【4月7日 AFP】シリアの首都ダマスカス(Damascus)南部にあるヤルムーク(Yarmuk)のパレスチナ難民キャンプで、イブラヒム・アブデル・ファタハ(Ibrahim Abdel Fatah)さん(55)は2年にわたって戦闘や飢えを生き抜いてきた。だがイスラム過激派組織「イスラム国(Islamic StateIS)」がキャンプに侵攻し戦闘員が人々を斬首していく様子を目の当たりにし、ファタハさんは意を決してキャンプを脱出した。

 妻と7人の子どもを連れて政府軍が掌握するダマスカス南東部タダムン(Tadamun)地区にある学校にたどり着いたファタハさんの顔は青白くやつれ、無精ひげが伸びている。「切断された頭部をいくつも見た。彼らは親の目の前で子どもたちを殺すんだ。恐ろしさに凍り付いた」

 ファタハさんは「ISの残虐行為はテレビで聞いてはいた。だが実際に自分の目で見たときには……。断言するよ。やつらは噂のとおりだ」と言い切った。

 現在は避難所となっているこの学校には、住む家を追われた子どもたち40人を含む避難民98人が3つの教室に分かれて暮らしている。

 パレスチナ解放機構(Palestine Liberation OrganizationPLO)のアンワル・アブドル・ハディ(Anwar Abdul Hadi)氏によると、ISがヤルムーク難民キャンプを攻撃した1日までに、およそ500世帯、約2500人が同キャンプを脱出している。

 広さ2平方キロのヤルムーク難民キャンプは、ダマスカス中心部からわずか7キロの位置にあり、かつては16万人のパレスチナ難民とシリア人が暮らしていた。だが2011年に内戦が始まると反政府派と政府軍の激戦地となったうえ、1年以上続いた政府側の封鎖措置でキャンプ内は人道危機に陥り、人口はわずか1万8000人ほどに激減。現在はISや国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)系組織「アルヌスラ戦線(Al-Nusra Front)」によってほぼ完全に制圧されたと報じられている。

■生首でサッカーに興じるIS戦闘員

 アムジャド・ヤークーブ(Amjad Yaaqub)さん(16)は、「(ヤルムーク難民キャンプでは)『ダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語の略称)』のメンバー2人が、切断された頭部をサッカーボール代わりにして遊んでいるのを見た」と話した。ラップ歌手のように野球帽を後ろ前にかぶったヤークーブさんだが、目や顎は腫れ上がっている。「(親アサド政権の)パレスチナ人民委員会(Palestinian Popular Committees)に所属する兄を探してダーイシュが家にやって来た。やつらは僕を殴りつけ、気絶した僕を死んだものと思って立ち去ったんだ」

 ヤルムークで17年間暮らしていた難民女性のウム・ウサマ(Umm Usama)さん(40)も、この学校に避難してきた。「断腸の思いでキャンプを出てきた。爆撃や飢餓の時だってキャンプに残ったというのに。あの時もひどい状況で草まで食べた。それでも、まだ自分の家に居ることができた。けれどダーイシュがやって来てキャンプは破壊と虐殺の場になった。あの人たちのやることは人間じゃない。信じる宗教も私たちとは違う」と、ウサマさんは沈んだ目つきで語った。

 ヤルムーク難民キャンプで生まれ育ったという女性アビル(Abir)さん(47)も、ISが来て全てが変わったと話す「それまでは死ぬ心配などなかった。戦闘が起きても反体制派の兵士たちは必ず市民の安全を確保してくれたから」

 避難民らが暮らす教室にはスーツケースの類いが一切見当たらない。みな荷造りをする間もなく逃げ出さなければならなかったからだ。

 ナディア(Nadia)さん(19)も全財産を残したまま、狙撃手に見えないよう壁伝いに逃げてきた。だが生後2か月の赤ちゃんをあやしながら、ナディアさんは夫は一緒に来られなかったと語った。(c)AFP/Rim Haddad