「日曜美術館」です。
この「日曜美術館」はこの4月で40年目を迎えました。
そこでそれを記念して今回は手治虫さんが「鳥獣戯画」を語った回を特別にアンコールでお届けします。
放送が1982年でした。
日本漫画界の巨匠が漫画の原点とも言われる「鳥獣戯画」を当時どのように語って下さったのかとても興味深いですよね。
番組では手さんがさまざまな視点で「鳥獣戯画」の魅力を語って下さるんですが途中手さんが自らペンを取って「鳥獣戯画」に登場する動物を描くという貴重な場面もありますのでどうぞ最後までじっくりとご覧下さい。
(鳴き声)ウサギもカエルもサルもまるで人間のようにいや人間以上に表情豊かに動き回っています。
相撲をとったり水遊びをしたり踊りを踊ったり。
おやこちらはサル僧正のカエル供養といったところでしょうか。
今から800年も前平安末期から鎌倉時代にかけて描かれたというこの「鳥獣戯画」。
今も変わらず私たちの心を和らげてくれるようです。
「鳥獣戯画」は「甲」「乙」「丙」「丁」と4つの巻に分かれています。
甲巻はこのように動物たちが楽しそうに遊び回る様子を描いたもの。
乙巻は馬や牛など動物の生態を写生したもの。
獅子や麒麟など想像上の動物も登場しています。
丙巻や丁巻では人間たちが主役です。
これは首相撲でしょうか。
にぎやかな歓声が聞こえてきそうな場面です。
京都・栂尾高山寺に代々伝わるこの「鳥獣戯画」にはどこを見てもはつらつとしたユーモアがあふれています。
4巻の中でもとりわけこの甲巻はその線の美しさから「白描画」つまり墨だけで描いた絵の最高峰と言われてきました。
これがその「鳥獣戯画」甲巻の実物大の複製なんですが幅が30センチ約30センチですね長さ随分長いものでして11メートル50センチあります。
ですから一枚の絵でもちろん描いたものではありませんでそうですね…50センチぐらいの紙を23枚つなぎ合わせています。
でそのつなぎ目に「高山寺」という赤いはんこが押されているわけなんですがこの日本の絵巻には元来「ことば書き」つまり文章があるんですがこの「鳥獣戯画」にはありません。
ですからどんなストーリーであるかという事はよく分からないんですがそれなりに見る人の想像力をかきたててくれるという事なんでしょうか。
この「鳥獣戯画」甲巻について今日は漫画家の手治虫さんにいろいろと話を伺います。
手さんは絵巻物にお小さい頃から興味を持ってらしたそうですね。
子供の時にね長〜い絵巻物作りましてねそれでそれを巻いて絵を描いて友達に…。
ご自身が?そうなんです。
ちょうど映画見てるようで楽しかったですけど。
でこの「鳥獣戯画」に関してはね小学生の頃に確か一場面ですね何かの本で見ましてねそれがカエルとウサギの相撲のところでした。
これが日本の漫画の元だという説明があったんです。
それを覚えてまして。
他にそのつながりの絵ないかと思っていろいろ調べたんですけどそしたらあっちこっちにやっぱりそういうのが紹介されてるんですね。
特にそのころ出た「日本漫画大観」という大きな文庫の中にやはりこの「鳥獣戯画」が…これは第3巻だったですけど説明が…紹介されてるわけです。
私が「鳥獣戯画」を全部見たのは昭和30年つまり戦争が終わって私が漫画家になってしまってから「岩波写真文庫」という本で「鳥獣戯画」の特集があってそれで全部初めて知ったんです。
それでいわゆるものすごいカルチャーショックを受けましてね。
それと同時にその絵を見ていくとですねもう一体今まで漫画というのはどのくらい進歩したものだろうと。
ちっとも変わってないじゃないかという事。
つまり何百年か前にもう全部やられてしまったという打撃を受けたです。
そのくらいショックでね今見てもそのショック変わりません。
そうしますといわゆる漫画とこの「鳥獣戯画」との間にはいろんな点で共通点があるわけなんでしょうね。
そうですね。
まあ今一番よく分かるのはねウサギもカエルもそれからサルもみんな同じ大きさで描かれてる。
これはつまり誇張ですよ。
それと大体にウサギとかカエルとかっていうのがリアルに動物の姿勢のまま描かれてるんですけど例えばウサギが拍手するとかカエルが手を伸ばすなんていう動作はできませんよね。
それをその動作はいかにも人間のようにやらせてるという変形がありますよね。
それと省略が非常に進んでるんですね。
毛なんかもう1本の線でサッと描いてる。
この省略と変形と誇張ですねこれはつまり漫画の3つの要素なんですね。
