こういうと、また北海道新聞が頭から湯気を出して怒り出しそうです。
これまでアイヌ政策の不祥事の実態解明を通じて疑惑の外堀を埋めてきましたが、
いよいよ本丸に迫る時がやって来ました。
1.「アイヌは本当に先住民族なのか?」
今任期最後の質問となる3月2日の市議会では、この根源的な疑問に迫りました。
この年表は札幌市埋蔵文化財センターが作成した資料です。
北海道に人が住み始めたのはいまから二万年以上前。
それから長い歴史を経て今日の私たちに引き継がれています。
アイヌ文化が生まれたのはいまから800年ほど前、13世紀のころ。
この年表からお分かりの通り、アイヌ文化期よりずっと前から札幌で人が暮らして
いたことが分かっています。
この日の予算特別委員会では埋蔵文化財センターを所管する文化部長に学術的な
見地からアイヌの先住性について質問しました。
札幌市埋蔵文化財センターでは、専門家が市内のあらゆる埋蔵物を調べています。
いま丘珠空港の近くで「丘珠縄文遺跡」を掘っています。
ここでは、今から2300年前の人々の暮らしの模様が出土品から分かるそうです。
当然、この時代の人達はアイヌではありません。
「アイヌは先住民族」と道新にいつも書いてあるので、いつの間にかそのような
イメージが定着していますが、実際は年表を見れば誰の目にも明らかなことです。
2.もいわ山はアイヌの聖地ではない
こういうと、また物議を醸すかもしれません。
札幌市の公式観光ウェブサイトにすら、こう掲載されているからです。
「藻岩山は(中略)かつてはアイヌの「聖地」でもあった」と。
札幌市の公式サイトにあるくらいですから、だれもが本当だと信じるでしょう。
でもなにかおかしいですね。
昔の人は水が入手しやすい低地に暮らしていたはず。
水道技術が発達した近代ならともかく、大昔に山でアイヌの人が暮らしていたとは
信じられません。
もいわ山ロープウェイの中腹駅には、取ってつけたようなアイヌの展示コーナーが
ありますが、いかにも場違いな印象を受けます。
- もいわ山は本当にアイヌの聖地なのか?
- もいわ山でアイヌが聖地として暮らしたことを示す史実があるのか?
私は以前からずっと思っていた疑問を文化部長にぶつけました。
すると、文化部長からは、
「私たちの知る限り、そのような示すものはありません」
実に明快な答弁がありました。
アイヌの人々がもいわ山を聖地としていた根拠はないということです。
この日の委員会は観光がテーマではありませんので、公式観光サイトの真偽までは
追及しませんでしたが、このサイトはいずれ訂正が必要でしょう。
3.「アイヌは国連宣言の先住民族ではない」
これまた問題発言と叱られるかもしれません。
しかしこれは私の妄言ではなく、3月2日の市議会で市側の答弁です。
平成20年の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める国会決議」やこれに続く
内閣官房長官談話をよく読むと、先住民族とはなにを指すのか定義がありません。
いつどこで先住していたのかが、書かれていないのです。
教科書では我が国は2675年前に神武天皇が建国したことになっていますから、
当然といえば当然のことです。
だいたい、国会決議があれば歴史は書き換えられるのか?という問題で、当時の
官僚がアイヌ側の国会議員を立てつつ国益を守った苦労が文章から忍ばれます。
この日の委員会で私は、
「政府は「先住民族」をどのように定義しているのか」
「政府や国会決議はアイヌの人々を日本の先住民族と認めたのか」
と尋ねました。
すると市民生活部長から
「国会決議では先住民族の定義は示されていない」
「アイヌの人々が国連宣言に言う先住民族であるかの判断を国は示していない」
と驚きの答弁がありました。
「判断を示していない」という言葉が役人用語で意味がわかりづらいので、
「アイヌの人々は国連宣言に言う先住民族でないとの理解でよいですか?」
と念のため確認したところ、
「委員の言うとおりです。」
との答弁がありました。
驚天動地とはまさにこのことです。
「アイヌ民族は先住民族だ」とする北海道新聞に執拗に攻撃されてきましたが、
札幌市役所や政府も問題の本質にようやく目覚めてきたようです。
4.先住民族に関する国連宣言は危険だ
先住民族の権利に関する国連宣言では、先住民族に資源や自治権をはじめとして
様々な権利を与えることを定めています。
もしアイヌが国連宣言の先住民族となると、我が国の主権の一部を自称アイヌの
人々に割譲するような事態になりかねません。
過去の洞爺湖サミットや様々な国際行事にアイヌ協会が顔を出して、いかにも
諸外国の先住民族と同様であるかのようなイメージ作りをしています。
しかもこれらの動きの中心にいるのは、本当のアイヌの人ではないということが
最大の問題です。
これは札幌市だけの問題ではなく、我が国の歴史の根幹を揺るがしかねない
危険な動きであることを全国の多くの方に訴えたいと思います。
モーセが十戒を授かったとされるシナイ山も聖地ですが人はほぼ住んでいませんし、3世紀に聖カタリナ修道院が建立された程度です。
エベレストも現地語で聖なる山と言われ、聖地とされていますが、1953年まで人跡未踏の地でした。
恐らくメッカなどの巡礼地のみが聖地だと思われてる節が見受けられますが、中々行けない場所だからこそ聖なる場所として信仰される場合もあります。
あなたの論調はこうした事を無視した暴論に過ぎないかと思いますが、その辺をどのようにお考えでしょう?
