どうも右肩の関節が重い。
動きがぎこちないというか。
五十肩とかちゃうんと笑われたが、自分的には妖怪かなんかのせいではないかと、そう思うことにして、無理矢理のしかかる老齢化の波を回避している次第(笑)。
代償行為だな。
とりあえず今夜は この辺でよしとしよう
あとはテレビで お茶を濁そう
綱渡りばかりだ がけっぷちばかりだ
言い訳考えて ラクになろう
せいちゃんは何ごとにも必要以上に生真面目だと思う。
それ故に脱力の仕方も根性入っている。
確信的に脱力しているというか、計算して怠けているのだ。
いい加減さこそすべてという気がするなぁ。
で、それは、心の奥、一番深いところまで、じんわりと届いてくる。
なんという説得力であろう!
怖いっす。
この怠けものっぷりひとつとっても、なかなかのつわモノであると思うし、このだらしなさ加減こそが、アーチストが本来的に持つ特性なのではないのか。
そういうだらしなさをフォーマット化して取り込み、計算して、そして何気もなく晒して行く彼の音楽の本質は、実はごく真面目なもの。
正統的の範疇にすっぽりと収まっている。
これがひとつ「ミソ」なのである。
「とりあえず今夜は」は、二番では「とりあえず今夜も」にさりげなくすり変わる。すごいな。
こうやってどうしようもなくダメっぷり満載な日々が、ただひたすらダラダラと流れている様を、真面目にきっちりと表現しているのだ。
毎日代わり映えないシークエンスが、ただ、時間の流れる向きに沿って流れてゆく状況…それは考えればかなり深い言い回しだと思うし、こういうところにせいちゃんの才能やセンスの良さを感じてしまう。
とんでもなく深く、救いようがない怠け。
憬れます(笑)。
また「遠慮を無理にしなくていい」…そんなことを堂々と歌えること自体が、もう素敵のひとこと。
この言い訳を次々に重ねてゆくだらしない音楽を聴きながら、拒否するどころかなんとなく同調してしまう人が多いと思う。
もはや、いやよいやよも好きのうち、なのだ。
なまけものを賞賛し、進めと発破をかけ、そして最後には笑え、なまけものというこの不条理まみれな節操のなさ。
いやはやドリフのコントっぽくて、こっちまで笑ってしまう。
そういう自分もまた、究極のダメ人間であり、怠け者なのだから(笑)。