これをそのまま「鳥獣戯画」に当てはまるわけなんで。
一番現代的な漫画のお手本みたいなものでしてね。
その前後の絵巻物にはこれほど要素が極端に出てるものはないんですね。
それではその3つの要素を考えながら「鳥獣戯画」甲巻を見てまいりたいと思うんですが。
これは?これは一番有名な場面でしてねこのウサギの目を見て頂くと分かるんですがこれは半月状にして笑ってるんですね。
ところがこういうふうに1本の線でウサギの目が描かれるというこういう技法はそのころの絵巻物どころか海外の漫画にもないんですね。
大抵この笑ってる絵は目を細くして目玉まで描いてしまうという技法がせいぜいなんですね。
こういうふうに極端に省略されて笑ってる絵。
これは今の漫画では当たり前の事なんですけどもこの時につまり表情の基本が現れてるわけです。
これは非常に面白いですね。
ほんとに生き生きしてますね。
これは現代的なんですね。
この「鳥獣戯画」にはアイデアの面白さと絵の面白さがあるんですがこのカエルが自分が勝つためにウサギの耳をかんで負かそうとしてると。
これはアイデアの面白さですね。
非常に童話的な温かさがある。
ルール違反でしょう。
この次の絵ではカエルがウサギを投げ飛ばしてウサギの弱点をつかんで投げ飛ばして…。
これですね。
ウサギはここで悲しんでるかと思ったら笑ってるんですよこれ。
つまり苦笑いですなこれ。
負けた悔しさの笑いっていうんですかね。
このカエルの口から何か煙みたいなものが出てますけどもこれはカエルがつまり気炎を吐いてるというか何かその叫んでるんですね。
「やった!」とかね「どうだ!」っていうような形でこのセリフを言ってるわけです。
このセリフが煙になって出てるわけですね。
今の漫画ではいわゆるセリフの事を「吹き出し」といいましてここから一つの風船みたいなのが膨らんでそこにセリフを書くわけです。
ところがこれはカエルがものを言ってるという事を煙で表したという非常にオリジナリティーがありましてね。
他の絵巻物にはこれは一切ないんです。
僕が見たところでは1,000年ぐらい前のマヤのね…ここにもサルが何かこうお経読んでるお経の吹き出しだと思うんですが口から出てますね。
マヤの神殿の絵なんかにつまりマヤの神様とかあるいは貴族がものを言ってるという事を表すのに今の吹き出しのような煙みたいなものを描いてるんですけど私の知ってる限りではそれとこの「鳥獣戯画」だけですね。
もちろん西欧のこういう戯画にもそういうものはないんです。
だから非常に独創的なんですね。
またこれはアイデアの面白さですけどカエルがお釈様の格好をして座ってますね。
しかもその後ろの光背が葉っぱになってるんですね。
これは完全にアイデアの面白さですね。
こういうそのアイデアの面白さつまり何ていうかとぼけた面白さですねこれと絵のこのすっとぼけたうまさ。
こういったものが2つとも合ってるわけですね。
吹き出しがクネクネと回ってますねこちらの場合は。
お経を暗示してるんでしょうか。
これはお経の事もあります。
それからやっぱり絵的にきれいに見せるためでしょうね。
やはり全体的にこの絵というのは大和絵の影響を受けてて恐らくこれを描いた人は仏画の大家じゃないかと思うんですが非常にやっぱりこの線がなよらかなんですね。
ゴツゴツしてないわけですよ。
もう一つ非常に何ていうんですかこの1本の線でサッと描いてるこの勢いの良さっていうんですかねそういう男性的なとこもあるんですね。
したがってつまりこの中で一番目立つところは同じ形の動物がないという事ですね。
みんな違ったパターンなんです。
あらゆるポーズを処理してますね。
この絵は実は原本にはないんです。
原本というのはあっちこち散逸してましてねない部分があるんですけどこの部分は「模本」といってつまり模写された絵なんですね。
これがハワイに残っていてそこからこう取り上げますとサルが走り高跳びやってるんですね。
この時にサルの体に流れた線があるわけです。
我々は「流線」と言ってるんですけど。
つまり動いてるものに流れた線を描くという手法ですね。
これもそれまでの絵にはないんですね。
これも海外にも恐らくないと思います。
つまりこれ漫画のルーツであると同時に動きを表す非常にユニークな線をここで発明してたという事なんですね。
それとこの走り高跳びの現代性といいますかねオリンピックにありそうなね場面。
これも珍しいと思うんですよね。
