっかりと辿り返し論理化していくことが今後の筆者の課題であると考えている。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月26日

弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想(3/5)

(3)クライエント理解も全体から部分へ

 前回は,『医学教育 概論(3)』において医師にとっては必須であると説かれている一般教養の実力は,臨床心理士においても同様に必須であることを説いた。すなわち,臨床心理士は人間の心の問題の見立てと,その解決に向けた介入を専門としているが,人間の心の問題の見立てとその解決について学ぶためには,その前提として「人間とは何か」が分かっておらねばならず,人間は,自然的外界および社会的外界と相互浸透することによってこそ生きて生活していける存在であるがゆえに,人間が相互浸透するところの自然や社会について,しっかりと学んでおく必要があるのであり,これが一般教養の必須性である,ということであった。特に,人間の心の問題は,社会との相互浸透によって生じることが大半であるために,臨床心理士の社会についての学びは医師以上のシビアさが求められる,という点についても触れておいた。

 今回は,『医学教育 概論(3)』で「学びの王道」として説かれている方法論について,実力ある臨床心理士になるためにはという観点から説いていきたい。

 本書の「第15課 医師に必要な一般教養の実力を自ら養うにはどうしたらよいのか」の(2)では,「全体像を描きそれを把持して部分の学びに入るのが学びの王道である」として,次のように説かれている。

「以上,熱心な読者の切実な質問に答えて,教養科目の,実力のつく学び方についてお話しました。ここで,みなさんに,ぜひわかってほしいことがあります。それは,実力をつけるには,実力をつける学び方がある,ということです。この方法については,本講義でもくり返し説いていますので,周知のこととは思いますが,一言でいえば,必ずまずは全体像を描いてから,それをしっかりと把持しながらそれらの部分に入る必要があるということです。」(pp.105-106)


 すなわち,最初に全体像を描くことが肝心であり,その後,それを踏まえて部分に入るのが学びの王道である,ということである。

 ここで少し考えてみたいのは,「学びの王道」とは一体どういうことか,という点であり,もう少し絞っていうと,「学び」とは何か,という点である。学びとは,基本的にはある対象についてよりよく知っていく,きちんと理解していくということではないだろうか。したがって,「学びの王道」とは,ある対象についてきちんと理解するためのもっとも適切な方法,というくらいの意味であろう。

 そうすると,この全体から部分へという学びの王道は,われわれがクライエントの心の問題を見立てるとき,アセスメントする時にも,当然に辿らなければならない道である,ということになる。というのは,見立てとかアセスメントとかいうのは,クライエントの言動からクライエントの心の状態をよりよく知っていくことであり,きちんと理解していくこと,端的にはクライエントについて学んでいくことに他ならないからである。見立てやアセスメントがクライエントについての学びであるとするならば,当然に「学びの王道」を活かしていけるはずであるし,活かしていかなければならないということになる。

 では,われわれ臨床心理士が,クライエントについて学んでいく,クライエントの見立てをするというとき,クライエントの全体像とは一体何であろうか。それは,端的にいうと,クライエントが生まれてから現在までに経験してきたことのすべてである。人間は自然的外界・社会的外界との相互浸透によって生きている存在であるから,目の前のクライエントは,一個人として,生まれてからこれまで,どのような自然的外界・社会的外界と相互浸透してきたか,ということを押さえておかなければならない。人間の認識は関わる(反映する)社会によって創られていくものであるため,心の問題をきちんと理解するためには,どのような社会的外界と相互浸透してきたのか,という点に特に注目する必要があろう。

 もちろん,性別を押さえたり,年齢による発達段階を考慮したりすることは,当然の前提である。それらを踏まえたうえで,クライエントがこれまでどのような小社会に暮らしてきたのか,どのような社会的外界と相互浸透してきたのか,という点を把握する必要がある。これがクライエントの全体像ということになると思う。要するに,これまでのクライエントの経験全体を辿り返し,それを大雑把に描ければ,クライエントの全体像を描けたことになるのである。

 クライエントの全体像を把握する際,まず肝心な点は,家庭環境である。保育園や幼稚園に行くまでは,そして行くようになってからも,人間にとって最も原基的な小社会は家庭であり,人間の認識を創っていくいちばん基本的な社会は家庭であるといえる。だから,小さいころの家族構成を聞いたり,主な養育者やその育て方はどうだったのか,親子関係や兄弟関係はどのようなものであり,それはどのように変化していったのかを聞いたりして,アバウトな家庭環境を描けるようにする必要があると思う。

 さらに,その家庭環境を取り巻く小社会の地域性,時代性も,しっかりと押さえておく必要があろう。簡単な例でいうと,大都会で育ったのか,それとも田舎で育ったのかによって,あるいは,昭和の中ごろに育ったのか,それとも平成の世に生まれたのかによって,認識の創られ方も違ってくる。このような地域性や時代性について勉強することも,一般教養の大事な中身だと思う。

 現代の日本人は,一般的に,保育園・幼稚園から,小学校・中学校・高校へと進み,半分くらいが大学に進学して,何らかの会社に入って就労する。したがって,保育園から会社までのそれぞれの小社会がどのようなものであったのか,その小社会とどのように相互浸透してきたのか,ということも,次に把握すべき大切な点である。それぞれで,どのくらい友人がおり,どのくらい遊んだのか,どのような遊びをしたのか,勉強はどのくらいしたのか,どのような本を読みどのようなテレビを見てきたのか,恋愛はどうであったのか,クラブ活動はどのようなものであったのか,自分に影響を与えたどのような出来事があったのか,などを必要に応じてきちんと聞き取っていくことが大切である。

 さらにいうと,結婚して新たな家庭を築いている場合は,その新しい家庭環境も,そのクライエントの認識を創っていく大きな要素となる。したがって,その家庭環境もしっかり把握して,どのような相互浸透が起こっているのかを,しっかりと見定める必要もあろう。

