パラオ:終わらない戦後抱え 両陛下待つ戦死者遺族
毎日新聞 2015年04月08日 15時21分(最終更新 04月08日 16時20分)
母は正二さんの話をしたがらず、他の遺族からパラオ行きを誘われても「行きたくない」とかたくなだった。
その母が大切に保管していた手紙には、戦地で家族を思う姿がつづられていた。「孤独の頼りなさが大声を上げて泣きたいような焦燥にかられた」こと。母に連れられた幼児を見て「忠子も此(こ)の位になったかな」と思ったこと。夢で見たという家族3人の絵もあった。「切なかった。でも私を愛してくれたとわかり、幸せだった」
正二さんの最期は分からず、遺骨も戻っていない。ただ、手紙を読んでから忠子さんは各地の史料館を巡って父親の足跡を調べ、慰霊祭に足を運ぶようになった。「島の貝殻や砂を拾って帰り、母の納骨堂に入れる。それで私の戦後が終わるのかもしれません」