700年前にこんな棒があったという…。
落ちたウサギがほんとに転びそうに斜めになってる線なんか非常に僕は立派だと思います。
本当に躍動感がありますね。
そういう事で非常にナウなんですねこれは。
だからそういう意味では僕としてはこれは例えば海外に出しても十分今の漫画として通用するもんだと僕は思うんですけど。
特にこの表情なんかで喜びとか悲しみとかあるいは諦めとかっていう線がすごく出てるんですね。
これは何かの供養の…供養で動物たちの集まってる絵なんですけど供養でこの前にお坊さんがいるわけなんですけど悲しんでいる動物は左上にいるサル1匹なんですね。
これはいかにも悲しんでいる表情が涙一つ描かずによく出てるわけです。
しかもこのサルのポーズからいきますとねこれはメスザルですよね。
そうでしょうね。
メスですね。
ところが他の動物見ますとねそれほど悲しんでる様子に見えないんですね。
そっぽ向いたりですね下の方のカエルは何かひそひそ話してるんですね。
つまりそのころの法事の形骸化っていうんですかねそういう事が非常によく出てるんですね。
それとここでは表情が悲しい表情なんですけどさっきの相撲でウサギが負けますね。
その時に後ろの方にカエルが3匹見てましてそのカエルが表情だけじゃなしに体全体で喜んでるんですね。
1人転げ回って喜んでるわけですよ。
1人っていうか1匹っていうかね。
それがもう実によく単純な線で描けてる。
これはもうやっぱりお手本ですんでね。
明治の末にロンドンで大博覧会がありました時にこれが出品されたそうで非常な反響を呼んだそうなんですがやっぱり外国人が見てもよく分かるんでしょうね。
非常に国際的だという事とねそれと日本にこの時代にこういう漫画があったという事そのものが驚きなんですね。
この間もフランスで今一番人気の高い漫画家でメビウスという人がいるんですけどこれが日本に来ましてね私ある会場で「鳥獣戯画」の一部を見せたわけです。
そしたら「これは今生きてる人か?」って聞くんです。
そのくらい真剣に絵をじっとこうやって見てましてね感心してるわけです。
現代のそういう海外の人たちも喜ばせるね何かあるんですね。
つまりこれは動物だという事は一つあるんだけどその擬人化。
その他に何かこう一つあるんですね。
そのプラスXが僕たちはやっぱり一番コシだと思うんです漫画の。
700年前にこんなすばらしいものが生まれたなんて夢みたいな話ですね。
海外では信じられないでしょうね。
ある人はねこれはディズニーでも負けないと言ってるんですね。
「鳥獣戯画」の生まれた12世紀は古代から中世への過渡期でした。
保元・平治の乱を挟んで白河鳥羽後白河と続く院政の時代。
武士政権の成立を前に揺れ動く社会を背景に文化もまた大きなうねりを見せていました。
この時代は庶民の文化が貴族の文化に大きな影響力を持っていました。
「鳥獣戯画」と並んでこのころの代表的な絵巻である「信貴山縁起絵巻」にもそれははっきりと表れています。
「信貴山縁起絵巻」は10世紀初めごろの聖命蓮にまつわる説話を絵巻にしたものです。
第1巻は命蓮の法力が米倉を信貴山に飛ばす「飛倉の巻」。
舞い上がった米倉を追いかけ慌てふためく人々の表情が生き生きと描かれています。
このような表現は貴族たちの物静かな表情やゆったりとした動作からは決して生まれないものでした。
「信貴山縁起」という宗教的な題材を扱いながら絵巻の主役は庶民なのです。
また応天門の変を素材とした「伴大納言絵詞」を見てもこの時代の特色は余すところなく発揮されています。
謀略に巻き込まれた左大臣源信の家で悲しみ嘆く女房たち。
表情の激しさはこれまでの貴族のものではありません。
「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵詞」そして「鳥獣戯画」。
これらの名作は貴族が自分の持っていないものを庶民の中に求めていった結果生まれたものです。
猿楽田楽などの民衆芸能が貴族に迎えられたのもこの時代。
「今昔物語」の作者が庶民の持つバイタリティーに温かなまなざしを送ったのもこの時代でした。
手さんはこの「鳥獣戯画」の生まれた時代をどうご覧になりますか?全くアマチュアの考えなんですがこの時代はつまり仏画とかねあるいは能ですね能師あるいは雅楽こういったものを中心にそれまでの貴族の占有だった芸術を大衆が自分のものに受け入れだしてそのために一般大衆にバッと広まった時代だと思うんです。