 こういったクライエントの全体像を押さえたうえで,クライエントの困りごと,心の問題へと入っていくべきだと思う。なぜなら,クライエントの困りごとというのは,クライエントの全人生からすれば部分であり,その部分に入るには,今まで説いてきたような全体像を押さえておく必要があるからである。それが「学びの王道」だからである。

 このようなクライエントの全体像を押さえたうえで部分=クライエントの困りごとに入っていかないと,部分を部分としてのみ見ることになり,なぜそのような困りごとが生じてきたのか,どのような介入を行えば(どのような社会的外界と相互浸透させれば)解決・解消していくのか,ということが,まったく見えなくなり,介入が場当たり的になりかねない。

 たとえば,視線恐怖を伴う社交不安障害のために,大学で他者に積極的に話しかけて,関係を構築していくことができないというクライエントがいたとする。クライエントの全体像を押さえていないと,視線恐怖が会話の阻害要因だと勝手に思い込んでしまって,視線恐怖を治すためにセラピストと視線を合わせ続ける「にらめっこエクスポージャー」を無理やり導入して,クライエントの抵抗が強まって,治療が中断する,などということも起こってくる。

 ところが,全体像を押さえるためにこれまでの生活歴を尋ねていくと,中学時代にいじめに遭い,その後不登校となって,何とか中学は卒業したものの,通常の高校に進学することもできずに,通信制の高校に進学してそこを卒業して,その後何とか大学に入ったということが分かったとする。不登校から通信制高校の間は,ほとんど友人らしい友人もおらず,友人とのおしゃべりの経験が極度に欠如していたため,「会話を続ける」というスキルがないことが判明した。このような場合は,適切なコミュニケーション指導(SST)によって,会話を続けるためのスキルの獲得を目指せば困りごとが解消する可能性が高いということが分かる。

 もちろん,ここで単純化して示した事例のように,簡単に介入法が見い出せ,すぐに問題が解決する事例ばかりとは限らない。しかし,全体があっての部分であり,過程があっての結果なのであるから,全体(過程)が分からなければ,部分(結果)もきちんと理解することはできないのである。

 このように,全体を踏まえて部分に入っていくとか,過程を踏まえて結果を理解していくというのは,非常に弁証法的な学びのあり方だと思う。弁証法的に学ぶとは,全体を貫く法則性をまずは掴んで,それを指針として部分に入っていくことを意味するからである。したがって,「学びの王道」とは,弁証法的に対象を学んでいくということであり,それは,対象が医学であれ,目の前のクライエントであれ,共通した方法論であるといえるだろう。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月25日

弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想(2/5)

(2)臨床心理士にも一般教養は必須

 本稿は,臨床心理士である筆者が『医学教育 概論(3)』を読んで学んだことを,主として専門分野をどのように学んでいけば実力ある心理士になれるのかという観点から,説いていくものである。

 はじめに『医学教育 概論(3)』の位置づけを紹介しておきたい。『医学教育 概論』シリーズは,第1巻および第2巻で第1部が終了している。第1部では,医学生が目指すべきゴールである「医師とは何か」が具体的に説かれてきた。第3巻から始まる第2部においては,第1部の内容を踏まえた上で,いよいよ医学部の6年間ですべての科目をどのように学んでいけば医師としての実力がついていくのかが説かれていくのである。中でも,第3巻と続く第4巻では,一般教養と基礎医学の学びに焦点があてられている。

 このような位置づけ・中身であるからして,どのような学習をすれば臨床心理士としての実力がついていくのかという観点から見れば,まずは一般教養に注目すべきであろう。というのは,一般教養というのは,もちろん,それぞれの専門分野に応じて,学ぶ中身や学び方に若干の違いが生じてくるとはいえ,大筋でいえば,どのような専門分野に突入することになろうとも,その専門を学ぶ前提として把握しておくべき文化遺産の学びであるという点では,大きな共通性があるからである。ましてや,前回少し触れたように,医師と臨床心理士は,その専門性が似通っており,医学と臨床心理学は近接領域といっても過言ではないのであるから,『医学教育 概論(3)』で説かれている一般教養の中身や学び方は,われわれ臨床心理士にとっても,非常に重要であると考えられる。

 本書では,第13課から第15課の半ばにかけて,かなりのページ数を割いて一般教養の重要性やその中身,その学び方が説かれている。まず,なぜ一般教養を学ばなければならないのかについて,以下のように説かれている。

「医師とは「人間の病気の診断をし,治療をする」のが専門でした。医学生のみなさんがここからはっきりとわからなければならないことは,医師が対象とするのは,「病気」であるけれども,それは「人間の」病気であるということです。……

 ……医師になって,みなさんが対象とするのは「人間の病気」なのですから,「病気」を勉強する前に,まず「人間」を学ばなければなりません。」(p.30)


「人間はこのような,自然的外界および社会的外界と相互浸透すること(関わりを深めていくこと)によって生まれ,育ち,学校生活を送り,そして社会人になって人生を生きているのであり,その相互浸透の深まり方の構造が,その過程のあり方が理解できていなければ,そこからしか誕生してこないほとんどの病気の中身,すなわち診断して治療する実体を,医師として理解することは,まず不可能になるのです。

 そして,この自然を,そして社会を,さらにそれらとの相互浸透の深まりを教える(わからせていく)のが,一般教養科目の中身であり教官達の実力でなければなりません。すなわち,医学教育における一般教養科目は,あくまで医師として実際の診断と治療を行うアタマをつくるために必要不可欠なのであり,また医師としてのアタマづくりに役立つように,学ばなければ,学ばせなければならないものなのです。」(pp.32-33)


