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小沢翔、バレー日本一JTから指導者の道へ 25歳で決意の転身

産経新聞 4月8日(水)7時55分配信

 ■「強いチーム作る」

 今季の全日程を終えたバレーボールのプレミアリーグ。男子で初優勝を遂げたJTには、創部84年目での悲願達成を花道に、25歳の若さで現役を退く選手がいる。「すっきり終われた。100点満点」。かつて「春の高校バレー」優勝で脚光を浴び、大学と社会人でも日本一を経験した小沢翔は「新たな夢」という指導者を目指して東海大大学院に進む。(奥村信哉)

 5日、東京体育館で行われたサントリーとの決勝。自身の“引退試合”を「まったく緊張しなかった」と振り返る小沢はスパイクとブロックで計7得点を挙げ、勝利に貢献した。パナソニックを下して頂点に立った昨年12月の天皇杯全日本選手権決勝では出番がなく、「今回こそはと思っていた。次のステップにつながる、いい優勝だった」と完全燃焼を口にした。

 静岡の小さな町で生まれ育った小沢の名が広く知れ渡ったのは2007年。1、2年生による選抜優勝大会として行われていた「春の高校バレー」で東亜学園(東京)の主将として24年ぶりの優勝に導いた。

 進学した東海大でも主将を務め、全日本大学選手権優勝などに貢献。12年に入団した名門JTでも年を追うごとに力をつけ、今季はシーズン3位のスパイク決定率(50・4%)をマークした。

 トップレベルの選手としては178センチとかなり小柄だ。JTでは高いレシーブ力の求められるレフトにコンバートされるなど苦労も多かったが、「選手は試合に出てなんぼ。どこのポジションでも通用するように練習するしかない」と弱音は吐かなかった。

 東亜学園でコーチとして指導した佐藤俊博・現監督は「ジャンプ力以外はコンプレックスを抱えていたはず。ポジションが変わるごとに相当な努力を重ねたと思う」とねぎらった。

 昨年11月に、東亜学園の小磯靖紀・前監督=享年53=が急逝。指導者への転身をすでに決めていた小沢は「失ってから気づく部分もある。どんなときも選手のモチベーションを上げてくれた小磯先生のように自分も教えていこう」と心に刻んだ。

 今後の目標は、全日本選手を育てることだ。「いいチーム、強いチームを作りたい」。幾度となくたどり着いた日本一の座を、今度は教え子たちとつかむ日を目指して研鑽(けんさん)に励む。

最終更新:4月8日(水)8時1分

産経新聞