また、証拠がない、と仰られておりますが、アイヌ民族は元々文字を持たぬ民族で全て口伝です。
それで証拠がない、と言うのはおかしいと思いますが。
こういったことは学問になるので一市議会議員がご存じでないのは当然だろうと思いますが、そうした事に踏み込んでコメントされるのであれば、もう少し勉強という事をされてからコメントされた方が馬鹿にみられないと思いますが。
最近 やっと まともな議論が役所側と出来ていることを喜ばいく思います
以前はアイヌ いる?いない?人権問題?でしたからね
先生の推測が混じっているためわかりにくいですが、
この記事のポイントは、3つにまとめられると思います。
・札幌市文化部は、藻岩山がアイヌの「聖地」であったことの根拠を示す文献や事物は知らなかった。
(※ただし、サイトを運営する札幌市観光文化局は知ってる可能性はある。文化部とは共有していなかった。)
・特に「先住民族」の定義をせずに、平成20年の国会決議は行われた。
・国は、「アイヌの人々は、国連宣言にいう先住民族ではない」と考えている。
というところだと思います。
ただ「ようこそ札幌」のサイトは、カッコつきの「聖地」というのが、逃げ方がうまいなと正直感じています。
藻岩山がアイヌの聖地だっかどうかが今回の金子氏の発言の主旨でないことは誰の目にも明らかですが、例の「アイヌ民族いない発言」のときと同様に、金子氏の発言のごく一部だけを切り取って不勉強だの何だの執拗に批判している輩に呆れました。
呆れたついでにあなたの論調に合わせて指摘しておきます。
この付近にいたアイヌにとって「モイワ」は聖地であったと思われますが、そもそも当時アイヌに「モイワ」と呼ばれていた場所は現在の円山を指します。一方、現在の藻岩山は、市の観光サイトにも記載されているとおり当時は「インカルシペ」と呼ばれていました。
したがって、現在の藻岩山がアイヌの聖地ではない可能性はかなり高いと思われます。
そもそも金子氏は研究者ではなく市会議員ですから、市政についての疑問を市に問いただすことは当然のことです。
計画中の施設であればいざしらず、現に市は藻岩山の山中にアイヌの展示コーナーをつくってしまったわけですから、本件は金子氏の不勉強を指摘するよりも、藻岩山とアイヌとの関係についてきちんと答えられない市の答弁のほうこそ問題ではないでしょうか。
なお、アイヌが文字を持たない口伝であることはそのとおりですが、聖地であったとする証拠は必ずしも文字である必然性はありません。要は、市は聖地であったと判断したその根拠を示せはいいだけのことです。
公人よ。1円でも税金、1秒でも市民の時間。本ページは力作のようですな。随分と長いが、何時間かけたかね。電気代も高くなったね。公人よ。人が心豊かになれる「新しい」物事を「創造」してみせてよ。なにか作って見せてよ。モノ・カタチでもイベントでもいいよ。ひとの大きな感動を、うねりを作って見せてみてよ。まず、となりの人を笑顔にできるかい?札幌市民を笑顔にできるかい?