 要するに,「人間の病気の診断をし,治療をする」ことを専門とする医師になるためには,その前提として,「人間」を学ばなければならないが,その人間という存在は,自然的・社会的外界と相互浸透することによって生きて,生活するものであるから,その自然的・社会的外界,およびそれらとの相互浸透のあり方を一般教養として学んでおく必要がある,ということである。

 これはそのまま臨床心理士にもあてはまる論理であろう。すなわち,臨床心理士は人間の心の問題の見立てとその解決に向けた介入を行うことが専門であるから,医師の場合と同様に,「心の問題」以前に,「人間」を学ばなければならないのである。そして,人間とは,自然的外界・社会的外界と相互浸透してこそ生きていける存在であり,心の問題もこれらの相互浸透の中でしか生まれてこないものであるから,人間が相互浸透するところの自然を,そして社会を学ぶ必要があり,それらとの相互浸透を学んでいく必要があるのである。これが臨床心理士にとっても一般教養が重要で必須であるゆえんであろう。

 自然,および自然との相互浸透については,『医学教育 概論(3)』の第15課で説かれているように,まずは中学校の教科書レベルのもので,理科と保健体育を勉強することが,臨床心理士にとっても必要なのではないだろうか。臨床心理士は,どうしても「心」に目が向いてしまいがちであるが,歪んだ自然との相互浸透や,まともな自然であっても,それとの歪んだ相互浸透によって,人間の生理構造が歪み,そこから心が歪んでいく,という場合も決して少なくない。典型的な例としては,偏食である。糖分のとりすぎによって血糖値が乱高下すれば,イライラや疲労感が生じるし,微量元素のアンバランスで不安障害やうつ病が助長されるということもよくいわれる話である。このような食べ物ばかりではなく,陽光や新鮮な空気等も,人間が健康的に生きて,生活していくためには不可欠の自然的外界といってもよいものであり,これらが歪んでしまうと,精神的な歪みも媒介されかねないのである。したがって,こういった自然的外界について,きちんとした全体像を把握する必要があるのであり,そのための最初の教材としては中学校の理科や保健体育が最適,ということになるのである。

 社会や,社会との相互浸透については,臨床心理士は医師以上に一般教養の実力が必要となると思われる。なぜなら,人間の認識は,歪んだ社会との相互浸透や,社会との歪んだ相互浸透によってこそ歪んでいくものであり,心の問題の大半は,社会関係の中でこそ生じてくるものだからである。このことに関して,『医学教育 概論(3)』では,「人間は社会的存在である」として,次のように説かれている。

「この事実(人間の赤ん坊は,母親が抱いて,乳首を含ませなければ,乳を飲むことができないということ――引用者註)に象徴されるように,人間は生きるための多くの本能が弱められ,代わりに,周囲から育てられることによって,育てられたように育っていく存在になったのです。つまり,人間は外界を反映した像を脳に形成し,その像をもとにして生生発展させた像=認識に基づいて生きていく存在となったのです。そして,脳にどのような像が形成され,その像がどのように生生発展していくかは,生まれた瞬間から,どのような育てられかたをするのかによって,決まっていくのです。

 これが,人間と他の動物との,一番大きな違いです。すなわち,同様に群れとしてしか生きられないといっても,生きる条件さえ満たせば,犬は1匹でも本能によって犬として育つのに対して,人間は,人間社会の中で育てなければ,人間として育たない存在なのです。」(pp.78-79)


 ここでは,人間は本能に代わって認識に基づいて生きていく存在となったのであるから,人間社会との相互浸透によってしか人間は人間として生きていくことができないのだ,どのような人間社会とどのような相互浸透をしてきたのかによって人間は規定されるのだ,ということが説かれている。

 したがって,人間と社会の相互浸透を媒介するところの認識を把握し,認識の問題の解決を目指す臨床心理士は,社会に関する一般教養の実力がシビアに要求されるのである。

 では,どのような学びをすればよいのか。『医学教育 概論(3)』に従って検討していきたい。本書では,「〔人間社会〕をイキイキとした像として描くために,まず必要なことは,日々新聞を読むこと」(p.84)であると指摘されている。さらに,「新聞で報じられる日々のさまざまなできごとを,きちんと整除して考えることのできる,いわば〔人間社会〕の枠組みを,みなさんのアタマの中に,しっかりとつくっておくこと」(p.85)も必要だと説かれている。これは,中学校の公民の教科書で,「経済」とか「政治」とかをきちんと勉強することに相当するのだろう。また,もう一つの大事なこととして,「現在の社会に至る歴史を知ること」(p.88)も挙げられている。

 筆者は最近,中学レベルの学習はもう卒業したとして,高校レベルの社会の教科書や新書などで社会の学習を進めている。しかし,まだまだ〔人間社会〕の枠組みをきちんと理解していないように感じているので,この機会に基本に戻り,中学校の歴史や公民の復習をしたいと思った。

 さらに臨床心理士としては,南郷継正先生が『看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』の「第二編 看護に必要な「認識と言語の理論」」「第一章 看護における観念的二重化を説く」「第八節 「人間とはなにか」をわかるための学び」で説かれているように,学校の教科書程度では大きく不足している「時代の心,社会の心,人の心」をしっかりと学ぶべく,歴史を題材とした時代小説や人間の心を主題にしている小説,さらに社会派とされている推理小説なども,しっかり読んで,人間とは何かをしっかりと学んでいきたいと思った次第である。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想(1/5)

目次

(1)どうすれば実力ある臨床心理士になれるか
(2)臨床心理士にも一般教養は必須
(3)クライエント理解も全体から部分へ
(4)心理臨床の歴史を辿る必要性
(5)対象と武器を弁証法的に学ぶ


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(1)どうすれば実力ある臨床心理士になれるか

 本稿は,一会員による瀬江千史・本田克也・小田康友『医学教育 概論(3)』(現代社)の感想文である。本書は,タイトルにあるように「医学教育」がテーマである。医学教育には社会的な関心も高く,以下のような新聞記事もあった。

