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» 2015年04月08日 08時31分 UPDATE

漫画家志望で永井豪氏に弟子入り志願 「ドラクエ」生みの親・堀井雄二さん ゲームへの転機は…… (1/3)

「ドラクエ」生みの親の堀井雄二さんの学生時代の夢は漫画家。永井豪氏に弟子入りを志願したともあるという。ゲームへの転機は……。

[産経新聞]
産経新聞

「おお○○よ、死んでしまうとは何事だ」は「一種のギャグ」 ドラクエの生みの親・堀井雄二さんに聞くから続く)

――漫画家志望だったんですね

 堀井 最初は弁護士志望でした。弁護士を目指すというと「偉いね!」とほめられたから。でも、中学校に入って何か違うと思いました。当時、「巨人の星」とか「あしたのジョー」とか漫画が流行していました。洲本(兵庫県)の実家の裏が貸本屋で、そこで出ている漫画はすべて読みました。空想の世界で遊ぶことが好きで漫画を描き始めました。

画像 小学5年生ごろ、兵庫県洲本市の海岸で友人と並ぶ堀井雄二さん(中央)=本人提供

――どんなお子さんでした?

 堀井 漫画も好きだけど、海や山にもよく遊びに行きました。実家から海へは自転車で5分。水着をはいて海に出掛けて、友達と貝を採って食べたり。冒険とか探検も好きでした。洲本城にもよく登って、観光客が海に向かって投げる「かわらけ」という小さなお皿を崖(がけ)を下って回収して、売店に持ち込んで小遣い稼ぎもしましたよ。

――とても楽しそう

 堀井 崖を降りていくと変な神社とか祠(ほこら)が見つかったり、思いもよらないところに出たり、新しい発見がありました。それらの経験が、ゲームを作る上でヒントとなったかもしれません。

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