哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第一回 手紙」


文●川本梅花 写真●重田 航

第一文

 この物語は、西村卓朗という1人のJリーガーだったサッカー選手が、現役を引退するまでの話が綴られている。2007年7月8日に発売された『サッカー批評』(双葉社)で「哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語」というタイトルで連載された。全21回の物語は、2012年3月10日で最終回を迎えた。約6年間に渡る連載だった。

 タイトルの側には「サッカー文芸」と謳われている。1人のサッカー選手の人生を綴っているのだから「文芸」ではなく「ノンフィクション」ではないのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。「サッカー文芸」と記しているのには明確な理由がある。

 物語の中で、起った出来事すべてが主人公の西村卓朗の身に起ったことではないのである。たとえば、第1回の登場人物で西村とは大学サッカー部のチームメイトだった小松和彦が、物語の終盤に西村と会って引退を告げる場面がある。実際には、西村は小松とは会っていない。小松に会いに行ったのは筆者であった。小松から話を聞いて、物語を作って文章化したのである。現実にはないストーリを作るのだから、ノンフィクションではなくて文芸という名をあてた。物語のスジとしての大きな枠組みは、西村が語った出来事を軸にして、筆者が読み物として物語化したのがこの作品である。

 今回、サッカーキングのWebで公開するに至った経緯は次のようなものだ。西村は現在、JFL昇格を目指す地域リーグのボンズ市原の監督を務めている。今季のボンズ市原の戦いを何度かコラムで掲載する予定なので、それと連動して西村が現役時代にどのようにサッカーと向き合ってきたのかを知ってもらいたいからである。また、彼のアグレッシブな生き方を記した物語を、埋もれさせたくなかったからだ。この物語は、多くの人に読んでほしいので、サッカーキングのWebで公開させてもらうことにした。

 筆者は、Web「サポティスタ」とWeb「スポーツナビ」で、2001年にサッカーライターとして最初の仕事をした。そのとき筆者は、言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの研究のために、スイスのジュネーヴ大学文学部言語学科博士課程に在籍していた。

 2006年に日本に帰国した筆者は、大学講師になるためにある研究所に所属して研究員になる。しかし、最初は無給であるという狭い世界の常識から、金銭的に困窮して様々なアルバイトをしながら研究者を続けていた。海外の大学で研究してきても、現実は、日本の大学で長く研究を続けている人が優遇されるという矛盾にも苛まれた。自分の現実認識の甘さに失望もした。

 そんなときに、ドイツの4部リーグに所属して現地で出会った小松の紹介で、西村と会うことになった。正直に言って、「これだ」という理由はなかったのだが、とにかく彼に惹かれていった。時間を重ねて会話をしていく中で、自分が彼に惹かれた理由がわかってきた。彼は「ものすごくサッカーが好きな人」ということだった。とにかく、サッカーのためにすべてを捧げている。サッカーが上手くなりたいと熱望して、生活の中心をサッカーに置いている。西村は、特別に有名な選手ではないし、日本代表の選手ではなかったけれども、筆者にとってはそんなことは関係なかった。彼の物語を書きたいと渇望した。

 無名な一人の選手の物語を連載してくれる媒体はないだろうと考えた。けれども、何としても実現したかったので、手当り次第にサッカー系の雑誌を出している出版社を回る。ほとんどの出版社に断られた。唯一、『サッカー批評』だけ連載を許可してくれた。当時、連載を承諾した人は、現在『フットボール批評』(カンゼン)で編集長を務める森哲也氏である。

 普通は、無名の選手と無名なライターの連載など、1つの雑誌の中では成立しないだろう。しかし、森氏は「西村選手が引退するまで続けましょう」と言って連載を始めてくれたのである。今回のサッカーキング掲載も了承してくれた。筆者は、森氏に育てられ見出されたライターだと言える。

 西村卓朗という一人のサッカー選手の物語は、筆者の人生とも重ね合わさって書き綴られたのである。

【サッカー文芸】哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第一回 手紙」


文●川本梅花

登場人物
ぼく:西村卓朗(Jリーグ大宮アルディージャ所属)
同級生:小松和彦(ドイツ四部リーグ元SCブレーバッハ所属)

「つまりこういうこと。風景や歴史や世界のほうがぼくらよりずっと忘れっぽいということ。百年後のこの場所には君もぼくももういない。ぼくたちは世界に忘れ去られているんだ。それって納得できる?」(岡崎京子『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』)

