【スピーカー】
アロースミス・スクール校長 Barbara Arrowsmith Young(バーバラ・アロースミス・ヤング) 氏
【動画もぜひご覧ください!】
The Woman Who Changed Her Brain: Barbara Arrowsmith-Young at TEDxToronto
宇宙の恒星よりも多い脳の神経細胞
バーバラ・アロースミス・ヤング氏:皆さんに小さな秘密を教えましょう。このスピーチが終わる頃にはもう秘密ではなくなっていると思いますが。私は人間の脳について、本当にものすごく熱い情熱を抱いています。
科学のおかげで、人間は脳によって形作られること、脳により人格が形成されることがわかっています。脳について考えてみましょう。脳には2千億個の神経細胞があります。
世界の人口を考えてみてください。たったの70億人です。脳の中には何百兆もの神経細胞がつながっています。
天の川銀河のたくさんの恒星を想像してほしいのですが、私たちの脳の中には、そのすべての恒星を合わせたよりももっと多くの神経細胞がつながっているのです。
この信じられないほど複雑な器官を、私たちはどこに行くときも持ち歩いていて、その脳こそが私たちの人格を形成しています。脳はフィルターのようなものであり、知覚したもの。また、自己について、他者について、世界について、そしてその世界における己の場所についての理解をフィルターにかけるのです。
そして何より素晴らしいのは、全く同じ脳は存在しないということです。隣に座っている人に目をやると、鼻の形や目の色、身長など、身体的特徴の違いに気が付くでしょう。
でも、皆さんとお隣の人の脳の間には、これらの身体的特徴の違いの全てを合わせたよりも大きな違いがあるのです。このように、私たち一人ひとりが異なるのは脳のおかげなのです。
今日は私の物語を皆さんと分かち合いたいと思います。脳が私たちを形作るだけでなく、実際に私たちも脳を形作ることができる。と私が学ぶに至った物語です。
脳に欠陥があると診断された小学生時代
ことの始まりは小学校1年の時でした。小学校1年生の時、私には学習を妨げるメンタルブロック(精神的障壁)があると診断されました。欠陥がある、と言われたのです。
「他の子どもたちと同じように学習することは不可能だろう」と言われました。当時、その意味するところは明らかでした。
そのような限界を受け入れる必要がある、と宣告されたのです。それは1957年、脳を変化させることはできないと思われていた時期でした。子ども時代は本当にもがき苦しみました。
私には時計が読めませんでした。時計の長針と短針の関係が理解できなかったからです。
言葉もわかりませんでした。読み聞きしたことのほとんどがちんぷんかんぷんで、わけがわかりませんでした。具体的な説明はわかりました。
「その男性は黒いコートを着ている」と言われれば、頭の中でそのイメージを思い描き、理解することができました。でも、概念や考え、関係は理解できなかったのです。
いろいろなことに戸惑いました。「叔母さんがお母さんのお姉ちゃんってどういうこと?」「分数の1/4って一体どういうこと?」と考えました。抽象的な概念は私には難しすぎました。
皮肉やジョークを理解するなんて不可能だったので、他の人が笑う時には私も笑うようにしました。因果関係など私の辞書にはありませんでした。私の場合、物事には理由がなかったのです。私の世界は関連のないバラバラの断片でできていました。
ついには、私の断片的な世界観によって、私のアイデンティティもひどく断片的になってしまいました。
3次元空間を想像できなかった
それだけではありません。私の身体の左半分全体が残りの部分とつながっていないような、違和感を観じていました。しょっちゅう左半身をぶつけたり、突き当たったりしました。
左手に何かを持ったら、落としてばかりいました。この左手で熱いコンロに触れても、痛みは感じてもどこが痛いのかがわかりませんでした。まるで自らの身に危険を招いているようなものでした。母は私が5歳までは生きられないだろう、と確信していました。
おまけに、私は空間認識の問題まで抱えていました。3次元空間を想像できなかったのです。頭の中で地図を描くこともできませんでした。
友達の家の中でさえ、いつも迷子になっていました。道路を渡ることは恐怖でした。あそこの車と自分の間にどのくらい距離があるのか、判断できなかったからです。
幾何学の授業は悪夢でした。ものすごく恥ずかしい思いでした。自分が何かひどくおかしい、と感じていました。メンタルブロックがあると診断された時、子ども心に、「頭の中に木のブロックがあって、そのせいで学習が困難なのだ」と思いました。
実際は頭の中に木は入っていなかったのですが、全く見当はずれというわけでもありませんでした。
後になってわかったことですが、脳の非常に重要な部分に障壁を抱えていました。伝統的な対処法はすべて試してみました。それはすべて補償療法で、問題を克服するために、弱点を補うための強みを見つけ出そうというものでした。
でも、問題の根源に対処するものではなかったのです。英雄的な頑張りをしたわりには、結果はとても限定的でした。
父から学んだ“問題の解決方法”
そして8年生の時、私は壁にぶち当たったのです。
自分が高校に進学し、今よりも複雑なカリキュラムを学ぶなんて想像もつきませんでした。私に与えられた唯一の選択肢は、自ら命を絶つことだと思いました。
この苦しみを終わらせようと決めたのです。自殺未遂に終わった翌朝、目が覚めて、命を絶つことさえろくにできなかった自分を責めました。
私は格闘し続けることになりました。私が頑張り続けられたのは、父から学んだ姿勢があったからです。
父は発明家で、クリエイティブなことに情熱を傾けた人です。父から「問題があって解決策が見当たらない時には、自ら動いて解決策を生み出しなさい」と教わりました。
