「出身はどこ?」
「茨城です」
「茨城のどこ?」
そう聞かれた時、その先を言わなくなったのは、東電1F(あえてそう言います)の事故以降です。同情されるのもムラの人?みたいに詮索されんのも面倒になった
JCOの事故については、住民としてそういうことがあったら引っ越す必要もあるし、ひょっとしたらひょっとするかもなんだなと。ただ、うっすらそんな認識を持ってずっと暮らしていたので、それをより実感できた。
ブコメで、茨城県民の方々が、周囲のブコメにキレキレで恐縮してしまった。原発系は245の方にまとまっているものと思っていたので、6国にそんなのあったの!?という驚きはありましたが、あれは燃料工場の事故で、原発の事故にはカウントされないのです。その意味で言えば、歴史修正主義でもなんでもないです。
うちの近所だけか知らないけど、テレビがきてる!で写りに行こうとしたり、学校や仕事が休みで喜んだりしてた。呑気なもんでした本当にすみません・・・。
1Fの事故については、自分はとっくに出た後。実家が被災とか、ちょっとした衝撃もあった。我が家ではJCOの事故より、実家地震で被災の方が衝撃だった。事故が起ころうが起きなかろうが、去らざるえない時が来るんだなと。そうでなくても、また近所に引っ越したし、そうなったらああなるのかを改めて再認識した。
あの界隈にだっていろんな人がいるからあれだけど、原発周囲に住む人に押し付けてと言われるとなんか違うと思ってしまう。あそこらへんに住むということは、そういうリスクをおうことでもある。それが普通のことで、押し付けられているものでもない。
土地が奪われての損失とか言われると、それすごい言うけど、言う人は地元の人じゃないよなって思ってしまう。どうせ気にもとめてないだろ。だって、どうせ通り過ぎるじゃん。みーんな通り過ぎてハワイアンズ行ってるじゃん?スーパーひたちには、日立製作所帰りか、ハワイアンズ帰りの客の宴会ばっかだもん。常磐線は損失だが・・・、茨城交通のバスのって常磐道でウィーっていくんだろ・・・ハワイアンズ
そんな風に暮らしてきたから思うのは、「自分は大丈夫」そう思って暮らす事の方がリスクあるよーと。「もしかしたら」は、どんな人の身の上にもなんらかの事態で起こる可能性があるもの。
なにより、原発はなんか目に見えないの怖いし、自分が嫌だからやめてほしいってことが理由でいいと思います。それは正当な理由だと思います。それを土地の人がかわいそうだから嫌、みたいに言うのはやめてほしい。ダシに使われるのは結構嫌なものです。