一 友だちになったサッカー好きな奴

 ぼくは、大学受験で一浪した経験のあるJリーガーだ。浪人していたからと言って、サッカー選手として何か役立つことを得たわけではない。ただあの一年間は、不安というものが本当はどんな意味なのかを、初めて知らされた年だった。もしもぼくが、この世界から忘れ去られてしまったら。ぼくがサッカーをやっていたことさえ、覚えている人がいなくなってしまったら。そういう漠然とした不安をもってしまって、眠れない日々を過ごしたことがある。ぼくが、この世界に忘れ去られてしまうことなんてあり得るのだろうか。それがあり得るという可能性さえ、どうしても納得できなかった。どうすれば納得できないことを、頭の中から消し去ることができるのだろうか。浪人中のぼくは、そんなことを考えていた。

 やがてぼくは、試行錯誤の結果、ひとつの結論に到達する。もしネガティブな物事が自分に襲いかかって来たら、それをポジティブな方向に変えるためにすべてを全肯定するしかない。ネガティブな物事もぼくに起こるから、ぼくが存在している。そうしてぼくは、「自分の人生の中で起こることはすべて必要なことしか起こらない」という人生哲学をもつようになったのだ。

 ぼくが国士舘大学サッカー部に入部したとき、髪の毛にメッシュを入れてピアスをつけた同級生がいた。名前は小松和彦と言う。一年生のときから彼は、部活が終わったらすぐに帰宅する、サッカーに執着しないタイプだった。でもピッチの上では、華麗に独創的なプレーをするミッドフィルダーに変身する。ぼくは、“ああいう選手を天才肌と言うのだな”と小松のプレーを見て思った。ぼくの方はと言えば、“平凡な努力型の選手だ”とまわりの人は見ていたのだろう。それは確かなことで、人が一時間練習したら自分は二時間練習する。つまり人の倍は練習するようにした。正直言ってぼくは、サッカー選手としての能力はそんなに高いとは思わない。だから他の選手と同じことをやっていたら駄目だ。どう上手くなりたいのかを考えて、筋トレなどをただがむしゃらに繰り返す。それは、科学的トレーニングと言えるものではなかったのだが……。

 ぼくが小松に言葉をかけるようになったのは、大学四年になってからだ。
 合同練習が終わる。
「おいもう帰るのかよ」
「ああ」
 と、言葉を返すだけ。
 次の日は少し挑発してみる。
「またパチンコかよ」
「そうだよ」
 相変わらず素っ気ない。
 また次の日もしつこく言ってみる。
「もう引き揚げるんだ。一対一でもやってやるよ」
「また今度な」
 やっぱり帰っていった。

 ぼくが、どうして小松にこんな風に声をかけ続けたのか。それは彼が、サッカーをものすごく好きな人間なんだと思えたことがあったからなのだ。

 四年生のときぼくはAチームで、小松はBチームに分けられた。それによってぼくらは、公式戦で同じピッチに立つことはなくなる。だから彼のプレーを冷静に、ピッチの外から観察できた。試合が終わってから彼に、「あの場面はパスよりシュートした方がよかったと思うよ」とアドバイスしたことがある。そのとき彼は、真剣にぼくの話に耳を傾けてくれていると感じた。それから何か気づいたことがあったら、ぼくは彼に話すようにする。そうしたことを何度か繰り返していくうちに、“小松は本当にサッカーが好きな奴なんだ”ということがぼくにもわかってきた。サッカー選手の中には、それほどサッカーが好きでもないのに、“ぼくはサッカーを好きで楽しんでいる”と言ってプレーしている奴がいる。ぼくはそいつらの嘘を見抜ける。これは自惚れかもしれないが、ぼくは誰よりもサッカーが好きだから、サッカーをそんなに好きでもないのに好きな振りをしている奴の匂いを嗅ぎ分ける能力がある。

 小松は逆で、「サッカーなんてそんなに好きじゃないよ」というポーズを取るが、彼の中身はその正反対だった。練習が終わってすぐ帰ろうとする小松に、何度も声をかけたのは、彼がサッカーを好きだと知ったから。だから本当は、“おまえそんなにサッカーが好きなのに”と心の中で呟いてから、「おいもう帰るのかよ」と発している。ある日、また断られるのを承知で、「一緒に残ってボール蹴らないか」と言ったら「ああやるよ」と返事をされたときには、正直言って驚いた。小松からそんな答えが返ってくるなんて、想像もできない。だから彼が、ぼくの誘いに乗ってくれたことが、とても嬉しかった。あのときの喜びは、今でも忘れることができない。だってぼくは、本当に毎日彼に言葉を投げかけていたんだ。“あいつしつこい奴だな”とか“ウザイ存在”と捉えられてもいいやと思って。けれどもその日をきっかけに、ぼくと小松は“サッカーが好き”という同じ価値観を共有した友だちになれた。


