(「おお○○よ、死んでしまうとは何事だ」は「一種のギャグ」 ドラクエの生みの親・堀井雄二さんに聞くから続く)
――漫画家志望だったんですね
堀井 最初は弁護士志望でした。弁護士を目指すというと「偉いね!」とほめられたから。でも、中学校に入って何か違うと思いました。当時、「巨人の星」とか「あしたのジョー」とか漫画が流行していました。洲本(兵庫県)の実家の裏が貸本屋で、そこで出ている漫画はすべて読みました。空想の世界で遊ぶことが好きで漫画を描き始めました。
――どんなお子さんでした?
堀井 漫画も好きだけど、海や山にもよく遊びに行きました。実家から海へは自転車で5分。水着をはいて海に出掛けて、友達と貝を採って食べたり。冒険とか探検も好きでした。洲本城にもよく登って、観光客が海に向かって投げる「かわらけ」という小さなお皿を崖(がけ)を下って回収して、売店に持ち込んで小遣い稼ぎもしましたよ。
――とても楽しそう
堀井 崖を降りていくと変な神社とか祠(ほこら)が見つかったり、思いもよらないところに出たり、新しい発見がありました。それらの経験が、ゲームを作る上でヒントとなったかもしれません。
copyright (c) 2015 Sankei Digital All rights reserved.