認知症:行き倒れ男性の家族「助ける機会あったのに…」

毎日新聞 2015年04月08日 06時50分(最終更新 04月08日 08時18分)

認知症男性は紅葉山公園のトイレ(奥)の手前の地面で横になり死亡していた=東京都中野区で2015年3月5日、小川昌宏撮影
認知症男性は紅葉山公園のトイレ(奥)の手前の地面で横になり死亡していた=東京都中野区で2015年3月5日、小川昌宏撮影

 昨年8月に行方不明になった横浜市の認知症男性(当時83歳)が路上で倒れているのを発見されながら、消防や警察に救護されず、その2日後に死亡していた。「何度も命を助けられる機会があったのに。二度とこのようなことが起きないよう救急と警察は対策を真剣に考えてほしい」。家族は強く願う。【山田泰蔵、銭場裕司】

 今年2月、遺体の身元確認のため警視庁中野署を訪れた長女(51)と次女(49)は警察官の言葉に耳を疑った。

 「(死亡する)2、3日前に警察が扱っているんですよ」

 父が行方不明になったのは昨年8月19日。東京都中野区の公園で死亡したのは23日だったが、21日午前と夜に2度、交番の警察官らが倒れていた父と接していたのだ。21日午前は自分の氏名と漢字を正確に答えたという。行方不明者届を出していたのに、なぜ父と分からなかったのか。質問を繰り返しても納得のいく答えはなかった。

 東京消防庁中野消防署にも足を運んだものの、不明な点が残った。担当者からは「記録に書いていることしかお伝えできない」と言われたという。

 青森出身の父は溶接工として一家を支え、職人気質で頑固な一面がある一方、娘思いで優しかった。若い女性が被害に遭う事件を耳にすると、「そんな思いはさせたくない」と心配し、夜道を娘1人では歩かせなかった。

 認知症の症状が出始めたのは3年ほど前。退職したのに「仕事に行く」と出かけようとし、2年前にアルツハイマー型認知症と診断され、要介護認定も受けた。その後も氏名や住所は話せたものの、姉妹は万が一に備え、氏名や連絡先を書いた小さな紙を財布に潜ませた。自尊心を傷つけないよう工夫したが、父は気付けば紙を取り出していた。

 今年3月1日、遺骨となった父が約半年ぶりに帰宅した。「おかえりなさい」と母(80)が手を合わせる。「若い時は忙しかった。悔いがない人生に」と退職後はゆったり過ごせるよう気遣い、行方不明になった後は大好きなコーヒーを用意して待ち続けた。「こんな姿になったのは残念ですが、帰ってきてうれしい」。母は気丈に語る。

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