ですから非常に時代的にも揺れ動いてましたが文明が文化が貴族から大衆に移った世界時代という事でねやっぱり重要な時代だと思うんです。
その時に恐らくそれまで貴族の注文で仏画を描いていた人たちが今までは自分の職業として割り切って描いてたものがね今度は自分の思いのままに趣味のままにですねあるいは身近にいる人たちにせがまれて簡単に絵を描いてみせるというふうに非常に何というか…気楽に絵を描いてみせる時代になったんじゃないかと思うんです。
そういう中でね白描画つまり線だけで見せる絵というのは色を塗ったり胡粉を塗ったりするようなね手間がありませんしそんなにお金かける事もない。
一枚の絵と筆があれば描けるわけですから一番簡単な芸術として広まっていったんじゃないかと思います。
でこの元というのはやはり落書きとかねあるいは仏画を描く下描き辺りだったんじゃないかという気がするんですよね。
そういえばこのころの「密教図像」の描線とよく似てますね。
伸びやかな線が。
例えば三井寺ですかあそこなんかにはそういう仏画の大きな画塾みたいなのがあったそうですからそういうとこの若い画僧なんかが密画を描いてる筆すさびに自分で好きな絵を描いてそれをたまたま見せたら非常に面白いという事で人にやったりあるいはそういうものが広まったという事があると思いますね。
だからその線の形というのは特に堅いもの描きますというような仏教画に近い線が出てるわけなんですね。
「鳥獣戯画」はじめ「伴大納言絵詞」とか「信貴山縁起絵巻」にはつまり庶民が描かれてるわけですよ。
でこの庶民というのは百人百様でしてねこの表情の面白さというかこれはもうほんとに身近に接してる人の顔をそのまま写生して描かれた絵ですよね。
生きてるわけです。
同じような顔が一つもないんですね。
パターン化されたものが。
例えばここに出てくるこれは「信貴山縁起」の主人公の僧なんですけどこの僧がいろいろな場面に出てくるわけなんですけどみんな表情が違うんですね。
ですからそういう意味ではどこにでもいるような場合によっちゃ現代に道歩いてるサラリーマンが同じような顔をしてるようなそういう身近さがあるんですね。
それと服装なんかもそのころのありとあらゆる階級・階層の服装が出てますから我々見ても非常に楽しいし参考になるわけですね。
それと非常にやっぱり動きがエネルギッシュでダイナミックなんですね。
「源氏物語絵巻」が女絵と言われててこういったものが男絵と言われてるそうなんですけどダイナミックさというかつまり絵そのものが非常に力強くて活気にあふれてるんですね。
特にこの「伴大納言絵詞」の中で子供のけんかの部分がクライマックスでありますね。
子供が2人でけんかしてるとこへ一人の子供の親が出てきて止めて相手の子供を突き倒すんですね。
突き倒した時のこの子供の格好のねいかにも突き倒されてるその動きですね。
でこれが元になってこの大納言の犯罪が分かってくるわけなんですが。
そういうものが1つの画面の中に同じ人物がここに2人描かれてるんですね。
こういう同時間の描写ですねこれが非常に新しいと思うんです。
こういうダイナミックな描写がとにかく大衆の絵としてこういう絵巻物をうんと広げたという事でしょうね。
実は先週はランブール兄弟の「時祷書」というのを取り上げたんですがその「時祷書」は貴族の注文によって描かれたものでそれがだんだん教会の祭壇画に移っていくと。
祭壇画にいきますとみんなが見られるという事でこれは中世の…ヨーロッパの中世なんですが日本でも同じような事が言えるわけなんですよね。
例えばゴヤの絵なんかも貴族を描いたゴヤの絵というのは非常に活気がなくて確かに見てきれいなんですが死んでるんですね。
ところがゴヤが描いた一匹の犬とかねあるいは悪魔なんていうのは本当に生きてるように描かれてそれが現在もかえって逆に評価を高めてると。
これと同じ事があったとやっぱり思うんですけど恐らくこの時代にはねこれは手すさびで恐らく半分以上のこういう白描画というのは僕は紙くずかごに捨てられたと思うんです。
あるいは庶民に「これお土産にやるよ」と言ってやられる。
そのくらいの気楽な描写だったと思うんです。
だから恐らくこの「鳥獣戯画」も初めは近所の子供を集めて「面白いものを見せてやるよ」と言って見せる絵とかね。
あるいは恐らくそういう画塾で師匠が動物を描いてみたからこれをまねして描いてみろと。
あるいはこの動物に服を着せてみろと。