「医学教育「脱ガラパゴス」,臨床実習,受け身から参加型へ――京大,学生は見学→直接問診,信州大,班ごとに現場→個別に。

 独自のスタイルで発展してきた日本の医学教育が,国際化の波を受けて大きく変わろうとしている。従来の臨床実習は見学主体の「受け身型」だったが,欧米で一般的な,学生が実際に患者と接する「参加型」へ転換。実習期間も延長しようと,各大学はカリキュラムの見直しを急ぐ。背景には,海外で進む医学教育の国際標準化の動きに加え,「海外で学ぼうとする学生や医師が少ない」との危機感がある。

 「医学生が主体的に考え,学ぶよう改める」。今年度からカリキュラムを大きく改編した京都大学医学部の新たな教育方針について,京大医学教育推進センターの小西靖彦教授はこう説明する。

 従来の一般的な臨床実習は,診察や治療を行う医師の傍らで学生が見学する形式。だが今後は学生が直接問診したり,症例検討会に参加して治療方針を自分なりに考えたりする内容に変える。

 実習期間もこれまでの59週間から73週間へと大幅に増やし,海外での臨床実習の参加も後押しする。小西教授は「数十年間ほぼ同じだったカリキュラムが,これから数年間で大きく変わる」と強調する。

 信州大学医学部は今年度から臨床実習の開始時期を半年前倒しし,4年生の9月から始める。従来,実習時は学生6人で一班を編成していたが,一人ひとり個別に現場で学ぶよう改める。

 県内の約30病院に協力を求め,150コースから学生が実習内容を選べる体制を整えた。ただ「受け入れ側に指導経験が無く,どこまで学生に任せていいか戸惑いも多い」(信州大医学教育センターの多田剛センター長)といい,現場の医師に直接説明して理解を求めている。」(日本経済新聞 2014年9月1日 朝刊)


 ここでは,国際化の影響で日本の医学教育が変わろうとしており,その中身は臨床実習を「受け身型」から「参加型」に転換し,実習期間も延ばそうとするものである,と紹介されている。

 しかし,このような医学教育改革は,ほぼ確実に失敗するであろう。そのことは,本『医学教育 概論(3)』を含む『医学教育 概論』シリーズの読者であれば常識である。たとえば,京大医学部では実習時間を大幅に伸ばし,実習の形式も見学型から直接問診型へ変えるとしている。しかし,実習時間を伸ばせば,それだけ,基礎医学や臨床医学についての座学の時間が短くなるということである。医学の知見は膨大な量になっており,それを習得するのに必然的に長時間の座学が要求されたからこそ,現在のようなカリキュラムになっているのではないのだろうか。単純に実習時間を伸ばせば解決するというような問題ではない。また,実習でいきなり問診するというが,はたしてそれが可能であろうか。まずは見学するということは妥当だと思われる。見学が受け身で直接問診が参加型だという捉え方自体が形而上学的なものである。問題意識をもって見学に臨めば,それは受け身ではなく参加型といえるはずであるから,論点はいかに問題意識をもって実習に臨ませるか,ということではないだろうか。また,信州大学医学部の方でも,実習の開始を前倒しすれば,それだけ基礎医学・臨床医学の学びがおろそかになるのは当然であろう。6人で一班だったのを個別に学ぶようにすることも,単純にいいことだとは言い難い。グループで議論しながら理解を深めていくということができなくなるからである。そして受け入れる側に指導経験がないということまで述べられており,このような方針転換が実を結ぶかどうかは,かなりあやしいといわざるをえない。

 何よりも一番本質的な点をいうと,科学的医学体系がない状態で,いくら医学教育改革を行っても徒労に終わるということである。なぜなら,科学的医学体系を把持して,それを適用することによってこそ,初めて見事な医療実践となるのであり,科学的医学体系を踏まえてこそ,そのような見事な実践を行える医師を育てる医学教育が可能となるからである。また,もう少し細かい点にも触れるとするならば,教育界全般に上達論がないために,適切に技を修得させることが難しいということもあるし,そもそも,現行の医学部の入学試験制度では,必然的に受験秀才しか医師になれないようになっており,医師に必須の感覚器官の実力がかなり乏しいというハンディキャップを背負っての医師への道となるという点もある。いずれにせよ,『医学教育 概論』シリーズの成果を踏まえなければ,医学教育改革は,いつまでも失敗をくり返すであろう。

 さて,本稿では,臨床心理士である筆者が,『医学教育 概論(3)』を読んで学んだ内容を認めていく。これまでも,「心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想」「全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想」「必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想」という3つの感想文を執筆してきた。本稿はこれらの続編である。

 なぜ臨床心理士である筆者が『医学教育 概論』シリーズの感想文を認めているのか。それには大きく二つの理由がある。第一に,認識学の構築を志す筆者としては,科学的学問体系のお手本としては,南郷学派の医学体系が最も分かりやすく,成果としてもたくさんの論文や著作が発表されているからである。その南郷学派の医学関連の著作の中で,最新のもの,いわば現時点での到達点であると考えられる『医学教育 概論』シリーズを本格的・主体的に学ぶために,このシリーズの感想文を認めて,ブログに投稿することにしたのである。

 『医学教育 概論』シリーズを取り上げた第二の理由は,本シリーズで扱われている専門領域が,筆者が専門としている心理臨床に非常に近いからである。医師は,人間の病気の診断と治療を専門とする職種であるが,われわれ臨床心理士は,いわば人間の心の問題のアセスメント(心理的見立て)とカウンセリング(心理療法)を専門とする職種である。現場としても,実際,筆者は精神科の病院に勤務しているし,精神科医と連携をとりながらクライエントの援助を行っている。したがって,医師と臨床心理士,医学と臨床心理学,医療と心理臨床は,非常に近い関係にあるといえるのであるから,前者について説かれている『医学教育 概論』シリーズは,後者にとってもほぼ直接に非常に多くのことが学べると期待できるのである。これが臨床心理士である筆者が『医学教育 概論』シリーズを取り上げる第二の理由なのである。

