バランスのとれた記述を、というのが文部科学省の方針だという。しかし結果的には、さまざまな部分で窮屈な内容になっていないだろうか。来春から使われる中学校の教科書への検定である。
政府は昨年、教科書の検定基準などを改めた。政府の統一見解があるテーマはそれを記述をすることや、確定的学説がない事象は異論を併記することなどを求めたものだ。今回の検定を経た教科書はそれを忠実に反映している。
たとえば領土をめぐっては、社会科のすべての教科書に尖閣諸島や竹島についての記述が登場した。尖閣や竹島が、わが国固有の領土であるとする政府見解をそのまま記しているのが特徴だ。
たしかに子どもたちが領土について疎く、その場所や歴史的経緯も知らないのでは困る。韓国が竹島を不法占拠し、中国は尖閣の領有権を1970年代以降に主張するようになったことなどはきちんと教える必要があろう。
とはいえ、相手の言い分も頭に入れておかないと日本の主張の正当性も理解できない。教育にはそうした多面的なものの見方が大切だ。尖閣について「領土問題は存在しない」と言い切るだけでは学習は深まらないだろう。
近現代史の微妙な問題についても、今回の検定では政府方針を踏まえた修正意見が付いている。
関東大震災のときの朝鮮人殺害について「数千人」と書いた教科書は「通説的な見解ではない」と指摘され、当時の司法省が発表した「230人あまり」を併記して検定をパスした。しかしこれも一般的な数字とはいえまい。
今回の検定では、こうした問題のほかにも重箱の隅をつつくような指摘がこれまで以上に目立つ。子どもたちが物事の多様な面を知り、自分の頭で考えるようになるためには教科書にももっと柔軟さが必要ではないか。
そもそも検定制度は世界どこの国もあると思いがちだが、欧米などでは少数派だ。視野を広くして教科書のあり方を考えたい。