こういうような練習用に描かせたお手本のようなものだったんじゃないかなという気もするわけです。
しかし先ほどの「信貴山縁起」でもかなり謎の部分があるんですがこの「鳥獣戯画」にも随分分からないところ謎の部分があるようですね。
ほんとに何か話を持ってきてるのかあるいは単なる動物の描写集なのかというねそういう事すら分からないんですね。
貴族文化が大きく揺れ動く中から生まれた「鳥獣戯画」。
しかし現在伝えられているこの作品が描かれた当時の姿をそのまま保っているわけではありません。
「鳥獣戯画」甲巻には原本以外に2〜3の断簡つまり切れ端などが残っています。
この中には原本には描かれていないシーンがいくつか含まれているのです。
原本にないものが断簡や模本として残るとは考えられません。
実はこの「鳥獣戯画」は元来こういった場面も含んだ今より長いものではなかったのか。
そしてそれが後世にいくにつれて部分的に散逸していったのではないか。
そんな想像が浮かびます。
私たちの目に触れないところにかつて一巻の巻物として描かれた「鳥獣戯画」の断片が今も眠っているのかもしれません。
「鳥獣戯画」の作者についてもはっきりとした事は分かっていません。
甲巻と乙巻は鳥羽僧正の作丙巻と丁巻は別人のものという説が有力ですが最近では甲巻はもともと2巻に分かれて2人の作家の手になるものだという説も出されています。
この説にはいくつかの根拠がありますがその一つは甲巻の動物に2通りの描き方があるというものです。
カエルで比較してみましょう。
例えば右のカエルの足を見ると伸び伸びとした線が感じられますが左の場合にはそれほどでもありません。
手を見ても右側の方がずっとこまやかに描かれています。
左のカエルには頬のコブがありません。
今度はウサギの手に注目してみます。
ウサギの手を見ても右側の方が丹念に描かれ表情も豊かです。
僅かな違いですが実は「鳥獣戯画」甲巻は2人の作家の共同作業によるものではないのか。
そんな疑問も浮かびます。
「鳥獣戯画」はどのような作者によって描かれもともとはどんな姿だったのか。
まだ多くの謎が残されています。
「鳥獣戯画」の作者についても今ご紹介したようにいろんな説があるようですが手さんはどんな作者像をお持ちでらっしゃいますか?2人という説もまあ…確かに一つのあれがあるわけです。
僕はね2人でもねいろんな動物を2人が描く分けて描いたんではなくて別の時期に別の人が手を入れたんじゃないかという説をとりたいんです。
そういう説あるかどうか分かりませんけどねこれもともとは50センチぐらいの紙を23枚集めて…集めてじゃない。
バラバラにですね恐らくお手本か落書きのように描いたものじゃなかったかと想像します。
そしてそれをつなげてそしてつなげた上に今度はそれをつなげたら1つの物語出来てしまったんでそこに例えば背景を後で描き込んだりそれから他の動物たちをまた別に間に描き込んだりというような事もねあったんではないかと。
そういう事で何人かの手を経てるんじゃないかという気もするわけですね。
しかし総じて僕はこの人たちの描く姿勢っていうのはいわゆる落書きとか手すさびを抜けなかったんじゃないか。
つまり僕たちが絵を描く時にパッパッと何かなぐり描きのように描いたものの方が線が美しくて生きている場合が非常に多いんですね。
そういうものを例えば子供なら子供の見てる前であるいは近所の人たちの見てる前で描いてみせてやったと。
「ほれ出来たぞ」と言ってこうやって見せる。
そういう時の手の動かし方の速さあるいは力強さみたいなものがこの絵に生きてるんですね。
だから非常に庶民的で身近であると同時にほんとに一気に描き上げたっていう感じ。
これがだから他の絵巻と違うんですね。
つまり丹念に描き上げたものじゃないという事だと思います。
それで必ずその前に身近に絵を見てる人がいたんだと思うんです。
弟子かも分からないし庶民かも分からない。
その時に描いてみせてやったというその心の温かさね。
だから非常に心の広いそして庶民的で温かい人だったんじゃないかという気がするんですね。
つまり一人で作家然として部屋に閉じ籠もって描くような人じゃなかったんじゃないかと思う。
だから非常に気楽さもあるんですね。
それとこのユーモアね。
非常にどっちかというと下世話なユーモアもありますよね。
だからもうそれは庶民のそういうギャグ冗談話とかね世間話よく知ってる人だと思うんです。