 以上のような理由から,『医学教育 概論』シリーズを取り上げていくわけであるが,本稿では主として,専門分野をどのように学んでいけば,実力ある臨床心理士となれるのかという観点から,学びとったことを綴っていきたいと思う。

 具体的な感想は次回以降に認めるとして,今回はいつものように,『医学教育 概論(3)』の目次を提示することによって終えたい。あいかわらず,目次を見ただけでもわくわくするような内容であるし,非常に論理的な展開になっていることが分かるというものである。



医学教育 概論 (3)



第12課 医学部6年間の学びの全体像を描く必要がある

 (1) 6年間の学びの全体像を説くのが本来の「医学概論」である
 (2) 「医学概論」の学びが6年間の学びの質を左右する
 (3) 大学のカリキュラムは医師への道を示す地図である
 (4) カリキュラムの歴史的変遷を概観する
 (5) 教養科目が大きく削減された現代医学教育
 (6) 一般教養の実力のなさが専門科目の学びを歪ませる
 (7) 「人間の病気」を専門的に学ぶ前に「人間」を学ばなければならない
 (8) 人間とは何かを学ぶに必須の一般教養科目
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 12 ―

第13課 人間とは何かを学ぶ一般教養の重要性

 (1) 一般教養の軽視が招いた医師の質の低下
 (2) 医師に必要な,人間が生きて生活している全体像の欠落
 (3) 基礎医学や医療倫理の学びだけでは人間の全体像は描けない
 (4) 人間は自然的外界・社会的外界との相互浸透によって生きている
 (5) 自然的外界との相互浸透の歪みが人間の生理構造を歪ませる
 (6) 人間を自然的外界の中に位置づける視点をもったナイチンゲール
 (7) ナイチンゲールの視点は一般教養の学びによって培われた
 (8) 教養科目の現状から本来の意義を見誤ってはならない
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 13 ―

第14課 人間は社会的存在であることを理解することが重要である

 (1) 一般教養の実力なしに専門科目の筋道を通した理解は不可能である
 (2) 人間は社会的存在である
 (3) 社会的につくられた認識によって生理構造が歪んでいく
 (4) 人間社会を学ぶための社会・人文科学系科目
 (5) 人間社会をイキイキと描くための学びの重要性
 (6) 人間社会の理解のために必要な歴史の学び
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 14 ―

第15課 医師に必要な一般教養の実力を自ら養うにはどうしたらよいのか

 (1) 一般教養の実力養成は中学の教科書の論理的な学びから
 (2) 全体像を描きそれを把持して部分の学びに入るのが学びの王道である
 (3) 学問的一般教養の学びが科学的理論を求めさせる
 (4) 医学教育の欠陥の源流をウィルヒョウ『細胞病理学』にみる
 (5) 専門課程の全体像を概観する ―「基礎医学」「臨床医学」「臨床実習」
 (6) 専門課程の全体像を理解する鍵となる医学教育の歴史
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 15 ―

第16課 医学教育の歴史から説く専門課程の学びの王道

 (1) 医学生がカリキュラムから描く医学教育の全体像
 (2) 問題基盤型学習では医師としての実力をつけることができない
 (3) 専門課程の全体像をつくるのに必要な医学教育の歴史と科学的医学体系
 (4) 臨床医学の前に基礎医学を学ぶ本当の意義を理解しよう
 (5) 医療実践の必要性から人間の正常な構造と機能は究明されてきた
 (6) ベルナールは,生理学は疾病解明のためにこそ必要であると位置づけた
 (7) 医学生が辿るべき学びの王道は「臨床→基礎→臨床」である
 (8) カリキュラムの中身のつながりの構造を明らかにする「医学体系」
 (9) 学問的作業によって構築された「医学体系」こそが専門課程の全体像となる
 (10) 専門課程の全体像とは「医学体系」の一般像である
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 16 ―

第17課 科学的医学体系から説く専門課程の全体像

 (1) 「実力ある医師とは何か」のゴールを明確にして,6年間の学びの全体像を考える
 (2) 「臨床→基礎→臨床」の過程的構造を考えなければならない
 (3) 現代の医学教育論には体系的な科学的理論がない
 (4) 「医学体系」の一般像である専門課程の全体像を概観する
 (5) 病気には病気になる過程があるということの理解の重要性
 (6) 「病態生理」は病気へ至る全過程の一部にすぎない
 (7) 学問的に概念規定した「病気とは何か」「治療とは何か」
 (8) 正常な生理構造を理論化した「常態論」 ―「生理論」との区別と連関
 (9) 基礎医学を総動員するだけでは常態論にはならない
 (10) 十九世紀に医学体系の構造の骨子を提示していたベルナール
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 17 ―

第18課 一般教養を土台とした専門課程の体系的学び

 (1) 「医学体系」の構造論の理論的つながりを示す
 (2) 「医学体系」を表象レベルで描く ―専門科目の学びを全体像に収斂するために
 (3) 病気には外界との相互浸透によって生理構造が歪んでいく過程がある
 (4) 自然的外界との相互浸透の歪み ―自然的外界そのものが歪んでいる現代
 (5) 社会的外界との相互浸透の歪み ―現代社会がもたらす生理構造の歪み
 (6) 病気への過程・回復への過程の究明は学的弁証法によって可能となった
 (7) 医師の診断・治療実践の大本となる常態論
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 18 ―

