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【「忘れえぬ島」パラオ~遺族・戦友の戦後70年】
(中)両陛下ご訪問を前に壕開く 遺骨収集加速に高まる期待
終戦の年に生まれた影山さんは、陸軍に物資を調達していた父が慰霊会の前身団体に参加していた影響で慰霊と遺骨収集に携わるようになった。32歳で初めてペリリュー島を訪れ、朽ちた戦車や戦闘機、そして遺骨が多数残されているのを目にして衝撃を受けた。
生還者や現地の人々から戦跡を聞き出し、資料を分析しては、ジャングルや洞窟などに分け入り、遺骨を探し求めてきた。日中でも薄暗いジャングルでは足元に突然、深さ10メートル以上の穴が現れるなど危険があるが、影山さんは今では地図なしで歩き回れるほど地形を知り尽くしている。
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「遺骨収集の主力は、定年退職者と学生」。2年前から硫黄島(東京都小笠原村)や太平洋の島嶼(とうしょ)国などで収集活動を行う60代男性は、こう打ち明ける。本来は国を挙げての事業であるべき遺骨収集だが、一度行けば数日、長ければ数週間かかる調査に継続的に参加できる人員は限られる。
長い年月を経た遺骨はDNA型鑑定でも身元が判明するのはまれで、現地で焼骨後、身元不明者を供養する千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)に納められる。「そうであっても、一人でも取り残しては申し訳ない」。影山さんはいう。