もう一つ、父が教えてくれたのは「問題解決の前にまず問題の本質を突き止めなければならない」ということでした。それで、私は探求を続けました。自分のどこがおかしいのか、問題の根源は何なのか、を理解するために心理学を学ぶことにしたのです。
同じ症状の人物との出会い
そして1977年の夏、人生を一変させる出来事が起こりました。私と同じ症状の人と出会ったのです。
彼はロシア人兵士のレブ・ザゼッキーといい、唯一の違いは、彼の症状は戦争で頭に受けた弾丸によるものに対し、私の場合は生まれつきであるということでした。
優れたロシアの神経心理学者アレクサンドル・ルリヤが書いた『失われた世界―脳損傷者の手記』という本で、ザゼッキーのことを知りました。
ザゼッキーの話を読むと、彼は時間がわからないこと、濃霧の中で暮らすようなものだ、という描写がありました。頭の中は断片やがらくたばかり、と書いてあるのを読み、この人はまさに私と同じだったのです。
そうして1977年、25歳の時に私は問題の根源を突き止めました。
脳の左半球の一部が機能していなかったのです。
それからマーク・ローゼンツバイク(心理学者)の著作に出会い、彼が解決策を示してくれたのです。ローゼンツバイクはネズミを研究していて、豊かな環境刺激の下で飼育すれば、ネズミの学習が向上することを発見したのです。
ネズミの脳を探ってみると、学習を支えるように脳が生理的に変化していたのです。まさに神経可塑性の実例でした。神経可塑性とは、簡単に言うと、脳が刺激を受けて、生理学的・機能的に変化する能力のことです。
時計を使って脳をトレーニングした
それで私は自分の成すべきことがわかりました。私は脳を働かせ、トレーニングし、弱い部分を強化する方法を見つける必要がありました。
このことが、私が変わるきっかけとなり、私のライフワークの始まりとなりました。人間にはネズミと少なくとも同じ、いえ、それよりももっと神経可塑性がある、と信じようとしたのです。
そこで私は最初のトレーニングを作成することにし、そのために時計を使用しました。
時計は長針と短針の関係を示すものであり、私には時計が読めなかったからです。そこでまず、脳が時計の長針と短針の関係を処理できるように鍛え、3本目、4本目と針を増やしていきました。
概念を結びつけ、その関連を理解するため、脳をとにかくひたすら鍛えたかったのです。3、4ヵ月ほど経って、著しい変化が起きたとわかりました。
私はずっと哲学を学びたかったのですが、これまで決して理解することができませんでした。たまたま哲学科の図書館を利用する機会があり、中に入り、本棚から哲学の本を1冊取り出して当てずっぽうにページを開きました。そのページを読み進むにつれて、内容が理解できたのです。これまでの人生で一度もなかったことでした。
「単なるまぐれね。きっと易しい本だったのよ」と思い、別の本を引っ張り出して開けて読みましたが、ちゃんと理解できました。読み終えた時には、私の周りには100冊もの本の山が築かれていて、どのページも読んで理解できたのです。何かが変わった、と思いました。
(会場拍手)
ありがとう。実験がうまくいったのです。人間の脳には変化する能力があるのです。
それから私は、違和感を覚えていた身体のトレーニングを編み出すことを決めました。そのためには脳の右半球の体性感覚皮質という、感覚を処理する部分に取り組む必要があるとわかっていました。
そのためのトレーニングを開発し、もはや自分の身に危害を加える危険もなくなりました。その次は、迷子になるのにうんざりしていたので、空間認識の問題に取り組むことに決めました。
そのためのトレーニングも考案し、もう道に迷わなくなり、地図だって読めるようになったんです。GPSはあまり好きではありません。だってもう地図がわかるようになったので、地図を読むのが好きなんですもの(笑)。
さて、私は脳が変化し得ることを身をもって体験しました。私こそが人間の神経可塑性の生きた証しです。
認知的トレーニングを学校のカリキュラムにしたい
でも、本当に胸が痛むのは、今日でも学習障害と闘っている子どもや人々がおり、私が1957年に言われたように「限界を受け入れる必要がある」といまだに言われていて、あえて夢を見ようと思わないことなのです。
1977年にザゼッキーやルリヤやローゼンツバイクと出会って以来、私は学びました。確かに脳は人格を形成し、世界との関わり方やあり方に影響を与えます。
私たちは一人ひとり、独自の認知的な長所と短所があります。限界があるからといって、必ずしもそれを甘受する必要はありません。
今では神経可塑性について理解が進んでいるのですから、脳が変化するという特徴を活かし、実際に脳を強化し、刺激を与え変化させるようなプログラムを生み出すことができるのです。
1966年にローゼンツバイクが挑戦状を突きつけました。彼の挑戦とは「ネズミで学んだことを、人間にも応用しよう」というものでした。
私たちはその挑戦を受け入れなければなりません。そしてまた、いまだに「脳は変わることができない」というパラダイムに基づく、現在の治療の実践にも挑む必要があるのです。
学習の将来を変えるためには、神経可塑性についてわかっていることを受け入れ、実際に脳を形作るようなプログラムを開発する必要があります。
私のビジョンは、子どもたちが学習障害と闘い苦しみ続けながら生きることのないような世界を生み出すことです。
認知的トレーニングが通常のカリキュラムの一部になること。学校が脳を強化するため、効率良く効果的に学習するために通う場所となること。
そして学習者が「あえて夢見る」ことができるだけでなく、夢を実現できるような学習課程に学校が携わること。私にとって、それこそが神経科学と教育の完璧な組み合わせだと思うのです。
ご静聴ありがとうございました。
(会場拍手)
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