TOP » 社会 » 親日国パラオの感動の歴史 ―天皇皇后両陛下ご訪問の地

親日国パラオの感動の歴史 ―天皇皇后両陛下ご訪問の地

《『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』より》

パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか

 

日本人が知らない“感動の歴史”

 スキューバダイビングをはじめマリンスポーツのメッカとして日本でもよく知られた「パラオ」。

 だがこの国が、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となり、過去の一時期を日本と共に歩んだ世界屈指の“親日国家”であることはあまり知られていない。

 そんなパラオ共和国には、日本人が知らない“感動の歴史”があった。

 その代表がパラオ国旗であろう。平成6年(1994)に独立を果たしたときに制定された“月章旗”と呼ばれるこの国の国旗は、日本の“日章旗”にちなんだものとされる。この国旗は、否応なく日本人のパラオへの親近感を呼び起こす。

<写真提供(c):井上和彦(以下同じ)*転載厳禁

 そしてパラオでは、いたるところに日本時代の建物が遺されており、そのいくつかは今でも現役で使われているから驚きだ。また、「ダイジョウブ」(大丈夫)、「オカネ」(お金)、「コイビト」(恋人)など数多の日本語がパラオ語となって日常に飛び交っているほか、パラオ人の名前には、スギヤマさん、ジローさん、タローさんなど明らかな日本名が多く使われていることに仰天する。

 なにより忘れてはならないのが、かつて強大な米軍と勇敢に戦った日本軍将兵を、パラオの人々が讃え、その武勇を語り継いでくれていることだ。

 昭和19年(1944)9月15日、日本の統治領であったパラオ諸島のペリリュー島に侵攻してきた米軍を迎え撃ったのは、中川州男〈くにお〉大佐率いる日本軍守備隊だった。ただひたすら国難を救わんと、至純の愛国心に燃える日本軍将兵は、その数的劣勢をものともせず、敢然と米軍の前に立ちはだかり、米軍は未曾有の損害を被ることとなった。

 勇戦敢闘するペリリュー守備隊に対して、天皇陛下から実に11回もの御嘉賞が贈られた。ゆえにペリリュー島は“天皇の島”と呼ばれたのである。日本軍将兵の勇猛果敢な戦いぶりは戦後、地元民の手になる『ペ島(ペリリュー島)の桜を讃える歌』となって語り継がれているが、この事実は、パラオでいかに日本軍人が賞賛されているかの証左であろう。

 ペリリュー島沖合い10キロの外洋に浮かぶアンガウル島でも、日本軍守備隊は強靭な精神力で戦い抜いた。こうした日本軍守備隊の不撓不屈の精神と勇猛さに米軍はいたく感銘し、加えてパラオの人々は日本への尊敬と畏敬の念を強めたのである。

 このたび、そんなパラオへ天皇皇后両陛下が御行幸啓されることとなった。

 かつて同じ歴史を歩んだパラオ共和国への御行幸啓はたいへん意義深い。

 この地で散華された英霊に対する、なによりの鎮魂になることはいうまでもないが、今次の御行幸啓を契機に、これまで封印されてきた日本の輝かしい近現代史の真実が明らかになるからである。そして、この地で日本軍将兵がいかに勇敢に戦い、そのことが地元パラオの人々の親日感情にどれほど大きな影響を与えたかを知る契機ともなろう。

 どうかこの両陛下の御行幸啓を契機に、拙著を片手に1人でも多くの日本人に親日国家パラオを訪れていただきたいものである。

<<次ページ>>70年目の再会

 

 

 

 

関連記事

http://shuchi.php.co.jp/

WEB特別企画

WEB連載

  • 和田彩花の「乙女の絵画案内」

    和田彩花の「乙女の絵画案内」

    和田彩花(アイドルグループ「スマイレージ(現:アンジュルム)」リーダー)

    人気アイドルグループ「スマイレージ(現:アンジュルム)」のリーダー、和田彩花が、大好きなアートについて思う存分語る、画期的な美術論。PHP新書から好評発売中!

  • 「虚構」は「現実」である

    「虚構」は「現実」である

    斎藤 環 (精神科医)

    フィクションとリアルの混同とは何か。サブカルチャーに精通する精神科医が、映画、漫画、小説などから読み解く現代世相。

  • 今だから話そう、大震災のあの時あの現場

    今だから話そう、大震災のあの時あの現場

    熊谷 哲( PHP総研 主席研究員)

    東日本大震災当時、内閣府から派遣された熊谷哲(現・PHP総研)が経験した事実をそのまま明かす「あの時あの現場」。

松下幸之助の今日の一言

松下幸之助の今日の一言

App Store
PHP研究所 mixiページ

ページトップ

TOP » 社会 » 親日国パラオの感動の歴史 ―天皇皇后両陛下ご訪問の地