第19課 医師の実力養成に必須である基礎医学の学び

 (1) ワークショップにみたハワイ大学方式のPBL概要
 (2) 症状へのアプローチに長けた日本の学生と,基礎医学の実力のある台湾の学生
 (3) 基礎医学の実力なしには臨床問題解決の実力はつかない
 (4) 医師は常態論における人間の内部構造を熟知していなければならない
 (5) 人間の正常な内部構造を学ぶ解剖学と組織学
 (6) 受精卵が人間の体の構造を形づくる過程を学ぶ発生学
 (7) 基礎医学で学ぶのは人間という実体の構造と機能である
  医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 19 ―


posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約(10/10)

(10)要約I――言語規範の拘束性と継承、国際語

 前回は、「第3章 規範の諸形態」のうち、「3 自然成長的な規範」「4 言語規範の特徴」についての要約を紹介しました。そこでは、道徳は自然成長的な規範の1つであり、個人の頭の中に存在するが、この存在を外部から直接に見ることはできないため、道徳を論じる学者は規範だけでなく行動をも道徳のうちに押しこんでしまうという理論的なふみはずしが起こること、また、言語規範も自然成長的な規範の1つであるが、まったく恣意的につくり出せるものではなく、実際に表現についての経験を重ねるうちに、いつしか身につくという方法で獲得するものであることが、言語との区別も含めて展開されていました。

 さて、最終回となる今回は、第3章の残りの部分、すなわち「5 言語規範の拘束性と継承」「6 国際語とその規範」の要約を紹介します。ここでは、言語規範の拘束性や継承の特徴が述べられた後、人工語としての国際語の言語規範について説かれていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5 言語規範の拘束性と継承

 規範は「外界」の意志としてわれわれの行動を規定してくるから、これは他からの拘束ということもできるが、この拘束に対して必ずしも不満や抵抗を感じているわけではないし、いつでも拘束を意識しているわけでもない。娯楽やスポーツの規範は、この拘束によって楽しむことが可能になるし、法律や言語規範はつねに意識しているわけではない。規範は意識して規定されるばかりでなく、無意識のうちに規定されるように変化していくのであって、意識しないから存在しないとか拘束されていないとかいうことにはならない。それは、自分の外部でつくり出された規範による規定であっても、外部から直接に行動が規定されるのではなくて、自分の頭の中に複製された意志が「外界」となってこれから媒介的に規定されるという、観念的な対象化のあり方を検討してはじめて理解できる問題である。それゆえ、言語規範に従わないとか言語規範を意識しないとかいう経験的な事実から、その拘束性を否定したりこれに規定された行動を単なる習慣に解消させたりすることはできない。この点で時枝の主張はあやまっていた。

 時枝は、規範を外部にあるものと考え、その拘束力を否定し、しかも言語における頭の中の拘束性を認めなければならなかったから、これを規範と無関係の・言語表現以前から持っている・「整序能力」の作用として説明したのであるが、事実は反対であって、頭の中の規範が無意識のうちに表現や理解の成立を媒介するようになることが、「整序能力」を獲得したことなのである。習慣に反することも、規範を無視したいいそこないの場合と新しい規範を設定した新語の場合と、2つを認めなければならない。いいそこないか否かは、規範にもとづいているか否かによって区別される。

 言語規範の拘束性を問題にするときには、意志の自由の問題についてふりかえってみる必要がある。言語規範が1つの精神的な拘束性であることにはまちがいないが、まさにこの拘束において精神的な交通という共同利害が実現し、自由に会話を交わすことが保障されているのであるから、拘束性と自由とを1つの矛盾として統一してとらえず、これを切りはなして拘束性のないところに自由が与えられるかのように即断してはならない。言語規範の発展は矛盾の発展であるから、一面拘束性の発展であるとともに、他面では自由の拡大でもある。敬語とよばれる特殊な規範の発展は、拘束性の発展であり煩雑さをますものであるが、一定の限界でのこの種の規範の存在は表現の自由を拡大し相手に対する自分の尊敬感を示すものとして、その合理性を認めなければならない。

 経験の獲得には、個別的な事物についての経験がくりかえされる中で、その感性的な認識が頭の中に固定化されて意識せずにこれから規定されてくる場合(よっぱらっても道をまちがえない)と、その特殊性を超えて普遍性をつかむ経験が必要な場合(言語表現)とがあるが、時枝は両者の区別と連関をとりあげていない。

 スターリンは、子どもが親の発音をまねるのを言語が「与えられ、かつ受けつがれる」ものと現象的に解釈するが、これはまちがっている。子どもが親の音声をまねるのは、たとえそれが音声の模倣でしかなかったとしても、子どもの認識の表現であり、さらにすすんではくりかえしの中で規範を抽象し固定化することができる。音声の模倣も、自主的な表現の萌芽形態なのである。


6 国際語とその規範

 スターリンには、特殊性を普遍性と規定してしまう発想法があり、マルクス主義の諸文献がこの発想法によって修正されて説かれているのが問題である。彼の言語論においては、民族語のみを言語と認めていて、その内部の諸グループの特殊規範による表現を言語と認めない。ここでも特殊性を普遍性と混同しスリ変えたわけである。スターリンが言語の本質と関係のないさまざまな特殊性を持ち出して言語と非言語とを区別する基準にした(文法構造をもっていない、基本単語のたくわえがない、社会全体にとって役立たない)のは、その発想法の論理的なあやまりや言語研究の未熟さだけではなく、彼に民族主義的な傾向があったことと関係している。スターリンの基準を適用すると、いわゆる国際語も人工的につくられて民族を超えて使われることを目ざしており、まだ「社会全体にとって」役立っていないから、これも言語とみなすことはできなくなる。このような言語論が政治家の理論としてここから言語政策が展開されると現実に害毒がおこってくる。エスペラントも、スターリンなどの政治家の圧迫を受けて、非合法的状態に追いこまれてしまった。国際語が言語であることを否定する学者はいないように思われるが、スターリンの言語論(言語の習得を単なる習慣の獲得だとする主張や、言語規範と言語表現とをいっしょくたにして言語それ自体が「受けつがれる」のだとする主張)からすれば、国際語を言語と見なすわけにはいかなくなる。

