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【戦後70年】
特攻(2)「父に幸福な生活、母に愉快な生活をなしていただくべく戦うこと」特攻の命が下った日、予備学生は書いた
特攻隊の命が下った20年2月22日には「一大記念すべき日なり。私の身を心を、祖国に捧(ささ)げ得る日が約束された日だ。何たる喜びぞ…略…われら特攻隊員となり得て散らんも何か心残りあらん」と書いた。
剛毅(ごうき)な姿勢は、家族と国を守るとの思いから発している。「私の如き一匹死するも可なり。父に幸福な生活、母に愉快な生活をなしていただくべく戦うこと、即(すなわ)ち祖国に、上御一人(かみごいちにん)(天皇)に対し忠になるのである」(同年3月23日)
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ただ、夢を語った部分には心の葛藤がうかがえる。妹の名和まさゑさん(89)によると、森丘少尉は、氾濫する黒部川対策に灌漑(かんがい)用水路を整備するなど農業政策に尽力した父、正唯さんの影響で農業に関心を持ち、農場と牧場の経営という夢を抱いていた。
農業への思いは海軍入団後も変わらない。雨の日が続くと「農民は雀(すずめ)の如く喜んでいることだろう。俺も娑婆にいたなら。然(しか)し今はそうはいかぬ。毎日の雨のため飛行作業出来ず。折角(せっかく)これまで磨いた腕も台なしだ。吾人は天をうらむ。吾人が天をうらめば、農民は如何(いか)にするや」(19年7月6日)と揺れる心を記す。