それと同時に非常にこの中には仏教画もあるんですね。
仏教画に基づいたものも。
お坊さんがその主体になってるわけです。
やっぱり仏に仕える人であるところからの下のレベルのものは描かなかったような気がするんですね。
教養のあふれたスケールの大きい人間人という感じですね。
そこである人が浮かんでくるわけですよね。
その鳥羽僧正という人が。
まあ他にも恐らくそういう教養のある人はいたと思いますよ。
かなり年配の人だったと思いますね。
この4巻ある中で僕は一番最後の巻辺りはこれは若い人が本当に練習用に描いたものだったかも分からないって気がするんです。
しかし第1巻はもう絵を知り尽くしてそして一種の枯淡の境地に入った人がもうふだん描いてみると非常に枯れた絵を描くんだけどたまたま例えばお酒を飲んで描いたようなそういう気楽さが見受けられるような気がするんです。
遊びの精神というかゆとりといいますかそういうところでしょうね。
これなんかどうでしょうか。
やっぱりウサギはとにかく同一人物が描いたと…。
これは裸でしょ?つまりこの巻をずっと見てますとね初めの方は例えば川遊びしてるとこも裸なんです。
これが裸でしてねで道具を持ってますね。
このあとに今度は頭にかぶり物が入るんです。
それから今度妙な法被みたいの着だして沓を履くんですね。
最後の方になってくると法衣までまとってるサルが出てくるわけです。
つまりだんだんだんだん着物を着ていくんですね。
人間に近くなっていくんですね。
今ちょっと出ましたけどねきつねの尻尾にね火が燃えてるのがきつね火ですね。
これをきつねがわざわざ自分の尻尾で燃やしてるというのが描かれてるわけですよ。
これなんか見ますとねウサギの陰にネズミが2匹いましてね何か向こうを盗み見してますよねえ。
この向こうに猫がいるわけですよ。
この猫を怖がってこっちの方に見せ物があるんだけどよくおちおち見てられないと。
1匹のネズミなんかはこっそり耳打ちしてるんですね。
そういうとこなんかがちゃんと描かれてるんですね。
こちらの方にカエルの田楽踊りがあると。
でこれをみんな見てるわけなんですけどこの上のカエル2匹を見比べてみて頂くと分かるんですがこれ完全に描いた時間が違うんです。
この左のカエルの大きさとかプロポーション右のカエルの顔ですね。
これ全然違います。
だから作者が違うというよりもですね恐らく描いた時間が違うんじゃないか。
ですから墨の濃さが違いますし筆のタッチもちょっと違うんですね。
全く違うカエルが2匹描かれてるわけですね。
カエルのプロポーションつまり背丈ですねこれも違うんですね。
手の曲がり具合なんかも全然違います。
そういうふうに裸踊りをしているカエルとそれから服を着て擬人化されてるカエル。
これが同一に存在するという面白さ。
裸で始まってずっとくる途中でもうだんだん…。
最後はもう服着て終わるという。
模本ではね最後にヘビが出てきてカエルが逃げるとこで終わってます。
これオチになってるんですがまたカエルが裸になってるんですね。
これまたちょっと違うんじゃないかって気もするんですけど。
これなんか完全にもう動物化してるんですね。
まあ動物だからしょうがないんだけど。
つまりサルがノミ取ってるとこですよね。
そこにウサギが水かけてると。
この横にはウサギが鼻を押さえて後ろ向きに飛び込むとこがあるんです。
これは完全に人間なんですよね。
そういう動物からだんだん擬人化していってこれは完全にもう擬人化されて一種の風刺画ですよ。
政治漫画にありそうなパターンですよね。
こういうふうに変わっていくというのはねやっぱり一つの漫画のあるいはこういう戯画のお手本だったんじゃないかという気がすごくするわけです。
で面白い事にこういう戯画の全く同じポーズを模写した絵が江戸時代も出てくるんですよ。
つまり動物を描くとこの「鳥獣戯画」が必ずお手本として出されてきてる。
その時代時代の画家がこれをお手本にした動物を描いてるんですね。
カエルなんか出てくると必ずこの「鳥獣戯画」のカエルがお手本として必ず出てくる。
だからこれはもう非常にやっぱり優れたものでみんな注目してたという事の表れでしょうね。
まあしかし動物を人間に仕立てたというよりも人間を動物に見立てたと言った方がいいかもしれませんですね。
そうなると完全にこれは風刺画になるわけですね。
そこまでの風刺があったかどうかという事なんですが僕は逆にねこの風刺は後の人がかなりくっつけた部分が多いんじゃないかという気がするんです。