 国際語にあっては、言語表現に必要な規範は人間が創造したものであり、表現を媒介するものであり、表現とは相対的に独立した存在であることが現象的にも明らかであるが、ソシュールは、自然成長的に頭の中につくり出される民族語の規範を「言語」とよんで、これは「言」(parole)の運用によって頭の中に貯蔵されるものだと転倒させた説明を行っている。

 言語は精神的な交通のための表現であって、現実の生活に新しい種類の事物が誕生したときにはそれについて語れる工夫をしなければならないのは、民族語も国際語も同じである。国際語はまず目的的に全体の規範を創造するのであるが、この創造に際しては、現実の生活の変化に対応して規範が自然成長的に変化し発展することを保障するように、心をくばる必要がある。これは目的的な創造と自然成長的な発展とを統一させることである。

 エスペラントは、最初に用意された語彙それ自体が、ヨーロッパのさまざまな民族語のそれの最大公約数的な性格をもたされていたから、新しい語彙が必要な場合も、いわばエスペラントの考案者の精神なり方法なりを、使用者たちがそれになりにうけついで生かすことができるのである。

 国際語は人工語として、言語全体から見ればまさしく例外的な存在で、その語彙をさまざまな民族語のそれから借りているのであるから、純粋に人工的ともいいえない、不明瞭な存在である。弁証法を理解する者にとっては、エスペラントはきわめて興味ある存在で、例外もしくは不明瞭なものに関する理論を軽視しては国際語の研究は失敗してしまうのである。

 ソシュールは言語規範の拘束性を一面的に強調したが、時枝は裏がえして、規範の拘束性を否定したところに弱点があった。両者とも、規範の持つ矛盾についての理解が欠けていたためということができよう。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約(9/10)

(9)要約H――自然成長的に成立した規範の特徴

 前回は、「第3章 規範の諸形態」のうち、「1 意志の観念的な対象化」「2 対象化された意志と独自の意志との矛盾」の要約を紹介しました。そこでは、すでに成立している意志と相反する意志が生じるという問題が取り上げられていました。具体手には、意志が観念的に対象化されて、独自の意志との間に矛盾が生じることが、「禁酒禁煙」などの個別規範について、約束などの特殊規範について、法律などの普遍規範について、それぞれ述べられていました。

 さて今回は、「第3章 規範の諸形態」のうち、「3 自然成長的な規範」「4 言語規範の特徴」についての要約を紹介します。ここでは、道徳や言語規範といった自然成長的な規範について説かれていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3 自然成長的な規範

 規範はすべて目的的につくり出されるとは限らず、同じ種類の実践をくりかえすことで意識することなしに意志を固定化していく、つまり習慣の中で規範をつくり出していく可能性があり、しかもそれと意識しないばかりか、これを生れつき与えられた性質であるかのように解釈しさえする。「習慣は第二の天性」ということばは、この意志の固定化をとりあげたもので、「三つ児の魂百まで」ということばも、この意志の固定化の生涯に及ぼす影響をとりあげたものである。実践のくりかえしによる意志の固定化は、「左側通行」という交通道徳や「時間厳守」という組織生活の規律として、大人の生活にもいろいろなかたちで生れてくる。さまざまな社会生活の分野で自然成長的に規範が成立し、これらが目的的につくり出される規範とからみ合うことになる。

 これらの自然成長的に成立する規範は、まだ明文化されずにたがいの暗黙の諒解の段階にとどまっているものが多く、それらの規範を一括して「風」(家風・校風・社風・組合風・党風など)ともよぶ。意志は思想・理論をふくんでいるから、家庭の自然成長的な規範にもさまざまなイデオロギーがむすびついてくることになる。

 道徳は集団の共同利害に基礎づけられて自然成長的に生まれた、その集団にとっての普遍規範である。1つの集団の道徳は必ずしも他の集団の人びとにあてはまるとは限らない。この規範は、個人が自主的に従うように要求されているのであって、法律のように規範それ自体の中に社会的な処罰の規定をふくんでいない不文律である。「風」とよばれる自然成長的な暗黙の規範は、善悪の判断がむすびつくことによって、道徳としての性格を与えられるわけである。

 支配階級にとっての共同利害は、社会全体としては特殊利害でしかないが、法律の場合と同じように、この特殊利害を社会全体の共同利害であるかのように偽装して、これにもとづく道徳を国民全体の守るべき道徳として、被支配階級に押しつける。このような、幻想的な共同利害としての道徳を身につけ、これに自主的に従うような国民こそ、国家権力にとってもっとものぞましい国民のありかたで、戦前の天皇制においても、教育勅語という形態でいわば絶対的真理として道徳教育が行われ、さらに「修身」の教科書という形態で具体化された。

 道徳もやはり観念的に対象化された意志であり、個人の独自の意志から相対的に独立している。道徳を身につけていながら従おうとしない人びとが多くなると、もはや個人の「良心」に訴えるだけでは秩序の維持が不可能だという状態になれば、法律により強力をもってする干渉によって秩序を維持することも考えなければならない。

 法律は目的的につくり出され、文章に表現されているから、我々の日常生活のありかたから独立した存在として捉えられる。必ずしも法律に従って行動するとは限らない。ところが道徳のほうは法律と現象形態が異っていて、われわれの目にうつるのは、道徳に従って行われる行動だけである。道徳は個人の頭の中に存在するが、この存在を外部から直接に見ることはできない。この現象形態のちがいが、理論的なふみはずしの原因となり、法律を論じる学者は条文を法律とよんでそれに従う行動は法律と区別する一方、道徳を論じる学者は規範だけでなく行動をも道徳のうちに押しこんでしまうのである。このような発想は、西田哲学的解釈と本質的に同一で、規範は意志のありかたで精神にほかならないのに、これと行為・実行・生活など物質のありかたとをいっしょくたにするのであるから、精神と物質とを混同する観念論的な発想の1つである。