forest.tree-morii@ab.auone-net.jp
「モイワ」は、アイヌ語で「小さい」という意味です。当時のアイヌの人々が呼んでいたモイワ山は、今の円山のことです。それを後から入植した倭人が、間違って、隣の「インカルシペ」(見晴らしのいい)のことを藻岩山としてしまったのです。
今の藻岩山(インカルシペ)は、アイヌが住んでいたわけではなく、頂上において、敵からの攻撃に備えて、見張りをしたり、アイヌの酋長がノロシを上げたりして呪術敵な神事を行い、神の住む山として崇めていました。札幌の平地から見ると、視覚的には一番天に近い高い山だったので、神が降臨するところとして聖山として位置づけられました。
だからアイヌにとっては聖地としての言い伝えがあるというだけです。根拠とか証拠などの問題ではなく、単なる「言い伝え」「言い慣わし」です。
今の藻岩山の頂上は、「恋人達の聖地」と呼ばれますし、厚別陸上競技場は、「コンサドーレの聖地」とも呼ばれます。誰もそこに住んでいるわけではありません。
この類と一緒でありますので、聖地の呼び方を巡っていちいち目くじらを立てるような問題では無いように思いますが・・・。
そのいちいち目くじらを立てるような問題ではないことに、目くじらを立てた結果、もいわ山とはまったく関係ない
アイヌの展示コーナーができたのではないでしょうか?
http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/blog-entry-339.html
先日発覚したアイヌ官製談合問題もこのような背景から起こっていると考えますが。
昔の「モイワ」がアイヌの聖地であったとの言い伝えはいくつも聞いたことがありますが、今の藻岩山を神の住む山として崇めていたという言い伝えは、例の団体関係者を除き聞いたことがありません。
ちなみに、市の観光文化局よりは山に詳しいであろう、北海道森林管理局のサイトには、以下のように現在の円山のほうが聖地であった旨掲載してあります。
>モイワ(小さな山)は、もともとアイヌの聖地とされた別の山(現在の円山)を
>指していました。明治初期、その山に円山という新たな名がつくと、近くにある
>山「インカルシペ(いつも上って見張りをするところ)」に、神聖な「モイワ」
>の名が引き継がれました。
http://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/policy/system/rekumori/sizenkansatu/moiwa_teine_haruka/index.html
また、金子氏の書き込みを読んで、アイヌべったりの市がずいぶんアイヌ団体の意向に反するような発言をしたもんだと少々驚いたので、検索してみたら、なるほどアイヌ団体は藻岩山の再整備にもずいぶん前から首を突っ込んでいていたようですな。
以下のリンク先は砂澤氏のサイトであり、真偽のほどはいかほどかわかりませんが、掲載されているアイヌ団体の申し入れ書にはかなり無理があることや(特に熊彫り)、アイヌ団体との交渉には従前から市の上層部が深く関与していたことが伺えます。
http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/blog-entry-339.html
金子氏が最初に書いている丘珠縄文遺跡公園の基本構想もひととおり読みました。
この遺跡はタイトルのとおり和人やアイヌからみての先住民である、いわゆる縄文人の遺跡なのですが、なぜか委員に北海道アイヌ協会の役員が入っています。
わけがわかりません。
例のパンフ談合疑惑で幕引きをせず、アイヌ関連の事業には従前からどれも同じような口利きや圧力が働いていた可能性を疑い、一度、第三者の手により徹底的に洗い出すべきではないかと思います。
「教科書では我が国は2675年前に神武天皇が建国したことになっていますから」、のくだり。
ここに書き込む方、この部分に違和感を感じませんかね。みんなスルーしてるね。インカルンペ定義確認も結構ですがね。
さて、頭の悪い私にご教授くださいませ、いったいどの教科書に書かれてるのか。そして、我が国、とは。 現代でいう日本国のことか。 不明。ほんとうにこのひとの真意が不明。何がしたいのか。過激な言動は一見正義感に満ち溢れているように見えるが、「発生している事象」に喰い付きが良いだけで、新しいカタチとなる提案・提言を持ち合わせないひとであると以前から見抜いておるぞ。
forest-tree.morii@ab.auone-net.jp
自由社と育鵬社の歴史教科書には記載してありますな