初めに・・・
記事の内容は、
私個人が我が子しおんに抱く思いを綴ったものであって、
他のお子さんの現在の状況に何か意見を述べるものではなく、
また、偏見を持っているわけでも決してありません。
言葉の一字一句に敏感になってしまう方は、
読むのをここでSTOPして頂けるようお願い致します。
アメンバー限定にしようか迷いましたが、
最近、私のブログにたくさんの隠れ読者さんがおられることを
知りました。
毎日ひっそりと、私のブログを読んでは、
共感したり、勇気を出したりして下さっているそうです。
交流がありませんので、もちろんアメンバーではありません。
そんな方たちのために、極力アメ限記事は少なくしたい。
幼稚園の内情について綴っている記事と、
制服や体操服姿の画像を載せる場合以外は、
できるだけ公開記事にしたいと思うようになりました。
さて、本題です。
ひだまりの会のメンバーさんにFさんという方がおられます。
Fさんは私の2つ年上。
障がいを持つ息子さんは、しおんと同じ年齢です。
Fさんは働くママさんで、息子さんは保育園児です。
ですが、昨年、第二子の女の子を出産されて
現在は育休中です。
Fさんと私は最寄り駅が同じです。
でも駅の北口と南口なので、反対方向です。
ひだまりの会のメンバーさんは、
上に健常児がいて、下の子が障がい児というパターンが多く、
うちも含めて、一人っ子がその次に多いパターンです。
その中にあって、最初の子が障がい児でありながら
第二子を産むことを選択したFさんは、
私にとって先を行く先輩みたいな存在です。
そんな私の様々な質問に、ありのままに答えて下さいます。
二番目を産むことが怖くなかった?と尋ねたら
「そりゃあ怖かった。と言うか今でも毎日ビクビクしてる。
ちょっと首すわりが遅れただけで、生きた心地がしなかったし
ちょっとよそ見して視線が合わなかっただけで
不安で不安で仕方なくなるよ」 と。
でもFさん、私にこんな風に言ってくれました。
「でもね、この子を見てると毎日思うの。
ああ、健常に育つ子ってこうなんだあ~
普通に成長する子ってこんな感じなんだあ~
毎日毎日、ちょっとしたことでそれを実感するの。
上に障がいを持つ子がいるからこそ、
こうして普通に当たり前に育ってくれることが
どんなにありがたいかが身に染みてわかるよ。
夜泣きくらいで、文句言ってたらバチが当たるって思う」 と。
そして、こう言ってくれました。
「だから、ayaさんもきっと大丈夫」
どこにも根拠なんてないのかもしれませんが、
Fさんの、実感のこもった「大丈夫」の言葉に
大きく背中を押してもらった思いでした。
さて、そんなFさんと私の最大の共通点があります。
我が子の就学に関する目標です。
とってもとっても切ない目標です。
Fさんの家と、私の家から同距離の場所に
K小学校があります。
そこの支援級に息子たちを入れること、
これが私とFさんの目標です。
そう、しおんも、Fさんの息子さんも
現時点では、支援級にも無理がある状態です。
今のままなら、二人とも支援学校です。
だから、私たちの目標は二人を支援級に入れること。
「切ないよね~」と笑いあう私たち。
その笑顔の陰にあるたくさんの涙を
私たちはお互いにわかりすぎるほどわかっています。
2年前の私は、我が子が普通級以外に就学するなんて
考えたこともありませんでした。
1年前、ようやく「障がい」という言葉を現実的に考えるようになり、
我が子を何とか、普通級に行かせたい、
それだけを考えていました。
あの頃に比べて、しおんの障がいの状態が
悪化したわけではありません。
でも、年齢は確実に上がっています。
療育手帳を取得した時の、判定官の言葉を思い出します。
「障がいの程度が上がるということは、
障がいの状態が悪化するという意味ではありません。
その年齢に応じて求められることが基準になりますから、
2年後に、今と全く同じ状態だったなら
障がいの程度は上がってしまうということになります」
今、我が子を冷静に分析して、
私もFさんも、今の現状では支援級は難しいということは
認めています。
だからこそ、私たちの目標は
「K小学校の支援級に息子たちを入れる」 なのです。
目標が叶うかどうかは、今はわかりません。
目標を持って、前に進むのみです。
こんな切ない切ない目標を、Fさんという仲間と共有できる。
一人で切なさと闘わなくて済む。
Fさんと出会えたことに、本当に感謝です。
K小学校、Tクンもそこに就学なんだよな・・・
普通級と、支援級・・・
ちょっぴり複雑ではあります。
見かけはすっかり乳児を卒業しました。
いつの間にか、赤ちゃん体型も卒業したね