 道徳も法律も規範として本質的には同一であること、自然成長的な規範は目的意識的な規範への過渡的な存在であること、自然成長性は目的意識性の萌芽形態であること、が理解される必要がある。言語表現にも社会的な規範が伴っているが、これも自然成長的に生れてくるばかりでなく、つねに目的意識的につくり出されているという矛盾をふくんだ存在であり、この矛盾が言語学者をして言語規範の理解を困難にさせ、理論的なふみはずしへとみちびいているのである。


4 言語規範の特徴

 言語には語法・文法とよばれるものが伴っているが、これも一種の規範である。いわゆる民族語は、民族全体の言語表現を規定する言語規範(全体意志)によってささえられているし、さらに、方言その他特殊な地域あるいは特殊な集団の言語表現を規定する特殊な言語規範(特殊意志)もこれらとむすびついて存在している。それゆえ、言語理論にあっては、これらの規範の成立過程並びに、これらの規範が個々の言語表現においてどのように役立てられるか、その表現過程をも理論的に明かにすることが要求される。ここの特殊な規範の具体的な成立過程(いわゆる「語源」)を明かにすることは、それほど困難ではないが、規範の成立過程の一般的な・理論的な把握は困難である。これは正しい規範論が確立していなことにも影響を受けていて、規範による対象と表現とのむすびつきを事実上否定したり、さらに規範をア・プリオリに生れつき持っているものにしてしまったりしている。

 われわれは言語規範がどういう性格の規範であるかを考え、規範全体の中に位置づけてみる必要がある。言語規範はいわば精神的な交通に伴って生れた規範であるから、これを物質的な交通に伴って生れた規範(鉄道などの時刻表)と比較してみよう。

 時刻表は運転の関係者が目的的につくり出すものであり、文章の形式をとって表現される点で、法律と共通点がある。時刻表は観念的に対象化された「外部」の意志のかたちをとって、その時刻を守るように要求しているのであるが、自分の頭の中に規範を維持している運転手にしても、これから相対的に独立した彼独自の意志を持っているから、彼の独自の意志を規範に調和させることが原則であるけれども、ときには意識的にこの「外部」の意志に従うことを拒否したり、乗客の共同利害にもとづいて自然成長的に規範をつくり出したりすることもしばしば起るものである。運転のための規範と実際の運転とは関係があるが別個の存在で、両者の間にくいちがいが起ることは認められているのである。

 ところが、言語表現に必要な語法・文法などの規範は、鉄道などの時刻表とちがい、運転をはじめるにさき立って目的意識的につくり出されるものではなく、表現生活の中で自然成長的に体系化していくものである。(「命名」や「新語」など例外はあるが)まったく恣意的につくり出せるものではなく、実際に表現についての経験を重ねるうちに、いつしか身につくという方法で獲得するものである。けれども「むつかしい」ことばや「やさしい」ことばでも正しい意味などを示すために、言語表現に必要な規範を知るための手びきとして辞書がつくられる。すべての規範を集めた辞書をつくることは不可能に近いので、小辞典・中辞典・大辞典と語彙の数が様々なものがつくられたり、専門家のための特殊な辞書や「新聞用語辞典」などがつくられたりする。辞書にある説明の文章それ自体は規範を表現しているのではなく、辞書は記号のサンプルを掲げて、それらがどのような対象について用いられるかを知らせるために、その対象について説明しているだけであり、規範は対象と語彙との間のむすびつきに関する社会的な約束であることに注意する必要がある。

 現象的に見ても、時刻表は現実の運転の前に独立して存在していて、関係はあるが明らかに別個の存在であるのに対して、言語表現の規範は不文律として成立するため、現象的には表現しか存在しないように見えたり、規範の存在を認めても、表現それ自体のありかたとして、物質的な存在であるかのように誤解されたりする。辞書を徹底的に検討して言語の本質に迫ろうとしたり、辞書と時刻表とを規範の観点で比較してみようとしたりする人はいない。言語規範の正しい理解がなければ、辞書を正しく理解できないから、辞書には「言語をおさめてある」とか、そこから「言語をとりだして来て使う」とか、道具箱と道具との関係に似た解釈がひろく行われることになった。しかし時枝はこの解釈に反対して、辞書は「媒介となるもの」で、そこに示されている文字は「語とはいひ得ない」のだと指摘したが、これはまったく正当である。しかし時枝は、規範論を欠いていたために、辞書をひく者の「一の言語的体験」が何であるかを説明していないし、辞書が単に偶然的な存在でないことを把握できていない。辞書をひく者が「一の言語的体験」によってそこからとり出してくるのは、言語それ自体ではなくて、辞書を編纂した人間の規範についての認識である。

 言語表現が経験的に身にそなわっていくように思われたり、規範それ自体が独立して存在していなかったりする現象にまどわされて、ほとんどの者が言語規範と表現との正しい区別と連関を与えることができず、混同しがちなのである。言語について論じる人びとが、表現だけでなく規範をもいっしょくたにしてどちらも言語とよぶあやまりは、2つの傾向に整理できる。1つは、両者を論理的に区別できないか、区別しようとしない傾向(スターリンの言語論)であり、いま1つの傾向は、表現と規範とを一応別の存在として理論的な区別を与えようとするが、両者とも言語であると解釈し、しかも規範の側をこれこそ言語とよぶべきものだと逆立ちさせてとりあげる(ソシュール言語学)のである。ソシュールは対象の認識と規範の媒介との間の論理構造を正しくとらえることができなかったために、彼の「言語」も規範にとどまらずそれに媒介された認識のありかをもふくんだものになっている。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想