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両陛下 ペリリュー島で戦没者慰霊
4月9日 13時55分

両陛下 ペリリュー島で戦没者慰霊
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戦後70年に当たり、太平洋戦争の舞台となったパラオを訪れている天皇皇后両陛下は、9日、激戦地のペリリュー島で慰霊碑に花を供えて戦没者の霊を慰められました。
両陛下は、午前10時半すぎ、ペリリュー島の最南端にある日本政府の建てた「西太平洋戦没者の碑」に到着されました。
両陛下は、パラオでの戦闘で生き残った元日本兵や犠牲者の遺族らも見守るなか、慰霊碑の供花台に日本から持参した白い菊の花を供え、深く一礼して戦没者の霊を慰められました。続いて慰霊碑の脇に進み、ペリリュー島と同様に多くの犠牲者が出たおよそ10キロ先のアンガウル島に向かって静かに頭を下げられました。
両陛下は、このあと元日本兵や遺族らの前まで歩き、一人一人に「残念でしたね」とか「どうぞお元気でね」などとことばをかけられました。最後に天皇陛下が皇后さまと集まった人たちに向き直り、「どうぞ皆さんお元気で。お大事にね」と再び声をかけられていました。
このあと両陛下は、日本軍とアメリカ軍が激しい戦闘を繰り広げた「オレンジビーチ」のそばにあるアメリカ軍の慰霊碑も訪ねられました。両陛下は、自分たちでリボンを整えた花輪が献花台に立てかけられると、黙とうをささげられました。そして、「オレンジビーチ」の近くまで歩いて、多くの人たちが犠牲になった砂浜に向かって一礼されました。
両陛下は、このあと、休憩のため立ち寄った施設のそばで住民の代表と懇談し、「戦争のときは大変でしたでしょうね」「お元気でいらしてください」などと話しかけられていました。

元兵士「世の中に知られうれしい」

ペリリュー島で最後まで戦って生き残った34人のうちの1人、福岡県の土田喜代一さん(95)は、両陛下の慰霊について「両陛下がペリリュー島に非常に関心を持たれているという、その気持ちが、いちばんうれしかったです。1万人近い戦友はびっくりしたんじゃないでしょうか。非常に喜んだと思いますし、私も、この日を忘れることはないだろうと思います」と述べました。そのうえで、「ペリリュー島のことは、これまで世の中に知られてこなかったと思いますが、両陛下の慰霊をきっかけに戦いの島であったと世の中に知らされ非常にうれしいです」と話していました。

遺族「両陛下に感謝と感激」

東京・三鷹市に住む能勢さたさん(87)は、ペリリュー島の戦闘で、4歳年上の兄、博之さんを亡くしました。70年たった今も遺骨は戻っておらず、能勢さんは、唯一残っている博之さんの写真を手に、テレビの中継で天皇皇后両陛下が、慰霊碑に花を供えられる様子を見守りました。能勢さんは、「一緒に慰霊に参加している気持ちになりました。両陛下がずっと慰霊のことを思ってくださっていたと聞いて感謝と感激でいっぱいの気持ちです。これで兄たち戦没者も報われるような気がします」と話していました。また、ペリリュー島の戦いで10歳年上の兄を亡くした鹿児島県霧島市の烏丸新二さん(82)は、両陛下が慰霊される様子を自宅のテレビで見守りました。烏丸さんは「天皇陛下は私と同じ年代で、体調を考えると大変ななか、慰霊してくださり、兄も草葉の陰で感激していると思います。ペリリュー島の戦いは、あまり知られてこなかったが、二度と戦争をしてはならないと改めて考えるきっかけにしてほしいし、遺骨の収集が進むことを願います」と話していました。

おことばかけられた遺族は

ペリリュー島で父親を亡くした愛知県の浅田春美(75)さんは「アメリカ兵から戻ってきた父の遺品をお見せしたら、皇后さまから『よく戻ってきましたね』とことばをいただき、宝にしますと答えました。今回、両陛下がこの地に足を運ばれ手を合わせられたことが何よりうれしく、父には本当によかったねと報告できました。この場に居合わせられたことが父が呼び寄せてくれたことだと感じ、感謝している」と話していました。
また、ペリリュー島で父親を亡くした青森県の田中恭子さん(74)は「天皇陛下から『大変でしたね』と聞かれ、畏れ多く存じますと答えました。胸元に亡き父の写真を掲げていたので、皇后さまからも『この島ですか』と聞かれ、『満州で映したものです』とお伝えしました。この島で起きた戦争について関心を持っていただき、本当にうれしかったですし、父親には両陛下が慰霊されたことをよかったねと報告したい」と話していました。

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