その人たちがつまりその当時に生きた人はこれを風刺を描こうと思わなくてもその時代に生きたわけですから自然に出たと思うんですよ。
自分たちの社会の事がね。
そういうその気楽さで簡単な動物画を描いたんじゃないかという気はします。
「鳥獣戯画」が伝えられてきた…秋はこの高山寺が最も映える季節です。
高山寺は奈良時代の末に開かれた真言宗のお寺です。
15世紀半ば高山寺を襲った火災の折にただ一つ難を逃れた石水院。
境内で一番古い建物です。
元は後鳥羽上皇の学問所でした。
今「鳥獣戯画」は保存のため東京国立博物館に移されています。
しかしいつに変わらぬ穏やかなたたずまいははるか「鳥獣戯画」の昔を呼び起こしてくれるようです。
やっぱりそうしますと風刺とか物語とかいうふうな事はあんまり考えないで今の吉井勇の歌にあったように見れば楽しいそのものが楽しいというような心で見るのが一番いいんでしょうね。
これは面白い事にこういう動物の風刺っていうのは「イソップ」ももちろんありますしドイツとかねヨーロッパに昔から動物談というのがあって特に「狐物語」ってあるんですね。
あっフランスの…。
ゲーテが「ライネケフォックス」というやっぱり「狐物語」書いてますよね。
この中にサルの僧正が出てくる。
つまりこれは全く偶然一致してるわけですね。
サルというと非常に高貴であるあるいは賢いという事からやっぱりその当時の一番貴族の頂点にあった僧正という形になってくるわけですね。
つまりそういう意味ではこの動物画というのは僕は風刺が強いと思うんです。
それ以上の風刺はない。
例えばその時に「伴大納言絵詞」みたいにね何か事件があってそれを描いてるんだと。
例えば「鳥獣戯画」の中にカエルが死にましてねひっくり返ってそれでみんながびっくりして見てるような事件が描かれてるんです。
でサルが逃げてるんですね。
でこれがその当時の事件を風刺したものじゃないかと言われてるんですけどもしかしたらですねこれ描いた人の周りにそういう市井の三面記事的な事件あったかも分からないんですがそれは事件にまでならないんですね。
つまりそういう事がたまたまあってそれを村人からあるいは庶民から聞いたと。
「これは面白いから描いてやれ」という程度のね風刺だったと思うんです。
風刺とまでいかないかも分からないですね。
ただ事件を描写したと。
まあ劇画といいますかね。
ただね僕はそれとは関係なくそういうふうに恐らくたくさん仏画描く人が集まってる中でもう疲れ果ててたまには休み時間に何か落書きしてみたいという人が描いた中にこういった絵が含まれてたとそのくらいのものじゃないかという気がしますよね。
僕はこれ面白い事に確かにこれはいろいろ表情とかそれから主体が千差万別であるんですがこれはやはりある程度下描きをしたもんじゃないかと思います。
もちろんこの絵そのものには下描きはないんですけどね恐らく簡単なラフな下描きを別の紙に描いてでそれを写したものじゃないかという気がすごくするわけです。
つまりその下描きをパッと一つの線で描く。
そういった中に構えた姿勢がないんですね。
簡単にその線がこう走ってるわけです。
この走りっていうのはすごいもんでつまりためらう線というのがないんですね。
それは実際手さんは漫画家でらっしゃるんですが実際お描きになる場合はかなり違うもんですか?僕たちも例えば下描きをしましてねその下描きを鉛筆でとるわけなんですけど下描きをした時には非常に鉛筆の線でスッと描ける線があるわけですよ。
「鳥獣戯画」のまねしてちょっと描いてみますけど例えばこういうふうに…これは原稿として使わないという形になりますとねこれはもうほんとに自由に描けるわけですよ。
ただこれが印刷されて人の目に触れるんだという事になりますとねもう…ここでこういうふうにちょっとこう「いけない!」というようなためらいが出てくると思うんですよね。
だからそういう意味ではこれは非常にスムーズに描かれてるという事はもう下描きのようなねもうほんとに責任のない絵だという気がするんです。
だからこれを元に精密な仏画とかそういったものが描かれてこれはその高貴な人の目にも留まる。
そこら辺の違いがあったと思うんですよね。
そうすると「鳥獣戯画」は言葉が適切でないかもしれませんが一種のいたずら描きだったというようなふうに…。
戯画ですね。
お考えに…あぁ戯画。