二 友だちに宛てた手紙の理由

 大学を卒業して、ぼくは浦和レッズに入団した。小松は、ドイツのプロリーグのセレクションに合格する。彼がドイツに旅立つ前に、ぼくは一通の手紙を送ったことがあった。

「自分が人生で大切だと考えていることは、成功ではなく、経験することだと思う。喜びや楽しさ、達成感など肯定的な経験ばかりできればいいけれど、ときには悔しさとか悲しさ、虚しさや失望感などを味わうこともあるだろう。むしろ、そうしたことの方が多い。ただ、そのときはマイナスと思える経験も、あとで思い返せばプラスに働くことが多いように思う。失敗やけがなども、自分が賢ければそこから学ぶことがたくさんあるだろう。それは、自分を変えるきっかけにすらなるかもしれない。無駄なことは何もない。むしろ、自分に起こる現実は必要性があって起きている、とすら自分は思う。自分もこの手紙に書いたことに恥じないように頑張る」

 この手紙は、彼への励ましとぼく自身への叱咤が込められたものだ。当時の浦和では、先輩の山田暢久が右サイドバックでぼくと同じポジションだった。レギュラーになるためには、まず同じピッチの上に立たなければならない。しかしぼくの目の前にあった現実は、自分がベンチに入ることさえ難しい状況だった。やっとベンチに入れても試合に出してもらえない。そんな環境がしばらく続いていく。ぼくは今まで、自分のライバルとなる人に積極的に話しかけたことがなかった。実は彼とは、浦和在籍中に一言も言葉を交わしたことがない。大学を卒業したばかりのぼくは、年上で同じポジションを争うライバルと言われる人に、どうやって接したらよいのかわからなかったのだ。ぼくは、プロの世界にそのときから、知らないうちに飲み込まれていたのだろう。つまりぼくは、臆していた。

 だから本当のことを言えば、ぼくはこの手紙に書かれたことを人に言えるほど強い人間ではない。すごく人の目を気にするタイプだと思う。いつになってもサブでしかベンチに入れない人間を、まわりの選手はどういう眼差しで見ているのだろうか。“どうせあいつは控え選手”と見られて、自分はサッカー選手として認めてもらっていないのではないか。あの頃のぼくは、そういうコンプレックスを頭の中で作り出していたのだ。そのことがぼくの勝手な思い込みだと気づいたのは、大宮アルディージャに移籍してからスタメンで試合に出させてもらえるようになってからのこと。逆の立場を味わってみれば、ぼくが浦和で“自分は認められていない”と抱いたような感情は、サブの選手に対してもっていないことがわかる。あのときは、なかなか試合に出場させてもらえないぼくの、焦りから作り出した偽りのコンプレックスだったと今となっては思うのだ。

 ぼくは、自分が浦和と契約延長してもらうためには、どんな屈辱でも受け入れてただひたすら献身的に振る舞った。たとえば、サテライトの練習中の雰囲気作りから始まる。コーチが、ぼくに要求する。
「若い選手を右サイドバックのポジションで使いたいんだよ」
「自分は別なポジションをやります」
 と、即答する。

 フォワードもスリーバックの真ん中も、ゴールキーパー以外のポジションはすべてやった。たぶんぼくは、そこまでやらないとクラブに残れなかったと今でも思う。だけどぼくも人間だ。そこまでしたのに、何で試合に出られないんだろうと思って、ひがみっぽくなったときも正直言ってあった。あの手紙は、そんな状況の中で小松に宛てたものだ。だから、“手紙に書いたような強い気持ちの選手になりたい”と、ぼく自身にも宛てた手紙だった。

