たべものであそぼう。冷蔵庫を漁って勘だけでカレーを作ったり、その出来上がったカレーが人間の食べる味ではなかったので飼い犬に与えて証拠隠滅を図ったり。そんな仮病を使って学校を休んだ日の小学4年生みたいなテンションで、たべものとあそぼう。大人に叱られない程度に、あそぼう。
第1回「名前も知らない女を抱くように、名前も知らない食べ物を食べる」
男に生まれたからには、一度くらいは「名前も知らない女を抱く」という経験をしてみたい。
「朝、目覚めるとその名前も知らない女の姿はすでにベッドになく、鏡に口紅で『BYE BYE!』とだけ書かれていた」みたいな経験をしてみたい。
しかし、僕は暇さえあればヒカキンの動画とか見て時間を潰しているようなタイプの人間である。図書館から借りてきた本を読みながら平気でビスケットをボロボロと食べこぼすようなタイプの人間である。友人への誕生日プレゼントは、だいたい東急ハンズで買うようなタイプの人間である。そんな悪玉コレステロールみたいな人間の身に、「名前も知らない女を抱く」などという辻仁成な事態など、起こりうるはずがない。
そこで「メシ通」のスタッフさんに「僕が名前も知らない女を抱くという特集企画はどうですか? 大人の力と金の力をかぎりなく使ってもらって」と専門学校卒まるだしの顔で提案したところ、「全然食べ物と関係ないじゃないか」とけっこう本気で怒られた。
しかたがないので、「名前も知らない女を抱く」代わりに、せめて「名前も知らない食べ物を食べる」ことにした。大人なのに、大人に怒られたショックを引きずりつつ。
「名前も知らない食べ物」を求めて、まずは近所のスーパーへと向かった。
スーパーにて早くも僕の心は折れかかった。どんな食べ物にも、はっきりと名前が表示されている。「名前も知らない食べ物を食べる」というのは、実はかなり難しいことではないのか。
なにも買えず、スーパーを出る。軽い絶望感をおぼえながら、道を歩く。もうこうなったら道端に生えている「名前も知らない草」を食べるしかないのか……という危険な発想が頭をよぎる。
しかし、レポ記事のスタートの時点でいきなり雑草を食べるというのも人間として10円の気がしたので、一抹の望みをかけて実家の冷蔵庫を調査してみることにした。
神は、いた。
冷凍室の中から、こんなものが出てきた。まったくもって、名前の知らない食べ物である。
「あれ?どうして実家の冷蔵庫の中に、ピエロの服が?」と一瞬勘違いしてしまったほどに、凶悪な彩色である。よくわからないが、堂本剛の世界観を無理やり食材化させたら、こんな感じだと思う。
本当に食べ物なのだろうか。どう食べればいいのだろうか。まったくもって見当がつかなかったが、動物としての本能が「熱を通さないとヤバい」と告げてきたのでフライパンで焼くことにした。
焼いたら、謎のムラサキの部分だけがボロボロと崩れ、鬱が入った。
できればこのままゴミ箱に捨てたいな、というピュアな想いを抱いたが「名前も知らない食べ物を食べる」という宣言をしてしまったのだから、捨てるわけにはいかない。意を決して口に運んでみた。
甘い。ただただ、甘い。
食べられないことはないのだが、身体に悪影響を与えること必至のカラフルさが邪魔してくる。ノドを通すたびに「死ぬんじゃないか……」という考えがよぎり、食べていてちっとも楽しくない。
敗戦処理のような気持ちでなんとか全てを食べ終える。なぜか、不安定な気持ちになる。この気持ち、なにかに似ている。ああ、そうだ。小学生の頃にコーラの香り付き消しゴムを食べてしまった時と同じ気持ちだ。「名前も知らない食べ物を食べる」というのは、こんなにもストレスを感じるものなのか。
いったい、この「食べられる悪夢」みたいな食材は、なんなのか。どこから入手したのか。親に聞いてみたところ、「親戚のフィリピン人からもらった」とのことだった。
そう。僕の親戚には、フィリピン人がいる。ワクサカ家の闇の部分である。
そのフィリピン人の名はロレリという。女性だ。名前が全部ラ行だ。いつでも金のことばかり考えていると親戚の間で有名だ。さっそく彼女に電話して聞いてみたところ、この食べ物はアメ横で買ったものとのこと。フィリピンのフルーツプリンのようなものらしい。
正体がわかったとたん、この食べ物に対する興味は急速に失われたが、「アメ横」というキーワードは収穫である。
無国籍地帯であるアメ横には「名前も知らない食べ物」がたくさん眠っているはずだ。さっそく僕はアメ横に赴いた。
さすがアメ横。ありとあらゆる食材が売っている。
しかし、残念なことに、ここでもほとんどのものに名前が表示されている。
それでもアメ横の奥へ奥へと潜入していくうちに、まったく名前が表示されていない食材を二品、発見した。
まずはこれ。
木の枝である。色んな形の、木の枝である。
中学の木工室の電動糸ノコの台の下に、こんな感じのものが落ちていた気がする。でも、食材コーナーに売っていたのだから、食べられるのだろう。
とりあえず、炒ってみることにした。
炒ったところで、なにも変わらなかった。どこまでも、木の枝である。
おそるおそる、鼻を近づけて匂いを嗅いでみた。
木の枝の匂いだった。
おそるおそる、味を確かめてみた。
木の枝の味だった。
困った。ただただ、木の枝である。それ以上でも、それ以下でもない。いったい、木の枝にどんな感想を抱けばいいというのだろう。なぜ僕は平日の昼下がりに木の枝をかじっているのだろう。なぜロレリは数年前、「教習所に通う」と旦那から40万円をせびり、そのまま一時失踪したのだろう。
いろいろ思考を巡らせたところで、この食べ物のことはなにもわからなかったし、わかりたいとも思わなかった。
とにかく、ただ木の枝でしかなかった食材のことは忘れよう。次にいこう、次に。
しかし悲しいことに、アメ横で買ったもうひとつの「名前も知らない食べ物」は、これなのである。
見た目からして、同じ失敗を重ねる予感がビンビンする。
ほとんどヤケに近い気持ちで、茹でてみた。
もう見た目が料理とかではなく、黒魔術かなにかである。
強烈な青臭さが台所およびリビングを支配していく。「あ!これダメなやつだ! 近所の人に通報とかされるやつだ!」と慌てて火を止め、クッキング終了。
ちなみに鍋に残った煮汁は、こんな感じだった。
念のため煮汁を撮ってみたわけだが、こんなにも撮ってどうしようもない写真も珍しいと思う。
僕はこの時点で、気づいていた。食材コーナーに売られてはいたが、これはたぶん食べ物ではないことに。
この匂い、どう考えても、ちまきとかを巻くやつである。
それでも食材として買い調理した以上、食べなければならない。しかたなく、口へと運ぶ。
子どもの頃の僕が、いまの僕を見たら、なんて思うかな。
そんなことを考えながら、僕は口の中いっぱいに広がる腐った畳のような味を噛みしめた。
「草だけは食べたくない」とか言っていたのに、最終的には葉っぱを食べている。そんな人間に「名前を知らない女を抱く」ことなど、一生不可能であろう。
※「たべものであそぼう」という言葉を使っていますが、食べ物を無駄にしたり、粗末にすることを推奨するような意味はありません。
書いた人:ワクサカソウヘイ
1983年生まれ。作家・脚本家。主な著書に「中学生はコーヒー牛乳でテンション上がる」「夜の墓場で反省会」「今日もひとり、ディズニーランドで」などがある。とにかく小動物がなつかない。
Twitter:@wakusaka