僕は漫画とかね戯画のルーツというのはやっぱり落書きだと思います。
例えば法隆寺の建築物の中に天井に落書きがあったと。
これはまあほんとに「鳥獣戯画」よりも更に上代のいわゆるほんとの漫画の元と言われてるものなんですけどこれなんかが後に残そうと思って描いたもんじゃなくてたまたま隠そうと思って描いたもんですよね。
こういうとこはどうせ人の目には触れないからといって。
そういうもののルーツがずっと「鳥獣戯画」に来て絵巻物に来てしかもそれが例えば鳥羽絵とか大津絵のように後年つまり漫画の…いわゆる江戸時代の漫画として見られるような絵になってきた。
流れがあると思うんです。
で肝心の仏画とかあるいは武者絵とかあるいは今の「源氏物語」のような女絵ですねこういったものは堅い漫画から遠ざかっていわゆる浮世絵のようなものに変わっていったんじゃないかという気がしますけどね。
そこら辺に完全にもう離れた精神があるんですね。
しかしこれはサラサラッと今描いて下すったんですけれども実際描くとなると難しいんでしょうね。
そうですねえ。
私ね学生時代ね…実はこれ学生時代の課題として模写をさせられたんですね。
もうその時模写いろいろさせられたんですけれどもこれは一番難しくてほんとに苦労いたしました。
確かにこれをそのまま描くって下描きもなしに描くというのはちょっと奇跡に近いんじゃないかと思いますよ。
ですから恐らくそういう意味では下描きが十分あったと思うんですが僕はさっき分業と申しましたけどね例えばこの動物なら動物の描写それから植物がありますね。
その植物の描写はそれまで相当スケッチした人じゃないかと思うんです。
植物なんか今現在も生えてるような草を描いてるんです。
それから動物の足の格好。
特にその動物がかかとじゃなしに爪先で立ってるんですね動物っていうのは。
それに靴履かせてるわけです。
つまり靴が履けなくて爪先で引っ掛けてるんですよ。
そういうとこまで丹念に描いてるのは動物のデッサンがすごく優れてる証拠なんですね。
今の漫画家でも下手な人はベターッと足ごと入れちゃうんです。
それだと歩けないはずです。
そうしますとこの「鳥獣戯画」というのは手さんにとっては今のすばらしいお手本の一つである。
そうですね。
僕だけではなくて日本が国際的に誇りえるしまた国際的に残すべき僕は芸術じゃないかっていう気がします。
そういえば江戸時代の一蝶ですとか宗達とか北斎なんかもこれに学んだというふうな事を聞いてますし。
本来から言うと戯画とかあるいは漫画というものは今のコミックとかいう意味の漫画ではないわけです。
つまりほんとに手すさびに描いたと。
あるいは「痴絵」といいましてねどっちかというともうばかばかしい絵というふうにとってたわけなんですがそれが今の漫画のルーツになったという事は漫画の精神というのはそういうものであるんだというはっきりとした証拠でしてね。
これは我々も常に頭に入れなきゃならんじゃないかと思うしそういうものが今でも現代の芸術として息づいてると。
つまり見る人に活気を与えて作家の熱みたいなものを心の底まで射るように与えるという事は僕はやっぱり偉大な事じゃないかという気がしますね。
これはもっとね僕は世界に発表していいんじゃないかって気がします。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/04/05(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館 特別アンコール「私と鳥獣戯画 手塚治虫」[字]
日曜美術館が放送開始40年目を迎えるのを記念して、懐かしい番組をアンコール。手塚治虫さんが「鳥獣戯画」の魅力をぞんぶんに語った貴重な映像をお届けする。
詳細情報
番組内容
この4月、日曜美術館が放送開始40年目を迎えるのを記念して、懐かしい番組を特別アンコール。1982年、手塚治虫さんが、漫画のルーツともいわれる国宝「鳥獣戯画」の魅力を語った貴重な映像。現代の目で見ても感動する、ウサギやカエルの躍動感あふれる姿。その秘密はどこにあるのか。トークの途中、ペンをとり、鳥獣戯画に描かれた動物の絵を描き出すシーンも。
出演者
【出演】手塚治虫,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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