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【社会】

「戦争風化させない」 「特攻語り部」板津さん死去

パネルを並べ、特攻隊の体験を語る板津忠正さん=2013年9月、岐阜県可児市で

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 旧陸軍特別攻撃隊員で、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)の初代館長職を務め、六日に慢性心不全のため九十歳で亡くなった板津忠正さん=愛知県犬山市=は、隊員の遺影と資料の収集に加え、特攻での体験や不戦を主題に全国で講演会も開いてきた。脚光を浴びることは好まなかったが、「戦争を風化させたくない」との強い思いが背中を押していた。 (田中富隆)

 板津さんは名古屋市出身。一九四五年五月二十八日、特攻隊員として鹿児島県の知覧基地から出撃したが、搭乗機のエンジンの故障で同県の徳之島に不時着し、生還した。講演会では「生きて帰ることが何よりもつらかった」と、当時の心情を吐露している。

 生き残った者の使命として隊員の慰霊を決意し、戦後は名古屋市役所に勤務する傍ら、休日は東海地方を中心に遺族を訪問。収集した遺影や資料を知覧特攻平和会館に送った。定年前に退職すると訪問先を全国に広げ、千三十六人とされる陸軍特攻隊の全戦没者の遺影を集めた。

 長男の昌利さん(57)は「インターネットも普及していない時代、私財を投じて父が集めた資料は、どこに出しても恥ずかしくない」と誇らしげに語った。

 八四年に知覧特攻平和会館を運営する財団法人に招かれ、来館者向けに語り部を始めた。八六〜八八年は初代館長職を務めた。知覧から戻ると、幅広い年齢層を対象に講演を本格化。「戦争は二度としてはいけない。兄弟仲良く、親孝行をしてほしい」と訴え続けた。平和会館の上野勝郎館長(56)は「遺族からの電話で訃報を知った。会館が建て替えられた当時に貢献され、温厚な人と聞いている。素晴らしい人を亡くし残念」と悼んだ。

 三十五年の交流があった平和活動グループ「すいとんの会」代表の時々輪斉子(じじわせいこ)さん(74)=犬山市前原=は「若い父のように慕っていた。息を吹き返してくれると信じていた」と肩を落とした。

 

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