三 ドイツから帰国した友だち

 小松がドイツでのプレーを終えて戻ってきたので、ぼくらは一緒に食事をした。そのとき彼が教えてくれたことは、「大事な試合があるときおまえの手紙を読み返す」と言うことだ。彼のドイツでの最後の試合となったその日にも、手紙を取り出したと言う。その試合は、ドイツのカップ戦出場を決める決勝戦だった。試合に勝利すれば、チームは本戦に進めてブンデスリーガと戦うことができる。日本で言えば、天皇杯の地方予選のようなもの。小松は、この試合を最後にドイツでのプレーを辞めて日本に帰国する決心をしていた。試合は、決勝戦に相応しく白熱した戦いとなった。同点のまま延長戦にもつれ込んだが、それでも決着がつかず試合はPK戦へと進んだ。順番が小松に回ってきたとき、彼のチームは一本だけリードしている。彼がPKを決めれば、チームは本大会に出場できる。そんなプレッシャーの中で彼のシュートは、キーパーにコースを読まれてボールはゴールまで届かなかった。試合の経過を聞いて、ぼくは、小松に言葉をかけた。
「惜しい試合だったな」
 彼は、右手で握りこぶしを作ってぼくに見せる。
「俺はここが弱いんだよ」
 そう話しながら、こぶしで胸を二度三度と叩いた。
 彼のそんな仕草を見て、ぼくはとても悲しくなってしまう。“気持ちが弱い”というメッセージなのだろうが、“ぼくだってそんなにおまえと変わらないんだよ”と言いたかった。でも彼の仕草から、最後の試合に勝てなかった悔しさが含まれているのが十分に伝わってくる。だから彼になんて声をかけてあげたらよいのか……、ぼくにはわからなかった。小松は、思い出したように話を続ける。
「そうそう、試合が終わってから監督室に呼ばれたんだよ」
「何か言われた?」
 ぼくは聞き返した。
「ああ」
 と、相槌を打つ小松。
「もしサッカーを辞めるんなら試合に勝ってから辞めろと言われたよ」
「試合に勝ってから辞めろか……」
 彼の言葉を繰り返しながら両手を組んで首筋にもってくる。そして少し目線を上げて、“試合に勝ってから辞めろ”の意味を考えた。
 おそらくこのドイツ人の監督の言葉は、文字通りに受け取ってよいと思う。言葉の意味を膨らませれば様々な解釈が成り立つのだが、この言葉は、サッカー選手がサッカー選手として終わるためには、最後の試合に勝って終えなければ選手生活に決着をつけられない、という意味なのだろう。アスリートは、アスリートとして選手生命を終える。それが、理想の姿。

 サッカー選手が、サッカーを辞めるという決断をするとき、その選手は、何を基準にしてピッチから離れることを決めるのだろうか、とぼくは最近よく考える。サッカー選手が、唯一もっている権利があるとすれば、それはその選手が現役をいつ辞めるのか決断できる権利なのだ。たとえば、J1でプレーできなくなったらJ2でプレーする。それでも駄目なら、JFLでもプレーできる。経済的に大変だけど、アマチュアになったとしても続けようとしたらできないことはない。ピッチに立っていようと思えば、どんな環境でもプレーはできる。それを辞めるというのは、“サッカー選手がもっている唯一の権利”なんだ。

 小松はその後、Jリーグの数チームでセレクションを受ける。どのクラブも彼のプレーへの評価は高い。けれども本当に残念なことに、結果はついてこなかった。彼は、それからサッカーを辞める決断をする。サッカーをしながら生活することができない環境ならば、今が身を退く時期だと判断したのだろう。サッカーを辞めると決断した小松に、ぼくは電話をした。
「辞めるのか?」
「ああ、サッカーとは関係ない職業に就くよ」
「本当に、辞めるのか?」
「やるだけやったんだからいいんだ。悔いはないよ」
 彼は笑って答えた。髪の毛にメッシュを入れてピアスをつけていた彼。“サッカーが好き”なのに、素直に表現できないでいた彼。プロサッカー選手を目指してドイツでプレーし続けた彼。そうした彼にも、サッカーを辞めるときがやって来たのだ。“サッカーをすることが生きることで、生きることがサッカーをすることだ”と信じてきたぼくは、携帯の通話を切ってから、涙が止まらなかった。

〈つづく〉
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■川本梅花(かわもと ばいか)。サッカーライター。ジュネーヴ大学大学院文学部言語学科終了。青森県出身。『サッカープロフェッショナル超分析術』『サッカープロフェッショナル超観戦術』(カンゼン)『大宮アルディージャの反逆』『俺にはサッカーがある』(出版芸術社)。『サッカー批評』(双葉社)で「TJ リスボンからの風 田中順也」を連載中。ツイッターアカウントはこちら(@kawamoto_baika

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